40.狂怖の登山②
「仕事……ねぇ」
佐目野君が遠い目をして呟く。
彼とはそれなりに付き合いがあるから私には分かる。
今の台詞を「面倒・やりたくない」といった意味で発したわけではないことに。
「何やら含みのある言い方だけど、どうしたんだい?」
「今月は8月。世間は夏真っ盛りだというのに、北海道の高山を舐めてましたよ」
彼が「ハ〜」と白い息を吐く。
どうやら、私の思い過しだったらしい。単に、「面倒・やりたくない」といった意味で発しただけか……
そうこうしているうちに、私たちの乗るロープウェイがやって来た。
このロープウェイは4人乗り。私と佐目野君の他に60代の女性2人が乗り合わせることになった。
「さ、乗るとしましょう。ところで、ロープウェイで移動するというのは登山としてどうなんでしょうね?山の麓から登り始めるのがセオリーなんじゃないんですか?」
私に対して聞いてきたことなのだろうが、私が答えるよりも早く相席者のオバさんが口を開けた。
「あなた、登山は初めて?」
意外な人物の介入に、佐目野君が一瞬戸惑う。
「え、えぇ……そうです」
「あら、そう。そんな貴方に登山歴10年のベテランである私が良いことを教えてあげるわ」
10年か。若いころからではなく、50近くになってから登山を始めたのか……若いな。とてもじゃないが私にはそんな気力がない。
「はい、何でしょう?」
「登山はね……『登った!』という満足感が得られればそれでいいのよ!」
「ええ!そうホントにね!」
オバさんたちがカラカラと笑いながら答える。佐目野君もそれにつられて微笑む。
「そうですか。それは良いことを聞きました」
佐目野君……私は知っているぞ。
君の微笑みは、君が全力で愛想笑いをした結果生まれるものであることを。
「あなた、いくつなの?」
「26です」
「あら、若い!若いっていいわね!」
「そうねぇ〜。羨ましいわねぇ……そうだ!私いいものあるの!チョコレート食べる!?」
「私も!私もあるわよ!」
オバさんたちがリュックをまさぐる。
チョコレートなら殆どの人が持って来ているだろう。
登山ツアーに必要なものとしてエネルギーとなるもの、すなわち行動食を持ってくるように書いてあったから。
……それにしてもこの霊能者、モテモテである。
先程から何度かこちらの方をちらちら見て「助けて」と合図を送ってきているが、面白いので放置している。
「あの……お気持ちは嬉しいのですが、それは皆さんにとっての大事な行動食ですので受け取るわけにはいきません」
佐目野君が微笑みながら答える。
「んまぁ!私たちのこと心配して……嬉しいこと言ってくれるわ!」
「いいわねぇ。顔だけじゃなくて心までいい男前ねぇ」
オバさんたちに異性として見られていることを完全に悟った佐目野君が思わず顔を引きつる。
佐目野君は、年寄りに対しては優しい。というより、年寄りの好意を無下にはできないらしい。
彼は両親が50近い年齢の時に生まれた。高齢出産の末の待望の我が子。愛情を受けて育ってきた。だが、その両親も、高齢のためか既に他界してしまったという。そのため、彼は還暦過ぎのお年寄りに両親の影を重ね合わせている節がある。
だから、単に「年寄りから異性として見られるのが嫌」というより、「親のように接していた人から異性として見られるのが嫌」なのだろう。
面白がって静観していた私だったが、ここまで来ると佐目野君のメンタルが危うい。私も会話に参加して彼の負担を軽減させるとしよう。
「お二人はご友人なんですか?」
「えぇ。そうなの」
「大学からの知り合いでねぇ」
「そういうあなたたちの関係は?親子でもなさそうだし……」
その質問が来るか。正直に話していいものか……
佐目野君の方をチラと見ると「余計なことを喋るな」と、こちらに睨みをきかせてきた。
「この人は私の叔父なんです」
「あら、そうなの」
嘘です。本当は記者と霊能者という関係です。
それから間もなく、ロープウェイが5合目に到着した。オバさんから解放され、安堵のため息を吐く佐目野君。
「……色んな意味で疲れました」
佐目野君、君は何か勘違いをしているのではないか?これで解放された、と。
登山中、オバさんたちが何の絡みもして来ないと思っているのか?
かく言う手津田さんも50過ぎである。




