37.豊橋の吸血鬼⑥
「刑事さん、犯人はどんな人物だと思いますか?」
「さっきも言った通り、トチ狂った殺人犯だ」
「では、何がどのようにトチ狂って、何をもってトチ狂っているのだと考えていますか?」
加藤刑事が面倒臭そうに答える。
「さぁな。それが分からないから、『狂ってる』って表現するんだ」
それを聞いた佐目野は露骨にうなだれ、左右に首を振る。
「それは、分かろうという努力をしないだけです。
どうも人間という生き物は、自身の枠組みにとどまらないものを認めようとしない傾向にありますね。
そもそも、何をもって異常とし、何をもって普通と判断しているのか。私たちは普段生きている中で『普通』を意識することはありません。それはつまり、私たちが無意識のうちに『普通』とは何かを理解しているということに他なりません。これを精神分析用語で普遍的無意識といい……」
無駄話が長い。俺たちはお前の雑学を聞くためにこの場にいるんじゃない。俺は堪らず、話を遮る。
「おい、佐目野!いい加減にしろ!そんなに自分の知識を披露したいんなら講演会でもやってろ!」
佐目野は不機嫌もあらわにこちらをジッと睨みつける。ややあって一呼吸し、再び不敵な笑みを浮かべる。
「いや、失礼。では、端的に言いましょう。ちゃんとメモを取ってくださいよ?
犯人は、近所に住む23から25歳の男性。痩せ型。外見に気を使うことはない。男女問わず親しい間柄の人物はおらず、常に1人で行動している。精神科に通院あるいは、入院していた過去がある」
時が止まったかのように、その場が静まりかえる。
こいつは急に何を言っているんだ?
こいつは[1]か[10]でしかものを語れないのか?
いや、そんなことよりも……
「……佐目野君?君は何の根拠があってそれを言っているんだ?」
加藤刑事が鋭く睨む。が、佐目野は意に介さず、俺の方を振り向いてニタニタと笑う。
「いやー。でも、また話長いって言われちゃったら嫌ですからねぇー」
本気で気にしてたのか?それとも、単に俺への当て付けか?
しばらくニヤついていた佐目野だったが、俺と加藤刑事のしらけきった視線を感じたためか、バツの悪そうに口を開いた。
「……冗談ですよ、冗談。ちゃんと説明しますよ。
犯人は証拠隠滅を謀ることもなく、無計画に事件を起こしている。それだけじゃない。腹わたを引きずり出したり、血液を飲んだりと無駄な行動も多い。もし、被害者に恨みがあるのならこんなことはしないでしょう」
「佐目野君、それでは犯人がその『無駄』な行動をわざわざとった理由とはなんだ?」
「……快楽殺人者。殺人を犯すことに性的興奮を覚える者。生命維持を司る脳幹の一部である間脳視床下部には食欲や性欲の中枢が存在します。また、動物の攻撃行動は視床下部やその周辺の刺激を受けて発動します。つまり、食欲・性欲・攻撃行動の中枢は非常に近いところに存在し、互いに影響を及ぼしやすいんです。
無論、通常であればこれらがごっちゃになることはないし、仮になったとしても実行しようなんて思わない。何らかの精神病……このような動機なき殺人の場合だと、統合失調症を患っている可能性が高い。
統合失調症は思春期に発病することが多い。そして、妄想に駆られてから殺人を犯すまでに病状が悪化するのには8〜10年ほどの時間がかかります。だから、平均的な発病年齢15歳に8〜10を足した23〜25歳の犯行。
ただ、それまでに両親が何の対策もしてこなかったとも思えないので精神科に連れてったりはしてたと思いますよ」
俺も、加藤刑事も言葉を失う。
何でこいつはそんなこと、ここまで知っているんだ?ここまでの推理ができるんだ?
……あぁ、そういえば警察学校時代に刑事になりたいと言っていたな。あの時からこれ程の知識を蓄えていたのだろうか?これだけの知識と熱量がありながら、こいつはどうして警察官を辞めたりしたんだ?
俺たちが黙ったままでいるのを佐目野が訝しげに見つめる。すると、何かを思いついたのか軽く手を叩いて会話を続ける。
「あぁ!犯人が何故痩せ型なのかの説明がまだでしたね!現代の心理学では認められていないことなのですが、これが中々馬鹿に出来ない!ドイツのエルンスト・クレッチマーの性格類型論によると……」
我に返った加藤刑事が、慌てて静止する。
「いや、わかった。よくわかった!もう結構!」
佐目野は再度会話を中断されてしまったために、露骨にムスッとした表情をする。
「佐目野君、ありがとう。もう帰ってくれて構わない」
「え!?もう終わりですか!?カツ丼は!?」
「……そんなに食いたいのなら、今度時間がある時に奢ってやるが、どうする?」
加藤刑事が不敵に笑う。
「それは勘弁してください……
佐目野宝次郎、用件終わり!帰ります!」
そう言うと、15度にお辞儀をした後、回れ右してスタスタと帰って言った。
警察学校の入室要領か……懐かしいな。
入室要領(申告要領):
教官に要件がある時は決められた時間に教官室に行く必要がある。その際、ちゃんとした手順で教官の前まで行かなければならない。要するに、学生が職員室に入る際の「失礼しまーす!〇〇先生いますかー?」をめんどくさくしたもの。
両手でドアを半分開け、「失礼します」と一礼(15度の角度)→音を立てないように両手でドアを閉め、回れ右→要件のある教官の前まで行くと一礼しながら「お忙しいところ失礼します。〇〇教官、申告よろしいでしょうか?」と言って、教官が立ち上がるのを待つ→教官が立ち上がると3歩の距離(1歩60cm)を保って一礼。教官も一礼するので教官が顔を上げるまで待つ→「〇〇巡査は要件があって参りました!」と言って要件を伝える→話が終わると「要件終わり帰ります」と言って一礼。教官も一礼するので教官が顔を上げるまで待つ→終わったら回れ右して帰る
え?めんどくさいって言うけど、そんなに教官室に入る用事ないだろうって?
生徒たちは、他の教官に指導()されたことも逐一担任教官に報告しなければいけないのです(声が小さくて叱られた、服装の乱れを指摘された等の細かな内容も)。警察学校生は皆、ネームプレートを着けているため顔と名前が丸わかり。そして、教官たちは指導()した生徒の名前をメモして担任教官にチクっている。黙っていてもすぐバレて後々大変なことになる。
要するに、[怒られたことに対して、怒られに行く]用事が多々あるのです。




