34.豊橋の吸血鬼③
「ただいま」
家に着くや否や、マロンは尻尾を振って一目散に菜子の元へと走って行った。
「お帰りなさい……そんな辛気臭い顔して、何かあったの?」
自分では気づいていなかったが、そんなに表情に出ていたのか。
「何でもない。ただ、散歩中に妙な知り合いを見かけただけだ」
「見かけただけ?声はかけなかったの?」
「あぁ。別に仲がいいわけじゃなかったからな」
「ま、知り合いに『妙な』なんてつける間柄じゃあそうなんでしょうね」
俺が自主的に喋ることを待っていたのか、それとも俺がそいつのことを毛嫌いしていることを悟ってその場の空気が悪くなるのを避けたのか。
菜子はそれ以上のことを追求してこなかった。
その日の夜は久しぶりによく眠れた。
懐かしい夢を見た。俺が警察学校に通っている夢。
でも、目が覚めたら細かい内容までは忘れてしまった。ボンヤリと覚えているのは、佐目野と何か話したということ。何を話したのかすら覚えていないが、俺がやつを怒鳴りつけたことは覚えている。何で怒鳴りつけたのか?それすら分からない。
翌日、出勤してすぐ白バイに乗って巡回を行う。
ここ最近は俺自身が居眠り運転で事故を起こしかねない危うい状態にあったため、人目を忍んでサボることも多かったが、ぐっすりと眠れたことだし今日は問題ない。
しばらく国道を走っていると、煽り運転をされて困っているという通報が入った。
現場に着くと、道路のど真ん中で2台の車が停車していた。前方に止まっているのは、黒のレクサス。後方に止まっている車は紺色のパッソ。
40歳近い小柄な男が怒鳴り声を上げながら、凄い形相で後方車のフロントガラスをバンバンと叩きつけていた。軽自動車はどうも煽り運転をされやすい傾向にある。
「警察です。どうしました?」
「チッ……どうしたじゃねぇよ!こいつが急に割り込んできたんだよ!」
俺は、パッソの運転窓を3回ノックする。
運転していたのは30歳程の女性だった。
「大丈夫ですか?」
震える声で女性が答える。
「あの!走ってたら、あの人がクラクション鳴らしてきたり、急な幅寄せや急ブレーキかけてきたりして……」
その話を聞いていた煽り男が、声を荒げる。
「ふざけるなよ!おめぇが最初に割り込んで来たんだろうが!」
……その話はもう聞いた。
「そんなことしてません!」
「しただろうが!」
……いい加減うるさいな。
「どっちが先なのか後なのかは知らん。けど、だからと言って道路のど真ん中に車を無理やり停止させて、こんな怒鳴りつけていいわけ?」
「だ、か、ら!この女が先に……」
俺は男の話を遮り答える。
「おい、人の話を聞けよ?だから、先とか後とか関係ねぇんだよ。これ以上問題起こすようなら、公務執行妨害で逮捕するぞ?」
男は顔を真っ赤にし、「覚えてろよ」という典型的な捨て台詞を吐いた後でその場を立ち去った。
これでもう安心しただろうと思い、女性の方へ笑顔で振り向いたが、予想に反して女性は顔を赤くしワナワナと震えていた。
「なんで……なんであの男を逮捕してくれないんですか!?私、凄く怖い思いをしたのに!殺されるかと思ったのに!」
「申し訳ございませんが、現状煽り運転そのものに対する法律がないんです。暴力を振るわれた、とかなら暴行罪で逮捕出来たかも知れませんが」
文句ならどこぞの議員たちに言ってくれ。
「私に殴られろって言うんですか!?」
女がヒステリックにわめく。そんなこと言ってねぇだろ、めんどくせぇ。
「いえ、そういうわけでは」
「もういいです!」
そう言い放つと、女もその場から立ち去って行った。
俺は呆然とその場に立ち尽くした。
「何で俺が一番の悪者みたいになってんだよ」
今日は、疲れた。早く家に帰ってビールを浴びるように飲むこととしよう。
「ただいま」
家に帰り、挨拶をするが返事がない。鍵は開いていたから菜子もいるはずなんだが…はずなんだが!
先程から嫌な臭いがする。間違いであってほしい。
でも、間違いようがない。何せこの臭いは1週間前に嗅いだばかりなのだから……
「菜子……いないのか?いるなら返事をしてくれ!」
リビングのドアを開けるとそこには、無数の刺し傷を負って死に絶えているマロンの姿があった。
普段の愛くるしい姿を思い返すのも難しくなるほどの凄惨な姿を見て思わず息を呑む。
菜子は無事なのか?辺りを見回したが、リビングには居ない。
帰ってから電気をつけておらず、室内が薄暗かったため気づかなかったが、リビングから廊下に出ると血の跡があることに気づく。それは、2階の寝室まで続いていた。
寝室のドアは既に開け放たれている。
俺は恐る恐る中の様子を伺う。
そこには、菜子だったものの姿があった。
1週間前に見たものと同じような光景。
部屋中に散らばる臓物。
身体中を刺され、腹を引き裂かれた菜子の無残な姿があった。
夢の中で怒鳴りつけてストレス解消。




