30.瞬間移動:被害者側
─あれは、夫の還暦祝いでマジックショーを見に行った日のこと。
いくつかのマジックが終わり、終盤に差し掛かった頃にそれは起こりました。
「続いてのマジックは、お客さんにも手伝ってもらいましょう。今から10個のボールを投げますので、それを受け取った方はどうぞ壇上へ!」
そう言うと、マジシャンは10個のカラーボールを客席へ投げました。
何でもこのマジシャンの売りがこのお客さん参加型のマジックだそうで。夫もこれが目当てでショーを見に来たんです。
そして、運の良いことに……いえ。後々のことを考えると運の悪いことに、ボールの1つが私たちの方へ飛んできたんです。
「お、俺か!ハハ!やったぞ!」
夫は素早く両手を上げてボールをキャッチしました。
「よかったですね、あなた」
この時の夫の喜びようはそれはもう凄かったですよ。ボールを持った手を高らかに上げ、皆に手を振りながら壇上へと上がっていったんです。
「それでは、今来られた10名の方にはこの檻の中に入ってもらいます」
マジシャンがそう言うと、アシスタントが舞台袖から巨大な檻を運んできました。
この中に選ばれた10人が入った後、チェーンが幾重にも巻かれ、それから南京錠がかけられました。
マジシャンが檻を黒い布で覆うと、カウントダウンを開始します。
「5!……4!……3!……2!……1!」
勢いよく布を取ると、檻の中にいた人たちの姿はなくなっていました。
客席からはどよめきの声が上がります。
「安心してください!彼らは消えてしまったわけではありません!彼らの姿はちゃ~んと私の目に焼き付いています。皆さんも決して彼らの勇士、忘れないであげてください」
右手で顔を覆い、わざとらしく泣きまねをするマジシャン。
会場は笑いに包まれます。
「先程申し上げました通り、彼らの姿はちゃんと私の目に焼き付いています……今!現在も!さぁ、皆さん!後ろのトビラをご覧ください!」
出入口の扉にスポットライトが上がるとそこには、先ほどまで壇上にいたはずの人たちがいました。
予想外の出来事に客席からは驚きの声がわきます。
私も驚いて思わず、声を上げてしまいました。
「夫は!?夫の姿が見当たらないんですけど!」
扉には、夫を除いた9人の姿しかなかったのです。
騒ぎに気付いたアシスタントの若い男性がそっと私を会場から連れ出します。
「旦那様は、その……今控室の方に」
どうも歯切れの悪い。
胸騒ぎがする。そう思いつつも案内されるがまま控室に着くと、そこには頭から血を流しグッタリと横たわる夫の姿がありました。
「あなた!あなた!」
必死になって呼びかけましたが、返事が返ってきません。
「救急車は!?」
「先ほど呼びました」
「何があったんですか!?どうしてこんなことに!?」
「私の口からは何とも……」
アシスタントは申し訳なさそうに顔を伏せ、それから何を聞いても「申し訳ございません」と答えるばかりでした。
それから10分ほどして救急車が到着し、近くの病院へと向かいました。
すぐに手術室へと運ばれ、数時間が経過し、夜も明けかけた頃。手術室のランプがようやく消え、医師が出てきました。私は声を荒げて医師に詰め寄りました。
「先生、夫は?夫はどうなんですか!?」
「全力は尽しました。命に別状はありません。ただ、頭部への外傷がひどく……意識が回復するまでに時間がかかると思います。それに、無事意識が回復しても後遺症の心配があります」
「……そうですか」
命に別状はない、と聞いてひとまず安心しました。
ですが、医師の懸念通りと言いましょうか。あれから1週間経った今でも夫の意識は回復しないんです。
医師からは「そのうちに回復しますよ」と言われているのでそこまで心配はしていないのですが。
何かとお金もかかりますし、それに何より主人にこれだけの怪我をさせておきながら未だにあのマジシャンは知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりで。
どうしたらいいのか、よくわからないんです。
外国で実際に起きた事故。瞬間移動のTRICKは日本では結構有名ですよね。




