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地底の大機関  作者: 蒸奇都市倶楽部(人見広介)
1/2

(上)

 ああ、未だにこの耳から離れようとしないのです。ゴウゴウという蒸気が流れる脈動が。ギリギリという歯車が回る歯軋(はぎし)りが。ゴウゴウギリギリという機関の駆動音が。それはまるで私の矮小な身体を押しつぶさんばかりに巨大で、圧倒的なものだったのでございます。西部の機関工場の密集地帯にもあんな圧迫感は持たないでしょう。


 ええ、配管工の私はその日、点検の為に中央市に赴いておりました。停車場からさほど離れていない一等地とは申しましても、地下に下りてしまえばどこも同じ。様々な匂いがごった煮になって胸を悪くするような、何とも言えない空気が漂っているのです。そして、そこが私の勤め先でした。まるで迷路のように曲がりくねった地下の穴の中は、私どもの庭のようなもので、他の方々では全く迷ってしまうような複雑な経路をすべて、この出来の悪い頭に叩き込んでおるのです。ですから地図のようなものはまったく不要で、工具一式だけを背負いこんだ私はいつものように、管を点検しておりました。なにもなければ異常なし、なにかあれば応急で補修して修理の必要あり。すべての管の状態を帳面に書きつけて、これを最後に監督に提出するまでが私の仕事でした。


 さあ、地下に潜り込んで数時間ほどだったでしょうか。割り当てられた区間の点検が終わりましたので小休止。帳面を確認しながら中食(ちゅうじき)にと持参していた握り飯をかじっておったのですが、ふと妙な物音に気付いたのでございます。地下の管の中には色々と流れておりますので多かれ少なかれ音がします。排泄物やら工業排水、水道水や生活蒸気を始め、今ではお偉い数字だの信号なんてものまで流れております……私にはどうも理解が追いつかないのですが、詰まる所、蒸気機関が吐き出す蒸気に数字やら信号やらを閉じ込めてやり取りをするとかいう。そうです、その機関情報網というやつですか。さすが、記者様はよくお知りでいらっしゃる。ああ、いや、話が逸れましたな。そう、そういう管から少なからず、こう、ゴウゴウといった音はするものでありますが、私が気付いた物音というのは全く聞きなれないものでした。カッチン、とも、キッチン、とも聞こえたそれは、どうやら私が点検して通り過ぎてきた方角、つまり後ろから聞こえてきたのです。定期点検は私一人でやっているものではありません。最初は誰かが持ち場を間違えて私の区間を点検しているのではなかろうかと思ったものでありましたが、よくよく考えれば一緒に地下に潜ったのは私以上の熟練者ばかり。地下で迷うどころか、割り当てを間違える心配はありません。この音の主は彼らでないことは明白でした。では、何者か? まず考えあたったのは、ちょっとした悪戯心を起して地下に降りてきた者がいるのではないかというものです。先に申し上げました通り、帝都中に張り巡らされた地下道というのは非常に複雑で入り組んだものです。何の知識も持たぬ部外者が入っておいそれと征服できるようなものではありません。もし、この物音の主が、そのような者であるならば、迷子になってしまう前に早く地上へ上げてやらねばと大変なことになるのは明らかでありました。私はランタンを手に「おぉい」と声を掛けました。地下道内に常設された弱々しい機関灯では、数間も離れてしまうとぼんやりとした影にしか見えないものです。(あん)(じょう)、ぼんやりとした人影がこちらに近づいてくるのが見えました。物音もカッチンカッチンといった妙な音がより大きく聞こえてきます。私は再度、呼びかけました。するとどうでしょう、私の声の反響が届くや否や、人影はピタリと歩みを止め、ひるがえして元来た方へ戻っていくのが見えたではありませんか。私は慌てて、その後を追いかけました。地下は関係者以外の立ち入りが禁じられております。人目を忍んで侵入した地下で何者かに出くわしたのなら驚いて逃げ出すのも無理からぬことかも知れません。ですが、その時の私は、そんなことにも気づかず、ただひたすら「おぉい」と声をかけながら追いかけるしかできませんでした。


 さて、数十間に及んだかと思われる追いかけっこが終わりましたのは、人影が突如として私の視界から消え果てた為でした。何の脈絡もなく、そう、そこには曲がり角などなく、また地上へ向かう梯子があるわけでもない一本道の中途の出来事で、はて、どこかしらに身を隠したのではないかと、私は配管の裏側を見てまわっておったのですが、奇妙なことにさきほどまでのぼんやりとした人影は見当たりません。あの奇妙なカッチンキッチンといった音も聞こえなくなっておりました。

 ですが、その答えとなりそうなものをすぐ発見することができたのでございます。それは私ども配管工が見たことも聞いたこともない側道の入口が、配管の裏側に立てかけられた板きれで隠されていたのです。ああ、これが、人影が消えた仕掛けであったのでしょう。側道の方に耳を傾けますと、かすかに、あのカッチキッチという音が聞こえてくるのですから明らかです。

 本来ならば仲間を呼ぶか監督に報告すべきでした。あの時、私は足を踏み入れるべきではなかったのです。ですが、それもこれも後の祭り。私は帝都の地下道を知り尽くしているという自負心を大きくえぐられていたのでございます。私はなんとしてもこの側道を征服しなければならぬという、今にして思えばつまらない考えに取りつかれ、まるで引っ張り込まれるように足を踏み入れたのです。地下の、それも知らない道で迷った時の恐ろしい結果は、側道に夢中になった私にも辛うじて想像できたのでございましょう。常備していた縄を配管に括りつけ、その縄を垂らしながら戻るときの目印として先を進むことにしました。

 その地下道は配管らしきものが一切ない、どこか古びた様子の造りでした。煉瓦(れんが)が敷き詰められ、天井に向かって縦長の半円を描く穴の形。私が知る配管だらけの地下道に比べてごった煮の嫌な空気はなく、代わりに地上で親しんでいる蒸気と煤煙(ばいえん)、そして油の匂いが漂っておりました。それに何者かが多少の整備をしているらしく、丸みを帯びた天井には弱々しい光を放つ灯が、ゆらゆらぶら下がっているといった様子でございます。私はあのカッチキッチという奇妙な音に導かれるようにして、得体の知れぬ地下道を突き進んで行ったのです。私の知らない地下道もまた複雑に入り組んでいるようで、上がったり下がったり曲がったり真っ直ぐ進んだりを、繰り返しておったのですが、徐々に徐々に、例のカッチキッチ、いや、よくよく聞こえるようになってきてわかった本来の音、カッチンキッチンという調子っ外れな、()みあわせの悪い歯車のような音に、迫りつつありました。同時に、蒸気の水気を帯びた煤煙と油の匂いもより鮮明に、強くなってきておりました。



 そう、それに。あの地響きのような。ゴンゴンという音も。その時は気付かなかったのですが。あれは、ああ、まさに〝奴〟の息づかいだったのではないかと。今から思えば。

 ええ、その通りでございます。それからしばらく後のことでございました。あの恐ろしい巨大な怪物に遭遇したのは。そこに至って私は、初めてあの煤煙と油の匂いの正体に気付いたのでございます。無視できないほど大きな、あのゴンゴンという音。代わりに人影が発していた奇妙な音はすっかり聞こえなくなっておりました。代わりに地下道に響いていた音。大地が揺れるような大きな、あれは機関音だったのでございます!

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