表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/28

4話:切り裂き名無し(ジョンドゥ・ザ・リッパ―)

 魔法界「ソーサリー」の都市の街並みは大して人間界と変わらず、太陽は赤く、魔法使い達は人間と同じ食物を口にしている。街の姿は人間界の中世時代の西洋に近い。

 現在、ソーサリーの国民である魔法使い達、魔女達は王と女王の政策により、男女住み分けの生活を余儀なくされていた。

 ソーサリー中央都市「アトス」。そこはサバトが始まるまでは男も女も分け隔てなく暮らしていた。だがサバト開始以降ソーサリー統治者の魔法王の所有区域ということで全魔女が出ていかざるを得なくなった。

 故に魔女達は魔法女王が作った魔女都市「ファム」に移り住むことになった。

 もしこの魔法戦争ゲーム「サバト」を都市単位での戦争と考えるなら魔法使い都市アトス対魔女都市ファムの戦争とも呼べるだろう。「戦争」とはいえ、一般の魔法使い達や魔女達はサバトの勝敗を左右する力を持たないが。



 アトスに住む一介の魔法使いである中年の男、マイケルは友人のコニーと共にレストランにいた。

 先程ナポリタンを注文したのだが彼の前に出されたのは黒い焼き焦げた物体だった。

「これ何?」

 机に大皿を置いたウェイターに尋ねる。

「ナポリタンでございます」

 ウェイターが申し訳なさそうに言う。

「イカ墨スパゲッティかと思ったぜ」

 マイケルは一つため息をついてから諦め顔でウェイターを下がらせる。

「サバトとかいうのが始まってから料理も家事洗濯もマジで辛いよなー。この国の男でまともにやった事ある男なんているか? 今まで獣狩りや魔獣駆除の仕事ばかりだったのによ」

 向かい側に座るコニーに話しかける。

「本当な。でもお前んとこは子供が娘だからファムにいる嫁に預けられて良いじゃねえか。俺は息子だからミルク作りも仕事に入ってんだよ。早くこんなゲーム終わって欲しいもんだぜ」

 国策に愚痴をもらす二人の魔法使い。

「まあ仕方ねえよ。土地の問題だからな」




 ☆

 朝日にとって15回目のサバト。地上から50mの位置で浮遊するスケートボード上で朝日は深也と共にゲーム終了時間を待っている間、ボーッと満月を眺めている。ふとこの15回の出来事が脳裏に蘇る。


 朝日がゲームに参加して3ヶ月が過ぎた。

 人間界の季節は9月上旬。

 既に朝日のサバト経験は15回に達し、いよいよ魔童子全体にリフレクターとスケーターのコンビの名は広まってきていた。リフレクターはランキング5位、スケーターは9位まで順位を上げていたからだ。

 とはいえ、それは小さな勝利の積み重ねという訳ではなく雷門組の残党、ランキング8位の紅坂燃を撃退した次の日からこの順位に達していた。恐らくプレアが王に2人のランク上げを進言したのだろう。

 雷門組の残る残党の合コン女子4人と黄色と青の三角帽少女の2人はあれ以来一切朝日達に関わることはなかった。月夜も学校で4人からは無視を決め込まれているだけで何かされてはいないらしい。

 サバト中に何回か再会したがこちらを発見する度に全員、後ろに向き直り猛ダッシュで逃げた。中心の司令塔だった雷門と紅坂の2人が脱落したことで組織としての機能を失ったのだろう。

 その後もランキング上位の魔法少女や雷門組と似たような集団に狙われた試合もあったが、攻撃と回避の分担分けがはっきりしている2人に弱点はほぼ無かった。

 唯一、二人共遠距離攻撃のできる魔法を持たないという弱点があったが倒した放出型魔法少女の杖を使用することで弱点を克服できた。

 深也に何回か奪った杖を貸して使用できるか試したがどの杖の魔法も使うことができなかった。

 逆に、朝日はほとんどの杖の魔法も放出型なら使用できた。例外的に高度で複雑な魔法……当たった敵を操ったり、犬やネズミにしたり、物質を透明にするような一撃必殺になり得る魔法は著しく適性を要求されるようで使用はできなかった。だが低度で単純な魔法……火や水、氷、糸、風をただ放つといった特殊性の無い魔法は使用可能だった。

 だが欠点として、やはり威力は本来の所有者の2分の1に満たなかった。使用可能回数も1本あたり5回が限度で、それを越えると杖が自壊してしまった。しかしそんな欠点が気にならないくらい朝日の特異性は朝日深也コンビの遠距離武器がないという攻めの弱点を充分補強してくれていた。

 守備面に関しては深也が補ってくれた。20人近くの少女の団体に襲われ、勝ち目のない状況もあったが深也のスケボーの速度を持ってすれば簡単に逃げる事ができた。

 そうやって適度に倒し、危険な時は逃げることができた2人はランキングの順位と共に名前と顔もサバト内で売れるようになっていた。

 そんな二人のコンビに加わりたいと申し出てくれた魔法少年もいたが、大抵5~10人の組織からの申し出だった。集団へ馴染むのが得意な深也はともかく、朝日は大の苦手だったため、申し出を(ことごと)く断っていた。

 それに口にはしなかったが朝日は深也といるのが心地良かった。深也は朝日の大好きな月夜から勧められたアニメ「魔法少女サンムーン」を知っていたのだ。小学生の頃、それを理由にいじめられていた分、中学でも高校でも一切会話のネタにしなかったが、初めて月夜以外でそのアニメの会話ができる相手が見つかった。暇な時間にその話を学校やサバト中の誰も手の届かない空のボード上でするのは心地良かった。戦術的な相性と同時に、性格の相性も一致していたからこそ、この2人の空間に新しい人を入れたくなかったのだ。


(だからこのままでいい)

 地上50m上空の雲の上で視界に映る満月を眺めながら心の中で呟く。

 しかしふとある事実に気づいてしまった。

(紅坂燃は「千鳥姉はアタシらのこと忘れちまった」と言っていた。もし僕か深也の片方でも脱落したら、もう片方のことを忘れてしまい、学校でも友達で居られなくなる。

 願い事を叶えるという目的と同時に、深也との想い出を失くしたくないという目的も加わってしまった。願い事が増えてしまった。

 一方で、このままサバトを続けていけばいつか必ず月夜と戦わざるを得ない時が来る。

 その時が来たら僕はどうすれば良いのだろう? 願い事のため、深也との想い出を守るため、月夜を倒すのか? それとも月夜の願いを優先して負けてやるのか?)

 そこでふと、紅坂との激闘をフラッシュバックした。貫かれた左眼の激痛と、朝日の反射した電撃で焼き焦げた紅坂の最後。

 もし月夜に降伏を要求し、渋った場合、戦闘になる。そうなってしまったら最悪、あの時の左眼並みの激痛を月夜に負わせることになる。このゲームは死なないゲームであっても痛みを伴うゲームだ。

(あんな痛みを月夜に負わせたくない。だけど……)

 月夜に負けてやれば、深也との記憶が無くなる。

 月夜に勝つには月夜に傷を負わせなければならない。

 二人の大切な人、どちらを取るかといった天秤。

(魔法少女達を僕一人で全員倒せば、他の魔法少年に貢献度を与えず、僕が独り占めできる。そうすれば仮に深也が途中で脱落して記憶を失っても「母さんを生き返らせる」「月夜の左眼を治す」「深也に僕との記憶を取り戻させる」という三つの願い事を叶えることも貢献度が高いから叶うかもしれない。だけど何人の魔法少女を、そしてどれくらい強い魔法少女を倒せば僕の願いは叶うんだ?)

 どの程度の貢献度でどの程度の願いが叶うのか? これが分からない朝日にとって、サバトは何キロあるか分からない暗闇の道を走るマラソンのようなものだ。

(そして何より、その3つの願いを叶えるために……いや、どんな途方もない願いを叶えられるのだとしても……願いを叶えるために魔法少女である月夜を傷つけなければならないことに変わりはないんだ)

 いつか来る未来を避ける方法も、その時が来た時に取るべき解答も今の朝日には出せない。

「おい、朝日。聞いてるか?」

 突然の深也の声に現実に引き戻された。

「え、何?」

 前方の背中姿の深也に視線を合わせる。深也の首だけはこちらを向いている。

「せっかく人が真面目な話してるんだから聞いててくれよ」

 深也が小さくため息をつく。

「真面目な話?」

「『このゲームが本当に魔法使い達の領土問題の解決が目的なのか』って話だよ」

「ごめん、全然聞いてなかった。深也にしては真面目なお題だな」

 深也の顔を見るが表情は深刻そうではない。何となく振った話題なのだろう。

 深也は朝日に突っ込まず話を進める。

「ただの領土問題なら人間界を巻き込む必要ないだろ? いくら人間界の方が強い兵士作れるからってさ。その土地に住むのは俺らじゃなくて魔法使い達なんだから、弱くても彼らを兵士にすべきだろ? 会った事ないけど」

「ん……まあ僕も思ってた。だけど僕にとって願い事が叶うのが重要だからあまり気にしてなかった」

「何か別の理由があると思わないか?」

 深也がニヤリと笑う。スリルを楽しむかのように。

 深也の言う「可能性」は朝日も勘付いていた。魔法王、女王、プレア三人の運営が何か隠し事をしている可能性。

 何故なら、サバトのルールに一つ不可解な点があるからだ。

 ルールブックに「サバトで招集される魔童子は変身石のシステムによって選ばれる」という記載がある。

 この「変身石のシステムによって」がランダムである事を意味するのか、作為的である事を意味するのか分からない。

 恐らく、後者である可能性が高い。深也とタッグを組んでから、サバトで出会わなかった試しが無いからだ。ランダムならそうはならないはずだ。

 運営が作為的にサバトに参加する魔童子を誰にするか毎回事に選んでいる可能性が高い。

 だが運営に何かしら裏があるのだとしても、「どんな願い事も叶えてくれる」以上、朝日に「ゲームを降りる」という選択肢は存在しない。運営が願い事さえ反故にしなければ何の問題もないのだ。

「サバト第99試合が終了しました! 速やかに戦闘を終え、変身石に従い、離脱してください」

 毎度お馴染みとなったアナウンスが二人の脳内に響く。



 ☆

 制服姿の朝日と深也は祈桜西高近くのカフェにいた。放課後、このカフェに来るのが習慣化している。

 今日は珍しく月夜が来るとのことで待っている。なんでも「会って欲しい人がいる」とか。

 深也は勿論、朝日にも心当りがなかったが「同じ高校の魔法少女」とだけ伝わっていた。雷門組の女子達でもないらしい。


「やっぱりさ、あのランキングで上位に行けば行く程、スケールのデカイ願い事が叶えられると思う訳よ」

 集合時刻より早く来てしまった二人。

 暇を持て余した深也が机に持たれかかり、コーヒーグラスのストローを右手で回しながら唐突に話題を振る。

「そりゃそうだろ? 自分がどれくらいの願い事を叶えて貰える位置にいるのかの物差しとして用意されてるんだと初めから思ってたよ」

 コーヒーを啜りながら朝日が返事する。朝日は続ける。

「勿論、ランキング上位に行けば行く程、魔法少女達に狙われ易くなる。上位の魔法少年を倒せば自分達がのし上がれ、勝利時により大きな願いを叶えて貰えるからね」

「だからといって朝日、他の強いチームに入れて貰って上位の魔法少女狙うのは嫌なんだろ? 集団行動嫌いだから」

 深也は合コンでの朝日の塩対応を思い出したようだ。

「……それもあるけど……もう一つ理由がある。チームになったら敵の変身石の争奪戦になり兼ねないからだ」

「どゆことだ?」

「ランキング上位の魔童子を追い詰めていざ石割るって時に誰が割るかで揉めるってことだよ。誰が割るかで評価変わるだろ?」

 朝日がウェイトレスにおかわりを注文する。

「それはないんじゃないか? だったら実際に石を割ってる攻撃係の朝日だけ上がって、回避係の俺は上がらないはずじゃん? 魔法王と女王はフィールド全体を見張ってるらしいから倒す時の状況正確に把握してんじゃないか?」

(チェッ、ばれたか)

 朝日が心の中で舌打ちする。本当は単純に集団の中に入りたくないのだ。

「……僕は10を2人分掛ければ100になるとは思ってるけど、1を10人分掛けても1のままだと思うよ」

 机に右肘を置いて右手のひらで首を支えた姿勢の朝日が左手でストローを啜りながら言い訳するように言う。

「どゆ意味だ?」

 朝日と同じ姿勢でストローを啜る深也。

 2人共早く来すぎたせいで2時間以上の時間を潰し、飽き始めている。

「組織は人頭があれば良いってもんじゃないってことだよ。僕ら二人だけでも問題ないってこと」

 空のグラスのストローを啜りながら言う。

「まっ、俺は朝日といるの楽しいだけでこだわりはないぜ。正直朝日みたいに高尚な願いもないし、サバゲー感覚でやってるだけだしな。今が楽しいのが俺の願い」

 その深也の台詞に反応し、空のグラスの中を眺めていた朝日がストローを啜る深也の顔に視線を移す。

 朝日は一抹の不安を感じた。

(サバゲー感覚、か)


 今までの戦闘経験上、魔童子の基本的な強さが「魔法的素質」と「願い事の重さ」を判断基準に決められる法則がある事に朝日は気づいていた。

 その上で、朝日と深也はある1点が致命的な程違う事にも気づいていた。

 ある1点とは「願い事の有無」。

「素質」が低く、「願い」が高い朝日。

「素質」が高く、「願い」が低い深也。

 自分達二人を分類分けするならこうだ。

 だがそんな相反する基準で選抜された2人だからこそ、今日まで強いコンビでいれられたのかもしれない。

 朝日はそう考えることにしていた。

 そういう考え方なら深也に願い事がないからといって「ゲームに真剣じゃない」等と考えて腹が立ったりもしないからだ。

 別に「今が楽しい」がモチベーションになるなら願い事が無くたって問題ない。

 だが、もし勝てなくなり、ランキングが下がったら?

 その時、せめて深也が朝日と同じくらいの「重荷」を背負っているなら、同じ熱量を共有することで停滞を乗り越えられるだろう。

 だが現状、サバトへの熱量のギャップが朝日と深也にはありすぎる。

 今はコンビとして勝てているから良いが勝てなくなった時、いつか深也の熱量の低さに苛立ちを感じてしまうのではないか?

 そんな不安を抱えていた。

 初めてできた男の親友だからこそ、嫌いになりたくない。



 30分後、カフェの扉が開く音がした。

 制服姿の月夜ともう一人、ボブカットの女子が朝日と深也の席に歩み寄った。

「お待たせー! 待った?」

「嫌、全く」

 月夜の問いに朝日が答える。自分達が好き好んで2時間前に来たのだ。月夜達の祈桜西は進学校なので放課後、1時間半の特別授業がある。進学校と普通の高校の差だ。

「それで、彼女が?」

 深也がボブカットの制服少女を見る。顔は整っているが目つきが鋭く、気が強そうな印象がある。背丈は157cmの朝日より低く、小柄だ。

「うん。この子は橙方(だいだいがた)夕美(ゆうみ)。私のクラスメイトで、サバトではパートナーみたいに一緒に行動してる。朝日達みたいにね!」

 月夜が微笑む。

 朝日は月夜に親友ができた事を少し意外に感じた。

 月夜は一人で抱え込んでサバトをしていると思っていたからだ。

 一人だけで月夜の願い……恐らくだが「朝日の母を生き返らせる」願いを叶えるつもりなのだと思っていた。

 別に友達がいることに関しては全く意外ではない。月夜は中学時代、一部の女子からいじめにあっていたとはいえ、いじめ時代ですら数人の友人に支えて貰っていたし、小学校の時も朝日と違って友達に囲まれていたからだ。

 だが、深い仲の友達は一度もいなかったのかもしれない。月夜は自分の本音を隠して、他人に優しく笑いかける癖がある。この癖とも技術とも呼べる彼女の微笑みは本人が望む望まないに関わらず、人を惹きつける魅力を持つ。だが、月夜自身が他人に強く惹かれる事は滅多にない。だから願い事がかかる程重要なイベントであるサバトでは薄い繋がりのチームに入れてもらうより、ソロでいた方が良いと考えているのだと思っていた。

 そんな月夜が背中を預けても良いと思える程の強い繋がりの友達――親友ができたことが意外なのだ。

「……こんにちは、夕美よ」

 朝日と深也から目を反らしながら挨拶する。声は聞き取りやすく、無口という訳では無さそうだ。

「この子初対面相手には緊張するタイプだけど段々お喋りになるから気にしないで話かけてあげてね!」

 月夜が笑顔でフォローに入る。

 朝日と深也は2人で独占していた4人机上の散らかったゴミをかたし、座席の荷物を右側に移動させ、左側に月夜と夕美が座れるスペースを作った。

 2人が席につき、右側奥から朝日、深也、左側奥から月夜、夕美という席取りとなった。

 月夜がデザートを注文し終えると夕美が口を開いた。

「今日敵である魔法少年の貴方達2人に来てもらったのは、もうあたし達魔法少女側が魔法少年側にもお願いしないといけない程に危険な状況に置かれているからよ」

 夕美が真剣な眼差しで語り始める。

「危険な状況?」

 朝日が問うと先程より重い声色かつ、3人に聞こえる大きさで呟く。

切り裂き(ジョンドゥ・ザ)名無し(・リッパー)……」

 朝日はこの人名? を聞いた目の前の月夜と右側の深也が青ざめたのを、月夜の暗い顔と深也の顔の緊張と汗から感じとった。

 朝日だけが知らないらしい。

「そのジョンドゥ何とかって誰?」

 夕美に問いたが先に深也が口を開く。

「朝日わりいな。お前にもっと早くソイツのことを教えておけば良かった。俺ら魔法少年だから関係ないって思ってたけど、月夜ちゃんの事もあるんだから言っとけば良かった」

 俯いて震える深也の言葉に朝日はただ頭に疑問符が増えるだけだった。

 深也に代わり、今回この場を設けた主催だろう夕美が続ける。

「ジョンドゥ・ザ・リッパー……このサバトが始まって以来3年間、ランキング1位をキープしている魔法少年。魔法名は“痛ミ在ル生命(ペイン・アンク)”。3年間チームを組まずソロを貫いているから誰も本名を知らないことと、ハサミを武器に残虐な戦い方をすることから有名殺人鬼の名前を合わせて切り裂き名無しって呼ばれるようになった。

 そして……このゲームで唯一人殺しができる魔童子よ」

 最後の一言に力がこもる。

「人殺しができる? だってルールで……」

「アイツのペイン・アンクは『敵につけた傷を治させない』魔法を持っている。ゲーム内でアイツにつけられた傷は治癒魔法なんかでも絶対に治らない。だけど肝心なのは……その傷がゲーム外――つまり人間界に戻っても残り続けるという所よ」

 淡々と語る夕美に対し、朝日は小さく動揺していた。

「このゲームは人が死なないゲームであっても怪我はするゲーム。アイツに致命傷となる傷をつけられて、強制離脱させられれば、傷が残ったまま記憶を無くした状態で人間界に還される。しかもその傷がどんなに小さな傷でも現代医療じゃ治らない」

「現代医療じゃ……」

 動揺が強くなる朝日。夕美が続ける。

「あたしは中2の冬からサバトに参加しているけど、昔、学校の友達の魔法少女がアイツに殺されたわ。表向きは犯人見つからずで扱われてる。それ以来ずっと敵討ちしたいと思ってたけど、いざ同じフィールドで出くわしたら恐怖で脚が動かなかった。そのまま今日まで何も出来ずにいたわ」

 夕美が俯き、暗い顔を落とす。少しの間を置き朝日と深也に向き直り、続ける。

「そしていよいよアイツに殺された魔法少女の数が50人、後遺症が残ったままサバトを続けている魔法少女が70人に昇ったってことで、魔法少女緊急会議が人間界で行われたの。月夜も私と一緒に行ったわ」


 ☆

 3日前の日曜日の昼間。

 その会議は大手化粧品会社の本社30階の、一番広い会議室で行われた。

 表向きは企業関係者による秘密裏の会議という名目だったがそのメンバーは異様だった。123人で全員女性。社会人は2割しかおらず2割は大学生、5割は高校生、中学生。残りの1割は小学生というのだ。

 社員の誰もがそれが何の会議か不審に思っていたが社長命令での会議室の貸し切りとあっては誰も逆らえない。

 会議室は長机が4本、上から覗くと正方形になるように置かれ、椅子は1机で40席もあり、123人が全員座っても余り有る程だった。

 最年少で7歳、最年長で29歳という余りに若い集団での異様な会議。

 囲む長机の真ん中にポツリと、スーツを纒った金髪ロングパーマの女社長が車椅子に座っている。

 その女性こそこの魔法少女会議の主催者だ。

 29歳、最年長魔法少女の女社長が一声を上げた。

「諸君、今日は多忙な所集まって頂き感謝する。本当は全ての魔法少女に集まって欲しかったのだが特定できたのがこのメンバーのみだった。まず主催である私から自己紹介しよう。

 名を王花(おうか)ビュオレ。母がイギリス人のハーフだ。魔法名“瞬間ヲ刻ミ込メ(メメント・モメント)”。ランキングは、2位だ」

 女社長、ビュオレの声は会議室に良く響き、皆の耳に強く届いた。声の大きさだけでなく、抑揚や表情等全てが人の心を自然と惹きつける。所謂カリスマ性があった。

 女社長を囲む魔法少女達の数名は車椅子に乗るビュオレの太腿(ふともも)に視線を向けていた。包帯をしている。

「知っている人もいると思うが前回奴に太腿を刺されてね。お蔭様で両脚が機能しなくなった。私のような思いをした者は他にもいるようだね」

 ビュオレが自身を囲む魔法少女達を見回す。右腕のない女子高生、右眼が包帯で覆われた女子小学生、口元をマスクで隠している女子大生。他にも痛々しい傷が露わになっている少女達がちらほらいた。

 見回す中で月夜と夕美の席に視線を送る。そして月夜の眼帯を見る。目が合った月夜が反射的にビュオレから視線を反らす。

 ビュオレも月夜達への視線を外し、全体に向けて発言を続ける。

「奴に傷物にされた私は間もなくランキングが下がるだろう。歴代のランキング2位だった魔法少女達も不動の1位である奴に傷を負わされ、ランキングが下がる、もしくはゲームをリタイアさせられた。中には傷で死んでしまった人もいる。幾度となく2位が入れ替わってきたのに対して奴が3年間1位を維持していることから奴の強さはデータとして証明されているだろう」

 ビュオレが数秒目を瞑り、無言になる。

 暫くして目を開き、口を開ける。

「奴の武器は2つ。「絶対に治らない傷を与える」魔法、ペイン・アンクと、膨大で、推し量ることのできない基礎魔力量。圧倒的魔力で強化された奴の身体に並の魔法少女では杖から炎を放とうがミサイルを打ち込もうが傷1つ負わせられない。奴の次に基礎魔力量が高かったのは故雷門千鳥さんだったが、私程度でも雷門さんの魔力値は推し量れたのに対し、奴の魔力値は桁違い過ぎて推し量れなかった。私の見立てでは雷門さんの10倍はあるだろう。普通の殴り合いではここにいる全員が束になろうが返り討ちだ」

「あの、ちょっと良いですか?」

 制服姿の眼鏡の高校生が立ち上がり、右手を上げる。上げた右手の小指は包帯を巻いてあり、不自然な方向に折れている。

「なんだい?」

「私達はジョンドゥ・ザ・リッパーの対策のために集まった筈です。結論、奴への対策はあるんですか?」

 眼鏡の女子高生の眼には怒りの炎が宿っていた。

「それが知りたくて集まったのだよ。奴へ怒りを持つのは君だけではない。知恵を出し合おう」

 ビュオレが爽やかな笑顔を作り、女子高生を諌める。女子高生が席につき直す。

「できれば魔法少年達の力も借りたいと考えている。奴を野放しにしたまま魔法少年サイドが勝利しても奴はロクでもない願いを叶えるだろう。例えば、『魔童子全員でのバトルロワイヤルがしたい』……とか」

 その推測に会議室がざわつく。

「これはかなり現実味のある推測だ。奴と相対した者なら共感してくれるだろう。奴は戦闘中、願いを叶えるために戦うような真剣な顔をしていない。明らかに戦いそのものを純粋に楽しんでいる顔だ。ただの快楽殺人鬼にも見えるし、戦闘狂にも見える。奴の願いは戦う事で叶っているんだ。そんな奴からしたらこのゲームの『同性同士の戦いの禁止』は楽しさを半減させているだろう。そこから奴の願いが何か推測がつく」

 ビュオレが両手の指の隙間を絡め合わせて、その上に顎をつける。

「ルール上、魔法少年達にどうこうできる問題じゃないが未来のことを考えれば彼らにも被害が及ぶことだろう。君達の知り合いの魔法少年含めた魔童子の中に奴に対抗できそうな魔童子は思いつくか?」

 ビュオレが周囲を囲む魔法少女に問うとさらに会場がざわつく。チーム数名で来た者達は隣の者と相談している。だが、誰も返答できない。

 そのざわつきの中、1人の少女が手を上げた。

「君、どうぞ」

「ランキング第5位、リフレクターはどうですか?」

 手を上げたのは雷門組残党の紅坂の隣にいた青三角帽の女子だ。今は青髪ではなく黒髪だ。隣の席に雷門組の残り5人も座っている。全員学生服を着ている。

「ホウ、リフレクターね」

 ビュオレが首肯する。

「確か彼は『どんな魔法も跳ね返す』魔法を持っていたね。カウンターを主軸とする以上、相手が強ければ強い程活かすことができる魔法だろう。彼の魔法ならリッパーに対抗できるかもしれない。魔法少年だがね」

「こんなのはどうですか? 先にリフレクターをリタイアさせ、残った杖をここにいる私達で共有する。これなら私達の戦力にできます」

 雷門組女子が悪巧みの笑みを浮かべる。

「ふざけないで!!」

 椅子から立ち上がった月夜の叫びが会場に木霊する。一瞬、会場が静まり返る。

「君は確か、桃井月夜さん?」

 ビュオレが不思議そうに月夜を見つめる。

「桃井、アンタ魔法少女全員の危機だってのに何私情挟もうとしてんの?」

 雷門組女子がニヤつきながら月夜を責める。

「ビュオレさん。リフレクターは彼女の友人です。どうかそれだけはやめて頂けませんか?」

 月夜に続いて夕美も立ち上がる。

「ふむ……知る者は少ないが確かに他の魔童子の杖の魔法を使用することはできる。ただしそれは適正がある場合のみだ。この中に第5位の彼並に"謀反物(リフレクター)"の魔法が使える者がいるなら、その作戦もありだろう」

「そんな……」

 月夜が泣きそうな顔で嘆く。

「だが、彼並みに使える者がいないなら、せっかく強力な戦力になり得る人材を我々自ら潰すことになる」

 ビュオレは視線を地面に向けて、自分自身に言い聞かせるように言う。

「で、でもリフレクターが魔法少年である以上、倒して杖を奪った方が良くないですか?」

 雷門組残党女子が両手のひらを上にして、慌てて説得する。

 月夜が女子を睨みつける。

 数秒ビュオレが『考える人』のようなポーズで顎を右手の甲に乗せ、無言で考え込む。そして口を開く。

「これは極秘シークレットだが、『性別を変える』魔法を持つ魔童子が存在する」

 ビュオレの発言に再度会場がざわつく。

「そ、そんな奴が居るんですか?」

「ああ。だがその魔童子の存在を魔法王と女王は隠蔽している。このゲームのルールを壊しかねない魔法だからね。私がその者の存在を知ることは内緒にしておいてくれよ」

 会場が再度ざわつく。ビュオレが地面から魔法少女達に視線を戻す。

「以上の理由から魔法少年といえどリッパーを倒せる可能性を持つ者なら簡単には倒してはいけない。寝返ってくれるかもしれないからね。ともかく、そのリフレクター君とやらには期待ができそうだ。橙方夕美さん、桃井月夜さん。今回の会議の情報を彼と共有するのをお願いできるかい?」

 会議が収束に向かおうとした時、一人の眼鏡をかけたおかっぱの高校生が立ち上がった。

「ビュオレさん、野暮な質問をしても良いですか?」

「なんだい?」

「この会議、こんな大勢の小中学生なんかがいて怪しまれませんか? 貴方の今後の社長生活に影響したりしないんですか?」

「フフ、君達に心配して貰う必要はないかな? だがこうとだけ言っておこうか、これくらいなら彼らに怒られないだろう。『運営側に口止めされているから教えられない』、が答えだ。私がランキング2位である事を察してくれ」

 ビュオレは妖艶な笑みをおかっぱ高校生に見せた。


 ☆

「僕達に会いたいってそういうことだったのか」

 魔法少女達の会合の内容を聞かされ、朝日は得心する。

「ごめんね、勝手な理由で呼び出して。でもビュオレさんが言ってた『リッパーの願い』が本当なら、魔童子全員の問題だと思うの」

 暗い顔を見せる夕美。

「……でも俺達魔法少年には何もできないな」

 深也も暗い顔で下を向いて呟く。

 聞かされた所でルール上朝日と深也にはどうする事もできない問題だ。

 何故なら、変身石内蔵の電子画面のルールブック「サバト十二の基本原則」にはこんなルールが記載されていたからだ。


 ・サバト基本原則その三『同性同士の戦闘行為の禁止』:同性の味方を故意に攻撃した場合、変身石を没収し、魔童子としての資格を剥奪する。


 このルールがある以上魔法少年側にどんなに極悪非道な魔法少年が存在したとしても朝日と深也が戦いを挑んだ時点で魔法少年ではいられなくなる。

 故に、朝日も深也と同じく俯く事しかできなかった。

「朝日君、でも貴方にとっては他人事で済まされない問題よね?」

 声をかけられた為、首を上げると、夕美と目が合った。彼女の真剣な眼差しはどこか吸い込まれそうだ。

「……ああ……」

 曖昧な返事しかできない。思考を巡らせても同性の敵をどうこうする方法が思いつかない。

「今日は貴方とこの情報を共有できただけで充分だわ。知るのと知らないのじゃ大違いだから。いざとなったら本気で性転換も視野に入れてね。月夜のためにも」

 笑い話のような言い回しだが真顔で夕美は言ってのけた。

 流石に「施術が間に合わないよ」と笑って返答できる空気ではなかった。

「朝日君、良く聞いてね。リッパーの特徴は白蛇の尻尾みたいな鱗のついた三角帽子と白衣、それに右目にウロボロスの入墨が入ってる。アイツの体から放たれている真っ黒な魔力で嫌でも気づくと思うけど、容姿まで異質な奴だから念の為伝えとくわね」



 その後月夜と朝日は夕美、深也と別れ、男女町行きの電車に乗った。30分程の乗車時間、一切目も合わせず、会話も交わさなかった。電車が男女町駅につき、改札を出た。時刻は20時で街はもう真っ暗だ。2人は夜の田舎街を横並びに歩く。

 まだどちらも会話を切りだせない。2人とも頭の中で解決案を思考しては堂々巡りとなる。

 サバト初日に待ち合わせした男女桜公園の入口まで来た。

 男女桜公園内には等間隔で街灯があるため、暗闇で道が見えなくなることはない。

 左右に緑生い茂る、土の道を歩いて行く。

 土の道が橋に変わる。この橋を越えたら年中無限に薄紅色の花びらが舞う男女桜の木まで到達する。

 男女桜の木はもう2人の視界に入っていた。

 橋の半分まで渡りきった所で朝日が50分近くの沈黙を破る。

「月夜。月夜はもうサバトから降りてくれ」

 歩みを止め、左隣の月夜の横顔を見ながら、お願いする。

「……え? 何……言ってるの……?」

 唐突な朝日の言葉に、月夜は困惑した様子で、こちらに振り向く。目と目が合う。

 朝日が続ける。

「今までは記憶を失くす程度だって思ってたから良かった。最悪、月夜がサバトの記憶を失くしても僕との今までの記憶全て失くす訳じゃないから。でも、今日夕美さんの話を聞いて、そういう訳にはいかなくなった。死ぬ危険があるゲームなんか月夜にさせる訳にはいかない」

 右手のひらを上向きにして月夜に向けて差し出す。

「変身石を渡してくれ」

 月夜はその朝日の残酷な言葉に怒るでも泣くでもなく、ただ寂しそうな表情を浮かべている。

「……もし朝日が……私の立場なら……渡すと思う?」

 悲哀の心境が如実に表れている月夜の顔を朝日は苦渋の表情になりながら見つめる。自分が月夜を傷つけている事を痛感しているのだ。

 だけど、朝日は右手を引っ込めない。引っ込める訳にはいかなかった。

 母の葬式で見た母の無惨な遺顔が脳裏に今でも焼き付いていたからだ。

 もしこの右手をここで引っ込めたら、またあの叫ぶ程の絶望がやってくる気がしたのだ。

(アレをまた味わうくらいなら、月夜を泣かせても、傷つけてでも、奪ってでも石を取り上げるべきだ)



 月夜はまじまじと朝日の右手のひらを見つめる。

 月夜は思考する――どれだけ拒絶を態度で示しても朝日は手を引っ込めてくれない。朝日を説得するにはどうすれば良いだろう?――と。

 暫く逡巡して思い至った行動は左眼の眼帯を外すことだった。

 両手で両耳に掛かる紐を外す。そのまま眼帯が橋の上に自然落下する。

 朝日は月夜の行動の意図が分かっていないようで、たじろいでいる。



 朝日は露わとなった月夜の左眼を見つめる。

 最後に見たのはいつぶりだろうか?4年経っても、当時の傷の名残りが消えていない。

 普通の人が見たら、右半分の美貌と対比するように痛々しさと醜さを感じてしまうだろう左半分。その上、朝日はそう感じてしまう自身の心にすら罪悪感や嫌悪感を感じてしまう。

 眼帯のない月夜が悲しげな微笑をしながら朝日に問う。

「朝日……私、醜いと思う?」

「何で……そんなこと……」

 月夜の微笑と行動の意味がわからない朝日は困惑し、1,2歩後ずさった。

 真っ直ぐな瞳を朝日の顔から反らしてくれない。

 見つめたまま、朝日の返答を待っている。

 朝日は数秒かかったが自身の困惑を落ち着かせた。

 その後、自分を捉える月夜の瞳を見つめ返して冷静に、真剣に、凛とした口調で答える。

「……そんなことないよ。月夜は綺麗だ」

 嘘じゃない。15年間いつもそう思っていた。月夜の「心」は今も昔も綺麗だ。勿論、顔だって……。

 しかし自分で口にしてふと脳裏によぎる。ならば何で僕は月夜の左目の傷を治そうとしているのだろう? と。

 朝日の返答に月夜が意地悪そうに、妖艶に微笑する。

「ごめんね。朝日ならそう答えるってわかってて、言わせたかった」

 月夜が後ずさった朝日との間を埋めるため、近寄る。

「もし朝日が本気でそう思っているなら、私はそれだけで何も要らないんだよ? 1つだけ欲しいのは、きっと朝日と同じ」

 上向きの右手のひらを今だこちらに差し出す朝日に対し、月夜は右手の小指だけ立てて差し出し返し、指切りを乞う。

「もし朝日が今ここでこう言って約束してくれるなら、「本当に危なくなったら自分で石を砕く」って私も約束する。「月夜の代わりに母さんを生き返らせる」って。「いつか月夜と母さんを天秤にかける日がやってきたら、迷わず母さんを選択する」って」

 朝日は、小指を差し出す月夜の表情がどこか蠱惑的に感じた。その差し出された右小指に自身の右小指を交わせることが、天使と悪魔と同時に約束を結ぶかのように感じたのだ。

「二人の願いを一つにする」という天使との約束。「幼馴染を見捨てる」という悪魔との約束。

 しかし、ここで右小指を差し出し返さなければ、月夜は願い事をかけたこの戦いを死ぬまで、いや、死んでも放棄してくれないだろう。

 朝日の選択肢は一つしか許されなかった。

 月夜に差し出していた右手のひらを小指だけ残してグーに変え、指切りできる形にした。

 数ミリの距離感を保つ月夜と朝日の右手小指。

「約束する。『月夜の代わりに母さんを生き返らせる』」

 月夜の瞳を見つめながら朝日が宣誓する。

 だが心の中ではこう続ける。

(そして月夜の左眼と、両方治してやる。そのために、ランキング1位に必ずなってやる)と。

(ジョンドゥ何とかって奴より良い成績で勝利してやる)と。

 朝日の宣誓を聞いた月夜が蠱惑的な表情のまま言う。

「魔法界の記憶失くしちゃったら私、朝日に言質取れないから、言葉だけじゃなくて心にも誓ってね。さあ、誓いの儀式をしよう」

 月夜の右小指が数ミリ先の朝日の右小指を絡めとった。

 本来、お互いの約束である指切りげんまんにしては、強引に右小指を持っていかれた感じがあった。

「指切りげんまん〜嘘ついたら針千本飲〜ます」

 月夜が二人だけが聞き取れる小声でお決まりの呪文を詠唱する。

 交わった小指を強引に、一方的に上下に揺さぶる。

 詠唱が終わると月夜がやっと右小指を解放してくれた。

 月夜が交わし終えたばかりの右小指を唇に触れさせたまま、上目遣いで言う。

「約束……絶対だよ?」

 演出的な可愛さを感じる仕草を月夜は素でやってのける。今のは演技ではなく、本気で心配した上での仕草なのだろう。

 月夜に心の中を見透かされないように朝日が「ああ」と小さな相槌を返す。橋に落ちた眼帯を広い上げ、月夜に手渡す。


 再び帰路を歩み、橋を渡りきった所で、ふと朝日は「サバゲー感覚でやってるだけ」と言っていた深也にお願いすれば良いのではないかという考えが産まれた。

「勝利したら僕の代わりに願い事で月夜の左目を治してくれ」と。そして朝日自身の願い事で母さんを生き返らせれば良いと。

 おそらく、願い事のない深也なら喜んで受け入れてくれるだろう。

 だがすぐに深也に頼む事のマイナス点に気づいた。

 マイナス点は2つ。1つは、そもそもランキング9位の深也で月夜の左目を治すという願いが叶うかわからない事。

 2つ目は、「深也がいるから」と安心しきって、ランキング1位を目指す朝日の熱意に緩みが生まれるという事。

 この2つのマイナス点を考えたら、朝日が一人で抱え込んでランキング1位を目指す方がやりやすいと思った。

 どのランキングまでくれば「人を生き返らせてくれる」とか「不治の怪我を治してくれる」とかの情報がない以上、朝日ができる最善はただひたむきにランキング1位を、あるいはそれ以上の貢献の達成を目指す事だ。

 ふと、隣の月夜を見る。

 表情が読み取れない。

 あの指切りは月夜にとってどんな意味をもたらしたのだろう。

 今はただ、無表情に男女桜を横切り、土の上を歩く。


 男女桜を抜けてしまえば後は出口までひたすら淡泊でつまらない道が続くだけだ。

 右と左に植物が生える土路がまだ2人の視界100メートル以上先まで見通せる。公園出口はまだまだ先だ。同じ光景の夜の土路を2人は横並びに歩き続ける。

 しかしふと2人はあることに気づく。足音が1つ多い。

 しかも2人の歩が止まるとその足音も止む。再度歩めば3つの足音がする。

 明らかに、背後から何者かにつけられている。

 左側の月夜が目配せでそれを朝日に伝える。朝日が無言で頷く。

 突如、月夜と朝日は走った。お互い、自然と手を繋いでいた。

 二人三脚のように夜の土路を走る。3()()()の足音が響く。

 はっきりと、手を繫ぐ二人の背後から足音が響く事から、何者かは自分の存在を気づかれないようにする気がまるでないことがわかる。

 二人は急に立ち止まった。背後の足音も同時に止む。

 手を繋いだままの二人がゆっくりと後ろを振り返る。

 左右に緑生い茂る土路。二十m先に灰色のスーツ姿の男がいた。

 男は今、街灯のない位置に立っているため、顔が暗闇に隠れてよく見えない。

 男が手を繫ぐ二人の方にゆっくり歩み寄ってくる。

 一瞬、街灯が二人に近づく男の全身姿をはっきり照らし出した。

 灰色のスーツにコート。伸びきった白髪。病人のように青白い肌。身の丈190cm弱と長身。顔はやつれた感じだが、20代後半か30代前半くらいに見える。

 表情はどこか嗜虐を秘めた笑みを浮かべている。

 人目で、ただの通行人ではないことがわかる。

「何でしょうか?」

 朝日が月夜を右手で庇い、自分の背後に下がらせる。

 十m弱先の男が口を開く。

「こんばんワ♪」

 声は成人した男にしては甲高い方で、男の子のよう。

 挨拶を済ますと男は散歩程度の速度でこちらに近づいてきた。歩み寄りながらスーツのポケットに右手を突っ込み、銀色のハサミを取り出した。

 明らかに危険人物である事がわかった。

「月夜! 逃げろ!!」

 背中の月夜に命令する。

「嫌だ! 朝日も!」

「人を呼んできてくれ!」

 月夜の叫びに自分も叫んで返す。

 聞き分けてくれたのか、月夜が朝日を置いて公園出口向かって走リ出した。

 1人になって、冷静に置かれた状況を分析する。

(サバトならともかく現実世界でリアルファイトだなんて)

 しかも男は朝日より何十cmも長身。190cm近い。取っ組み合いでは勝てない。ましてや刃物を持つ男。月夜が助けを呼んできてくれるまで殺されずに済むだろうか?

 サバト内での身体感覚をできるだけ思い出した。

 距離2mまで狭った男がハサミを上から下に振るった。

 朝日が左ステップでそれを躱す。

 ハサミは空を切った。

 躱されたことが意外だったのか、笑みを浮かべていた男が目を丸くして驚いた顔を作り、男から見て右側の朝日に首だけ回す。

 男が冷や汗を流す朝日の顔を不気味な2つの目で凝視する。

 20秒近くの凝視。その後、何を思ったのか目を丸くしていた男の表情が狂気に近い恍惚の笑みに変わる。

「すばらしイ♡」

 男が再び朝日ににじり寄る。

 朝日に出来ることはこの男のハサミを回避し続けることだけだ。

 逃げてはいけない。月夜が誰も連れて来れずにわざわざ朝日を助けるためだけに戻ってくる可能性が捨て切れないからだ。

 にじり寄る男に対し回避の構えを取る。

 だが朝日が想像していたより早く救援が来た。

 男の顔に水線が浴びせられた。

 咄嗟の水に男が数歩後ろに退く。

 水線が飛んできた方向を振り向くと月夜がどこから伸びているのかすら分からない程に長いホースを握っていた。

「月夜バカ、逃げろって言っただろ!」

 朝日が月夜に叫ぶが男のウゥーッ、という妙な呻き声を聞いて、再び首を男の方に戻す。

 男の長い白髪がびっしょり濡れて、男の顔を隠している。

 男が首を左右に振り、髪の水飛沫を飛ばす。

 隠れていた顔が再び露わになる。

 見ると先程まで男の顔には無かった物が右目に浮かび上がっていた。

 二匹の蛇が互いの尻尾を噛んで八の字を描いている――所謂ウロボロスの入れ墨が右目周りの皮膚に入っている。

 男の顔を見て、朝日と月夜は同時に戦慄した。

 夕美が言っていた「奴」と全く同じ特徴。

 これは偶然だろうか? しかし世界広しといえどこんな奇妙な入れ墨をしている人間がそういるだろうか?

 自分の右目を凝視する朝日と月夜の視線を感じて、男が自身の右目に触れる。

「あレ? とれちゃっタ?」

 そして意識を自身の右目から朝日に戻し、朝日の方に改めて向き直る。

「キミ、良い避けするネ! 男にしとくにわもったいなイ」

 爽やかな顔を作って見せる。その作り笑いが余計に男の得体の知れない不気味さを底上げする。

 次の瞬間、紫と薄紅、灰色の光が夜の公園を照らし始めた。

 朝日と月夜が自身のポケットに入れていた変身石を取り出す。宝石が心臓の鼓動のように点滅を繰り返している。

 次に再び男の方に視線を移すと、男のコートの中の左胸の部位から灰色の光が点滅を繰り返している。

 変身石を取り出していなくともその男が魔法少年であることが立証された。

 やはり、この男こそが夕美の言っていた――、

切り裂き(ジョンドゥ・ザ)名無し(・リッパー)……」

 朝日がボソリと呟く。

 紫、薄紅、灰色の3色の光の中で、ウロボロスの男が2人に向かって右手を振り、笑みを浮かべて別れの言葉を言うのを朝日は確かに聞いた。

「またネ♪」

 そこまでで毎度同じく、朝日の意識は別世界へ飛ばされた。


 ☆

 朝日が目を開くと、そこは猛吹雪吹き荒れる夜の氷原だった。

 こんなフィールドは初めてだ。

 だが、全ての魔童子は、体に纏う魔力のオーラでフィールドの気温の変化から自身の身を守る事ができる。故に寒さは感じない。

 まず始めに朝日は目を瞑り、フィールド内の魔童子の魔力位置を把握することにした。大抵の魔童子はまずサバト始めにこれをする。

 敵の位置を把握せずに迂闊に動けば不意討ちされてしまう。

(まずは月夜を探そう)

 朝日の身体に纏わりつく紫色のオーラが円形に広がっていく。オーラに触れた魔童子の位置は全て把握できる。

 ゆっくり、ゆっくりと広がっていく。

 ふと、ニキロ先まで広がった所でドス黒い魔力を探知した。

 その魔力に触れた瞬間、豪雨を上から浴びせられたかのように、急に身体が重くなった。

 朝日が氷原に膝をつく。

 咄嗟に探知を解除した。そのドス黒い魔力に触れているだけで体力を消耗して、息が荒くなっていた。

 魔力を纏えば猛吹雪の氷原だろうと、日照りの砂漠だろうと魔童子は気候の影響を受けないはずなのに、朝日の身体は震えていた。その震えはこの猛吹雪のせいではなく、恐怖からだ。

 あの禍々しい魔力の持ち主が誰なのか等、言うまでもない。既に夕美にも散々忠告されていたことだし、先程公園で奴の恐怖を体感したばかりだったからだ。

 しばらく身体を落ち着かせ、ゆっくり重い膝を上げた。

 朝日は敢えてドス黒い魔力の持ち主の方向に足を走らせた。何故ならその魔力の近くに月夜がいるのを感じとっていたからだ。

(月夜が危ない!)

 ローブを(なび)かせ、氷原を駆ける。


 ☆

 月夜の目には氷原に横たわる5人分の身体が映っていた。全員魔法少女だ。

 うち2人は杖を握ったまま、残り3人の杖は各々の右手隣に放られている。

 5人のうちの1人に駆け寄る。

「大丈夫ですか?!」

 寄るとその少女はまだ小学生近くの年齢だった。

 頭から地を流している。

(明らかに致命傷なのに何で強制離脱が発動しないの?)

 足元の少女の状態を観察した後、他の横たわる4人の身体も観察する。

 1人は右膝から下を失っている。1人は右腕を、1人は右目を。残る1人はお腹から血が止まらずに溢れ続けている。

 手口が猟奇的で、今までのサバトなら確実に強制離脱になっているレベルの傷。

 きっとジョンドゥ・ザ・リッパーの仕業だ。

 その痛ましい光景に青ざめる月夜。

 そこでふと、月夜含む6人の近くにもう1つ人影があることに気づく。

 夜の吹雪で視界が悪いため、影のみしか見えないがそのシルエットは140cmに満たないスカートを履いた影だった。

 魔法少女だ。それも足下の少女と同じくらい幼い子の。

 月夜がそのシルエットの方に走る。どんどんシルエットが少女の形となっていく。そして少女の元へ辿り着いた。

 少女は緑ドレスの三角帽姿で、ぱっと見、小学校低学年くらいの年齢に見える。内股で膝を地面につき、自身の両肩を両反対の手で掴み両腕を交差させ、身体をガタガタ震わせている。顔は恐怖で青ざめ、涙目で(うつむ)いている。

「貴方、大丈夫?」

 少女は震えるだけで月夜に返事しない。恐怖のあまり声が出ないのだろう。それも仕方ない。明らかにこの現場は奴に出くわした後なのだから。

「大丈夫。お姉さん助けに来たんだよ! もう怖くないよ!」

 膝をつく足元の少女に対して、膝を小さく曲げて少女に届くように右手を差し伸べる。

 本当は少女と同じくらい恐怖を感じていたが、少女を不安にさせてはいけない。そう思って必死に自分の内面の恐怖を押し殺してみるが、月夜の青ざめた顔と震える身体は、涙目の少女に対し隠しきれていない気がする。

 下を俯いてた少女がゆっくり顔を上げて月夜の顔を見る。

 すると、何かを見つけたのか、少女の顔が先程まで以上に青ざめた。まるで、鬼か悪魔でも見つけてしまったような。

 全身を震わす少女が両腕の交差を解き、右手の人差し指を立てて月夜の頭の三角帽あたりを指さす。

「え? どうしたの?」

 少女の不可解な行動に疑問符を浮かべたが、少女が自分の三角帽ではなく真後ろを指さしていることに途中で気づいた。

 少女の示すままに、月夜が真後ろを振り向く。

 悪魔――いや死神が腕を組んで仁王立ちしていた。

 灰色の死神が右目のウロボロスがやたら目立つ顔の皺を寄せて笑んで見せる。

「こんばんワ♪」

 不気味な爽やかさを孕む笑み。

 反射的に月夜が少女の襟を掴みながらバックステップで後退する。白衣の死神と距離をとった。

 突然の敵の登場に心臓の鼓動が止まらない。嫌な汗も、身体の震えも。

 ポケットに手を突っ込み、杖を取り出し、先を敵へ向ける。しかし手の震えのせいで焦点が合わない。

(ハー……ハー……ハー……)

 荒い自身の息が聞こえる。

 そんな月夜の反応を見て死神はどこか嬉しそうだ。

「ねエ、ちょっと自慢話して良いかナ?」

 言うと白衣を翻して月夜に背を向け、散歩するような足取りで5人の瀕死の少女達に近づいていく。

「ボクね、3年間の練習で魔法少女の壊し方がとても上手になったんたんダ」

 右腕のない少女の所で止まった。

「どう壊せば脱落しないギリギリの状態にできるか、沢山壊して沢山研究しタ。おかげでこの子達みたいな壊し方ができるようになったんダ。魚の骨を上手に取って、美味しく食べれるようにするみたいにネ」

 足元で横たわる少女を死神は満足げにまじまじと見下ろす。まるで自身で作った芸術作品を鑑賞するかのよう。

「彼女らは虫の息だけどチョッピリ生きていル。後少しで壊れてしまうギリギリダ。勿論――」

 死神が白衣のコートの中に手を突っ込み、30cm弱の茶色い杖を取り出す。そしてそれを右腕のない少女の左胸に突き刺した。

「こんなことすれば死んじゃうけどネ」

 グチャッという生々しい音。少女の断末魔の叫びが当りに響き渡る。

「やめて!!」

 月夜が叫ぶが死神はお構いなしに右手に持つ杖を少女の左胸の奥に届くようにねじ込む。

 断末魔の叫びが響いている間、月夜は両手で緑髪の幼い女の子の両耳を塞いだ。

 少女の長い断末魔の叫びが止んでようやく死神が杖を引っこ抜いた。そして血染めの杖をコートから取り出した白いハンカチで丁寧に拭く。

 傍観しかできなかった月夜の目にもわかるように、右腕のない少女は絶命した。貫かれた少女の左胸からは血が溢れ続けて止まらない。

 少女の胸にかかるペンダント――変身石にはヒビが入っている。

 ヒビは徐々に宝石全体に広がり、宝石が砕け散った。

 それと同時に少女の両脚から透明になり始めた。

 透明化は顔まで渡り、少女の遺体は消失した。痕には血染めの雪と彼女の杖だけが残されている。

(もし……もっと早くあの子が脱落できていたなら……)

 記憶は消える事になっても死なずに済んだかもしれない。

 悔しさで歯を噛み締める月夜。死神に杖を向けたまま、涙を流し、顔を歪めながら、穢らわしい物を見る目で睨みつける。

「最低……貴方は……人間じゃない」

 怒りで恐怖を誤魔化し、死神に向かって震え声で訴える。

 血染めの杖を拭く死神が首だけ月夜の方に振り向き、爽やかな笑顔で返す。

「その通りダ。ボクは人間じゃない。ボクこそが、魔法少年ダ♪」

 震える緑髪の小学生を月夜が背後に隠す。

(この子だけはせめて守りたい)

 ゆっくり後退り、リッパーとの距離を空ける。

 リッパーが不気味な笑みを作ったまま月夜達に散歩する足取りで歩み寄る。

 距離がどんどん詰まる。

 2人の距離が3mを切った所で突如、何処からか放たれた白い光弾がリッパーの腹部に命中した。

 腹部に焦げ跡が残るがリッパーは目を丸くするだけで傷1つ負っていない。

 月夜は左後ろ斜めの、光弾が放たれた方向に振り向く。

 平らな氷原にはダボダボな船外宇宙服を着た魔法少女が杖をリッパーに向けていた。顔を映さない宇宙用ヘルメットの上から規格外のサイズの白三角帽子を被っている。今まで月夜が見てきた魔童子の中では一番大きなサイズの三角帽だ。ヘルメットで顔が隠れている事と服装のせいで、リッパーに攻撃しなかったら少女側だと気づかなかっただろう。

 彼女の左手を見ると小指が不自然な方に折れている。

 更に、周囲の気配に気づいた月夜が辺りを見回した。そこで初めて、宇宙服も加え4人の魔法少女達に円の陣形を作って囲まれている事に気づいた。

 1人は水色の三角帽を被り、上半身は人魚姫の着る貝殻のブラに下半身が馬で、ケンタウロスのよう。加えて左腕がない。

 1人は桃色の三角帽にナース服を纏う。加えて左耳が欠けている。

 最後の1人は黒い三角帽にくノ一の服を纏う。加えて一線の残痕が左眼にあり、閉ざされている。

 4人全員が右手に握る杖の先端をリッパーに向けている。


 ☆

「アレ? 体、重イ」

 リッパーが体を震わせて一歩を踏みしめる。まるで体に重りでもつけているかのような歩み方だ。宇宙服の少女、(そら)の狙い通りだ。

「今の一撃でお前の体重を2倍にさせてもらった」

 空はリッパーの疑問に答える。自分の魔法をバラした所で初撃が命中してしまえば敵は動けないので関係ない。

「……よく見たラ、キミらこの間ノ」

 リッパーが囲む4人の顔を見回す。その後、空に視線を戻し、質問してきた。

「あレ? 2人足りなイ。死んダ?」

 人差し指を立てて頬に触れ、首を傾げる。その仕草はこちらをおちょくっているかのようだ。

 その悪ふざけな反応に対し、空より先に左側に陣形を取るケンタウロスで人魚姫な少女、海駆(みく)が怒号を放つ。

「ああ、(ひとみ)真矢(まや)はお前の攻撃を食らって現実に戻った後、病院に運ばれて死んだよ! お前だけは絶対許さない!!」

 他の2人も怒りを剥き出しにしている。勿論、空も宇宙用ヘルメットの中で歯をくいしばっている。

 そして空以外の少女が声を重ねて呪文を口にする。

「「「杖解!!」」」

 海駆の杖が3本の刃を持つ水色の銛へと変わる。

 ナース少女、見看(みかん)の杖が桃色の注射器へと変わる。

 くノ一少女、(しのぶ)の杖が盾に使える程巨大な黒の手裏剣へと変わる。

 四人の戦闘準備は整ったようだ。円の陣形を組む四人が隣の人と目配せし合う。

 空は右側にいる忍の目を見て、アイコンタクトを取る。

(分かってるよ忍。まずは私の”重力倍化(グラヴィティ・ダブル)”でリッパーの動きを奪う。その後アンタの手裏剣でつかず離れずの中距離攻撃。ダメージを蓄積させ、海駆の銛で近接攻撃。銛の仕込み毒を体内に送り込む。後は試合時間一杯逃げに徹して、毒が回ったら変身石を破壊する。私達の魔力と体力が落ちてきたら見看の注射で回復。集団戦なら難しいけど4対1ならイケる作戦よ。リッパーの戦闘法がハサミの近接攻撃しかないのも有名な話。初撃の不意討ちが当たるかが肝だったけど成功した。このまま魔力が枯渇するまで私の魔法をアイツにぶち込んで立つこともできないくらい鈍らせてやるわ!)

 その後、リッパーに視線を戻す。

 しかし空が動く前に海駆が大声で宣戦布告した。

「瞳と真矢の仇、それと私達の傷の恨み、両方晴らさせて貰うよ!」


 ☆

 通称、切り裂き(ジョンドゥ・ザ)名無し(・リッパー)。29歳。本名不詳。魔法少年としての魔法は「治らない傷を与える」。

 彼は品行方正なエリート家庭で産まれたが、生まれ持って痛覚を持っていなかった。医者からは無痛症という病名をつけられる。

 加えて、生まれ持って異常なまでの破壊衝動の持ち主だった。だが18になるまでその衝動を誰にも見せず、親や友達の目の届かない場所で動物を使って発散していた。

 幼、小、中、高の彼のクラスメイトや部活仲間はやたら怪我をしやすく、かつ治りが遅かった。怪我をしやすい理由が、教室の椅子や上履きの中に画鋲を置いたり、調理の授業でコンロの火の調節器をいじった彼の工作だったことを知る者は誰もいなかった。

 怪我の治りが遅いのが「治らない傷を与える」彼の魔法の片鱗であることを知る者など本人含め尚更いなかった。

 高校を卒業した後、彼は親の前から姿を消した。共に生活をしていればいずれ自分の破壊衝動を知られてしまうだろうし、社会的エリートの両親は自分の破壊衝動を全力で矯正しようとしてくることが容易に想像できたからだ。

 それからは自力で貯めた学費で医大を卒業し、某有名大学の外科医として勤務し始めた。

 医者を目指した志望動機は、高給料である事と人を合法的に切れるから。

 しかし患者にメスを入れる時の快感に負けていつか表立って殺人を起こし、自身の本性を暴かれてしまうだろうと感じた為、現在は美容師に転職。

 こちらの転職動機は、髪ならば衝動を度を越さない範囲で適度に発散できるから。

 医師の頃も美容師の今も仕事場では特に目立たず、かといって無能と思われない程度に仕事をこなしている。世界一の医師や美容師を目指すくらいの実力があると内心では自負しているが仮になれたとしても名前が売れて「本当にやりたい仕事」に就くにあたって不都合だ。だが「やりたい事を仕事に」できていない現状も彼にとってかなりのストレス。

 専ら主な収入源は本業ではなく高校生からやり続けている株。こちらで完全犯罪を成し遂げる為の莫大な必要経費を貯蓄している。だが本業も副業もお金の為であってストレスが貯まる事には変わりない。

 そんなストレスを吹き飛ばしてくれるのが趣味の殺人だ。殺すシチュエーションや相手は慎重に選ぶし、実行できない事もしょっちゅうだが、狙いを定めた通行人を追跡する作業だけでも彼は楽しめるので、夜の街の散歩も退屈しない。

 魔法少年になる前は殺人の隠蔽に一苦労したが、なってからは魔法界の協力を得て殺人を隠蔽してきている。ランキング一位の特権を存分に活かしている。

 しかし、将来的にはちゃんと好きな事を仕事にーー「殺しを仕事にしたい」と考えている。

 なので最近は予行練習として、ダークウェブの掲示板に「殺人依頼請負います」と書き込み、人を殺してお金を貰う仕事をアルバイト感覚で始めた。

 彼が何故人を傷つけても心が痛まないのかは、彼の無痛症にあった。医者も見逃した点だったが、彼の無痛症は通常の無痛症と違い、心の痛みも含めて何も感じないのだった。

 心の痛みが無い、故に外部刺激を求めている……のかもしれない。

 人間界で「治らない傷を与える」魔法を魔童子にならずに顕現できる程才能溢れた彼の存在をプレアが見逃す筈もなく、3年前のサバトスタート時に真っ先に声をかけられた。

 その時、彼は何故こうも通常の人間と自分の感性が違うのかを理解した。「自分は人間ではなく、魔法少年。特別な生き物。だから全てを壊さずにはいられなかったのだ」と。


 彼は人間界では「常に完全犯罪を行える一流の殺人者」になれない事を強く自覚している。いつか、自分の犯罪を暴く探偵や警官が現れると感じている。地球は広いのだから。

 だがこの魔法界――サバトなら、一流の魔童子として合法的にハサミを振るえる事も同時に自覚している。

 もしかしたら、サバトの願い事でこの魔法少年としての能力を人間界に持ち込む事すら可能かもしれない。魔法界という無秩序な世界の力を秩序ある世界に持ち込めたなら、その時こそ彼は人間界で彼の理想の生活を送る事ができるかもしれないーー。


 ☆

 月夜は目に焼き付けた、猛吹雪の中で少女達の鮮血が空を舞い、白と赤が交わる光景を。


 宇宙服の少女が杖のニ撃目を放とうと照準を合わせた瞬間、リッパーは消えた。

 気づいた時には少女の後ろに回り込み、彼女の白い防護服に杖を突き刺していた。

 崩れ落ちる宇宙服の少女。

 その光景を見た仲間の三人は唖然としていた。次にケンタウロスで人魚姫の少女が取り乱して咆哮し、銛を構えたままリッパーに突撃した。

 それを残る二人が止めようと割って入る前に事は終えていた。

 リッパーは瞬間移動のような速さで突撃した少女の後ろにいた。

 中段切りの構えを取っていた。握る杖に纏わりつく魔力のオーラは刃物のような形状を象っていた。

 少女の背中に赤一線の切り傷が浮かび、そこから一気に血が噴出した。

 崩れ落ちる少女。その姿を見てさらに狼狽える忍者少女とナース少女。

 だがすぐ正気を保ち、忍者少女が中距離からリッパーに巨大手裏剣を投げつけた。

 空中で回転しながら迫る手裏剣に対し、リッパーは微動だにしなかった。

 直撃する瞬間、手裏剣の切っ先を親指と人差し指で挟んで摘み、受け止めた。

 そのまま手裏剣を持ち主に向けて投げ返した。

 自慢の攻撃をたった指先二本で防がれた事が余程衝撃だったのか、呆気に取られた様子の忍者少女は自身の手裏剣に反応できず、腹部に切っ先が刺さったまま後ろに吹き飛ばされた。そのまま氷岩まで飛ばされ、手裏剣によって氷岩に縫い付けられた。手裏剣の刺さった腹部からは血が溢れ出ていた。


 三人が崩されるまで一分も無かったかもしれない。

 それ程にまで速すぎた。

 だがその速さの理由がリッパーの固有魔法にあるのでは無い事を、月夜は彼の体から溢れ出る魔力を肌で感じる事で知る事ができた。

 ただリッパーの体に纏う魔力量が異常なだけなのだ。

 月夜は一度ランキング二位の王花ビュオレと同じゲームに参加した事があった。彼女の魔力も月夜のニ倍近くあったがリッパーの場合は推し量る事すらできない。

 このサバトというゲームの一位と二位の実力差には途方も無い溝があるようだ。それ程にまで、今視界に映る男は異常だった。精神は言うまでもなく、魔力も。

 もしこの男一人だけで魔法少年を勝利に導けると誰かが言っても微塵も疑わないだろう。

 三人の仲間を倒されたナース少女は真っ青な顔をして内股で尻もちをついている。

 月夜の目にリッパーの背中姿が映る。ナース少女に近づいている。リッパーが小さくなっていく。

 そして少女の前で止まり、刃状のオーラを纏う杖を頭上に掲げる。それを振り降ろす。

 ナース少女がうつ伏せに崩れ落ちる姿が映る。首の切り傷から血を流している。表情までは距離が遠くて分からないが、殺されてしまったのだろう。

 背中姿のリッパ―は雪原で微動だにしないうつ伏せの少女を眺めている。暫くして、ゆっくりこちらに振り向いた。

 嗜虐的な笑みを浮かべていた。その表情を維持したまま月夜達にゆっくり歩み寄る。

 一歩、二歩、三歩――。

「お姉ちゃんが時間稼ぐから逃げて」

 背中にいる緑髪の小学生の方に振り向く。

「大丈夫、すぐ会えるから」

 作り笑顔で少女に言う。今度は上手く笑顔を作れたと思う。緑髪の少女を安心させられている表情を作れていると良いが。

 少し彼女の緊張を緩和できたのか、緑髪の少女は今だ青ざめた顔と涙目を浮かべながらも首を縦に振ってくれた。そして月夜に背中を向け、走り出した。

 その姿に月夜は安心し、再度前方から迫るリッパ―に向き直る。幸いにもリッパ―は緑髪の小学生を追おうとしない。

 月夜はふと朝日の母が自分を守ってくれた時の事を思い出した。きっとあの時の彼女の気持ちは今の私と同じ気持ちだったのだろうーーと。

 月夜に出来る事、すべき事はたった一つーー。




 ……体が熱い、猛吹雪の中だというのに……。

 視界がぼやける。けど何が映っているかは辛うじて分かる。

 血塗られた杖が雪原に横たわっている。月夜自身の杖にして、月夜自身の血を浴びた杖。

 自分のお腹を見れば真っ赤。左脚の太腿も切り傷から出る血で真っ赤になっている。

 そして恍惚と雪空を見上げている死神の姿。彼の杖もまた赤く染まっている。敵である月夜の返り血を浴びて。

 体の節々が熱い。痛みを通り越しているのか、熱い。

 残りのサバトの時間はどれくらいだろうか? 死神に傷をつけられた自分は助からないだろうーーと結末を予感する。

 だけど目的は達成できた。体内時計で四十分くらい戦っていたはず。今回のサバトでアイツが緑髪の少女を追えるだけの時間は残されていないはず。

 迫る死を感じる中、月夜には一つだけ誇りに思える事があった。

 朝日の母と同じになれた事だ。

 もしかしたら、あの日朝日の母が月夜を生かしてくれた意味は、今日あの見ず知らずの少女を生かす為にあったのかもしれない。

 後はただ、朝日が心配なだけ。自分が死ぬ事で彼が壊れてしまわないか、というーー。



 ☆

 道中、朝日は魔力探知を駆使して他の魔法少女に接触しないよう道を選んでいた。お陰で朝日の目的地は目と鼻の先だった。

 ただ、目的地に近づけば近づく程脚を速くさせた。何故なら既に月夜がリッパ―と戦っている事を探知していて、尚且つ月夜の魔力が徐々に弱ってきているのに気づいていたからだ。他にもリッパ―の周りにいる複数人の魔童子ーー恐らく魔法少女ーーの魔力も風前の灯火である事にも気づいていた。

 普段移動を深也のスケボーに頼っていたからか、脚での移動に朝日は段々息切れしていた。

 だがそんな事気にしていられない。

 途中崖を下ったり森を突き抜けたりしたが、後はこの真っ直ぐな雪原をひたすら走れば良いだけなのだから。

 走って、走って、走ってーーただ走り続けた。

 そしていよいよ視界に人影を捉えた。

 一人は棒立ちで空を見上げている。一人は横たわっている。

 更に脚を速めた、自身の心臓の鼓動の高鳴りを無視して。

 ようやく、人影がはっきりとした人の形に変わった。

 白蛇の尻尾のような三角帽にウロボロスの入れ墨の入った右目を持つ男が悦に浸った表情で空を見上げている。

 そしてもう一人はーー仰向けに横たわる薄紅色の少女。コスチュームは切り刻まれ、脚や腕、至る所に切り傷がある。背中は刺されたような痕がある。彼女の身体から漏れ出る血が彼女の薄紅色の衣装を所々濃紅色に変えている。

 赤く染まった体から溢れる血が彼女の周囲の雪まで赤く染め上げている。

 更に二人から少し離れた場所に四人の血濡れた魔法少女の体も横たわっている。ここで何が行われたか一目瞭然だ。

「月夜! 月夜! 月夜! 月夜!!」

 連呼しながら地面に広がる雪を潰して走って月夜の元に向かう。近づく度に無意識に声量が強くなる。

 そして、横たわる月夜の前まで来た。脚を曲げて彼女の顔に近づき、弱弱しい右手を握る。

「あ……さひ……」

 虚ろな目だが返事してくれた。息はある。

 だがこのままでは……。

 誰か回復魔法の使い手を探さなくては。いや、駄目だ。リッパーに傷をつけられたのだ、治らない。

 じゃあ、どうする? どうする? ……どうすれば……?

 自身の呼吸の乱れと心臓の鼓動が耳の中で鳴り響く事を止めてくれない。むしろ加速していく。

「オオ! キミはあの時の素晴らしい子!」

 後ろから男の声がした。雪原を踏む脚音から近づいてきているのが分かる。

「キミ、中世的だから女の子である事も期待してたんだけど、やっぱり男だったんだネ。残念ダナァー……」

 その弄ぶような口調を聞いて、胸がゆっくり熱くなるのを感じた。まるで心が熱膨張しているかのようだった。

「オマえがヤッたのカ?」

 後ろから迫る男に振り向かずに問う。

「ん? ボクだヨ♪」

 月夜の右手を離し、沸々と湧き上がる憤怒を魔力に変換できるよう脳内に念じた。実際怒りを魔力にできるかなんて知らなかったが、この圧倒的な死神を倒すにはそれしかない。

 朝日の怒りに応じたのか、朝日の肉体に纏わりつく魔力が分厚くなったのを感じた。同時に、朝日の体から紫のオーラが放出され、砂嵐のような突風が巻き起こった。

 オーラの混ざった紫の突風は朝日の意志で風向きをコントロールできた。突風をリッパーの方向に向かわせ、敵の体を撫でさせた。

 その突風を浴びたリッパーの口角が少し上がったのを朝日は直感的に感じ取った。

 朝日はゆっくり後ろに振り向き、視線を敵の瞳に合わせ、ゆっくり口を開く。そして全身の魔力を口に集中させて、言葉の重みで敵を圧殺する気概でこう言い放った。


「ユルサナイ」


 右手に握る杖を天高く掲げーー、

「杖解ぃぃーー!!」

 解号を雄叫びのように叫んで口にした。

 紫の光に包まれた杖は槍へと変化し始めた。

 まだ変化途中でもあるにも関わらず朝日はリッパーに突っ込んだ。

 紫の光の塊となった杖を両手で握り直し、中段斬りで敵にぶつける。

 だがその攻撃をリッパーは棒切れのような杖で軽々と受け止めた。

 敵の杖と接触すると同時に、紫の光の塊はルーン文字の入った光の輪を先端に持つ長槍へと変化し終わった。

 ギチギチという、押し合いによる接触音が敵の杖と自分の槍の間から聞こえる。

 押し合いには朝日が勝利し、杖で防ぐリッパーを後ろに後退させた。

 朝日とリッパーの間に僅かな間合いができる。

 すると突如脳内に毎度お馴染みとなった女性のアナウンスが聞こえた。

「サバト第100試合が終了しました! 速やかに戦闘を終えーー」

「知るか!!」

 アナウンスを無視し、朝日は再度リッパーに突進した。

「キミ、ホント楽しいヤツ♪」

 リッパーがまた口角を上げた。先程より強く大きく。得体の知れない雰囲気を一層強めるような笑み。

 朝日は再度中断斬りを試みた。だがその斬撃は後ろにステップする事で躱されてしまう。

「試合終了なのに喧嘩売ってくるバカも、同じ魔法少年に喧嘩売ってくるバカもボクは見たことがなイ。嬉しいナー、嬉しいナー」

 リッパーは両掌で自身の両頬を抑え、体をくねらせ、全身で喜びを示す。

「こんな嬉しい気持ちにさせてくれたキミにはちゃんとお応えしなくちゃネ」

 言うとリッパーは杖先を左掌に押し当て、解号を口にする。

「ジョーカイーー”痛ミ在ル生命(ペイン・アンク)”♪」

 リッパーの杖が眩い銀色の光に包まれる。光が消滅すると交差するリッパーの両手には一本ずつハサミが握られていた。

「チャキン……チャキン♪」

 ハサミの上の刃と下の刃を無造作に軋らせ、軋る音に合わせ擬音を口にしながらこちらに狭ってくる。

 だが恐怖の感情等湧き上がる憤怒が掻き消してくれていた。

 突っ込む朝日とリッパ―の間合いがお互いの武器を交わす事のできる距離に達する。

 リッパ―が先にハサミを振り下ろすのに対応し、朝日は槍の刃で受け止めた。

 槍とハサミが接触。

 数秒、両者固まったままだった。だが結果はすぐにやってきた。

 斬撃の鎌鼬がリッパ―の左頬を撫でた。朝日の槍が刃物での近接攻撃を跳ね返した時に起きる現象だ。

 それによりリッパ―の左頬に一筋の切り傷ができる。

 リッパ―が二、三歩後ろに後退する。顔からはいつもの余裕の笑みは消え、驚きで満ちた表情を浮かべている。

 朝日に何が起きたのか分析する精神的余裕は無かった。そんな事を考えるよりコイツに二撃目を食らわせたい。そう思い、再度敵に向かおうと試みていた。

 だが、残念ながら戦いの幕を閉じる合図がやってきた。

 いつの間にか、朝日とリッパーの下半身が光の粒となって消えていたのだ。これ以上の戦闘行為は不可能だ。

「残念だナァ。お別れダ」

 リッパーは強い悲哀で満ちた表情を見せた。この男の不気味な所はこの喜怒哀楽が常人とズレている所だ。

 そして更に言い加えた。

「キミともう永遠に会えないなんテ」

 小声だが確かにそう聞こえた。

 その言葉の意味を問う前に足元からよじ登っていた身体の消滅は口元まで回りきっていた。そして目元まで到達し、朝日の視界は真っ白に包まれた。


 ☆

 朝日はいつも通り人間界に戻ったのかと思った。

 だがそこは教会の中だった。朝日が周囲を見回すと、祭壇があり、祭壇の後ろに磔のキリストが縁取られたステンドグラスも見えた。扉から祭壇までは赤いマットが敷かれ、左右には無数の椅子が配置されている。

 この景色は間違い無く新人研修(チュートリアル)ーー魔法少年になった日に来た魔法王の城内だ。

(何故またここに?)

 朝日の疑問に答えるように教会の入口の扉がバンッという音を立てて力強く開かれた。

 そこには赤い甲冑を纏った老人ーー魔法王が仁王立ちしていた。しかめた顔を作り、地面を割るような強い足取りで朝日に近づいてくる。

 そして朝日の眼と鼻の先まで来た。

「サバト基本原則その三『同性同士の戦闘の禁止』。よもや知らなかった訳でも忘れていた訳でもあるまいな?」

 魔法王の表情は第一回目に会った時と同じく仏頂面だ。声も静かだ。だが怒りを内包しているのを感じる。

 だが、朝日の怒りは彼の怒りの比ではなかった。

「何故……何故あんな奴を魔法少年にしたんですか?! 今すぐアイツから魔法少年の資格を剥奪して下さい!!」

 魔法王を睨みつけ、叫び訴える。

痛ミ在ル生命(ペイン・アンク)……ジョンドゥ・ザ・リッパ―の事を言っているなら、奴はルールを犯している訳ではない。だが……貴様はルールに反した」

 魔法王は朝日の首に掛かっているペンダントーー変身石のチェーンに右手の指を引っ掛けた。そして強引に引っ張った。

 チェーンが真ん中で千切れ、半分が地面に落ちる。もう半分はペンダント、そして内臓された宝石と一緒に魔法王の右掌の中にしっかりと握られている。

 引っ張られた勢いで首を刺激され、俯きながら軽く咳き込む朝日。

 再度顔を上げ、魔法王を睨みつける。

「返せ!」

 だが朝日に反抗する暇は与えられなかった。すぐさま魔法王は腰につけていた杖を左手で抜き取り、杖先を朝日の額に押し当てた。

謀反物(リフレクター)、紫水朝日。貴様から魔法少年の資格を剥奪する」

 王の宣告と共に額に押し当てられている杖の先が赤く光った。

 次の瞬間、額が何かに貫かれた感覚がした。

 朝日の意識は遠くなっていき、その場に崩れ落ちた。

 朦朧としていたが、朝日は自分の身体が紫色に光り初めている事だけには気づいていた。

 コスチュームが小粒の紫の光玉となって消滅していく。

 やがてコスチュームは消えてなくなり、制服姿の恰好に戻っていた。

 次に自分の肉体が光玉となっていくのを感じた。この感覚はサバトがいつも終わった時に起こるあの消滅現象と同じだ。今から人間界に還るんだ。

(忘れたくないな。深也……月夜……)

 そう心の中で呟いてから、朝日の意識は闇に落ちた。



 ☆

 ここはどこだろう? 何故自分はこんな所にいるのだろう?

 周囲を見回せば、今が夜でここが男女桜公園内だという事は分かる。この視界に映る右と左に木々が生える土路を抜ければ自宅だという事も。

 不思議なのはこの高校に入ってからの三か月間の記憶が所々無い感じがする事だ。

 記憶喪失という感覚はしない。一部を忘れていて、虫食い状態なのだ。

 月夜の事は覚えている。高校に入ってからずっと会っていないが。

 何故こんな所にいるのが分からないがとりあえず帰宅する事にした。

 公園の出口に向かって歩き出そうと前足を一歩踏み出したその時ーー、

「ビチャッ」と水溜りを踏む音が足下からした。

(今日雨降ったか?)

 視線を足下に送った。

 その水溜りは赤かった。

 赤い水線が何処からか伸びていた。気になり、水線を目で追うと、すぐに発生源は見つかった。

 それは人間の体から伸びた血の水線。人が仰向けに倒れている。

 胸から、脚から、腕から……至る箇所が赤く染まり、傷口から血を垂れ流している。

 そしてその少女の顔の左頬も赤く濡れている。傷の開きが見えないので彼女自身の返り血だろう。

 左眼にいつも付けている眼帯は外れ、一筋の切り傷痕が見える。だがそれが今できたものではなく、古傷である事を朝日は良く知っている。

 痛々しい肉体に反して、精緻で肌白い人形のような顔に傷は無いようだ。目を瞑る少女の表情には恐怖等の負の感情は籠っておらず、本当にただ眠っているようだ。だが、いつも下向きツインテールにしていた髪留めは外れ、地面一杯に髪が広がっている。

 朝日の心臓の鼓動が徐々に、徐々に上がり――、

「つ、つ、つ……」

 そして閾値まで達して爆発した。

「月夜ぉー!!」

 叫び声が深夜の公園に木霊する。男女桜の木からここまで舞って来ただろう、一枚の桜の花びらが少女の赤く染まった左頬にヒラリと舞い落ちた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませていただきました。 ランキングが幅広いので能力によって、様々な能力があり戦闘シーンや緊迫感が描けてて面白かったです。 朝日と月夜の思いが、双方にあってストーリー的に○です。 [気に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ