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四~六話 応募用

四話:切り裂き名無し(ジョンドゥ・ザ・リッパ―)


 魔法界「ソーサリー」の都市の街並みは大して人間界と変わらず、太陽は赤く、魔法使い達は人間と同じ食物を口にしている。街の姿は人間界の中世時代の西洋に近い。


 現在、ソーサリーの国民である魔法使い達、魔女達は王と女王の政策により、男女住み分けの生活を余儀なくされていた。


 ソーサリー中央都市「アトス」。そこはサバトが始まるまでは男も女も分け隔てなく暮らしていた。だがサバト開始以降ソーサリー統治者の魔法王の所有区域ということで全魔女が出ていかざるを得なくなった。


 故に魔女達は魔法女王が作った魔女都市「ファム」に移り住むことになった。


 もしこの魔法戦争ゲーム「サバト」を都市単位での戦争と考えるなら魔法使い都市アトス対魔女都市ファムの戦争とも呼べるだろう。「戦争」とはいえ、一般の魔法使い達や魔女達はサバトの勝敗を左右する力を持たないが。






 アトスに住む一介の魔法使いである中年の男、マイケルは友人のコニーと共にレストランにいた。


 先程ナポリタンを注文したのだが彼の前に出されたのは黒い焼き焦げた物体だった。


「これ何?」


 机に大皿を置いたウェイターに尋ねる。


「ナポリタンでございます」


 ウェイターが申し訳なさそうに言う。


「イカ墨スパゲッティかと思ったぜ」


 マイケルは一つため息をついてから諦め顔でウェイターを下がらせる。


「サバトとかいうのが始まってから料理も家事洗濯もマジで辛いよなー。この国の男でまともにやった事ある男なんているか? 今まで獣狩りや魔獣駆除の仕事ばかりだったのによ」


 向かい側に座るコニーに話しかける。


「本当な。でもお前んとこは子供が娘だからファムにいる嫁に預けられて良いじゃねえか。俺は息子だからミルク作りも仕事に入ってんだよ。早くこんなゲーム終わって欲しいもんだぜ」


 国策に愚痴をもらす二人の魔法使い。


「まあ仕方ねえよ。土地の問題だからな」








 ☆


 朝日にとって十五回目のサバト。地上から五十メートルの位置で浮遊するスケートボード上で朝日は深也と共にゲーム終了時間を待っている間、ボーッと満月を眺めている。ふと今までのサバトの出来事が脳裏に蘇る。




 朝日がゲームに参加して三ヶ月が過ぎた。


 人間界の季節は九月上旬。


 既に朝日のサバト経験は十五回に達し、いよいよ魔童子全体にリフレクターとスケーターのコンビの名は広まってきていた。リフレクターはランキング五位、スケーターは九位まで順位を上げていたからだ。


 とはいえ、それは小さな勝利の積み重ねという訳ではなく雷門組の残党、ランキング八位の紅坂燃を撃退した次の日からこの順位に達していた。恐らくプレアが王に二人のランク上げを進言したのだろう。


 雷門組の残る残党の合コン女子四人と黄色と青の三角帽少女の二人はあれ以来一切朝日達に関わることはなかった。月夜も学校で四人からは無視を決め込まれているだけで何かされてはいないらしい。


 サバト中に何回か再会したがこちらを発見する度に全員、後ろに向き直り猛ダッシュで逃げた。中心の司令塔だった雷門と紅坂の二人が脱落したことで組織としての機能を失ったのだろう。


 その後もランキング上位の魔法少女や雷門組と似たような集団に狙われた試合もあったが、攻撃と回避の分担分けがはっきりしている二人に弱点はほぼ無かった。


 唯一、二人共遠距離攻撃のできる魔法を持たないという弱点があったが倒した放出型魔法少女の杖を使用することで弱点を克服できた。


 深也に何回か奪った杖を貸して使用できるか試したがどの杖の魔法も使うことができなかった。


 逆に、朝日はほとんどの杖の魔法も放出型なら使用できた。例外的に高度で複雑な魔法……当たった敵を操ったり、犬やネズミにしたり、物質を透明にするような一撃必殺になり得る魔法は著しく適性を要求されるようで使用はできなかった。だが低度で単純な魔法……火や水、氷、糸、風をただ放つといった特殊性の無い魔法は使用可能だった。


 だが欠点として、やはり威力は本来の所有者の二分の一に満たなかった。使用可能回数も一本あたり五回が限度で、それを越えると杖が自壊してしまった。しかしそんな欠点が気にならないくらい朝日の特異性は朝日深也コンビの遠距離武器がないという攻めの弱点を充分補強してくれていた。


 守備面に関しては深也が補ってくれた。二十人近くの少女の団体に襲われ、勝ち目のない状況もあったが深也のスケボーの速度を持ってすれば簡単に逃げる事ができた。


 そうやって適度に倒し、危険な時は逃げることができた二人はランキングの順位と共に名前と顔もサバト内で売れるようになっていた。


 そんな二人のコンビに加わりたいと申し出てくれた魔法少年もいたが、大抵五~十人の組織からの申し出だった。集団へ馴染むのが得意な深也はともかく、朝日は大の苦手だったため、申し出を悉ことごとく断っていた。


 それに口にはしなかったが朝日は深也といるのが心地良かった。深也は朝日の大好きな月夜から勧められたアニメ「魔法少女サンムーン」を知っていたのだ。小学生の頃、それを理由にいじめられていた分、中学でも高校でも一切会話のネタにしなかったが、初めて月夜以外でそのアニメの会話ができる相手が見つかった。暇な時間にその話を学校やサバト中の誰も手の届かない空のボード上でするのは心地良かった。戦術的な相性と同時に、性格の相性も一致していたからこそ、この二人の空間に新しい人を入れたくなかったのだ。




(だからこのままでいい)


 地上五十メートル上空の雲の上で視界に映る満月を眺めながら心の中で呟く。


 しかしふとある事実に気づいてしまった。


(紅坂燃は「千鳥姉はアタシらのこと忘れちまった」と言っていた。もし僕か深也の片方でも脱落したら、もう片方のことを忘れてしまい、学校でも友達で居られなくなる。


 願い事を叶えるという目的と同時に、深也との想い出を失くしたくないという目的も加わってしまった。願い事が増えてしまった。


 一方で、このままサバトを続けていけばいつか必ず月夜と戦わざるを得ない時が来る。


 その時が来たら僕はどうすれば良いのだろう? 願い事のため、深也との想い出を守るため、月夜を倒すのか? それとも月夜の願いを優先して負けてやるのか?)


 そこでふと、紅坂との激闘をフラッシュバックした。貫かれた左眼の激痛と、朝日の反射した電撃で焼き焦げた紅坂の最後。


 もし月夜に降伏を要求し、渋った場合、戦闘になる。そうなってしまったら最悪、あの時の左眼並みの激痛を月夜に負わせることになる。このゲームは死なないゲームであっても痛みを伴うゲームだ。


(あんな痛みを月夜に負わせたくない。だけど……)


 月夜に負けてやれば、深也との記憶が無くなる。


 月夜に勝つには月夜に傷を負わせなければならない。


 二人の大切な人、どちらを取るかといった天秤。


(魔法少女達を僕一人で全員倒せば、他の魔法少年に貢献度を与えず、僕が独り占めできる。そうすれば仮に深也が途中で脱落して記憶を失っても「母さんを生き返らせる」「月夜の左眼を治す」「深也に僕との記憶を取り戻させる」という三つの願い事を叶えることも貢献度が高いから叶うかもしれない。だけど何人の魔法少女を、そしてどれくらい強い魔法少女を倒せば僕の願いは叶うんだ?)


 どの程度の貢献度でどの程度の願いが叶うのか? これが分からない朝日にとって、サバトは何キロあるか分からない暗闇の道を走るマラソンのようなものだ。


(そして何より、その三つの願いを叶えるために……いや、どんな途方もない願いを叶えられるのだとしても……願いを叶えるために魔法少女である月夜を傷つけなければならないことに変わりはないんだ)


 いつか来る未来を避ける方法も、その時が来た時に取るべき解答も今の朝日には出せない。


「おい、朝日。聞いてるか?」


 突然の深也の声に現実に引き戻された。


「え、何?」


 前方の背中姿の深也に視線を合わせる。深也の首だけはこちらを向いている。


「せっかく人が真面目な話してるんだから聞いててくれよ」


 深也が小さくため息をつく。


「真面目な話?」


「『このゲームが本当に魔法使い達の領土問題の解決が目的なのか』って話だよ」


「ごめん、全然聞いてなかった。深也にしては真面目なお題だな」


 深也の顔を見るが表情は深刻そうではない。何となく振った話題なのだろう。


 深也は朝日に突っ込まず話を進める。


「ただの領土問題なら人間界を巻き込む必要ないだろ? いくら人間界の方が強い兵士作れるからってさ。その土地に住むのは俺らじゃなくて魔法使い達なんだから、弱くても彼らを兵士にすべきだろ? 会った事ないけど」


「ん……まあ僕も思ってた。だけど僕にとって願い事が叶うのが重要だからあまり気にしてなかった」


「何か別の理由があると思わないか?」


 深也がニヤリと笑う。スリルを楽しむかのように。


 深也の言う「可能性」は朝日も勘付いていた。魔法王、女王、プレア三人の運営が何か隠し事をしている可能性。


 何故なら、サバトのルールに一つ不可解な点があるからだ。


 ルールブックに「サバトで招集される魔童子は変身石のシステムによって選ばれる」という記載がある。


 この「変身石のシステムによって」がランダムである事を意味するのか、作為的である事を意味するのか分からない。


 恐らく、後者である可能性が高い。深也とタッグを組んでから、サバトで出会わなかった試しが無いからだ。ランダムならそうはならないはずだ。


 運営が作為的にサバトに参加する魔童子を誰にするか毎回事に選んでいる可能性が高い。


 だが運営に何かしら裏があるのだとしても、「どんな願い事も叶えてくれる」以上、朝日に「ゲームを降りる」という選択肢は存在しない。運営が願い事さえ反故にしなければ何の問題もないのだ。


「サバト第九十九試合が終了しました! 速やかに戦闘を終え、変身石に従い、離脱してください」


 毎度お馴染みとなったアナウンスが二人の脳内に響く。






 ☆


 制服姿の朝日と深也は祈桜西高近くのカフェにいた。放課後、このカフェに来るのが習慣化している。


 今日は珍しく月夜が来るとのことで待っている。なんでも「会って欲しい人がいる」とか。


 深也は勿論、朝日にも心当りがなかったが「同じ高校の魔法少女」とだけ伝わっていた。雷門組の女子達でもないらしい。




「やっぱりさ、あのランキングで上位に行けば行く程、スケールのデカイ願い事が叶えられると思う訳よ」


 集合時刻より早く来てしまった二人。


 暇を持て余した深也が机に持たれかかり、コーヒーグラスのストローを右手で回しながら唐突に話題を振る。


「そりゃそうだろ? 自分がどれくらいの願い事を叶えて貰える位置にいるのかの物差しとして用意されてるんだと初めから思ってたよ」


 コーヒーを啜りながら朝日が返事する。朝日は続ける。


「勿論、ランキング上位に行けば行く程、魔法少女達に狙われ易くなる。上位の魔法少年を倒せば自分達がのし上がれ、勝利時により大きな願いを叶えて貰えるからね」


「だからといって朝日、他の強いチームに入れて貰って上位の魔法少女狙うのは嫌なんだろ? 集団行動嫌いだから」


 深也は合コンでの朝日の塩対応を思い出したようだ。


「……それもあるけど……もう一つ理由がある。チームになったら敵の変身石の争奪戦になり兼ねないからだ」


「どゆことだ?」


「ランキング上位の魔童子を追い詰めていざ石割るって時に誰が割るかで揉めるってことだよ。誰が割るかで評価変わるだろ?」


 朝日がウェイトレスにおかわりを注文する。


「それはないんじゃないか? だったら実際に石を割ってる攻撃係の朝日だけ上がって、回避係の俺は上がらないはずじゃん? 魔法王と女王はフィールド全体を見張ってるらしいから倒す時の状況正確に把握してんじゃないか?」


(チェッ、ばれたか)


 朝日が心の中で舌打ちする。本当は単純に集団の中に入りたくないのだ。


「……僕は十を二人分掛ければ百になるとは思ってるけど、一を十人分掛けても一のままだと思うよ」


 机に右肘を置いて右手のひらで首を支えた姿勢の朝日が左手でストローを啜りながら言い訳するように言う。


「どゆ意味だ?」


 朝日と同じ姿勢でストローを啜る深也。


 二人共早く来すぎたせいで二時間以上の時間を潰し、飽き始めている。


「組織は人頭があれば良いってもんじゃないってことだよ。僕ら二人だけでも問題ないってこと」


 空のグラスのストローを啜りながら言う。


「まっ、俺は朝日といるの楽しいだけでこだわりはないぜ。正直朝日みたいに高尚な願いもないし、サバゲー感覚でやってるだけだしな。今が楽しいのが俺の願い」


 その深也の台詞に反応し、空のグラスの中を眺めていた朝日がストローを啜る深也の顔に視線を移す。


 朝日は一抹の不安を感じた。


(サバゲー感覚、か)




 今までの戦闘経験上、魔童子の基本的な強さが「魔法的素質」と「願い事の重さ」を判断基準に決められる法則がある事に朝日は気づいていた。


 その上で、朝日と深也はある一点が致命的な程違う事にも気づいていた。


 ある一点とは「願い事の有無」。


「素質」が低く、「願い」が高い朝日。


「素質」が高く、「願い」が低い深也。


 自分達二人を分類分けするならこうだ。


 だがそんな相反する基準で選抜された二人だからこそ、今日まで強いコンビでいれられたのかもしれない。


 朝日はそう考えることにしていた。


 そういう考え方なら深也に願い事がないからといって「ゲームに真剣じゃない」等と考えて腹が立ったりもしないからだ。


 別に「今が楽しい」がモチベーションになるなら願い事が無くたって問題ない。


 だが、もし勝てなくなり、ランキングが下がったら?


 その時、せめて深也が朝日と同じくらいの「重荷」を背負っているなら、同じ熱量を共有することで停滞を乗り越えられるだろう。


 だが現状、サバトへの熱量のギャップが朝日と深也にはありすぎる。


 今はコンビとして勝てているから良いが勝てなくなった時、いつか深也の熱量の低さに苛立ちを感じてしまうのではないか?


 そんな不安を抱えていた。


 初めてできた男の親友だからこそ、嫌いになりたくない。






 三十分後、カフェの扉が開く音がした。


 制服姿の月夜ともう一人、ボブカットの女子が朝日と深也の席に歩み寄った。


「お待たせー! 待った?」


「いや、全く」


 月夜の問いに朝日が答える。自分達が好き好んで二時間前に来たのだ。月夜達の祈桜西は進学校なので放課後、一時間半の特別授業がある。進学校と普通の高校の差だ。


「それで、彼女が?」


 深也がボブカットの制服少女を見る。顔は整っているが目つきが鋭く、気が強そうな印象がある。背丈は百五十七センチの朝日より低く、小柄だ。


「うん。この子は橙方だいだいがた夕美ゆうみ。私のクラスメイトで、サバトではパートナーみたいに一緒に行動してる。朝日達みたいにね!」


 月夜が微笑む。


 朝日は月夜に親友ができた事を少し意外に感じた。


 月夜は一人で抱え込んでサバトをしていると思っていたからだ。


 一人だけで月夜の願い……恐らくだが「朝日の母を生き返らせる」願いを叶えるつもりなのだと思っていた。


 別に友達がいることに関しては全く意外ではない。月夜は中学時代、一部の女子からいじめにあっていたとはいえ、いじめ時代ですら数人の友人に支えて貰っていたし、小学校の時も朝日と違って友達に囲まれていたからだ。


 だが、深い仲の友達は一度もいなかったのかもしれない。月夜は自分の本音を隠して、他人に優しく笑いかける癖がある。この癖とも技術とも呼べる彼女の微笑みは本人が望む望まないに関わらず、人を惹きつける魅力を持つ。だが、月夜自身が他人に強く惹かれる事は滅多にない。だから願い事がかかる程重要なイベントであるサバトでは薄い繋がりのチームに入れてもらうより、ソロでいた方が良いと考えているのだと思っていた。


 そんな月夜が背中を預けても良いと思える程の強い繋がりの友達――親友ができたことが意外なのだ。


「……こんにちは、夕美よ」


 朝日と深也から目を反らしながら挨拶する。声は聞き取りやすく、無口という訳では無さそうだ。


「この子初対面相手には緊張するタイプだけど段々お喋りになるから気にしないで話かけてあげてね!」


 月夜が笑顔でフォローに入る。


 朝日と深也は二人で独占していた四人机上の散らかったゴミをかたし、座席の荷物を右側に移動させ、左側に月夜と夕美が座れるスペースを作った。


 二人が席につき、右側奥から朝日、深也、左側奥から月夜、夕美という席取りとなった。


 月夜がデザートを注文し終えると夕美が口を開いた。


「今日敵である魔法少年の貴方達二人に来てもらったのは、もうあたし達魔法少女側が魔法少年側にもお願いしないといけない程に危険な状況に置かれているからよ」


 夕美が真剣な眼差しで語り始める。


「危険な状況?」


 朝日が問うと先程より重い声色かつ、三人に聞こえる大きさで呟く。


「切り裂きジョンドゥ・ザ名無し・リッパー……」


 朝日はこの人名? を聞いた目の前の月夜と右側の深也が青ざめたのを、月夜の暗い顔と深也の顔の緊張と汗から感じとった。


 朝日だけが知らないらしい。


「そのジョンドゥ何とかって誰?」


 夕美に問いたが先に深也が口を開く。


「朝日わりいな。お前にもっと早くソイツのことを教えておけば良かった。俺ら魔法少年だから関係ないって思ってたけど、月夜ちゃんの事もあるんだから言っとけば良かった」


 俯いて震える深也の言葉に朝日はただ頭に疑問符が増えるだけだった。


 深也に代わり、今回この場を設けた主催だろう夕美が続ける。


「ジョンドゥ・ザ・リッパー……このサバトが始まって以来三年間、ランキング一位をキープしている魔法少年。魔法名は“痛ミ在ル生命ペイン・アンク”。三年間チームを組まずソロを貫いているから誰も本名を知らないことと、ハサミを武器に残虐な戦い方をすることから有名殺人鬼の名前を合わせて切り裂き名無しって呼ばれるようになった。


 そして……このゲームで唯一人殺しができる魔童子よ」


 最後の一言に力がこもる。


「人殺しができる? だってルールで……」


「アイツのペイン・アンクは『敵につけた傷を治させない』魔法を持っている。ゲーム内でアイツにつけられた傷は治癒魔法なんかでも絶対に治らない。だけど肝心なのは……その傷がゲーム外――つまり人間界に戻っても残り続けるという所よ」


 淡々と語る夕美に対し、朝日は小さく動揺していた。


「このゲームは人が死なないゲームであっても怪我はするゲーム。アイツに致命傷となる傷をつけられて、強制離脱させられれば、傷が残ったまま記憶を無くした状態で人間界に還される。しかもその傷がどんなに小さな傷でも現代医療じゃ治らない」


「現代医療じゃ……」


 動揺が強くなる朝日。夕美が続ける。


「あたしは中二の冬からサバトに参加しているけど、昔、学校の友達の魔法少女がアイツに殺されたわ。表向きは犯人見つからずで扱われてる。それ以来ずっと敵討ちしたいと思ってたけど、いざ同じフィールドで出くわしたら恐怖で脚が動かなかった。そのまま今日まで何も出来ずにいたわ」


 夕美が俯き、暗い顔を落とす。少しの間を置き朝日と深也に向き直り、続ける。


「そしていよいよアイツに殺された魔法少女の数が約五十人、後遺症が残ったままサバトを続けている魔法少女が約七十人に昇ったってことで、魔法少女緊急会議が人間界で行われたの。月夜も私と一緒に行ったわ」




 ☆


 三日前の日曜日の昼間。


 その会議は大手化粧品会社の本社三十階の、一番広い会議室で行われた。


 表向きは企業関係者による秘密裏の会議という名目だったがそのメンバーは異様だった。百二十三人で全員女性。社会人は二割しかおらず二割は大学生、五割は高校生、中学生。残りの一割は小学生というのだ。


 社員の誰もがそれが何の会議か不審に思っていたが社長命令での会議室の貸し切りとあっては誰も逆らえない。


 会議室は長机が四本、上から覗くと正方形になるように置かれ、椅子は一机で四十席もあり、百二十三人もの少女が座っても余り有る程だった。


 最年少で七歳、最年長で二十九歳という余りに若い集団での異様な会議。


 囲む長机の真ん中にポツリと、スーツを纒った金髪ロングパーマの女社長が車椅子に座っている。


 その女性こそこの魔法少女会議の主催者だ。


 二十九歳、最年長魔法少女の女社長が一声を上げた。


「諸君、今日は多忙な所集まって頂き感謝する。本当は全ての魔法少女に集まって欲しかったのだが特定できたのがこのメンバーのみだった。まず主催である私から自己紹介しよう。


 名を王花おうかビュオレ。母がイギリス人のハーフだ。魔法名“瞬間ヲ刻ミ込メメメント・モメント”。ランキングは、二位だ」


 女社長、ビュオレの声は会議室に良く響き、皆の耳に強く届いた。声の大きさだけでなく、抑揚や表情等全てが人の心を自然と惹きつける。所謂カリスマ性があった。


 女社長を囲む魔法少女達の数名は車椅子に乗るビュオレの太腿ふとももに視線を向けていた。包帯をしている。


「知っている人もいると思うが前回奴に太腿を刺されてね。お蔭様で両脚が機能しなくなった。私のような思いをした者は他にもいるようだね」


 ビュオレが自身を囲む魔法少女達を見回す。右腕のない女子高生、右眼が包帯で覆われた女子小学生、口元をマスクで隠している女子大生。他にも痛々しい傷が露わになっている少女達がちらほらいた。


 見回す中で月夜と夕美の席に視線を送る。そして月夜の眼帯を見る。目が合った月夜が反射的にビュオレから視線を反らす。


 ビュオレも月夜達への視線を外し、全体に向けて発言を続ける。


「奴に傷物にされた私は間もなくランキングが下がるだろう。歴代のランキング二位だった魔法少女達も不動の一位である奴に傷を負わされ、ランキングが下がる、もしくはゲームをリタイアさせられた。中には傷で死んでしまった人もいる。幾度となく二位が入れ替わってきたのに対して奴が三年間一位を維持していることから奴の強さはデータとして証明されているだろう」


 ビュオレが数秒目を瞑り、無言になる。


 暫くして目を開き、口を開ける。


「奴の武器は二つ。「絶対に治らない傷を与える」魔法、ペイン・アンクと、膨大で、推し量ることのできない基礎魔力量。圧倒的魔力で強化された奴の身体に並の魔法少女では杖から炎を放とうがミサイルを打ち込もうが傷一つ負わせられない。奴の次に基礎魔力量が高かったのは故雷門千鳥さんだったが、私程度でも雷門さんの魔力値は推し量れたのに対し、奴の魔力値は桁違い過ぎて推し量れなかった。私の見立てでは雷門さんの十倍はあるだろう。普通の殴り合いではここにいる全員が束になろうが返り討ちだ」


「あの、ちょっと良いですか?」


 制服姿の眼鏡の高校生が立ち上がり、右手を上げる。上げた右手の小指は包帯を巻いてあり、不自然な方向に折れている。


「なんだい?」


「私達はジョンドゥ・ザ・リッパーの対策のために集まった筈です。結論、奴への対策はあるんですか?」


 眼鏡の女子高生の眼には怒りの炎が宿っていた。


「それが知りたくて集まったのだよ。奴へ怒りを持つのは君だけではない。知恵を出し合おう」


 ビュオレが爽やかな笑顔を作り、女子高生を諌める。女子高生が席につき直す。


「できれば魔法少年達の力も借りたいと考えている。奴を野放しにしたまま魔法少年サイドが勝利しても奴はロクでもない願いを叶えるだろう。例えば、『魔童子全員でのバトルロワイヤルがしたい』……とか」


 その推測に会議室がざわつく。


「これはかなり現実味のある推測だ。奴と相対した者なら共感してくれるだろう。奴は戦闘中、願いを叶えるために戦うような真剣な顔をしていない。明らかに戦いそのものを純粋に楽しんでいる顔だ。ただの快楽殺人鬼にも見えるし、戦闘狂にも見える。奴の願いは戦う事で叶っているんだ。そんな奴からしたらこのゲームの『同性同士の戦いの禁止』は楽しさを半減させているだろう。そこから奴の願いが何か推測がつく」


 ビュオレが両手の指の隙間を絡め合わせて、その上に顎をつける。


「ルール上、魔法少年達にどうこうできる問題じゃないが未来のことを考えれば彼らにも被害が及ぶことだろう。君達の知り合いの魔法少年含めた魔童子の中に奴に対抗できそうな魔童子は思いつくか?」


 ビュオレが周囲を囲む魔法少女に問うとさらに会場がざわつく。チーム数名で来た者達は隣の者と相談している。だが、誰も返答できない。


 そのざわつきの中、一人の少女が手を上げた。


「君、どうぞ」


「ランキング第五位、リフレクターはどうですか?」


 手を上げたのは雷門組残党の紅坂の隣にいた青三角帽の女子だ。今は青髪ではなく黒髪だ。隣の席に雷門組の残り五人も座っている。全員学生服を着ている。


「ホウ、リフレクターね」


 ビュオレが首肯する。


「確か彼は『どんな魔法も跳ね返す』魔法を持っていたね。カウンターを主軸とする以上、相手が強ければ強い程活かすことができる魔法だろう。彼の魔法ならリッパーに対抗できるかもしれない。魔法少年だがね」


「こんなのはどうですか? 先にリフレクターをリタイアさせ、残った杖をここにいる私達で共有する。これなら私達の戦力にできます」


 雷門組女子が悪巧みの笑みを浮かべる。


「ふざけないで!!」


 椅子から立ち上がった月夜の叫びが会場に木霊する。一瞬、会場が静まり返る。


「君は確か、桃井月夜さん?」


 ビュオレが不思議そうに月夜を見つめる。


「桃井、アンタ魔法少女全員の危機だってのに何私情挟もうとしてんの?」


 雷門組女子がニヤつきながら月夜を責める。


「ビュオレさん。リフレクターは彼女の友人です。どうかそれだけはやめて頂けませんか?」


 月夜に続いて夕美も立ち上がる。


「ふむ……知る者は少ないが確かに他の魔童子の杖の魔法を使用することはできる。ただしそれは適正がある場合のみだ。この中に第五位の彼並に"謀反物リフレクター"の魔法が使える者がいるなら、その作戦もありだろう」


「そんな……」


 月夜が泣きそうな顔で嘆く。


「だが、彼並みに使える者がいないなら、せっかく強力な戦力になり得る人材を我々自ら潰すことになる」


 ビュオレは視線を地面に向けて、自分自身に言い聞かせるように言う。


「で、でもリフレクターが魔法少年である以上、倒して杖を奪った方が良くないですか?」


 雷門組残党女子が両手のひらを上にして、慌てて説得する。


 月夜が女子を睨みつける。


 数秒ビュオレが『考える人』のようなポーズで顎を右手の甲に乗せ、無言で考え込む。そして口を開く。


「これは極秘シークレットだが、『性別を変える』魔法を持つ魔童子が存在する」


 ビュオレの発言に再度会場がざわつく。


「そ、そんな奴が居るんですか?」


「ああ。だがその魔童子の存在を魔法王と女王は隠蔽している。このゲームのルールを壊しかねない魔法だからね。私がその者の存在を知ることは内緒にしておいてくれよ」


 会場が再度ざわつく。ビュオレが地面から魔法少女達に視線を戻す。


「以上の理由から魔法少年といえどリッパーを倒せる可能性を持つ者なら簡単には倒してはいけない。寝返ってくれるかもしれないからね。ともかく、そのリフレクター君とやらには期待ができそうだ。橙方夕美さん、桃井月夜さん。今回の会議の情報を彼と共有するのをお願いできるかい?」


 会議が収束に向かおうとした時、一人の眼鏡をかけたおかっぱの高校生が立ち上がった。


「ビュオレさん、野暮な質問をしても良いですか?」


「なんだい?」


「この会議、こんな大勢の小中学生なんかがいて怪しまれませんか? 貴方の今後の社長生活に影響したりしないんですか?」


「フフ、君達に心配して貰う必要はないかな? だがこうとだけ言っておこうか、これくらいなら彼らに怒られないだろう。『運営側に口止めされているから教えられない』、が答えだ。私がランキング二位である事を察してくれ」


 ビュオレは妖艶な笑みをおかっぱ高校生に見せた。




 ☆


「僕達に会いたいってそういうことだったのか」


 魔法少女達の会合の内容を聞かされ、朝日は得心する。


「ごめんね、勝手な理由で呼び出して。でもビュオレさんが言ってた『リッパーの願い』が本当なら、魔童子全員の問題だと思うの」


 暗い顔を見せる夕美。


「……でも俺達魔法少年には何もできないな」


 深也も暗い顔で下を向いて呟く。


 聞かされた所でルール上朝日と深也にはどうする事もできない問題だ。


 何故なら、変身石内蔵の電子画面のルールブック「サバト十二の基本原則」にはこんなルールが記載されていたからだ。




 ・サバト基本原則その三『同性同士の戦闘行為の禁止』:同性の味方を故意に攻撃した場合、変身石を没収し、魔童子としての資格を剥奪する。




 このルールがある以上魔法少年側にどんなに極悪非道な魔法少年が存在したとしても朝日と深也が戦いを挑んだ時点で魔法少年ではいられなくなる。


 故に、朝日も深也と同じく俯く事しかできなかった。


「朝日君、でも貴方にとっては他人事で済まされない問題よね?」


 声をかけられた為、首を上げると、夕美と目が合った。彼女の真剣な眼差しはどこか吸い込まれそうだ。


「……ああ……」


 曖昧な返事しかできない。思考を巡らせても同性の敵をどうこうする方法が思いつかない。


「今日は貴方とこの情報を共有できただけで充分だわ。知るのと知らないのじゃ大違いだから。いざとなったら本気で性転換も視野に入れてね。月夜のためにも」


 笑い話のような言い回しだが真顔で夕美は言ってのけた。


 流石に「施術が間に合わないよ」と笑って返答できる空気ではなかった。


「朝日君、良く聞いてね。リッパーの特徴は白蛇の尻尾みたいな鱗のついた三角帽子と白衣、それに右目にウロボロスの入墨が入ってる。アイツの体から放たれている真っ黒な魔力で嫌でも気づくと思うけど、容姿まで異質な奴だから念の為伝えとくわね」






 その後月夜と朝日は夕美、深也と別れ、男女町行きの電車に乗った。三十分程の乗車時間、一切目も合わせず、会話も交わさなかった。電車が男女町駅につき、改札を出た。時刻は二十時で街はもう真っ暗だ。二人は夜の田舎街を横並びに歩く。


 まだどちらも会話を切りだせない。二人とも頭の中で解決案を思考しては堂々巡りとなる。


 サバト初日に待ち合わせした男女桜公園の入口まで来た。


 男女桜公園内には等間隔で街灯があるため、暗闇で道が見えなくなることはない。


 左右に緑生い茂る、土の道を歩いて行く。


 土の道が橋に変わる。この橋を越えたら年中無限に薄紅色の花びらが舞う男女桜の木まで到達する。


 男女桜の木はもう二人の視界に入っていた。


 橋の半分まで渡りきった所で朝日が五十分近くの沈黙を破る。


「月夜。月夜はもうサバトから降りてくれ」


 歩みを止め、左隣の月夜の横顔を見ながら、お願いする。


「……え? 何……言ってるの……?」


 唐突な朝日の言葉に、月夜は困惑した様子で、こちらに振り向く。目と目が合う。


 朝日が続ける。


「今までは記憶を失くす程度だって思ってたから良かった。最悪、月夜がサバトの記憶を失くしても僕との今までの記憶全て失くす訳じゃないから。でも、今日夕美さんの話を聞いて、そういう訳にはいかなくなった。死ぬ危険があるゲームなんか月夜にさせる訳にはいかない」


 右手のひらを上向きにして月夜に向けて差し出す。


「変身石を渡してくれ」


 月夜はその朝日の残酷な言葉に怒るでも泣くでもなく、ただ寂しそうな表情を浮かべている。


「……もし朝日が……私の立場なら……渡すと思う?」


 悲哀の心境が如実に表れている月夜の顔を朝日は苦渋の表情になりながら見つめる。自分が月夜を傷つけている事を痛感しているのだ。


 だけど、朝日は右手を引っ込めない。引っ込める訳にはいかなかった。


 母の葬式で見た母の無惨な遺顔が脳裏に今でも焼き付いていたからだ。


 もしこの右手をここで引っ込めたら、またあの叫ぶ程の絶望がやってくる気がしたのだ。


(アレをまた味わうくらいなら、月夜を泣かせても、傷つけてでも、奪ってでも石を取り上げるべきだ)






 月夜はまじまじと朝日の右手のひらを見つめる。


 月夜は思考する――どれだけ拒絶を態度で示しても朝日は手を引っ込めてくれない。朝日を説得するにはどうすれば良いだろう?――と。


 暫く逡巡して思い至った行動は左眼の眼帯を外すことだった。


 両手で両耳に掛かる紐を外す。そのまま眼帯が橋の上に自然落下する。


 朝日は月夜の行動の意図が分かっていないようで、たじろいでいる。






 朝日は露わとなった月夜の左眼を見つめる。


 最後に見たのはいつぶりだろうか?四年経っても、当時の傷の名残りが消えていない。


 普通の人が見たら、右半分の美貌と対比するように痛々しさと醜さを感じてしまうだろう左半分。その上、朝日はそう感じてしまう自身の心にすら罪悪感や嫌悪感を感じてしまう。


 眼帯のない月夜が悲しげな微笑をしながら朝日に問う。


「朝日……私、醜いと思う?」


「何で……そんなこと……」


 月夜の微笑と行動の意味がわからない朝日は困惑し、一,二歩後ずさった。


 真っ直ぐな瞳を朝日の顔から反らしてくれない。


 見つめたまま、朝日の返答を待っている。


 朝日は数秒かかったが自身の困惑を落ち着かせた。


 その後、自分を捉える月夜の瞳を見つめ返して冷静に、真剣に、凛とした口調で答える。


「……そんなことないよ。月夜は綺麗だ」


 嘘じゃない。十五年間いつもそう思っていた。月夜の「心」は今も昔も綺麗だ。勿論、顔だって……。


 しかし自分で口にしてふと脳裏によぎる。ならば何で僕は月夜の左目の傷を治そうとしているのだろう? と。


 朝日の返答に月夜が意地悪そうに、妖艶に微笑する。


「ごめんね。朝日ならそう答えるってわかってて、言わせたかった」


 月夜が後ずさった朝日との間を埋めるため、近寄る。


「もし朝日が本気でそう思っているなら、私はそれだけで何も要らないんだよ? 一つだけ欲しいのは、きっと朝日と同じ」


 上向きの右手のひらを今だこちらに差し出す朝日に対し、月夜は右手の小指だけ立てて差し出し返し、指切りを乞う。


「もし朝日が今ここでこう言って約束してくれるなら、「本当に危なくなったら自分で石を砕く」って私も約束する。「月夜の代わりに母さんを生き返らせる」って。「いつか月夜と母さんを天秤にかける日がやってきたら、迷わず母さんを選択する」って」


 朝日は、小指を差し出す月夜の表情がどこか蠱惑的に感じた。その差し出された右小指に自身の右小指を交わせることが、天使と悪魔と同時に約束を結ぶかのように感じたのだ。


「二人の願いを一つにする」という天使との約束。「幼馴染を見捨てる」という悪魔との約束。


 しかし、ここで右小指を差し出し返さなければ、月夜は願い事をかけたこの戦いを死ぬまで、いや、死んでも放棄してくれないだろう。


 朝日の選択肢は一つしか許されなかった。


 月夜に差し出していた右手のひらを小指だけ残してグーに変え、指切りできる形にした。


 数ミリの距離感を保つ月夜と朝日の右手小指。


「約束する。『月夜の代わりに母さんを生き返らせる』」


 月夜の瞳を見つめながら朝日が宣誓する。


 だが心の中ではこう続ける。


(そして月夜の左眼と、両方治してやる。そのために、ランキング一位に必ずなってやる)と。


(ジョンドゥ何とかって奴より良い成績で勝利してやる)と。


 朝日の宣誓を聞いた月夜が蠱惑的な表情のまま言う。


「魔法界の記憶失くしちゃったら私、朝日に言質取れないから、言葉だけじゃなくて心にも誓ってね。さあ、誓いの儀式をしよう」


 月夜の右小指が数ミリ先の朝日の右小指を絡めとった。


 本来、お互いの約束である指切りげんまんにしては、強引に右小指を持っていかれた感じがあった。


「指切りげんまん〜嘘ついたら針千本飲〜ます」


 月夜が二人だけが聞き取れる小声でお決まりの呪文を詠唱する。


 交わった小指を強引に、一方的に上下に揺さぶる。


 詠唱が終わると月夜がやっと右小指を解放してくれた。


 月夜が交わし終えたばかりの右小指を唇に触れさせたまま、上目遣いで言う。


「約束……絶対だよ?」


 演出的な可愛さを感じる仕草を月夜は素でやってのける。今のは演技ではなく、本気で心配した上での仕草なのだろう。


 月夜に心の中を見透かされないように朝日が「ああ」と小さな相槌を返す。橋に落ちた眼帯を広い上げ、月夜に手渡す。




 再び帰路を歩み、橋を渡りきった所で、ふと朝日は「サバゲー感覚でやってるだけ」と言っていた深也にお願いすれば良いのではないかという考えが産まれた。


「勝利したら僕の代わりに願い事で月夜の左目を治してくれ」と。そして朝日自身の願い事で母さんを生き返らせれば良いと。


 おそらく、願い事のない深也なら喜んで受け入れてくれるだろう。


 だがすぐに深也に頼む事のマイナス点に気づいた。


 マイナス点は二つ。一つは、そもそもランキング九位の深也で月夜の左目を治すという願いが叶うかわからない事。


 二つ目は、「深也がいるから」と安心しきって、ランキング一位を目指す朝日の熱意に緩みが生まれるという事。


 この二つのマイナス点を考えたら、朝日が一人で抱え込んでランキング一位を目指す方がやりやすいと思った。


 どのランキングまでくれば「人を生き返らせてくれる」とか「不治の怪我を治してくれる」とかの情報がない以上、朝日ができる最善はただひたむきにランキング一位を、あるいはそれ以上の貢献の達成を目指す事だ。


 ふと、隣の月夜を見る。


 表情が読み取れない。


 あの指切りは月夜にとってどんな意味をもたらしたのだろう。


 今はただ、無表情に男女桜を横切り、土の上を歩く。




 男女桜を抜けてしまえば後は出口までひたすら淡泊でつまらない道が続くだけだ。


 右と左に植物が生える土路がまだ二人の視界百メートル以上先まで見通せる。公園出口はまだまだ先だ。同じ光景の夜の土路を二人は横並びに歩き続ける。


 しかしふと二人はあることに気づく。足音が一つ多い。


 しかも二人の歩が止まるとその足音も止む。再度歩めば三つの足音がする。


 明らかに、背後から何者かにつけられている。


 左側の月夜が目配せでそれを朝日に伝える。朝日が無言で頷く。


 突如、月夜と朝日は走った。お互い、自然と手を繋いでいた。


 二人三脚のように夜の土路を走る。「三人分」の足音が響く。


 はっきりと、手を繫ぐ二人の背後から足音が響く事から、何者かは自分の存在を気づかれないようにする気がまるでないことがわかる。


 二人は急に立ち止まった。背後の足音も同時に止む。


 手を繋いだままの二人がゆっくりと後ろを振り返る。


 左右に緑生い茂る土路。二十メートル先に灰色のスーツ姿の男がいた。


 男は今、街灯のない位置に立っているため、顔が暗闇に隠れてよく見えない。


 男が手を繫ぐ二人の方にゆっくり歩み寄ってくる。


 一瞬、街灯が二人に近づく男の全身姿をはっきり照らし出した。


 灰色のスーツにコート。伸びきった白髪。病人のように青白い肌。身の丈百九十センチ弱と長身。顔はやつれた感じだが、二十代後半か三十代前半くらいに見える。


 表情はどこか嗜虐を秘めた笑みを浮かべている。


 人目で、ただの通行人ではないことがわかる。


「何でしょうか?」


 朝日が月夜を右手で庇い、自分の背後に下がらせる。


 十メートル弱先の男が口を開く。


「こんばんワ♪」


 声は成人した男にしては甲高い方で、男の子のよう。


 挨拶を済ますと男は散歩程度の速度でこちらに近づいてきた。歩み寄りながらスーツのポケットに右手を突っ込み、銀色のハサミを取り出した。


 明らかに危険人物である事がわかった。


「月夜! 逃げろ!!」


 背中の月夜に命令する。


「嫌だ! 朝日も!」


「人を呼んできてくれ!」


 月夜の叫びに自分も叫んで返す。


 聞き分けてくれたのか、月夜が朝日を置いて公園出口向かって走リ出した。


 一人になって、冷静に置かれた状況を分析する。


(サバトならともかく現実世界でリアルファイトだなんて)


 しかも男は朝日より何十センチも長身。取っ組み合いでは勝てない。ましてや刃物を持つ男。月夜が助けを呼んできてくれるまで殺されずに済むだろうか?


 サバト内での身体感覚をできるだけ思い出した。


 距離二メートルまで狭った男がハサミを上から下に振るった。


 朝日が左ステップでそれを躱す。


 ハサミは空を切った。


 躱されたことが意外だったのか、笑みを浮かべていた男が目を丸くして驚いた顔を作り、男から見て右側の朝日に首だけ回す。


 男が冷や汗を流す朝日の顔を不気味な二つの目で凝視する。


 二十秒近くの凝視。その後、何を思ったのか目を丸くしていた男の表情が狂気に近い恍惚の笑みに変わる。


「すばらしイ♡」


 男が再び朝日ににじり寄る。


 朝日に出来ることはこの男のハサミを回避し続けることだけだ。


 逃げてはいけない。月夜が誰も連れて来れずにわざわざ朝日を助けるためだけに戻ってくる可能性が捨て切れないからだ。


 にじり寄る男に対し回避の構えを取る。


 だが朝日が想像していたより早く救援が来た。


 男の顔に水線が浴びせられた。


 咄嗟の水に男が数歩後ろに退く。


 水線が飛んできた方向を振り向くと月夜がどこから伸びているのかすら分からない程に長いホースを握っていた。


「月夜バカ、逃げろって言っただろ!」


 朝日が月夜に叫ぶが男のウゥーッ、という妙な呻き声を聞いて、再び首を男の方に戻す。


 男の長い白髪がびっしょり濡れて、男の顔を隠している。


 男が首を左右に振り、髪の水飛沫を飛ばす。


 隠れていた顔が再び露わになる。


 見ると先程まで男の顔には無かった物が右目に浮かび上がっていた。


 二匹の蛇が互いの尻尾を噛んで八の字を描いている――所謂ウロボロスの入れ墨が右目周りの皮膚に入っている。


 男の顔を見て、朝日と月夜は同時に戦慄した。


 夕美が言っていた「奴」と全く同じ特徴。


 これは偶然だろうか? しかし世界広しといえどこんな奇妙な入れ墨をしている人間がそういるだろうか?


 自分の右目を凝視する朝日と月夜の視線を感じて、男が自身の右目に触れる。


「あレ? とれちゃっタ?」


 そして意識を自身の右目から朝日に戻し、朝日の方に改めて向き直る。


「キミ、良い避けするネ! 男にしとくにわもったいなイ」


 爽やかな顔を作って見せる。その作り笑いが余計に男の得体の知れない不気味さを底上げする。


 次の瞬間、紫と薄紅、灰色の光が夜の公園を照らし始めた。


 朝日と月夜が自身のポケットに入れていた変身石を取り出す。宝石が心臓の鼓動のように点滅を繰り返している。


 次に再び男の方に視線を移すと、男のコートの中の左胸の部位から灰色の光が点滅を繰り返している。


 変身石を取り出していなくともその男が魔法少年であることが立証された。


 やはり、この男こそが夕美の言っていた――、


「切り裂きジョンドゥ・ザ名無し・リッパー……」


 朝日がボソリと呟く。


 紫、薄紅、灰色の三色の光の中で、ウロボロスの男が二人に向かって右手を振り、笑みを浮かべて別れの言葉を言うのを朝日は確かに聞いた。


「またネ♪」


 そこまでで毎度同じく、朝日の意識は別世界へ飛ばされた。




 ☆


 朝日が目を開くと、そこは猛吹雪吹き荒れる夜の氷原だった。


 こんなフィールドは初めてだ。


 だが、全ての魔童子は、体に纏う魔力のオーラでフィールドの気温の変化から自身の身を守る事ができる。故に寒さは感じない。


 まず始めに朝日は目を瞑り、フィールド内の魔童子の魔力位置を把握することにした。大抵の魔童子はまずサバト始めにこれをする。


 敵の位置を把握せずに迂闊に動けば不意討ちされてしまう。


(まずは月夜を探そう)


 朝日の身体に纏わりつく紫色のオーラが円形に広がっていく。オーラに触れた魔童子の位置は全て把握できる。


 ゆっくり、ゆっくりと広がっていく。


 ふと、二キロ先まで広がった所でドス黒い魔力を探知した。


 その魔力に触れた瞬間、豪雨を上から浴びせられたかのように、急に身体が重くなった。


 朝日が氷原に膝をつく。


 咄嗟に探知を解除した。そのドス黒い魔力に触れているだけで体力を消耗して、息が荒くなっていた。


 魔力を纏えば猛吹雪の氷原だろうと、日照りの砂漠だろうと魔童子は気候の影響を受けないはずなのに、朝日の身体は震えていた。その震えはこの猛吹雪のせいではなく、恐怖からだ。


 あの禍々しい魔力の持ち主が誰なのか等、言うまでもない。既に夕美にも散々忠告されていたことだし、先程公園で奴の恐怖を体感したばかりだったからだ。


 しばらく身体を落ち着かせ、ゆっくり重い膝を上げた。


 朝日は敢えてドス黒い魔力の持ち主の方向に足を走らせた。何故ならその魔力の近くに月夜がいるのを感じとっていたからだ。


(月夜が危ない!)


 ローブを靡なびかせ、氷原を駆ける。




 ☆


 月夜の目には氷原に横たわる五人分の身体が映っていた。全員魔法少女だ。


 うち二人は杖を握ったまま、残り三人の杖は各々の右手隣に放られている。


 五人のうちの一人に駆け寄る。


「大丈夫ですか?!」


 寄るとその少女はまだ小学生近くの年齢だった。


 頭から地を流している。


(明らかに致命傷なのに何で強制離脱が発動しないの?)


 足元の少女の状態を観察した後、他の横たわる四人の身体も観察する。


 一人は右膝から下を失っている。一人は右腕を、一人は右目を。残る一人はお腹から血が止まらずに溢れ続けている。


 手口が猟奇的で、今までのサバトなら確実に強制離脱になっているレベルの傷。


 きっとジョンドゥ・ザ・リッパーの仕業だ。


 その痛ましい光景に青ざめる月夜。


 そこでふと、月夜含む六人の近くにもう一つ人影があることに気づく。


 夜の吹雪で視界が悪いため、影のみしか見えないがそのシルエットは百四十センチに満たないスカートを履いた影だった。


 魔法少女だ。それも足下の少女と同じくらい幼い子の。


 月夜がそのシルエットの方に走る。どんどんシルエットが少女の形となっていく。そして少女の元へ辿り着いた。


 少女は緑ドレスの三角帽姿で、ぱっと見、小学校低学年くらいの年齢に見える。内股で膝を地面につき、自身の両肩を両反対の手で掴み両腕を交差させ、身体をガタガタ震わせている。顔は恐怖で青ざめ、涙目で俯うつむいている。


「貴方、大丈夫?」


 少女は震えるだけで月夜に返事しない。恐怖のあまり声が出ないのだろう。それも仕方ない。明らかにこの現場は奴に出くわした後なのだから。


「大丈夫。お姉さん助けに来たんだよ! もう怖くないよ!」


 膝をつく足元の少女に対して、膝を小さく曲げて少女に届くように右手を差し伸べる。


 本当は少女と同じくらい恐怖を感じていたが、少女を不安にさせてはいけない。そう思って必死に自分の内面の恐怖を押し殺してみるが、月夜の青ざめた顔と震える身体は、涙目の少女に対し隠しきれていない気がする。


 下を俯いてた少女がゆっくり顔を上げて月夜の顔を見る。


 すると、何かを見つけたのか、少女の顔が先程まで以上に青ざめた。まるで、鬼か悪魔でも見つけてしまったような。


 全身を震わす少女が両腕の交差を解き、右手の人差し指を立てて月夜の頭の三角帽あたりを指さす。


「え? どうしたの?」


 少女の不可解な行動に疑問符を浮かべたが、少女が自分の三角帽ではなく真後ろを指さしていることに途中で気づいた。


 少女の示すままに、月夜が真後ろを振り向く。


 悪魔――いや死神が腕を組んで仁王立ちしていた。


 灰色の死神が右目のウロボロスがやたら目立つ顔の皺を寄せて笑んで見せる。


「こんばんワ♪」


 不気味な爽やかさを孕む笑み。


 反射的に月夜が少女の襟を掴みながらバックステップで後退する。白衣の死神と距離をとった。


 突然の敵の登場に心臓の鼓動が止まらない。嫌な汗も、身体の震えも。


 ポケットに手を突っ込み、杖を取り出し、先を敵へ向ける。しかし手の震えのせいで焦点が合わない。


(ハー……ハー……ハー……)


 荒い自身の息が聞こえる。


 そんな月夜の反応を見て死神はどこか嬉しそうだ。


「ねエ、ちょっと自慢話して良いかナ?」


 言うと白衣を翻して月夜に背を向け、散歩するような足取りで五人の瀕死の少女達に近づいていく。


「ボクね、三年間の練習で魔法少女の壊し方がとても上手になったんたんダ」


 右腕のない少女の所で止まった。


「どう壊せば脱落しないギリギリの状態にできるか、沢山壊して沢山研究しタ。おかげでこの子達みたいな壊し方ができるようになったんダ。魚の骨を上手に取って、美味しく食べれるようにするみたいにネ」


 足元で横たわる少女を死神は満足げにまじまじと見下ろす。まるで自身で作った芸術作品を鑑賞するかのよう。


「彼女らは虫の息だけどチョッピリ生きていル。後少しで壊れてしまうギリギリダ。勿論――」


 死神が白衣のコートの中に手を突っ込み、三十センチ弱の茶色い杖を取り出す。そしてそれを右腕のない少女の左胸に突き刺した。


「こんなことすれば死んじゃうけどネ」


 グチャッという生々しい音。少女の断末魔の叫びが当りに響き渡る。


「やめて!!」


 月夜が叫ぶが死神はお構いなしに右手に持つ杖を少女の左胸の奥に届くようにねじ込む。


 断末魔の叫びが響いている間、月夜は両手で緑髪の幼い女の子の両耳を塞いだ。


 少女の長い断末魔の叫びが止んでようやく死神が杖を引っこ抜いた。そして血染めの杖をコートから取り出した白いハンカチで丁寧に拭く。


 傍観しかできなかった月夜の目にもわかるように、右腕のない少女は絶命した。貫かれた少女の左胸からは血が溢れ続けて止まらない。


 少女の胸にかかるペンダント――変身石にはヒビが入っている。


 ヒビは徐々に宝石全体に広がり、宝石が砕け散った。


 それと同時に少女の両脚から透明になり始めた。


 透明化は顔まで渡り、少女の遺体は消失した。痕には血染めの雪と彼女の杖だけが残されている。


(もし……もっと早くあの子が脱落できていたなら……)


 記憶は消える事になっても死なずに済んだかもしれない。


 悔しさで歯を噛み締める月夜。死神に杖を向けたまま、涙を流し、顔を歪めながら、穢らわしい物を見る目で睨みつける。


「最低……貴方は……人間じゃない」


 怒りで恐怖を誤魔化し、死神に向かって震え声で訴える。


 血染めの杖を拭く死神が首だけ月夜の方に振り向き、爽やかな笑顔で返す。


「その通りダ。ボクは人間じゃない。ボクこそが、魔法少年ダ♪」


 震える緑髪の小学生を月夜が背後に隠す。


(この子だけはせめて守りたい)


 ゆっくり後退り、リッパーとの距離を空ける。


 リッパーが不気味な笑みを作ったまま月夜達に散歩する足取りで歩み寄る。


 距離がどんどん詰まる。


 二人の距離が三メートルを切った所で突如、何処からか放たれた白い光弾がリッパーの腹部に命中した。


 腹部に焦げ跡が残るがリッパーは目を丸くするだけで傷一つ負っていない。


 月夜は左後ろ斜めの、光弾が放たれた方向に振り向く。


 平らな氷原にはダボダボな船外宇宙服を着た魔法少女が杖をリッパーに向けていた。顔を映さない宇宙用ヘルメットの上から規格外のサイズの白三角帽子を被っている。今まで月夜が見てきた魔童子の中では一番大きなサイズの三角帽だ。ヘルメットで顔が隠れている事と服装のせいで、リッパーに攻撃しなかったら少女側だと気づかなかっただろう。


 彼女の左手を見ると小指が不自然な方に折れている。


 更に、周囲の気配に気づいた月夜が辺りを見回した。そこで初めて、宇宙服も加え四人の魔法少女達に円の陣形を作って囲まれている事に気づいた。


 一人は水色の三角帽を被り、上半身は人魚姫の着る貝殻のブラに下半身が馬で、ケンタウロスのよう。加えて左腕がない。


 一人は桃色の三角帽にナース服を纏う。加えて左耳が欠けている。


 最後の一人は黒い三角帽にくノ一の服を纏う。加えて一線の残痕が左眼にあり、閉ざされている。


 四人全員が右手に握る杖の先端をリッパーに向けている。




 ☆


「アレ? 体、重イ」


 リッパーが体を震わせて一歩を踏みしめる。まるで体に重りでもつけているかのような歩み方だ。宇宙服の少女、空そらの狙い通りだ。


「今の一撃でお前の体重を二倍にさせてもらった」


 空はリッパーの疑問に答える。自分の魔法をバラした所で初撃が命中してしまえば敵は動けないので関係ない。


「……よく見たラ、キミらこの間ノ」


 リッパーが囲む四人の顔を見回す。その後、空に視線を戻し、質問してきた。


「あレ? 二人足りなイ。死んダ?」


 人差し指を立てて頬に触れ、首を傾げる。その仕草はこちらをおちょくっているかのようだ。


 その悪ふざけな反応に対し、空より先に左側に陣形を取るケンタウロスで人魚姫な少女、海駆みくが怒号を放つ。


「ああ、瞳ひとみと真矢まやはお前の攻撃を食らって現実に戻った後、病院に運ばれて死んだよ! お前だけは絶対許さない!!」


 他の二人も怒りを剥き出しにしている。勿論、空も宇宙用ヘルメットの中で歯をくいしばっている。


 そして空以外の少女が声を重ねて呪文を口にする。


「「「杖解!!」」」


 海駆の杖が三本の刃を持つ水色の銛へと変わる。


 ナース少女、見看みかんの杖が桃色の注射器へと変わる。


 くノ一少女、忍しのぶの杖が盾に使える程巨大な黒の手裏剣へと変わる。


 四人の戦闘準備は整ったようだ。円の陣形を組む四人が隣の人と目配せし合う。


 空は右側にいる忍の目を見て、アイコンタクトを取る。


(分かってるよ忍。まずは私の”重力倍化グラヴィティ・ダブル”でリッパーの動きを奪う。その後アンタの手裏剣でつかず離れずの中距離攻撃。ダメージを蓄積させ、海駆の銛で近接攻撃。銛の仕込み毒を体内に送り込む。後は試合時間一杯逃げに徹して、毒が回ったら変身石を破壊する。私達の魔力と体力が落ちてきたら見看の注射で回復。集団戦なら難しいけど四対一ならイケる作戦よ。リッパーの戦闘法がハサミの近接攻撃しかないのも有名な話。初撃の不意討ちが当たるかが肝だったけど成功した。このまま魔力が枯渇するまで私の魔法をアイツにぶち込んで立つこともできないくらい鈍らせてやるわ!)


 その後、リッパーに視線を戻す。


 しかし空が動く前に海駆が大声で宣戦布告した。


「瞳と真矢の仇、それと私達の傷の恨み、両方晴らさせて貰うよ!」




 ☆


 通称、切り裂きジョンドゥ・ザ名無し・リッパー。二十九歳。本名不詳。魔法少年としての魔法は「治らない傷を与える」。


 彼は品行方正なエリート家庭で産まれたが、生まれつき痛覚を持っていなかった。医者からは無痛症という病名をつけられる。


 加えて、生まれ持って異常なまでの破壊衝動の持ち主だった。だが十八になるまでその衝動を誰にも見せず、親や友達の目の届かない場所で動物を使って発散していた。


 幼、小、中、高の彼のクラスメイトや部活仲間はやたら怪我をしやすく、かつ治りが遅かった。怪我をしやすい理由が、教室の椅子や上履きの中に画鋲を置いたり、調理の授業でコンロの火の調節器をいじった彼の工作だったことを知る者は誰もいなかった。


 怪我の治りが遅いのが「治らない傷を与える」彼の魔法の片鱗であることを知る者など本人含め尚更いなかった。


 高校を卒業した後、彼は親の前から姿を消した。共に生活をしていればいずれ自分の破壊衝動を知られてしまうだろうし、社会的エリートの両親は自分の破壊衝動を全力で矯正しようとしてくることが容易に想像できたからだ。


 それからは自力で貯めた学費で医大を卒業し、某有名大学の外科医として勤務し始めた。


 医者を目指した志望動機は、高給料である事と人を合法的に切れるから。


 しかし患者にメスを入れる時の快感に負けていつか表立って殺人を起こし、自身の本性を暴かれてしまうだろうと感じた為、現在は美容師に転職。


 こちらの転職動機は、髪ならば衝動を度を越さない範囲で適度に発散できるから。


 医師の頃も美容師の今も仕事場では特に目立たず、かといって無能と思われない程度に仕事をこなしている。世界一の医師や美容師を目指すくらいの実力があると内心では自負しているが仮になれたとしても名前が売れて「本当にやりたい仕事」に就くにあたって不都合だ。だが「やりたい事を仕事に」できていない現状も彼にとってかなりのストレス。


 専ら主な収入源は本業ではなく高校生からやり続けている株。こちらで完全犯罪を成し遂げる為の莫大な必要経費を貯蓄している。だが本業も副業もお金の為であってストレスが貯まる事には変わりない。


 そんなストレスを吹き飛ばしてくれるのが趣味の殺人だ。殺すシチュエーションや相手は慎重に選ぶし、実行できない事もしょっちゅうだが、狙いを定めた通行人を追跡する作業だけでも彼は楽しめるので、夜の街の散歩も退屈しない。


 魔法少年になる前は殺人の隠蔽に一苦労したが、なってからは魔法界の協力を得て殺人を隠蔽してきている。ランキング一位の特権を存分に活かしている。


 しかし、将来的にはちゃんと好きな事を仕事にーー「殺しを仕事にしたい」と考えている。


 なので最近は予行練習として、ダークウェブの掲示板に「殺人依頼請負います」と書き込み、人を殺してお金を貰う仕事をアルバイト感覚で始めた。


 彼が何故人を傷つけても心が痛まないのかは、彼の無痛症にあった。医者も見逃した点だったが、彼の無痛症は通常の無痛症と違い、心の痛みも含めて何も感じないのだった。


 心の痛みが無い、故に外部刺激を求めている……のかもしれない。


 人間界で「治らない傷を与える」魔法を魔童子にならずに顕現できる程才能溢れた彼の存在をプレアが見逃す筈もなく、三年前のサバトスタート時に真っ先に声をかけられた。


 その時、彼は何故こうも通常の人間と自分の感性が違うのかを理解した。「自分は人間ではなく、魔法少年。特別な生き物。だから全てを壊さずにはいられなかったのだ」と。




 彼は人間界では「常に完全犯罪を行える一流の殺人者」になれない事を強く自覚している。いつか、自分の犯罪を暴く探偵や警官が現れると感じている。地球は広いのだから。


 だがこの魔法界――サバトなら、一流の魔童子として合法的にハサミを振るえる事も同時に自覚している。


 もしかしたら、サバトの願い事でこの魔法少年としての能力を人間界に持ち込む事すら可能かもしれない。魔法界という無秩序な世界の力を秩序ある世界に持ち込めたなら、その時こそ彼は人間界で彼の理想の生活を送る事ができるかもしれないーー。




 ☆


 月夜は目に焼き付けた、猛吹雪の中で少女達の鮮血が空を舞い、白と赤が交わる光景を。




 宇宙服の少女が杖の二撃目を放とうと照準を合わせた瞬間、リッパーは消えた。


 気づいた時には少女の後ろに回り込み、彼女の白い防護服に杖を突き刺していた。


 崩れ落ちる宇宙服の少女。


 その光景を見た仲間の三人は唖然としていた。次にケンタウロスで人魚姫の少女が取り乱して咆哮し、銛を構えたままリッパーに突撃した。


 それを残る二人が止めようと割って入る前に事は終えていた。


 リッパーは瞬間移動のような速さで突撃した少女の後ろにいた。


 中段切りの構えを取っていた。握る杖に纏わりつく魔力のオーラは刃物のような形状を象っていた。


 少女の背中に赤一線の切り傷が浮かび、そこから一気に血が噴出した。


 崩れ落ちる少女。その姿を見てさらに狼狽える忍者少女とナース少女。


 だがすぐ正気を保ち、忍者少女が中距離からリッパーに巨大手裏剣を投げつけた。


 空中で回転しながら迫る手裏剣に対し、リッパーは微動だにしなかった。


 直撃する瞬間、手裏剣の切っ先を親指と人差し指で挟んで摘み、受け止めた。


 そのまま手裏剣を持ち主に向けて投げ返した。


 自慢の攻撃をたった指先二本で防がれた事が余程衝撃だったのか、呆気に取られた様子の忍者少女は自身の手裏剣に反応できず、腹部に切っ先が刺さったまま後ろに吹き飛ばされた。そのまま氷岩まで飛ばされ、手裏剣によって氷岩に縫い付けられた。手裏剣の刺さった腹部からは血が溢れ出ていた。




 三人が崩されるまで一分も無かったかもしれない。


 それ程にまで速すぎた。


 だがその速さの理由がリッパーの固有魔法にあるのでは無い事を、月夜は彼の体から溢れ出る魔力を肌で感じる事で知る事ができた。


 ただリッパーの体に纏う魔力量が異常なだけなのだ。


 月夜は一度ランキング二位の王花ビュオレと同じゲームに参加した事があった。彼女の魔力も月夜のニ倍近くあったがリッパーの場合は推し量る事すらできない。


 このサバトというゲームの一位と二位の実力差には途方も無い溝があるようだ。それ程にまで、今視界に映る男は異常だった。精神は言うまでもなく、魔力も。


 もしこの男一人だけで魔法少年を勝利に導けると誰かが言っても微塵も疑わないだろう。


 三人の仲間を倒されたナース少女は真っ青な顔をして内股で尻もちをついている。


 月夜の目にリッパーの背中姿が映る。ナース少女に近づいている。リッパーが小さくなっていく。


 そして少女の前で止まり、刃状のオーラを纏う杖を頭上に掲げる。それを振り降ろす。


 ナース少女がうつ伏せに崩れ落ちる姿が映る。首の切り傷から血を流している。表情までは距離が遠くて分からないが、殺されてしまったのだろう。


 背中姿のリッパ―は雪原で微動だにしないうつ伏せの少女を眺めている。暫くして、ゆっくりこちらに振り向いた。


 嗜虐的な笑みを浮かべていた。その表情を維持したまま月夜達にゆっくり歩み寄る。


 一歩、二歩、三歩――。


「お姉ちゃんが時間稼ぐから逃げて」


 背中にいる緑髪の小学生の方に振り向く。


「大丈夫、すぐ会えるから」


 作り笑顔で少女に言う。今度は上手く笑顔を作れたと思う。緑髪の少女を安心させられている表情を作れていると良いが。


 少し彼女の緊張を緩和できたのか、緑髪の少女は今だ青ざめた顔と涙目を浮かべながらも首を縦に振ってくれた。そして月夜に背中を向け、走り出した。


 その姿に月夜は安心し、再度前方から迫るリッパ―に向き直る。幸いにもリッパ―は緑髪の小学生を追おうとしない。


 月夜はふと朝日の母が自分を守ってくれた時の事を思い出した。きっとあの時の彼女の気持ちは今の私と同じ気持ちだったのだろう――と。


 月夜に出来る事、すべき事はたった一つ――。








 ……体が熱い、猛吹雪の中だというのに……。


 視界がぼやける。けど何が映っているかは辛うじて分かる。


 血塗られた杖が雪原に横たわっている。月夜自身の杖にして、月夜自身の血を浴びた杖。


 自分のお腹を見れば真っ赤。左脚の太腿も切り傷から出る血で真っ赤になっている。


 そして恍惚と雪空を見上げている死神の姿。彼の杖もまた赤く染まっている。敵である月夜の返り血を浴びて。


 体の節々が熱い。痛みを通り越しているのか、熱い。


 残りのサバトの時間はどれくらいだろうか? 死神に傷をつけられた自分は助からないだろうーーと結末を予感する。


 だけど目的は達成できた。体内時計で四十分くらい戦っていたはず。今回のサバトでアイツが緑髪の少女を追えるだけの時間は残されていないはず。


 迫る死を感じる中、月夜には一つだけ誇りに思える事があった。


 朝日の母と同じになれた事だ。


 もしかしたら、あの日朝日の母が月夜を生かしてくれた意味は、今日あの見ず知らずの少女を生かす為にあったのかもしれない。


 後はただ、朝日が心配なだけ。自分が死ぬ事で彼が壊れてしまわないか、という――。






 ☆


 道中、朝日は魔力探知を駆使して他の魔法少女に接触しないよう道を選んでいた。お陰で朝日の目的地は目と鼻の先だった。


 ただ、目的地に近づけば近づく程脚を速くさせた。何故なら既に月夜がリッパーと戦っている事を探知していて、尚且つ月夜の魔力が徐々に弱ってきているのに気づいていたからだ。他にもリッパーの周りにいる複数人の魔童子――恐らく魔法少女ーーの魔力も風前の灯火である事にも気づいていた。


 普段移動を深也のスケボーに頼っていたからか、脚での移動に朝日は段々息切れしていた。


 だがそんな事気にしていられない。


 途中崖を下ったり森を突き抜けたりしたが、後はこの真っ直ぐな雪原をひたすら走れば良いだけなのだから。


 走って、走って、走って――ただ走り続けた。


 そしていよいよ視界に人影を捉えた。


 一人は棒立ちで空を見上げている。一人は横たわっている。


 更に脚を速めた、自身の心臓の鼓動の高鳴りを無視して。


 ようやく、人影がはっきりとした人の形に変わった。


 白蛇の尻尾のような三角帽にウロボロスの入れ墨の入った右目を持つ男が悦に浸った表情で空を見上げている。


 そしてもう一人は――仰向けに横たわる薄紅色の少女。コスチュームは切り刻まれ、脚や腕、至る所に切り傷がある。背中は刺されたような痕がある。彼女の身体から漏れ出る血が彼女の薄紅色の衣装を所々濃紅色に変えている。


 赤く染まった体から溢れる血が彼女の周囲の雪まで赤く染め上げている。


 更に二人から少し離れた場所に四人の血濡れた魔法少女の体も横たわっている。ここで何が行われたか一目瞭然だ。


「月夜! 月夜! 月夜! 月夜!!」


 連呼しながら地面に広がる雪を潰して走って月夜の元に向かう。近づく度に無意識に声量が強くなる。


 そして、横たわる月夜の前まで来た。脚を曲げて彼女の顔に近づき、弱弱しい右手を握る。


「あ……さひ……」


 虚ろな目だが返事してくれた。息はある。


 だがこのままでは……。


 誰か回復魔法の使い手を探さなくては。いや、駄目だ。リッパーに傷をつけられたのだ、治らない。


 じゃあ、どうする? どうする? ……どうすれば……?


 自身の呼吸の乱れと心臓の鼓動が耳の中で鳴り響く事を止めてくれない。むしろ加速していく。


「オオ! キミはあの時の素晴らしい子!」


 後ろから男の声がした。雪原を踏む脚音から近づいてきているのが分かる。


「キミ、中世的だから女の子である事も期待してたんだけど、やっぱり男だったんだネ。残念ダナァー……」


 その弄ぶような口調を聞いて、胸がゆっくり熱くなるのを感じた。まるで心が熱膨張しているかのようだった。


「オマえがヤッたのカ?」


 後ろから迫る男に振り向かずに問う。


「ん? ボクだヨ♪」


 月夜の右手を離し、沸々と湧き上がる憤怒を魔力に変換できるよう脳内に念じた。実際怒りを魔力にできるかなんて知らなかったが、この圧倒的な死神を倒すにはそれしかない。


 朝日の怒りに応じたのか、朝日の肉体に纏わりつく魔力が分厚くなったのを感じた。同時に、朝日の体から紫のオーラが放出され、砂嵐のような突風が巻き起こった。


 オーラの混ざった紫の突風は朝日の意志で風向きをコントロールできた。突風をリッパーの方向に向かわせ、敵の体を撫でさせた。


 その突風を浴びたリッパーの口角が少し上がったのを朝日は直感的に感じ取った。


 朝日はゆっくり後ろに振り向き、視線を敵の瞳に合わせ、ゆっくり口を開く。そして全身の魔力を口に集中させて、言葉の重みで敵を圧殺する気概でこう言い放った。




「ユルサナイ」




 右手に握る杖を天高く掲げ――、


「杖解ぃぃーー!!」


 解号を雄叫びのように叫んで口にした。


 紫の光に包まれた杖は槍へと変化し始めた。


 まだ変化途中でもあるにも関わらず朝日はリッパーに突っ込んだ。


 紫の光の塊となった杖を両手で握り直し、中段斬りで敵にぶつける。


 だがその攻撃をリッパーは棒切れのような杖で軽々と受け止めた。


 敵の杖と接触すると同時に、紫の光の塊はルーン文字の入った光の輪を先端に持つ長槍へと変化し終わった。


 ギチギチという、押し合いによる接触音が敵の杖と自分の槍の間から聞こえる。


 押し合いには朝日が勝利し、杖で防ぐリッパーを後ろに後退させた。


 朝日とリッパーの間に僅かな間合いができる。


 すると突如脳内に毎度お馴染みとなった女性のアナウンスが聞こえた。


「サバト第百試合が終了しました! 速やかに戦闘を終え――」


「知るか!!」


 アナウンスを無視し、朝日は再度リッパーに突進した。


「キミ、ホント楽しいヤツ♪」


 リッパーがまた口角を上げた。先程より強く大きく。得体の知れない雰囲気を一層強めるような笑み。


 朝日は再度中断斬りを試みた。だがその斬撃は後ろにステップする事で躱されてしまう。


「試合終了なのに喧嘩売ってくるバカも、同じ魔法少年に喧嘩売ってくるバカもボクは見たことがなイ。嬉しいナー、嬉しいナー」


 リッパーは両掌で自身の両頬を抑え、体をくねらせ、全身で喜びを示す。


「こんな嬉しい気持ちにさせてくれたキミにはちゃんとお応えしなくちゃネ」


 言うとリッパーは杖先を左掌に押し当て、解号を口にする。


「ジョーカイーー”痛ミ在ル生命ペイン・アンク”♪」


 リッパーの杖が眩い銀色の光に包まれる。光が消滅すると交差するリッパーの両手には一本ずつハサミが握られていた。


「チャキン……チャキン♪」


 ハサミの上の刃と下の刃を無造作に軋らせ、軋る音に合わせ擬音を口にしながらこちらに狭ってくる。


 だが恐怖の感情等湧き上がる憤怒が掻き消してくれていた。


 突っ込む朝日とリッパーの間合いがお互いの武器を交わす事のできる距離に達する。


 リッパーが先にハサミを振り下ろすのに対応し、朝日は槍の刃で受け止めた。


 槍とハサミが接触。


 数秒、両者固まったままだった。だが結果はすぐにやってきた。


 斬撃の鎌鼬がリッパーの左頬を撫でた。朝日の槍が刃物での近接攻撃を跳ね返した時に起きる現象だ。


 それによりリッパーの左頬に一筋の切り傷ができる。


 リッパーが二、三歩後ろに後退する。顔からはいつもの余裕の笑みは消え、驚きで満ちた表情を浮かべている。


 朝日に何が起きたのか分析する精神的余裕は無かった。そんな事を考えるよりコイツに二撃目を食らわせたい。そう思い、再度敵に向かおうと試みていた。


 だが、残念ながら戦いの幕を閉じる合図がやってきた。


 いつの間にか、朝日とリッパーの下半身が光の粒となって消えていたのだ。これ以上の戦闘行為は不可能だ。


「残念だナァ。お別れダ」


 リッパーは強い悲哀で満ちた表情を見せた。この男の不気味な所はこの喜怒哀楽が常人とズレている所だ。


 そして更に言い加えた。


「キミともう永遠に会えないなんテ」


 小声だが確かにそう聞こえた。


 その言葉の意味を問う前に足元からよじ登っていた身体の消滅は口元まで回りきっていた。そして目元まで到達し、朝日の視界は真っ白に包まれた。




 ☆


 朝日はいつも通り人間界に戻ったのかと思った。


 だがそこは教会の中だった。朝日が周囲を見回すと、祭壇があり、祭壇の後ろに磔のキリストが縁取られたステンドグラスも見えた。扉から祭壇までは赤いマットが敷かれ、左右には無数の椅子が配置されている。


 この景色は間違い無く新人研修チュートリアル――魔法少年になった日に来た魔法王の城内だ。


(何故またここに?)


 朝日の疑問に答えるように教会の入口の扉がバンッという音を立てて力強く開かれた。


 そこには赤い甲冑を纏った老人――魔法王が仁王立ちしていた。しかめた顔を作り、地面を割るような強い足取りで朝日に近づいてくる。


 そして朝日の眼と鼻の先まで来た。


「サバト基本原則その三『同性同士の戦闘の禁止』。よもや知らなかった訳でも忘れていた訳でもあるまいな?」


 魔法王の表情は第一回目に会った時と同じく仏頂面だ。声も静かだ。だが怒りを内包しているのを感じる。


 だが、朝日の怒りは彼の怒りの比ではなかった。


「何故……何故あんな奴を魔法少年にしたんですか?! 今すぐアイツから魔法少年の資格を剥奪して下さい!!」


 魔法王を睨みつけ、叫び訴える。


「痛ミ在ル生命ペイン・アンク……ジョンドゥ・ザ・リッパ―の事を言っているなら、奴はルールを犯している訳ではない。だが……貴様はルールに反した」


 魔法王は朝日の首に掛かっているペンダント――変身石のチェーンに右手の指を引っ掛けた。そして強引に引っ張った。


 チェーンが真ん中で千切れ、半分が地面に落ちる。もう半分はペンダント、そして内臓された宝石と一緒に魔法王の右掌の中にしっかりと握られている。


 引っ張られた勢いで首を刺激され、俯きながら軽く咳き込む朝日。


 再度顔を上げ、魔法王を睨みつける。


「返せ!」


 だが朝日に反抗する暇は与えられなかった。すぐさま魔法王は腰につけていた杖を左手で抜き取り、杖先を朝日の額に押し当てた。


「謀反物リフレクター、紫水朝日。貴様から魔法少年の資格を剥奪する」


 王の宣告と共に額に押し当てられている杖の先が赤く光った。


 次の瞬間、額が何かに貫かれた感覚がした。


 朝日の意識は遠くなっていき、その場に崩れ落ちた。


 朦朧としていたが、朝日は自分の身体が紫色に光り初めている事だけには気づいていた。


 コスチュームが小粒の紫の光玉となって消滅していく。


 やがてコスチュームは消えてなくなり、制服姿の恰好に戻っていた。


 次に自分の肉体が光玉となっていくのを感じた。この感覚はサバトがいつも終わった時に起こるあの消滅現象と同じだ。今から人間界に還るんだ。


(忘れたくないな。深也……月夜……)


 そう心の中で呟いてから、朝日の意識は闇に落ちた。






 ☆


 ここはどこだろう? 何故自分はこんな所にいるのだろう?


 周囲を見回せば、今が夜でここが男女桜公園内だという事は分かる。この視界に映る右と左に木々が生える土路を抜ければ自宅だという事も。


 不思議なのはこの高校に入ってからの三か月間の記憶が所々無い感じがする事だ。


 記憶喪失という感覚はしない。一部を忘れていて、虫食い状態なのだ。


 月夜の事は覚えている。高校に入ってからずっと会っていないが。


 何故こんな所にいるのが分からないがとりあえず帰宅する事にした。


 公園の出口に向かって歩き出そうと前足を一歩踏み出したその時ーー、


「ビチャッ」と水溜りを踏む音が足下からした。


(今日雨降ったか?)


 視線を足下に送った。


 その水溜りは赤かった。


 赤い水線が何処からか伸びていた。気になり、水線を目で追うと、すぐに発生源は見つかった。


 それは人間の体から伸びた血の水線。人が仰向けに倒れている。


 胸から、脚から、腕から……至る箇所が赤く染まり、傷口から血を垂れ流している。


 そしてその少女の顔の左頬も赤く濡れている。傷の開きが見えないので彼女自身の返り血だろう。


 左眼にいつも付けている眼帯は外れ、一筋の切り傷痕が見える。だがそれが今できたものではなく、古傷である事を朝日は良く知っている。


 痛々しい肉体に反して、精緻で肌白い人形のような顔に傷は無いようだ。目を瞑る少女の表情には恐怖等の負の感情は籠っておらず、本当にただ眠っているようだ。だが、いつも下向きツインテールにしていた髪留めは外れ、地面一杯に髪が広がっている。


 朝日の心臓の鼓動が徐々に、徐々に上がり――、


「つ、つ、つ……」


 そして閾値まで達して爆発した。


「月夜ぉー!!」


 叫び声が深夜の公園に木霊する。男女桜の木からここまで舞って来ただろう、一枚の桜の花びらが少女の赤く染まった左頬にヒラリと舞い落ちた。




 五話:願いの前借り


季節は九月を迎えた。高校一年二学期の始業式から二週間が過ぎ、朝日は一学期と同じく退屈な授業の日々を迎える。退屈だというのは決して勉強がつまらないという意味ではなく、既に塾で習った所だからだ。朝日の家庭の経済事情は日本全国の家庭と比較しても上の中流くらいの階級の家庭だと思う。


 だから通っている塾もそんじょそこらの一般の塾よりも高額で、かつ優秀な教師が揃っている。


 とはいえ、入塾試験もそれなりに厳しい物だったので朝日自身でも勉強の素質はあったと思っている。加えて「医者を目指すのだから当然」くらいの考えではいる。


 祈桜東高校への入学理由は「一番早く推薦をくれた学校だから」と、「月夜と別の学校だから」だ。






 講師が黒板に文字を書き殴っている。朝日は一応黒板の内容は書き写して勉強しているふりだけは作っている。


 だが適度なタイミングで外の景色をボーッと眺めている。


 視界に校庭で行われているサッカーの授業が映る。それを眺める事には特に意味はないが考え事をする時はどうしても黒板より景色を見ていたいのだ。


 考え事……いや、疑問は三つ。何故四月から七月にかけての記憶の一部が曖昧なのか? 何故あの夜、月夜はあんな無惨な姿になり、意識不明の重体で入院する事になったのか?


 そして何故学校の廊下を歩く度に妙な男に声をかけられるようになったのか?




 授業の終了のチャイムが鳴った。お昼御飯の時間だ。いつも通り学食にランチを取りに行こうと席を立つ。


 教室の扉を抜けて廊下に出た瞬間――、


「よう、朝日!」


 妙な男がまた声をかけてきた。名前は確か……シンヤ。


 髪は黒のスポーツヘアで清潔感があり、かなり高身長。


 この男は「月夜の事件」のあった次の日から学校でいきなり自分の名を名乗って友達になろうと言い出してきた。何の裏があるのか知らないが怪しい事この上ない。




 学食でランチメニューを注文し、お盆を机に乗せ、座る。するとシンヤもお盆を机に乗せて座った。


「君、何なの?」


「何なのって何だよ! 飯一緒に食う相手くらい欲しいだろ?」


「違う。何で急に僕に絡み出したのかって話」


「え、いや、ホラ! お前の事前から気になっててさ!」


 男女の告白みたいな台詞が出てきた。朝日はジト目を作って慌てふためいた様子の彼を見つめる。


 そしてこの約二か月で彼が付きまとう事になった理由の心当たりを口にする事にした。


「月夜と関係あるのか?」


 言うとシンヤの身体は寒い場所で鳥肌が立った時のように震え上がった。


「ソ、ソ、ソンナコトネェヨ」


 これだけ分かりやすい嘘を付く奴だと悪い奴ではない気がしてきた。


「なあ、話してくれないか? 月夜に何があったのかを」


「う……悪いトイレ!」


 急に深也が席を立ち、走り去った。トイレの方向とは真逆の方に。




 ☆


 夕暮れ時。病室のベッドで眠る、包帯で巻かれた月夜の顔を、朝日は椅子に座りながらまじまじと見つめる。ここ、祈桜大病院は市内で最も大きな医療施設だ。その施設の医療を持ってしても月夜の意識を回復させる事は出来なかった。


 頭にも裂傷があった為月夜は全身包帯巻きにされ、口には人工呼吸器を付けられている。


(何でこんな事に……)


 項垂れて自分の足元を見る。ガラス窓から差し込む夕日が朝日の顔に当たる。だがどんなに夕日が暖かくても朝日の凍り付いた心の絶望までは取り除いてくれない。


 すると病室の扉がガララと開かれる音が聞こえた。


 扉の方に振り向くと制服姿のボブカットの少女が立っていた。制服は月夜と同じ祈桜西高校の物。手には花束を持っていて、肩に学生鞄を掛けている。


 歩み寄り、項垂れたままの朝日の前まで来た。


「君は……月夜の友達?」


 やつ枯れた声で問う。


「そうよ。夕美って言うの。初めまして」


 表情に変化が無く、クールな印象を受けた。


 彼女は学生鞄を床に置いてから、テキパキと、月夜のベッドの横にある机の上の花瓶に活けてある花を取り外し、持ってきた花に挿し変えた。取り外した花を自分の学生鞄にしまっていた。


「君は……月夜と仲良かったんだね」


「ええ、とても」


 夕美は淡々と言って、もう荷物をまとめ始めた。


「二人きりの所お邪魔したみたいだから帰るわ」


 朝日の脇を通り、扉の前に立ち、取っ手を握った。


 扉を開いてから、朝日に背を向けたまま言葉を発した。


「朝日君、貴方は頑張ったわ。後はあたしに任せて」


 意味深な言葉を残し、夕美は去って行った。


(何で僕の名前を……?)






 ☆


 すっかり空は暗くなってしまった。朝日は病院の門を通り抜ける。


 意味は無いけど、どうしても月夜の傍にいたくなってしまったから、長居しすぎた。


 傍にいる間、必死で自分がどうすれば良いか考えた。


 海外でもどこでも、有名な医師のいる病院に連れていけば?


 あるいは自分で医学書を読み漁って方法を探すとか?


 他には、他には……。


 結局どれも現実的では無かった。医者に「月夜の傷口は薬を打ったりメスを体に入れてもどうしてか塞がらない」と言われていたからだ。現代医療で治すのは不可能だと。


 あまりに自分の無力に腹が立ったので電柱を殴りつけた。手の皮が剥けたが心の痛みより全然ましだ。


「畜生……どうしたら……」


 俯き、勝手に溢れ出る涙が電柱下のアスファルトを濡らした。


「紫水朝日、桃井月夜を救いたいですか?」


 ふと暗闇の方から誰かの声が聞こえた。


 振り向くと暗がりの中に二人の人物がいる。


 両方とも黒スーツのOL姿で二十代前半くらいの女性。顔が同じ所から双子だろう。


 その二人が突如朝日の方へ走り突っ込んできた。


 通り魔かと思い逃げようとしたがその暇を与えられなかった。


 片方は掌に何かペンダントのような物を持っていた。それを握ったまま朝日の腹部に掌底打ちをかましてきた。


 ペンダントに腹部を刺激される朝日。その瞬間、視界が渦巻き、体が浮遊する感覚と速動する感覚の両方を覚えた。意識が遠のいていく。






 ☆


 目を開くと朝日は銀箔で覆われた教会にいた。目の前に祭壇があり、その裏には聖母マリアが子供を抱いている絵画が存在した。


 朝日は何故かこの教会に既視感を覚えた。これと似た場所に来た事がある気がしたのだ。


「この空間に見覚えがあるようですね」


 背中側から声がしたので振り向くとそこにはゴシック様式のドレスローブと三角帽を身に纏った妙齢の女性がいた。


 女性の両脇には先程見たOLの双子がいた。


「さて、水絵、木絵、始めましょう」


「ですが魔法女王、これはルール上問題ないのですか?」


「魔法王と取り決めたルールの中に『敵軍の魔童子を引き抜いてはいけない』等というルールがあった覚えはありませんから」


「……分かりました」


 双子のOLは同時に首肯した。するとポケットからペンダントを取り出した。


 片方は緑色の、もう片方は水色の宝石が埋め込まれている。


 ペンダントが発光し始め、同時に二人の身体も片や緑、片や水色に発光し始めた。


 朝日はその眩しさに思わず手で両目を覆う。


 発光が収まり、そっと手を降ろすと二人の髪と服装は変化していた。


 水絵と呼ばれた双子の方は、恐らく水色に染まった髪とOLスーツと三角帽子を被った方。木絵と呼ばれた方は恐らく緑色に染まっている方。


 手に茶色くて小さな杖を握っている所から魔女か何かに見える。ただし服装だけはOLスーツのままなので、チグハグ感がある。


「まずは水絵」


 淡々と魔法女王と呼ばれた妙齢の女性が命令する。


 水色髪の方が首肯し、杖先を朝日の額に優しく、だがしっかり押し付けた。


「記憶操作メモリー・オペレーション」


 彼女の言葉と同時に杖先から水色の光が発せられた。


 朝日は何かに額を焼かれる感覚を覚えた。


 そしてーー次々と頭の中に映像が浮かび上がってくる。色々な人の顔と言葉も。


(アタイの代わりに願い、絶対叶えな。大切な人、助けてやんな)


(俺とタッグ組んでくれないか? お前の槍と俺のスケボー。お前が攻めて俺が守る。無敵のコンビになると思うぜ!)


(アイツのペイン・アンクは『敵につけた傷を治させない』魔法を持っている。ゲーム内でアイツにつけられた傷は治癒魔法なんかでも絶対に治らない)


(残念だナァ。お別れダ)


(紫水朝日。貴様から魔法少年の資格を剥奪する)


(もし朝日が本気でそう思っているなら、私はそれだけで何も要らないんだよ? 一つだけ欲しいのは、きっと朝日と同じ)


 眩い光の針が次々と朝日の脳を突き抜けているようーー。






「……どうです? ご気分は?」


 魔法女王が地に膝をついたまま俯く朝日に向かって問いかける。


「……思い出したよ」


 朝日は小声で一言漏らす。隙間だらけだったパズルのピースが全て揃ったような感覚。


 だが記憶が戻った所で、現状の打開策が思い浮かばない。


「畜生、畜生……月夜……」


 さっき人間界の路上でしたのと同じく、拳で地面を殴打した。涙もまた勝手に零れ始めた。身体の痛みで心の痛みを紛らわせたかったのだ。


「悔しいですか? 自分の無力さが」


 耳の上から女王の淡々とした声が聞こえる。魔法王にも言えた事だが彼らの声色からは感情が読み取れない。


 そんな女王だが、次の彼女の言葉が朝日の運命の転機となる。


「私なら貴方にもう一度守るべき者を守るチャンスを与えられます」


 その言葉に体が反応し、鼓動がドクッと高鳴り、そっと静かに顔を上げる。


「どういう意味ですか?」


「貴方をサバトに復帰させる事ができるという意味です」


 女王の顔は至って真面目だ。


「だって……僕はもう脱落したんじゃ……?」


「『魔法少年として』はそうですね。ですので、貴方には新たに『魔法少女として』私の軍に入って貰う事になります」


「へ?」


『魔法少女として』という言葉が強く朝日の耳に響く。


 女王は彼女の左側で待機している、木絵と呼ばれた、緑髪でOL姿の魔法少女を指さした。


「彼女、木絵は『対象の性別を変える』魔法を持っています。彼女の力で貴方を女子に変え、その上で新たに魔法少女に任命します」


 朝日は、夕美が「魔法少女会議でナンバー二の王花ビュオレから性別を変える魔童子がいると聞いた」と言っていたのを思い出した。




 それから二分程無言で考え込んだ。


 そして、口を開いた。


「僕が魔法少女になる事に……抵抗はありますが……問題はありません。ですがそれでも……」


「何ですか?」


「サバトが終わるまでに月夜が生きている保証がありません。医者の宣告では月夜の余命は間もないと言っていました」


「サバトの願い事で生き返らせては如何ですか?」


 女王の口調は淡々としている。


「だったら! サバトを早く終わらせて下さい! 貴方の権限で期間を縮めて下さい! 月夜が死ぬ前に! 僕は今苦しんでいる月夜を今すぐ助けたい!」


 朝日は声を荒げた。


 今この瞬間も、月夜は苦しみと痛みの中にいる。『生き返らせる』なんて選択は苦しみと痛みの後にやってくる死が前提だ。あるべき選択は、手にしたい選択は、『傷を治す』だ。


 だけどそれを叶えるには時間が許してくれない。


「桃井月夜の傷を今すぐ治す方法がたった一つだけあります」


 その女王の言葉は、朝日にとっては一縷の希望を掴んだような言葉だった。


「どうやって……もしかして回復魔法で……?」


「違います。まず、人間界に魔法を持ち込めるのはここにいる水絵、木絵のような我々ゲームマスターに認められた魔童子のみ。加えて、ジョンドゥ・ザ・リッパ―の魔法は『治らない傷を与える魔法』。そもそも治癒魔法で治す事すらできません」


「じゃあ、どうやって?」


「『願いの前借り』」


 女王は強い語気でその聞き馴れない名称を口にした。


「願いの……前借り?」


「このサバトの報酬である『願い事を叶えて貰う』能力は元々は変身石の持つ能力なのです。変身石にその報酬を先に叶えて貰う事……それが願いの前借りです」


 女王が、いつの間にか朝日の首に掛けられていたペンダントを指さす。


「そんな事ができるんですか?」


「ただし」


 また女王が強い語気を用いた。


「その方法は貴方の変身石を『口に入れ、飲み込む事』。そうすると変身石は体内で貴方の心臓に絡みつき、同化します。……それが何を意味するか分かりますか?」


 女王は人差し指を突き出して朝日の心臓当たりを指さす。


「心臓との……同化?」


 朝日は自分の左胸をさする。


 女王が続ける。


「このゲームの脱落条件は変身石の破壊。つまり、敵が貴方を倒すとしたら心臓と同化した変身石を狙う事となります」


「……ゲームに負けたら死ぬって事?」


 朝日が尋ねると女王はゆっくり一回だけ、首を縦に振った。


「それが願いの前借りの代償の一つ目。願いと引き換えに前借りの使用者は命懸けでサバトに挑まなければならなくなります」


 朝日は女王の一つ目という言葉が強く耳に入った。


「そして二つ目の代償は……前借りの使用者がサバトに敗北すると同時に、使用者が願った事と逆の現象が起きるという事です」


「逆の現象?」


「例えば『誰かに自分を好きになって貰いたい』と願えば、願った者が死んだ時点で対象の相手は願った者を憎悪する事になります。『誰かに幸せになって貰いたい』と願えば、相手は生涯不幸な人生を送る事になります。あるいは……『誰かを生き返らせたい』と願えば、生き返らせた者が死亡します」


「じゃあ……僕が『月夜の傷を治したい』と願えば……?」


 この時点で朝日は女王の回答に気づいていた。


「貴方がサバトに敗北した時点で桃井月夜の傷口は一気に開くでしょう」


 予想通りの回答だった。


「ただし一つだけ言える事はこの願いの前借りというシステムの効力は絶対的です。ジョンドゥ・ザ・リッパ―の魔法を無効化して桃井月夜の傷を治す事ができる事は保証できます」


 女王の口調はここまで来ても説明調だ。魔法王より感情の起伏が無い。


「どうされますか? その石を飲み込んだ時点で、体内の石が発光を始めます。その時願い事を口にすれば願いは一瞬で叶います。代償に、貴方は記憶ではなく命を懸けて、改めてサバトに挑む事になります。我々魔法少女軍が勝利する以外に、貴方の心臓と変身石の同化を解除する術はありません。貴方にそれだけのリスクを背負う覚悟はありますか?」


 女王は手の平を上に向け、こちらに差し出して問う。


 朝日の答えは既に決まっていた。


 朝日は首に掛かる変身石のチェーンを外した。


 そしてチェーンを摘まんだまま変身石をゆっくり飲み込み始めた。


 驚く事に喉に引っかかる感じが一切しなかった。まるで予め人間に飲み込まれるのを想定して作られていたようなサイズ感だった。


 チェーンも含め全て飲み切った。


 すると間を置かず左胸のあたりが紫色に点滅し始めた。


「まさか……即断するとは思いませんでした」


 女王はここで初めて表情を変化させた。驚きを含んだ表情だ。


「これで……願えば良いんですね?」


「ええ。自分の体内に聞こえるように願いを口にしなさい」


 朝日は大声を出せるように大きく息を吸い込んだ。そしてーー、


「変身石! 月夜の傷を全て治してくれ!!」


 自分自身に……自分の体内に声が良く響くように叫んだ。


 その宣言と共に体内の光の点滅がどんどん早くなっていく。


 心臓の鼓動の速度より速くなり、点滅する光が胸から朝日の身体をつけ抜け、分離した。


 シャボン玉のような光の玉は数メートル宙に浮かんでから、一瞬大きく膨張して、消えた。


「貴方の願いは叶いました」


 女王の宣告と同時に、朝日は再度左胸をさすった。触れただけでは確認できないが、感覚的に変身石と心臓が同化したのを感じ取れた。




 ☆


 深夜の病室。音一つしない。


 月夜は全身包帯で巻かれ、人工呼吸器をつけている。


 だが突如、紫の光の球体が出現した。


 その光は眠る月夜を飲み込んだ。


 光の球体は数秒月夜の体に留まった。その後ゆっくり消えていった。


 そして、月夜の目は開かれた。






「……あれ? ここ……どこ……?」


 月夜は上半身を起こした。


 包帯だらけの自分の体の隅々を触る。


 まず顔に巻き付く包帯を丁寧に解いた。


 すぐにある異変に気付き、自身の左眼に触れた。


 見えるのだ。


 隅にある姿見鏡の前に移動する。


 左眼を見ると、四年間刻まれていた残痕が消えていた。






 ☆


「これをご覧なさい」


 女王はどこからか水晶を出現させ、手の平に乗せた。


 水晶の中には月夜の病室が映し出されている。ベッドの上の月夜は意識を取り戻し、訳も分からないといったように病室内を見回している。


「良かった……本当に治ったんだ……」


 朝日の目からは無意識に小粒の涙がこぼれていた。


「では、次は貴方を少女へと産まれ変われさせます。木絵」


 女王の合図と共に緑髪のOL、木絵が前に出た。


 杖を取り出し、朝日の額に杖を突きつける。


(記憶を操作するとか性別を変えるとかなんて複雑な魔法、放出系魔法でかつ、杖を相手の皮膚に触れさせる事でしか発動できない近接攻撃の魔法なんだろうな……)


 額に杖を当てられながら朝日は双子の魔法を考察した。


 それ以上の思考をする前に、朝日の額を再度何かが貫いた。


 木絵の杖先は緑色に光っている。


 朝日の体は緑色の光に包まれた。体がどんどん形を変えられている感触がした。


 男にあるべき物が無くなり、無いべき物が作られているのを感じ取れた。


 更に服装も制服から紫のローブに変わっていく。見慣れた魔法少年の時の服装に。


 そして三分が過ぎーー、


「終わりました。鏡で自身の姿でも確認してみますか?」


 女王はそう言うと指をパチンと鳴らした。音と共に何もない空間から姿見鏡が出現した。


 朝日はその鏡の前まで歩いていく。


 鏡の中には紫のローブと三角帽子、杖を被った『少女』がいた。


 身長は百五十センチあるか無いか。脚もウエストも細く、全体的に華奢で、小学生のような容姿の少女。


 恐らく……朝日だ。


「……僕、女の子になっちゃった……」


 現実に女子になった自分を目の当たりにするとどう反応するべきか分からない。


「僕、学校でどうなるんですか?」


 焦りながら女王に問いかける。


「問題ありません。水絵が記憶操作魔法で貴方の周囲にいる人間全ての記憶を書き換えてくれます。貴方は初めから女子だったという事になるでしょう。貴方のご友人の魔童子の記憶はそのままに」


 自分の女子になってしまった姿に困惑したがすぐに落ち着きを取り戻した。女王に一つだけ腑に落ちていない事を聞きたかったからだ。


「何故僕を選んだんですか? 脱落した魔法少年なんて僕以外に沢山いるのに……」


「それを知る必要はありますか? 貴方がサバトに復帰できたという結果だけあれば充分ではないですか?」


 女王は抑揚の無い声で質問を返してきた。


「……このゲームで魔法少女軍が勝利した暁にはお教えしましょう」


 抑揚の無い声で続けた。


 朝日の中にはまだ腑に落ちない、もやもやした疑問が残ったままだ。


 だが――、




『月夜の傷が治った』。この事実だけでも朝日にとっては世界を救うのと同等の躍進だった。


 しかも水晶の中の月夜を見るに、月夜の左眼まで治っていた。これはつまり朝日の願い事の片方も同時に叶った事を意味する。


 母さんを生き返らせる方法は分からない。だけど、きっと月夜を見捨てて母さんを生き返らせていたら、母さんに泣かれてしまっていただろう。だから母さんより月夜を優先したのは正解だったはずだ。


 月夜との約束は破ってしまったけれど――。


 そして、正式にジョンドゥ・ザ・リッパーと戦う権利を手に入れた。


 勝てる自信がある訳じゃない。だけど、これで月夜を守る為に奴と戦ってもルール違反じゃなくなった。


 更には、これからは月夜と戦うのではなく、月夜と共に戦える。


 事態は確実に朝日達にとって良い方向に向かっている。希望は、見えてきた。






六話:リッパーとリフレクター


 ヘアサロン『ウロボロス』。祈桜市内でそれ程有名でもなく、かといって潰れそうな程無名でもない美容院。


 経営者の男はそこに通う客からジョンというニックネームで名が通っている。




「それでさジョン、聞いてよ。ウチの旦那ったらね、昨日もお風呂入らなかったみたいで臭いったらありゃしなくてね」


「上村サン、男は年取ったら皆加齢臭するものですヨ。それに旦那さんお仕事してる時間長いんでショ? 多めに見てあげなヨ~♪」


 ジョンは椅子に座る妙齢の女性の緑色に染めた髪を手際よくハサミで散髪していく。目を瞑っている女性の顔が鏡を通して見える。


「そういや娘サン、いついらっしゃるノ?」


「来週連れてくるわ。年頃だから可愛い髪型にしてやってね」


「もちろんですヨ♪」


 客には愛想良く。接客の基本だ。


 それに、かなり時間がかかったが、ようやく目当ての客がウロボロスにやってくる。


 街で彼女の『うなじ』を見た時から計画してきたのだ。彼女の両親を調べ、両親の通勤経路も把握し、彼女の母親にチラシを配り、結果、この店の常連にしたのだ。


 誰だってこんな年増のうなじより綺麗で若いうなじの方が見ていたい。切ってみたい。


 だが今妄想の世界に入る訳にはいかない。客の前では笑顔を絶やさず、だ。




「じゃ、また来るわね~ジョン!」


「お待ちしておりまス~!」


 ターゲットの母親が扉から出ていった。


 来週が楽しみだ。




 部屋に戻り、パソコンを開く。次の予約客が来るまで時間がまだある。それまでに『依頼主』達の方も確認しておきたい。


 メールボックスを開いて一つ一つ中身を確認していく。


「『会社の上司のタケダクニミツを殺してください』? ふむふむ。『夫を以下の方法で殺してください』? 殺し方はボクが決めるんだよナ~。『不景気なのは総理大臣のせいだから暗殺してください』? そのレベルの仕事ができればボクも一流だよな~♪」


 メールの中には冷やかしのような内容もあるが、この仕事を始めた頃と比べて依頼が増えているのだから上出来だ。


「フムフム。皆色々と悩んでるんだナー」


 一人一人の依頼主の現状をメール内容から思い浮かべる。


 ふと、一件のメールの件名に目が留まる。


「『中三です。クラスの奴らを殺して欲しいです』? 中三? このアドレス、ダークウェブの掲示板に乗せてるアドレスだヨ?」


 ダークウェブはありとあらゆる非合法な取引がなされているWebサイト。犯罪依頼、危険物売買、麻薬取引等。


 一般人がアクセスする事はほぼ無い。アクセスするのは異常な人間……心に何等かの闇を抱えている人間くらいだ。


 故に今までの依頼主の年齢層は圧倒的に高かった。


 十代、ましてや中学生で自分に依頼のメールを送ってくる者等……。


 興味が沸いた。送り主が本当に中学生ならばだが、その年でどれだけの闇を抱えた人間が自分にメールを送ってきたのか。






 ☆


 その日、火流間火折かるまかおるは同級生達に路地裏に呼び出されていた。理由は……何だったか、覚えておく価値もない下らない理由だ。


 火折が彼らに虐められるきっかけになったのは確か他の虐められているクラスメイトを助けたいと思った所からだった気がする。そんなに昔の事じゃないはずだがよく思い出せない。


まあ、虐めが常態化した現状からしたら、最早きっかけが何だったかなんて思い出す意味も感じないが。


 何であれ、売られた喧嘩は必ず買うように心掛けて生きている。




 小五の時に首を吊って死んだ元政治家の親父が口癖のようにこう言っていたのを良く覚えている。権力のある人間に屈するなと――。


 何故親父が政界を追放されたのか、ちゃんと理由を知っている訳じゃないが、あの頑固者の親父の事だから自分より立場が上の人間に喧嘩を売ったとかそんな所だろう。


 親父にそう教育されたのもあってか、上級生だろうがクラスのガキ大将だろうが教師だろうが、火折は自分が理不尽だと思う奴とは徹底的に戦う事を常に選んできた。例え味方が一人もいなくても、敵が徒党を組んできても、戦ってきた。


 その結果なのか分からないが、学校の下駄箱には画鋲を入れられ、教室の自分の机には『死ね』という言葉が何文字も書かれ、トイレの個室に入れば上からバケツの水をかけられ――等の目に遭っているのが現状だ。


 クラスメイト達の誰一人、自分の味方をしてくれない。




(痛ってえなクソが……)


 体中が痣だらけ。顔が腫れているのが分かる。切れた唇から血が止まらない。


 目の前には七人の同級生。全員がせせら笑っている。


 火折は身長百七十センチと平均的な身長だ。体格は多分細見な方。特別喧嘩が強い体をしている訳じゃない。


 実は今日、ポケットにサバイバルナイフを持ってきた。だがこれを使う気はない。裁判沙汰になった時、武器を使った方が罰せられる事くらい分かっているからだ。それでも心の支えとして持ってきた。


 このナイフを使う事は確実に無いはずだ。何故なら、もしダークウェブの掲示板に書かれていた事が本当なら、もうすぐ殺し屋がここにやってきてくれるはずだからだ。わざわざ本物の殺し屋を見つける為にダークウェブへの潜り方を調べたのだ。表のネット世界で殺人依頼等書き込めば簡単に削除されるか、最悪身バレする。


 殺して欲しい相手がいる場所の住所は紅葉町七の一、時刻は十六時である事も伝えてある。


 もしあの掲示板のアドレスの主が遊び半分で「殺し請負いマス」等と書き込んだのでなければ……。だが良く考えたらメールを送った相手から返信は無かった。


 腕時計を見る。後十秒で約束の日時。


 三……二……一……。


「こんにちワ♪」


 路地の入口から誰かの声がした。


 火折も七人の敵も一斉に声の主の方を見た。


 声の主は白いスーツを着ている、白髪で若い男。いや、皺が結構あるから若くないのかもしれない。右眼にウロボロスの入れ墨がある。


 掲示板に書いてあった人物と同じ特徴。つまり彼が請負人。掲示板に投稿されていた名で呼ぶなら――ジョン。


「なんだコイツ?」


 クラスメイトが声を上げる、と同時にジョンはゆっくりクラスメイト達に近づく。両手にハサミを持っている。






 事を終えるのに三分もかからなかった気がする。ジョンは華麗な動きでクラスメイト達の拳を躱し、綺麗な髪型に整えるように彼らの皮膚をハサミで切り刻んでいった。


 クラスメイト達の一人一人が血を流して倒れていった。


 常人ならば、こんな血濡れた、人が人を殺す光景に恐怖を覚える所だろう。


 だけど火折は憧れてしまった。彼の動作に。


 子供の頃から好きなバスケで、テレビの中のNBA選手が客を魅せるナイスプレイングを披露するのを見た時や、アイススケートの選手がトリプルアクセルを決めるのを見た時と同じ感動……いやそれ以上の感動を覚えてしまった。


 魅せる人の殺し方……とでも言うべきなのだろうか。


 彼のハサミに付着する血すら、恐怖ではなく美を連想させる。


「フウ、仕事終わリ♪」


 そう言って、腰が抜けて上手く起き上がれない火折の方にジョンは振り向いた。


「キミがカオルクンだよネ? アレは本名かナ?」


 問われた事に火折は黙って首を縦に振った。


「見た所本当に中学生なんだネ、キミ。色んな意味で度胸あるなア」


 ゆっくりジョンが火折に近づいてくる。火折は死を覚悟した。だが――、


(こんなスゲェ奴に殺されんなら良いか……)


 何故そんな感情が産まれたのか。おそらく十四年間生きてきた中で一番感動した瞬間がさっきジョンが魅せた動きだったからだろう。自分のクソッタレな人生を、この男になら奪われても良いと、本気で思えた。社会的権力のある奴らに魂を搾取されて、空っぽの命を持って生きるより、身体的、生物的――動物の原初的な力を持つこの男に魂のあるまま命を奪われる方がまだ幸福だ。


「キミ、目が死んだまま笑っているネ」


 ジョンは火折と唇が振れそうな程の至近距離で火折の瞳の中を覗き込んだ。


「誰だって死ぬのは怖イ。キミは死ぬのを怖がりつつもボクに憧れていル……」


 まるで自分に言い聞かせているようにブツブツと何か言っている。


「それにキミ、思ったよリ……」


 ジョンの口角が口が裂けんばかりに上がった。


「さて、まずは事後処理ダ」


 火折から目をそらし、再度倒れている七人の方に向いた。


 そして両手をポケットに突っ込み、何かを取り出した。右手に銀色の袋が七枚。左手に小さなスプレー缶。


「プレアから貰った魔法界の秘密道具! 透明袋、アンド消滅スプレー!」


 そう叫ぶと死んだ同級生の一人に近づき、彼の遺体を袋に詰め始めた。詰め終わるとその遺体は消えて無くなった。


 更にもう一人の同級生の遺体にも同じ事をする。更にもう一人――。


 七人全員の遺体を詰め込んだ時には路地裏に人間の遺体は存在しなくなっていた。血痕だけがアスファルトにくっきり残っている。


 次にジョンはスプレー缶を血痕に吹きかけ始めた。するとアスファルトに沁み込んでいた血痕はすぐに消失した。赤色は微塵も残っていなかった。


「よし、証拠隠滅♪」


 額を拭うジョン。言葉通り、路地裏は火折がやって来た時と同じ状態になっていた。


「さてと、カオルクン、依頼主のキミに頼むも悪いんだけどそこにある死体をボクの車に詰めてくれるかナ? 流石に一人で七人はだるいヤ」


 ジョンはどこかを指さすがそこには何も存在しない。


 だがジョンは何も無いはずの空間で何かを掴み、何かを火折の方に投げ込んだ。


 見えない何かが火折の体にぶつかった。その何かが地面に落ちると血の無い右手が出現した。


「ウワァ!!」


 思わず後退する。


 良く見ると先程の銀色の袋が目の前に存在した。袋の隙間から遺体の右腕だけが抜け出たようだ。


「ところで早速で悪いんだけどメールで提示してくれた百万円はいつ貰えるかナ?」


 ジョンは不気味な笑顔を火折に向けた。まるでそんな額のお金、初めから火折が持っていない事等、お見通しだと言わんばかりに。


「ご、ごめんなさい。今は持っていないです……」


 震え声で返答する。


「知ってタ♪ とりあえずボクに着いてきて貰おうカ」


 言うとジョンは見えない袋を両脇で抱えて、出口に向かっていった。


 火折はその後についていく事にした。殺されるかもしれないという恐怖心もあったが、それ以上にこの男に関心を持ってしまった。


 この男なら、俺の世界をぶち壊してくれるかもしれない、くだらない世界を変えてくれるかもしれない――と。








 ジョンに言われるがまま、彼の家……美容院まで着いてきてしまった。


 しかも何故か火折の髪を切って貰う事になっている。


「キミ髪長いねー、伸ばしてるノ?」


 火折は目を瞑っている。頭の後ろでチャキチャキと散髪する音が聞こえる。


「いや……金あんまり使いたくないんだ。家の連中に五月蠅く言われたくねえから」


「お父サンとお母サン?」


「両方死んだよ」


 何故この男に自分のプライベートな事を易々と話してしまっているのだろう? いや、見ず知らずの男だからか。家の連中に自分の心の内等明かせない。


「ホラ、完成♪」


 声と共に目を開き、鏡を見ると、火折の髪は雑誌のモデルのように整えられていた。


(スゲェ)


 鏡の中の火折は前髪が長すぎて目元が隠れていた時とまるで印象が変わっていた。


 何というか、強そうだ。


「キミさ、何かどうしても叶えたい願い事とかあル?」


 鏡の中の自分の後ろに立つジョンの顔を見る。相変わらず不気味な笑顔を維持している。


「何だよその質問」


「何でも良いんダ。両親を生き返らせたいとかでモ」


 人を生き返らす? 随分ぶっ飛んだ願い事だ。


 だが、火折にそんな願望は無かった。


「無えよ、何も」


 母親は火折が産まれると同時に死んだ。だから生き返らせても、良く知らない人止まりだ。


 親父は首吊り。生き返らせてもどうせまた政界に戻る為、仕事ばかりするだろう。


 だから本当に、何も無い。今すぐ思い浮かばない。


「本当に無いんダ……。キミ人生詰まんなそうだネ」


 鏡越しのジョンは哀れんだ表情をしている。


 だがすぐ何かを思いついたように提案する。


「そうダ。じゃあ百万円ってのはどウ? ボクに払う為ノ。これがキミの願い事ダ!」


「さっきから願い事って何の話だよ?」


 椅子から立ち上がり、ジョンの方に振り向く。


 するとある生き物の存在に気づいた。ジョンの左後ろ、部屋の隅っこに体半分が白、もう半分が黒の猫がいる。首には紅の宝石の入ったペンダントを掛けている。


「キミ、プレアが視えてるネ?」


 ジョンが白黒猫の方に向いて言う。


「プレア、これで彼の潜在魔力は証明されたネ。そうでなければキミを視る事ができるはずが無イ」


「君が彼に目を付けたのは、初めから彼に魔童子の素質があるのを見抜いていたからかい?」


 猫が喋った。


「まさカ。そこまでじゃないヨ。純粋にダークウェブにアクセスする中学生に興味があっただケ。たまたま彼が素質のある人間だったんだヨ。ボクさ、やっぱ運持ってるよネ~」


「僕も君は運に愛されていると思うよ。だけど、前から忠告してるけど我儘は程々にしてよ。ランキング一位だから特別に魔法界のアイテムを貸してるけど……。ちなみに君が刑務所に入ってもサバトへの招集は問題なくかけられるよ」


「刑務所に入れられたら、ボク、やる気失くしてサバトで手抜いちゃうかモ。キミの目的は魔童子達のレベルアップじゃなかったっケ?」


「……そうだね。だから君の犯罪の証拠隠滅にある程度は手を貸すけど……。いちいち僕ら運営が目撃者の記憶を消さなくちゃいけない苦労も察して欲しいな」


 無表情の白黒猫に対してジョンは一挙一動楽しそうだ。


「まあ、でも君の直観は凄いと素直に思うよ。この少年の潜在魔力ならランキング一桁台に入るのもあっという間だろうね」


 白黒猫の顔つきは変化がないが声は賛美している。


 そして二本足で立ち上がり、ペンダントを首から前脚……というより両手? で外し、ボールを投げる前の野球選手のスローイングのようなポーズを取った。


「では決まり文句を。おめでとう、火流間火折君。君は見事魔法少年に選ばれました!」


 祝福の言葉と共に白黒猫はペンダントを勢い良く火折に向かって投げつけてきた。


 ペンダントは火折と接触。その瞬間、視覚がグルグルと目が回ったような感覚を覚えた。体は浮遊感と移動感を覚えた。


「魔法戦争ゲーム、サバト新人研修チュートリアル、いってらっしゃ~イ♪」


 視界と体が妙な感覚を覚える中、ジョンの声だけが最後に聞こえた。




 これが火流間火折が魔法少年になった、中三になる春休みの話。紫水朝日が魔法少年になる一カ月前の話――。






 ☆


 十月になり、新学期が始まってから一か月が過ぎた。


 朝日は学校の下駄箱から教室に向かう途中。


「紫水さん、小っちゃくて可愛いな~」


「でもあの人、新学期からずっと一人で居ねえ? ぼっちなんじゃ」


「そこがまた良いんだろ? クール系ロリ少女ってさ~」


 廊下で、すれ違う同級生達のこそこそ話の内容が聞こえる。


 女子になってすぐ気づいたが、何故かクラスの男子にそれなりに人気のある女子という設定になっていた。


 複雑な心境だった。朝日が男子だった時も確かに知らない女子達に可愛いと言われた事は多々あった。女子になったら今度は見知らぬ男子達から言われるのか。


(……まあ、男子だった頃に言われた時よりはマシだけどさ)


 教室の机の上、顎を右の手の平に乗せ、窓から校庭を覗き込んで物思いに耽る。まだ一限が始まるには時間があるから校庭では数人の生徒がキャッチボールをしている。


(風呂に入って、自分の体の目のやり場に困る人間なんて僕くらいだろうな)


 一か月経ってもまだ女子としての生活に慣れていなかった。父親まで朝日を十五年間女子として育ててきたと認識していた。


 一回だけ知らない男子から屋上に呼び出されて、告白された事もあった。その時は恥ずかしくて無言で逃げた。


 慣れた事なんて目隠しで風呂に入って自分の体を洗えるようになった事くらいだ。






 放課後のチャイムが鳴る。朝日はゆっくりと席を立ち、教室から廊下に出た。


「よう、朝日」


 深也が外で待機していた。何故か、いつも深也のクラスの方が早く終わる。


「おい深也、また彼女と帰りか?」


「お熱いねー」


「バッカ! 彼女じゃねえよ!」


 廊下ですれ違う友人達の冷やかしに深也は恥ずかしそうに返す。


 男同士だった頃は周囲に何も思われなかった事が女子になってからは深也と付き合っていると勘違いされるようになったのだ。


 友人達を後にし、深也と朝日は下駄箱に向かう。


「で、今日も祈桜西の喫茶店か?」


 深也が尋ねてきた。


「ああ、月夜がそこで待ち合わせだってさ」


 朝日達四人はあのリッパー事件……月夜の重体事件が解決してから週に二回ペースで集まっていた。ルール上、魔法少年である深也と三人は敵だが、リッパーを倒すまでは共同戦線を張る事にしていたのだ。


 月夜と深也は四人のグループに『魔法少女魔法少年同盟』と名付けた。


 楽しそうに盛り上がる二人だったが、朝日も四人での集会は嫌いじゃなかった。






 喫茶店内。四人はクッション席で固まって話している。


「でな、朝日の奴学校でメッチャ男子にモテてんだよ」


「朝日女の子になって可愛くなったもんね!」


 このグループでは大抵一番会話が盛り上がっているのが月夜と深也だ。


「可愛いってさ……女の子には誉め言葉だけど男には侮辱だよな……」


 元男としてとても複雑な心境だ。


 それに、朝日が女の子になってから月夜の朝日に対する姉っぽい態度にも拍車がかかった気がする。


「ゴホン……そろそろ今日の議題に移っていい?」


 咳払いする夕美。この集会で真剣な議題を切り出すのはいつも夕美だ。多分この四人の中で一番人間として真面目な性格なのが彼女だ。


「今までの七回の会議と同じく、議題は『リッパー対策』よ。アイツの弱点をおさらいするわよ。月夜!」


「は、はい! リッパーの弱点は『常に単独でいて仲間を持たない事』と『遠距離魔法を持たない事』、だよね?」


「ええそうよ。まあ、それが弱点に入らない程魔力で肉体が強化されているから今まで一位をキープしてこれたんだけどね」


 その通りだ。朝日は一度リッパーをゲーム中に見ているから良く理解している。


 あれだけの魔力を肉体に纏わせていたら回避にも防御にも困らないだろう。


「でも、もしかしたら朝日君の魔法ならば奴に効くかもしれない。朝日君の魔法が敵の攻撃を反射する魔法である以上、敵が強ければ強い程発揮できる筈だからね。二位の王花ビュオレさんの言葉の受け売りだけど」


「で、でも僕の魔法には弱点がある!」


 夕美の過大評価を慌てて訂正する。


「前に話してくれたわね、『武装型魔法は跳ね返せない』って」


「そうだよ。奴と戦った時に僕は奴が『杖解』したのを見た。奴の魔法は武装型だ」


「じゃ、じゃあさ、紅坂燃と戦った時みたいな敵の魔法を使った合体技はどうだ?」


 深也が焦り顔で提案する。


 それを聞いた夕美が残念そうに首を横に振る。


「恐らくアイツに力技で挑もうという時点で無理だと思うわ。朝日君の他人の杖と自分の槍の合体技は、杖の反射を利用して他人の魔法を高威力で放つって魔法なんでしょ?」


「ああ、うん」


 朝日もそれは無理だと感じている。アイツの皮膚に纏わりつく魔力のオーラを貫通できる攻撃力を持つ魔法は、少なくとも知り合いの魔童子の魔法には存在しない。多分だが、元五位の雷門千鳥の杖がまだ現存していたとして、紅坂戦の合体技を放つ事ができたとしても、リッパーにダメージを与えるのは難しいだろう。


「じゃあ人海戦術しかなくね? 魔法少女の仲間もっと集めてさ」


「それも難しいわね。ルールブックには『サバトで招集される魔童子は変身石のシステムによって選ばれる』って書いてあったから、仲の良い魔法少女と同じゲームフィールドに立てるとは限らない。それに……」


 夕美は続ける。


「知らない人とチーム組むのは難しいわ。朝日君や深也君はこうやって私達に自分の魔法の強みと弱みを教えてくれるけど、そこまでの仲に他の魔法少女となれるかどうか……」


「僕もそう思う」


 朝日が夕美に同意する。


「このゲームの『貢献度に応じた願いを叶える』というルールは同性同士でも仲間を作りにくくさせていると思う。深也みたいな凄い叶えたい願い事がある訳じゃない魔童子なら良いけど、願い事への執着の強い魔童子程仲間選びに慎重になると思うよ」


 自分で言ってて、完全に自分の事だと思った。


「だったらどうすんだよ……」


 四人が俯いて黙り込む。


 朝日はこの光景を、今回の集会を入れて八回見てきた。いつも結論は出なく、こうやって皆無言で考え込む空気になるのだ。


 結局、リッパーを倒す具体的な方法なんか無いのかもしれない。






 ☆


 二十一時。四人はカフェから出て、終電に間に合うよう、それぞれ帰り道を行く。


 月夜と朝日だけはご近所なので同じ帰り道を行く。


 朝日は左隣を歩く月夜を見る。


 少し顔が綻んでいる気がする。朝日達の状況は深刻なはずなのに。


「月夜、どうして笑ってるの?」


「それはね……こうして皆と一緒にいられる時間が嬉しいんだ」


 月夜が立ち止まる。それに合わせて朝日も立ち止まった。


「朝日、本当にありがとう、私を救ってくれて」


「それは何度も聞いたよ。うん、どういたしまして」


 もうこの一か月で何度月夜に感謝の言葉を口にされた事だろう。毎回、照れ臭くなる。


「あれから左目は大丈夫か?」


「うん、ちゃんと見えるよ」


 月夜が右手で眼帯を取る。左目がぱっちりと開かれている。


 四年ぶりに見る両目の開かれた月夜は、眉目秀麗という言葉が相応しい容姿だ。


 欠けていた美の彫刻の一部が完璧に修繕されたような。あるいは元の状態に回帰したような。


「まだお父さんとかに事情説明できないから眼帯は付けて見えてるの隠してるけどね」


 月夜は照れ臭そうな顔をする。そして――、


「これで……私達二人のお願い事は一緒になったね。私のお願い事で絶対に朝日のお母さんを生き返らせるから」


 月夜の顔が赤らむ。


「ああ、うん……」


 そう、月夜は病院を退院してすぐに朝日に自分の願いで朝日の母を生き返らせる事を宣言したのだ。


 初めは月夜がそう約束してくれた事を純粋に喜べた。


 だが、後々になって事態の深刻さを再認識した朝日は喜ぶ事ができなくなった。何故なら――、


「……僕らはもう絶対に負けられなくなった」


「『願いの前借り』の話だよね?」


「そうだ。僕がゲームに負ければ月夜の傷口が開いて死んでしまう。敗北の代償は記憶だけじゃなくなったんだ」


「それは朝日も同じでしょ? ゲームに負けたら朝日は死んじゃう」


 月夜は一瞬深刻な表情を見せた。だがすぐに元の赤らんだ微笑を見せた。


「……これで私達、運命共同体だね! 朝日の事、絶対に誰にも傷つけさせないから」


「運命共同体?」


「うん! 運命共同体!」


 朝日は運命共同体という言葉に、月夜が朝日を信頼してくれている事が十二分に伝わった。


 月夜にはいつも戦う勇気を貰いっぱなしだ。そして今、リッパーという絶望への不安を、月夜という希望が和らげてくれた。


 少しだけ、心が楽になった。根拠の無い自信が産まれた。その自信を、月夜への誓いの言葉を口にする勇気に変える。


「僕も、絶対に誰にも月夜を傷つけさせない、今度こそ」




 二人は街路を再び歩み始める。


 朝日は心の中で夕美の口にしたルールブックの内容を思い出した。


(『サバトで招集される魔童子は変身石のシステムによって選ばれる』、か)


 変身石のシステム……この文言は何か真実を運営に隠されている気がする。


 今まで深也と朝日が何度も同じ回のサバトに参加できたのは変身石のシステムだというのか?


 朝日はサバトに選ばれる魔童子は意図的、作為的なのではと疑っていた。


(魔法王……女王……あるいはプレアが選んでいる?)


 朝日は誰かの手の平の上で踊らせている事を危惧していた。このサバトというゲームは、ちゃんとした形で終われるのだろうか?


 そして何より、朝日の参加しないゲームで月夜とリッパーがぶつかる事。これだけは避けたい。






 自宅の自室。ベッドの上に寝転がる朝日。天井を見上げながら、魔法少女になってから参加した二回のサバトの事を思い出していた。


 朝日の反射魔法と紫ローブの服装は魔法少年の時と変わらなかった。服装がスカートになったので女子用にはなったが。


 つまり、今までの戦い方から大きく変わる事はない。


 ただし、いつか深也と戦う事になってしまったが――。




「こんばんは」




 突如ベッドの下あたりから声がした。驚きで心臓が高鳴った朝日はベッドから飛び上がった。そしてベッドの下の隙間を見る。


 白黒猫がそこにいた。その登場の仕方を数か月前に見た記憶がある。


「プレア……お前……今の僕一応女子だぞ?」


「へ? 僕は魔法少年にも少女にも大体こうだよ?」


 相変わらず表情が無いので、呆けた声色だけが朝日の耳に響く。


「何しに来たんだ?」


「ちょっと心配でね。君の二つの願いの片方である『桃井月夜の傷を治す』はもう叶ってしまった。その事で君の緊迫感が少しでも削がれてしまったんじゃないかと。だから、君に緊迫感を与えに来たんだ」


「何言ってるのか分からない」


「つまりね……」


 プレアは基本口が開かない。どこから声を発しているのか分からない。


 朝日はプレアの『続きの言葉』の一言一言をその動かない口を凝視しながら聞いた。


『続きの言葉』は朝日の心を凍り付かせた。それを聞いた時、眼球を大きく開かざるを得なかった。手も足も、全身が勝手に震えていた。脳に『続きの言葉』が何度も木霊した。


「……それは……本当……か?」


 心臓の強い鼓動のせいで言葉を紡ぎだすのも絶え絶えだ。


「本当だよ」


 朝日の動揺とは反対に、プレアの口調は淡々としている。




 その時、変身石が紫色の光を放ち始めた。ゲームの合図だ。


「時間だね」


「プレア、お前このタイミングが分かってて……」


 プレアを問い詰める間もなく、朝日の意識は光に飲み込まれるように消えた。




 再び、サバトへーー。






 ☆


 朝日の視界には夜の雪原が広がっていた。だがリッパーと初めて対峙した時のフィールドとは違い、雪が降っていない。満月が適度に夜を照らしてくれているので、暗闇の中でも視界がある程度確保できている。


 静かな氷原。


 だが、今回のゲームにリッパーが参加している事は瞬時に分かった。アイツの強大な魔力は包み隠しようがない。


 だが正確な位置まではまだ掴めない。まずは魔力探知から始めよう。


「杖解じょうかい――”謀反物リフレクター”」


 呪文と共に杖がルーン文字の光の輪の付いた槍に姿を変えた。


 槍を地面に刺し、強く握り、目を瞑る。


 魔力を帯びた物体の位置を二個、三個と捕捉していく。


 二十個近くを越えたあたりで、奴を捕捉した。


 二度目だからか、前回のようにリッパーの魔力に押されて過呼吸になるとまではいかなかった。だが相変わらず体を刺すような圧迫感を感じさせる。


 フィールド全体から見て、奴は朝日とは反対の位置にいる。


 しかも、いきなり事態が最悪な状況から始まっている事にも気づいた。


 リッパ―のすぐ近くに月夜がいる。


「ふっざけんなよ! ゲームスタート地点から何で月夜とリッパーが……」


 思わず拳を雪原に叩きこんでしまう。


(やっぱり……スタート地点すら運営にコントロールされている?)


 疑惑が次々浮かび上がる。だがこうなってしまっては考え込んでいる暇もない。


 朝日は全速力で脚を動かし始めた、月夜の元へと。


 もう二度と、傷つけさせないと誓ったんだ。






 十分程経過した。


 雪原を駆け続ける朝日。前回のリッパー戦と同じく、敵と遭遇しない最善のルートを索敵しながら。


 だが前方一キロ以内に三人分の魔力を感じる。彼らは、まるでリッパーに向かうルートに立ち塞がるように移動してきた。意図は分からないが、敵だ。しかもリッパーに味方をしている敵。


 更に左方向に迫る魔力を一つ感じていた。これは魔法少女の魔力。


 駆ける朝日は一度立ち止まり、自分に迫る少女を待った。


 左を向くと弓道着姿にオレンジの髪色の少女が走ってきていた。


 上は白筒袖に黒い胸当て、下は紺色の袴。顔立ちは良く知っている人物に似ている。いや、本人だろう。


「橙方さん!」


「夕美で良いっていつも言ってるでしょ朝日君」


 夕美は急停止して言った。息は乱れていない。


「それより状況は分かってるわね?」


「うん。月夜が危ない!」


 顔を見合わせる二人。だがすぐに三つの魔力が急接近している事に気づき、前方に向き直った。


「誰か来ているわ」


「うん。魔法少年が三人……それも動き方が妙だった。リッパーと関係ある敵だ」


 三人の敵は既に二百メートルに迫っていた。既に視界に捉える事ができた。




 だが目に映ったのは三つの浮遊する岩だった。それらがこちらに迫ってきている。


 およそ横百メートルを切った所で五十メートル弱の高さの空中に浮かぶ岩は落下してきた。


 朝日達から少し手前の雪原で、岩がドシンという衝突音を立てた。


 雪煙が朝日と夕美の視界を覆う。


 煙が晴れると敵の姿をはっきり捉える事ができた。三人、横並びしている。


 右の男は両腕部と両脚部が毛皮で覆われた、半獣人のよう。下半身は急所を中心に短パンのようなプレートアーマーを着込み、上半身は細くて筋肉質な裸の上から棘のついたショルダーアーマーのみを着込んでいる。赤い三角帽子からは獣の耳が突き抜けている。


 一言で言い表すと狼少年といった印象。顔は中学生くらいの印象で、比較的美形。髪は燃えているように赤い。


 真ん中の男は古代ギリシャ人のような、白いウールの一枚布を纏っている。背中から天使の羽が生えているので服装だけ見ると天使のようだが、太っているせいで服からデベソがはみ出ている。顔はニキビで覆われていて、ふくよかな肉付きで、眼鏡をかけている。髪は黒で、整えられていない天然パーマ。全体の印象で見ると三十代にも見える。


 被る白い三角帽子の鍔先に天使の輪っかのような物が浮いているので、やはり天使をモチーフにした魔法少年なのだろう。


 左の男は……朝日の知っている男だった。銀色のホストスーツに身を包んだ銀髪、銀色帽子の男。名前は確か深也から聞いた話だと……木取屋友好きどりやゆうこう。


「おお、少年、本当に君だったのか。随分初めの頃と比べて名前が売れたみたいだね。いや、今は少女か」


 ホスト風の男、木取屋が余裕のある声色で一声をかけた。


「オオ……どっちも可愛いでゴザル……嫁にしたい」


 真ん中の男が興奮気味に言った。口調がオタクっぽい。


「おい太宅フトタク、テメェ敵に欲情してんじゃねぇよ」


 右の狼少年が真ん中の太っちょ天使の男に睨みを聞かせる。


「カオル殿ゴメエン。でも拙者、大学では写真部で、こういう撮り映えのする子達見るとどうしても熱が疼いて……」


「そういうのは人間界で趣味でやってろ!」


 狼少年が天使男に蹴りを入れる。


「お前達は一体……?」


「僕らはね、紫水君。ジョンドゥ・ザ・リッパ―親衛隊とでも思っといてくれて良いよ」


 木取屋が爽やかな笑みを浮かべる。初戦で出会った時のように、常にどこか余裕を感じる男だ。


「アイツに味方がいたとはな」


 朝日が呟く。リッパーは単独行動しか取らないと思っていたし、そこが弱点だとも思っていた。彼らの存在はリッパーの弱点が一つ失くなった事を意味する。


 ここで、一つの疑問が浮かんだ。


 元ランキング五位の朝日が魔法少女になった情報は表立って公開されていない情報だった。故に魔法少女になってから二回経験したサバトでも敵に朝日が元五位の魔法少年『リフレクター』である事は気づかれなかった。


 この三人に……いや、リッパ―にどうやって朝日が魔法少女になった事を知られたのだろう?


 朝日の中の結論はすぐに出た。


「プレアの奴……」


 リークできるとしたらアイツしかいない。


「その親衛隊が僕らに何の用だ?」


「ジョン先輩からさ、お前だけを通せって言われてんだよ。隣の弓道着女はここに残れって事」


 狼少年が前に出て夕美を指さす。人差し指の爪は長く、狼のよう。


 朝日は右隣りの夕美を見る。


「君だけであの三人と戦わせる訳にはいかない」


「大丈夫よ、朝日君。私、こういう事もあろうかと、あらかじめ『ある人』に連絡とっておいたから」


 夕美が誇るように微笑した。


 次の瞬間、朝日はある気配に感づき、眼前の敵に素早く向き直った。


 正確には敵の三十メートル頭上に注目した。


 突如、何も無い空間から一メートル程の針が何十本と出現した。


 針は三人の敵に向かって落下した。


 三人もそれに素早く勘付いたようで、視線を自分達の真上に向ける。


 落下する針は彼らの五メートル手前で何かに遮られた。


 今度は何も無い空間からスライム状の粘液が出現した。真ん中の天使風の男が右手に握る杖の先を落下する針の方に向けている。彼の魔法の能力だろう。


 粘液がクッションとなり、落下する針の勢いを押し返した。


 何十本の針が四方に散らばる。そして周囲の雪原に刺さる。


 役目を終えた粘液はフッと突如消えた。


「ホウ、アレを防ぐか。もう少し彼らの頭に近い所で落とすべきだったか? いや、それだと落下の勢いが弱まって破壊力が出なかっただろう。まあ、挨拶程度としては正解だったか?」


 朝日の後方で誰かの声が聞こえた。声の主の方に振り向く。


 雪原の中を堂々と一人の女性が近づいてくる。銀の縁取られた豪奢な車椅子に乗って。


 白いゴシックドレスを纏う、金髪ロングパーマ。白い三角帽子の上に白薔薇があしらわれていて、ビスクドールのような出で立ちの女性。


 車椅子は彼女が手で動かしている訳ではなく、勝手に動いている。


「初めまして、紫水朝日君。……いや、『さん』か。私は王花ビュオレという者だ」


 女性は朝日達に近づくと帽子を脱いでお辞儀した。その動作には気品という言葉が集約されていた。


「私、前々からビュオレさんと連絡を取り合っていたの。こんな時の為に」


 彼女の登場は夕美の計画だったようだ。


「おいおい……王花ビュオレさんの登場は聞いてないよ」


 敵に向き直ると、木取屋が仮面のような笑みをキープしたまま動揺した様子を見せた。


「そんなにスゲェのか、あの女?」


「ゴザルか?」


「君達二人は魔法少年になって歴が浅いから知らないだろうけど、彼女もゲーム初期からの魔童子だ。開始当初から既にランキング十位以内をキープしていたベテランさ。僕が口説けなかった、数少ない魔法少女の一人でもある」


「最後の情報はいらねぇよ。あの女の魔法を教えろよ」


 木取屋の動揺を見る限り、この王花ビュオレという女性は、ランキング二位相応の実力者なようだ。


「紫水さん、私はまあまあ強い方な魔法少女な自信があるのだけど、私を信用してジョンドゥ・ザ・リッパ―の方に向かってはくれないか?」


 ビュオレは不敵な笑みを浮かべている。表情から自信が満ちている。


「でもビュオレさん、僕は魔法少年の時でもランキング五位です。二位の貴方がリッパーと戦った方が勝率があるんじゃないですか?」


 朝日はリッパ―が怖い訳ではない。素直に、数字上はそのはずだと思ったのだ。


「オヤ? 君は自分の大切な人を他人に任せるような男……いや、女なのかい?」


 ビュオレは笑みを崩さない。


「だ、だけど……」


「自信がないか? 言っておくが、あのランキング等という制度は運営に有益な魔童子かどうかを判断する指標でしかない。単純な戦闘力の多寡を測る指標では無いぞ? リッパーは例外だがね」


 リッパーは例外。その一言のせいで朝日の不安は拭えない。


 逡巡する朝日を見たビュオレは笑みを崩さず続ける。


「ふむ。不安ならば、君に良い情報を与えよう」


 車椅子が勝手に動き、朝日とビュオレの体の距離を縮める。そして、ビュオレが朝日に小声で耳打ちする。


「君は前回の試合でリッパーに傷を負わせたと思うのだけど、その傷は奴の頬に今だ残っている。この意味が分かるかい?」


(傷が……残っている?)


 彼女の言葉の意味を深く考える朝日。思考の中、一つの解答に辿り着く。


(リッパ―の魔法は……武装型ではなく放出型?)


 あの時跳ね返したのはリッパーの体を覆う魔力のみで、魔法ぺイン・アンクを跳ね返した訳ではないと思っていた。奴の基礎魔力が高かったから反射魔法が発動したのだと思っていた。杖解とリッパーが宣言していた以上、杖がハサミに変わっていた以上、奴は武装型なのだと思っていた。思い込んでいた。だがもしかしたら――?


 ビュオレは朝日から離れ、適度な距離に戻る。


「この三年におけるサバトで君だけだよ、リッパーの奴に傷を負わせる事ができた魔童子は。どうだい、自信になったかい?」


 ビュオレの励ましによって、朝日の中に小さな勝算と希望が産まれた。


「ビュオレさん、ありがとうございます。橙方さん……じゃなくて夕美さんをお願いします」


 ビュオレにお辞儀し、脚を再度目的地に走らせた。


 途中、三人の敵の隣を通ったが、敵は朝日を素通りさせた。




 雪原を再度駆ける中、朝日の心に一抹の不安が湧き出た。


 何故、ランキング二位のビュオレがこの絶好のタイミングで登場したのか?


 何故、ランキング二位ともあろう、顔の売れた魔法少女が一人も仲間を連れていないのか?


 何故、この三人の敵の魔法少年がこのタイミングで立ちはだかったのか?


 朝日は『ゲームに参加する魔童子と各魔童子のスタート地点は両方とも誰かに決められている』という仮説に、段々確信を持ててきた。


 ここまでの展開全て、誰かの筋書き通りなのではないか? 敵と味方の登場まで含め、全てが。








「で、あの女の魔法は何だ?」


 火折が敵二人を睨めつけながら木取屋に聞いた。


「彼女の『瞬間ヲ刻ミ込メメメント・モメント』は端的に言って瞬間移動魔法だ。自分の体を移動させたり、触れた物体を移動させたりできる。さっきの針なら、触れて僕らの頭上に移動させたのだろう。ジョンに傷をつけられて車椅子生活になったにも関わらず、ランキングが下がっていないのは偏ひとえにあの魔法のお陰だ。脚なんて瞬間移動の使い手の彼女には飾りだったという訳だ」


「へえ。俺の『拳拳鍔鍔ナックル・ダスト』とどっちが強いかな?」


 火折はペロリと舌で唇を舐める。


 火折にとって、ランキング二位の魔法少女等という大物は、ジョンに近い男になるという目的に到達する為の、丁度良い糧になる。






 ☆


 いきなりリッパーと同じ所から始まるなんて、月夜は想像もしなかった。


「感じるかイ? キミの彼、こっちに向かっているヨ」


 リッパーは両手の親指と人差し指で輪を作り、それを両目に当てて望遠鏡のように見立て、遠くを見つめている。


 月夜は杖を両手で握り、いつでも戦闘に入れるよう、リッパーに対して身構えている。


 だがリッパーに戦闘をする様子はない。きっと彼の中で月夜との格付けは前回の戦闘で済んでしまっているのだろう。眼中にないのだ。


「見てヨ、この傷」


 リッパーは左頬を向けてきた。一筋の切り傷ができている。


「キミの彼に付けられた傷……あれから治っていないんダ。もしかしてだけど、彼がボクの斬撃を跳ね返したから、ボク自身の『治らない』魔法のせいで治っていないんじゃないかナ?」


 リッパーは自分の左頬を撫でている。その表情に怒りは無い。むしろ――、


「サイッコウだヨ、彼!」


 今まで以上にリッパーの口角は上がった。


「この三年間でボクを傷つける事ができる奴なんていなかっタ。彼こそ、ボクのライバルに相応しイ!」


 リッパーは両掌で自身の両頬を抑え、体をくねらせ、全身で喜びを示す。


「貴方は……どうしてそうなの?」


「へ?」


 その異常性に、思わず口からこぼれてしまったのがその言葉だった。


「人を殺して何とも思わないの?」


 彼に問う事自体怖かった。でも、彼の心理を少しでも掴めれば、突破口になるかもしれない。


「……ボクさ、『痛み』って何か知らないんダ」


 リッパ―の表情は笑みから寂し気な物に変わった。この男でもそんな表情ができるのか、と月夜は内心驚いた。


「無痛症って言ってね、名前の通り痛みを感じない病気なんだ、生まれつキ。ボクは痛みを知りたイ。痛みは、きっと生きているって感じさせてくれるかラ。ボクはずっと、死んだまま生きていル。ボクは生きて死にたいんダ。殺し合いに身を投じていれば、生死の迫る緊張感がボクに生を微かに実感させてくれル」


 するとリッパーは左袖をめくり素肌を晒し、自分の右手の爪で引っ掻いた。


 皮がめくれ、血が溢れ出た。


 その仕草に月夜は引いて、数歩後退する。


「分からないよネ、キミ達には」


 丁度満月の位置がリッパーの背後に重なったせいで、ーの顔は影となり、月夜には彼が今どんな表情をしているのか分からなかった。


「オヤ、彼の姿が見えてきたね。アレ見なヨ」


 リッパーがどこかを指さした。


 その指の先に月夜は視線を向ける。


 二百~五百メートルくらい先から、こちらに向かって走ってきている朝日の姿があった。




 ☆


 朝日は脚を止めた。


 リッパーの少し隣で月夜が杖を敵に構えている。


 二人の視線はこちらに向いている。


「いらっしゃイ♪」


「朝日!」


 ゆったりとして薄気味悪い笑みのリッパー、敵への警戒を露わにしている月夜。


 リッパ―を再度目の当たりにして、朝日はプレアの言葉を思い出し、拳を強く握る。


「ジョンドゥ・ザ・リッパー…お前は……」


 今、奴に真っ先に問い質すべき事は。


「四年前……紫水朝顔しみずあさがおという女性を殺したか?」


 プレアの言葉が脳内に木霊する。


(君の母親を殺したのはジョンドゥ・ザ・リッパーだ)


 槍先を敵に向け、解答を待つ。


 リッパーは特に表情を変えず、いつもの軽い調子で口を開いた。


「誰、ソレ? 知らなイ」


 首を傾げている。


 嘘をついているのか、記憶に無いのか……それとも本当に殺していないのか。


「朝日! それは違うよ!」


 月夜が必死に訂正する。


「私は四年前、犯人の顔を見ているよ。リッパーの顔じゃなかった!」


「知らなイけど……」


 素早くリッパーが会話の間に入る。


「ボク、定期的に整形してるから、四年前と顔違うんだよネ。それにあんまり印象に残ってない人だと殺した事覚えてないのもしょっちゅウ♪」


 煽るように笑みを浮かべる。


 そのリッパーの笑みは朝日の心に憎悪の感情を産んだ。


「リッパぁーー!!」


 朝日が雄叫びをあげ、リッパーに猪突猛進する。


 だが、敵に直線的に向かう中でも、朝日は作戦を立てるくらいの心の余裕を残していた。


 本来、カウンターが基本戦術の朝日が直線的に攻撃を仕掛けるのは悪手な事くらい、自分が良く分かっているからだ。


 リッパーの攻撃速度も考慮し、攻撃を食らうのを前提の突進。故に自分の魔力を最大限、体に纏わせた。


 槍に敵の攻撃を触れさせる事ができれば勝ちだ。


 だが……リッパーが突如目の前から消えた。


(消えた!)


 そう思考してすぐにリッパーが自分の真後ろに移動した事に気づく。


 後ろを振り向くと背中姿のリッパーが。手には杖を握っている。


「まずは……小手調ベ♪」


 突如、朝日の左脚部が裂けた。鎌鼬に合った後のように傷口から血が噴き出す。


「グァッ!」


 思わず左脚を抑える。


(全然見えなかった……)


 まるで瞬間移動でもしているような移動速度。これがランキング一位と、思い知らされた。




 傷を受けた事で朝日はもう、この戦いに負ける事ができなくなった。


 何故ならもしこの戦いでリッパーとの決着がつかなかった場合、今後のサバトを朝日は常に左脚に痛みを抱えたまま挑まなければならないからだ。


 だがこの戦いでリッパーを倒してゲームを終える事ができれば、人間界に戻ったらダメージは消えているはずだ。魔法女王がそう言っていたから間違いないはず。


 逆に今回のサバトを逃したらもう、左脚は治らない。




「責めて杖解は使わせてよネ♪」


 リッパーは朝日の血を浴びた杖を、どこからか取り出したハンカチを使ってふき取っている。


「杖解……お前に本当に必要なのか?」


 朝日は痛みをこらえ、わざと煽るように笑って見せた。


「どういう意味?」


 朝日の笑みに怒りでも覚えたのか、リッパーは初めて笑みを消して真顔で質問してきた。


「お前……放出型だろ? 何の意味があってやっているのか分からないが、お前のハサミは杖が変化した武装型の武器じゃない。自分の魔力のオーラを変化させて象った武器だ。でなければ、お前の魔法を僕が反射できるはずがない。前回つけた頬の傷が残っているはずがない」


 リッパーの右頬の傷を指さして言う。


 少しはリッパーを動揺させてやりたかった。だが、リッパーはあっけらかんとした顔つきで口を開く。


「そうだヨ。ボクが今まで奪った魔童子の杖のうちの一本にね、『武器を作る魔法』を持つ杖があるんダ」


 言うと自分の白衣の内側を開いた。


 内側には何本もの杖がずらりと並べられていた。


「ボクの戦利品コレクション♪ ボクにとって武器が杖だろうがハサミだろうが変わらないんだけど、ハサミの方が人間界で使い慣れているからサ」


 リッパーの右手に握る杖が唐突にハサミに変わった。「杖解」と口にしていないのに。


 恐らく、普段リッパーが手にしている杖は自身の杖では無いのだ。『武器を作る魔法を持つ杖』とやらで、杖を作ったのだ。だから、普段手に握っている茶色い杖は本物の木製の杖ではなく、魔力で生成された偽物。


 だがその情報は朝日に勝算を産んだ。リッパーは武装型ではない可能性があるのだから。


「でさ、それが分かった所で、キミにボクを捉える事ができるのかナ?」


 リッパーの余裕は崩れていない。そうだ、どんな攻撃も当たらなければ意味がない。


 槍を奴の体に触れさせる事が出来なければ意味がない。


「じゃあ、行くヨ!」


 リッパーが再度攻撃を仕掛けてきたその時――、


「……重力倍化グラビティ・ダブル」


 朝日のローブを突き破って、光弾が放たれた。紅坂戦と同じ奇襲戦法。服の中で他人の杖を左手で握り、ローブで隠したまま魔法を放つ攻撃法。


 光弾は見事リッパーに命中。リッパーの腹部に命中すると溶けるように消えた。


 その後すぐにリッパーは鉛を体に付けられたようにその場に膝をついた。


「え? 今の魔法さ、喰らった事あるんだけど、何で君ガ?」


 目を丸くするリッパー。


「……魔法女王がお前を対策するのに杖を何本か渡してくれたんだ」






 ☆


「これを受け取りなさい」


 魔法女王の城の教会。月夜の傷が治り、朝日が魔法少女になった、すぐ後の話。


 女王は豪奢な机の前に七本程の杖を並べた。


「この杖は?」


「今まで脱落した魔法少女達の杖の何本かを選出しました。ジョンドゥ・ザ・リッパーを攻略するのに役に立つかもしれません」


 訝し気に杖を見る朝日に、女王はいつもの説明調で言った。


「何故ここまでしてくれるんですか? それにルール違反じゃないんですか?」


 朝日にサバト復帰のチャンスを与え、月夜の傷を治すチャンスを与え、更にここまでしてくれる親切さを、疑わざるを得なかった。


「『ルール違反か?』という問いに対しては、魔法王との間で『一人の魔童子に他人の魔童子の杖を渡してはいけない』という取り決めが無いと答えましょう。そもそも、大半の魔童子は他人の杖を使用できませんから。そして――」


 一呼吸置いて女王は続ける。


「『貴方にここまでする』理由は、サバトが魔法少女の勝利で終わった暁にお教えしましょう」




 ☆


 魔法女王に渡された七本の杖の能力は、既に前二回のサバトで確認済みだ。


 重力倍化グラビティ・ダブルは文字通り、魔法を喰らった敵の重力を二倍にする魔法。


 だから――、


「重力倍化グラビティ・ダブル! 重力倍化グラビティ・ダブル! 重力倍化グラビティ・ダブル!」


 朝日は右手に槍を握ったまま、左手に握る杖を敵に構え、重力倍化魔法を連射した。その全てがリッパ―に命中。初撃を加え、合計四発喰らわせた。つまり二×二×二×二……今、リッパ―の重力は十六倍になっている。


「おっもいナ……」


 リッパ―が初めて焦りを見せた。


 更に重力倍化を使おうとした所で、リッパーに向けた杖が粉々に砕けた。使用限度回数に達したのだ。


 だが、リッパーから速さを奪うには充分だ。


 今度こそ、リッパーに突進する。


 そして、動きの鈍ったリッパーの胸元に槍先を思い切り叩き込んだ。


 魔力で強化されたリッパーの肉体が鉄のように固いせいか、刺す事はできない。それでも衝撃でリッパーを後方に吹き飛ばす事に成功した。雪に覆われた地面をリッパーの体が転がる。


 朝日の反射魔法は、敵の体に纏う魔力のオーラにも反応する。必然的に、強力なオーラを普段から纏っている魔童子に対して程、槍での近接攻撃は破壊力を増す。


 このゲームで朝日の槍の攻撃力を最大限受ける事になるのは、他ならぬ最強の魔童子であるジョンドゥ・ザ・リッパーだ。弱い魔童子なら、逆にこの近接攻撃という戦法は効かなかった。


 倒れ込んだリッパーはゆっくり起き上がった。


「よっこいショ」


 傷一つない。


 やはり、自分から積極的に仕掛ける攻撃じゃ奴に傷を負わせる威力は出ないのだ。奴自身の攻撃を跳ね返すのでなければ。


「仕方なイ。無理矢理動かすカ」


 リッパーが一つ溜息をつくと、奴の体に纏う魔力が急激に膨れ上がった。


 先程までの二倍、三倍と徐々に。


 四倍近くまで達した所で膨張が収まった。


「これがボクの全力♪」


 つまり、次の奴の作戦は「重くなった体を力づくで動かす事」という訳だ。


 力技での解決……リッパーだからこそできる戦法。


 再度、リッパ―はこちらに向かって脚を走らせた。


 だがその速度は初めのように動きを捉えられない程ではない。


 リッパーのハサミの突きをギリギリで躱す。更に横切りを仕掛けてくるが後方にステップする事でそれも回避。


(理不尽な速度じゃない)


 そう確信した。これならまともに戦える。


 問題は、「リッパーと朝日、どちらが先に魔力が枯渇するか」だ。


 今、リッパーも朝日も最大燃料の魔力を放出している。最も燃費の悪い代わりに、身体能力を最大限まで強化している形だ。


 正直、朝日の方が先に枯渇すると、予感していた。


 朝日の魔力の全燃料を十とするとリッパーは千。感覚的数値だが、百倍くらいの差を感じている。


 かといって、朝日の魔力放出を抑えれば身体能力が低下するので、リッパーの猛攻を回避する事ができない。


 長期戦は不利。持ち込むなら、短期決戦だ。


 再度リッパ―がハサミを振るう。


 朝日はそれを回避……だが、その瞬間。


 体重の移動の仕方を間違えたのか、転倒してしまう。


 倒れ込んだ朝日を見たリッパーが、ニヤリと笑う。ハサミが振り下ろされる――。


 死を覚悟した朝日。だがハサミは朝日の体に接触する前に、何かに遮られた。


 桜吹雪だ。


 雪崩れのように舞う桜が朝日とリッパーの間に割って入り、ハサミを抑えていた。


 ハサミと桜のギチギチという接触音が響く。


 月夜の方に見やると、杖をリッパーと朝日の方に向けている。


 月夜の桜の花びら一枚一枚の硬さを、朝日は魔法少年になった初日に思い知らされている。


 とはいえ、基礎魔力では月夜とリッパーの差は歴然。万を超える桜の花びらを一箇所に集中させて防御力を高める事で、リッパーのハサミを受け止める事を可能にしているのだ。


 押し合いを諦め、リッパーが一度後退する。


 朝日はゆっくり起き上がる。


「朝日は私が傷つけさせない。約束したんだから」


 月夜がそう言うのを聞くと、桜吹雪が朝日のコスチューム全身に纏わりついた。


 槍にまで纏わりつき、桜は朝日の鎧のようになった。


「オオ、面白イ」


 自身の不利な状況にも関わらず、リッパ―は再度余裕を見せつけてくる。


 そして、またしても、ただ闇雲に朝日に突進してくる。


(リッパー……お前の強みは「負けた事が無い」という自信かもしれないけど、弱点もそうだ)


 何故そう思ったのか。この状況なら、月夜を先に狙うべきなはずだからだ。


 今、月夜は朝日に自分の桜魔法を全て使用しているから無防備だ。月夜から殺してしまえば朝日の桜の鎧は消えて無くなる。


 何故、リッパ―がそうしないのか? それはリッパ―の目的が戦いを楽しむ事にあるからだ。


 今までリッパーはその圧倒的強さ故、一度もピンチに追い込まれた事すら無いのだろう。


 リッパーはピンチに……負けるか勝てるか分からない戦いに飢えているのだ。


 いや、全て朝日の憶測かもしれない。猟奇殺人鬼の心理なんか朝日が分かる訳が無い。


 だが、ここまで武器を交えて、この男の事を少しは理解したつもりだ。この男の頭の中ではそんな事を考えているに違いない。


 その、奴の「勝敗の見えない戦いに飢えた心」を突く事に、朝日達の勝利の道があるはずだ。


 迫るリッパー。だが突如脚を止めた。


(何だ?!)


 その緩急のあるフェイントに朝日は思わず数歩後退した。


 リッパーはハサミをゴミのようにポイ捨てした。


 そして両手を白衣の中に突っ込み、八本のある物を取り出した。


 杖だ。指と指の間に一本ずつ挟んでいる。


 その八本の杖が赤、青、黄色等、一本一本特色のある光を発し始める。


 朝日はそれらが炎、水、雷等の魔法の光である事を理解した。何せ自分が散々他人の杖で使ってきた戦法なのだから。


(リッパーも他人の魔法が使えるのか!)


 朝日が思うと同時に、八つの光球が発射された。それぞれ朝日の肩、腹部、つま先と狙っている部位がばらばら。まとめて槍で跳ね返す事はできない。


 腹部だけは守ろうと判断し、槍先の鎬しのぎを腹に添える。


 七つの光球が朝日の体の各部位に直撃。


 腹部を狙った黄色の光球だけは槍先で跳ね返す事に成功したが敵では無く明後日の方向に飛んでいく。


 光球に吹き飛ばされる朝日。雪原を転がる。


(くっそ……)


 素早く起き上がる。肩は赤の光球を喰らい火傷。膝は緑の光球を喰らい切り傷ができている。風の攻撃だったのだろう。


 月夜の纏わせてくれた桜の鎧の隙間から進入してきたのだ。


「まだまだあるヨ♪」


 リッパーは指にはめた八本の杖を易々と、飽きた玩具を投げる子供のように放り捨てた。それらは雪原に落ちると共に粉々になった。使用限度に達したのだ。


 だが、すぐさま再度両手を白衣内に突っ込み、八本の杖を取り出した。


 それらは再度光の弾を先端に帯び始める。追撃が来る!


 ここで、朝日は一つの仮説を立てた。


(あの八本は他の魔法少女から奪った杖……だが、使用者はリッパー。つまり……)


 槍先をしっかり敵に構えなおす。


 八発全て跳ね返す必要はない。一発だ。一発だけ跳ね返して奴に命中させれば……。


「おかわりダ!」


 リッパーの八本の杖先が朝日に向く。そこから基軸の色を持つ八つの弾が発射された。


 弾の迫る方向からして、また拡散して放たれている。


 視界が弾から発する光で遮られているせいで、リッパ―の位置を掴みにくい。だが奴の強大で醜悪なオーラの気配が奴の大体の位置を示してくれるので、目に頼らなくても問題ない。


 朝日の顔面に向かってくる、赤い光球に狙いを定めた。他七つは無視だ。肉を切らせて骨を断てれば良い……。


 赤の光球だけを槍先で貫く……と同時に、七つの光球が肩、膝、腹部と、朝日の様々な体の部位に命中。


 朝日は再度後ろに吹き飛ぶ。


 だが、赤の光球が敵に向かって戻って行くのを視認した。


 それがリッパーの腹部に命中するのも。それにより奴も後ろに吹き飛ぶ所まで。


 地面に倒れ込む朝日。痛みで体が安定しないが、ゆっくり起き上がる。


 前方を見やる。リッパーが雪原の上、仰向けに倒れているのが見える。胸部が焦げ、光球で肉を抉られた痕がくっきりついているのが分かる。


(やったか?)


 息絶え絶えの自分の呼吸を整え、倒れるリッパーに歩み寄る。


「ハ~ァ~♪」


 歓喜の混じった吐息を聞いて、朝日は後ずさった。


 リッパ―がゆっくり立ち上がった。


 口から血を流している。朝日の反射は間違いなくリッパーにダメージを与えた……はずだ。


「タ~ノシ~!」


 致命傷を負った様子に反して、リッパーの笑みはいつもの不気味さを保ったままだ。


「お前……不死身か?」


「違うヨ。ボクさ、無痛症なんダ。キミの熱意の籠った一発は、ちゃんとボクの体に響いてるヨ」


 無痛症……ちゃんと響いている……それらの言葉を聞いても、リッパ―の笑みが朝日に安堵する事を許さない。


 だが、決着はリッパーや朝日の意志と関係なく、やってきた。


「オヤ、体が動かなイ」


 リッパーがそう言うと、再度雪原の上に大の字で崩れ落ちた。


 同時に、リッパーの白衣の内側に揃えられていた、杖のコレクションが四散する。


 雪原が何本もの茶色い杖で埋め尽くされた。リッパーの顔を見ると、口から流れる血が留まる事なく溢れ出ている。


「こういう場合、どっち何だろウ? キミの反射魔法が強かった、キミ自身の実力による勝利というべきカ? 反射されたボク自身の魔力が強かったから、たまたま、まぐれでキミはボクに勝利できたというべきカ? ……まあ、素直にキミを讃えるべきだネ」


 無痛症とやらの為か、リッパーの口調に痛みを感じているように聞こえない。


 だがリッパーの口から溢れ出る血を見て、朝日は勝利を確信した。月夜もそう判断したようで、桜の鎧が体から霧散した。


 まず、リッパーの変身石を破壊する前に確認しなくてはいけない事がある。


 戦闘不能のリッパーに歩み寄る。


「もう一度初めに聞いた事を言うぞ。お前は四年前、紫水朝顔という女性を殺したか?」


 自分の足元で横たわるリッパーを問い詰める。


「知らなイ」


 いつもの余裕の口調。朝日は槍をリッパーの右掌に突き刺す。


「朝日!」


 その朝日の行動に月夜が叫び声を上げる。


「ボクに拷問なんて意味ないヨ。だって、痛みなんてかんじないんだかラ」


 煽るリッパー。それを聞いて、再度朝日は奴の右掌を思い切り槍で抉る。


 杖先から人間の肉の感触がした。だがこんな奴に躊躇う事等無い。


「朝日止めて!」


 少し離れた所で月夜が叫ぶ。


「お前だけは絶対に許せない。吐け!!」


 もしコイツが自分と月夜を絶望に陥れた張本人だとしたら……そんな奴に情け等かけられる訳がない。


 槍をリッパーの右手の甲から抜く。そして、持ち上げた槍で、今度は左掌に狙いをーー、


「朝日もう止めて!」


 誰かが朝日を後ろから抱きしめる感触がした。


 振り向くと、朝日の目と鼻の先に、目に涙を蓄えた月夜の顔があった。


「大丈夫……もう大丈夫だから……」


 月夜が朝日を抱きしめる。


 呆気にとられた朝日の右手から槍が落ちた。


「つ……く……よ……コイツは……母さんを……」


 月夜の体温を感じる中で、憎悪とぬくもりが朝日の心の中で衝突した。


「大丈夫だよ……朝日のお母さんは私が生き返らせるから……」


 月夜が耳元で囁く。


 ぬくもりが憎悪を飲み込んでくれた。


 ゆっくり、月夜の両肩を手で掴み、月夜を自分から引き離した。


「ありがとう……もう大丈夫……ありがとう」


 少し月夜の顔を見てから、腰を落として槍を拾い直し、大の字のリッパ―の方に視線を戻した。


「ジョンドゥ・ザ・リッパー。お前は最低なクズだ。お前の罪は許されない。だけど……僕はお前をいたぶってお前と同じになる気は無い。変身石を出せ。楽にリタイアさせてやる」


 睨めつけて言う。


 朝日の言葉が聞こえただろう、瀕死の様子のリッーは僅かに笑った。


 傷だらけのリッパーを観察していると、朝日はある事に気づいた。


 魔童子にあるべき物が無い。


「リッパー……お前、変身石はどうした?」


 変身石が首に掛けられていないのだ。運営が魔童子に変身石を隠させないようにしているのか、変身石のペンダントは首から外せないようになっている。外そうとすると静電気のような感覚が指先に走り、妨害するのだ。


 だから誰もサバト中は変身石を外せないはずだ。


 てっきり、リッパーの白衣の内側に隠れているのかと思った。だが白衣の内側が開かれた奴の体に、変身石が確認できない。


「……食べちゃっタ」


 ボソリと呟いた。


 その言葉が何を意味しているか朝日は瞬時に理解した。


「お前……『願いの前借り』を……」


 今思えば、コイツが願いの前借りをしない理由なんて無かった。


 前借りをするリスクが死だとしたら、それは戦いのスリルを求めるこの男にとって、メリットにしかなり得ない。自分の願い事が一つ叶って、生死をかけた戦いに挑める……一石二鳥だ。


「さて、それが分かって、キミはどうするノ?」


 悪魔のように問いかけてくる。


「もしボクをここで倒さなかったら、キミの傷は治らない。次のゲームでボクは確実にキミを殺すヨ。いや、キミを殺せなくても、キミの大切なその子ヲ、あるいは別の誰かヲ」


 更に問いかける。


「ボクを殺すノ? 殺さないノ? でもね、一つだけ言える事は、ボクを生かせばキミは大切な人を失ウ、ボクを殺せばキミは倫理を失ウ。どちらを選択しても……」


「ハァ……ハァ……」


 悪魔の囁きで、朝日の呼吸が乱れる。


「どちらを選択しても……キミの真っ直ぐだった今までの人生は、ここから折れて曲がル。さぁ……エラベ……エラベ……エラベ! エラベ!! エラベェ!!!」


「朝日だめぇーー!!」




 月夜が叫ぶより先に終わっていた。


 二択の天秤を前に、悪魔が背中を押した事で、気づいた時には朝日の右手は振り下ろされていた。朝日の槍がリッパーの左胸を貫いていた。


 ブジュリという生々しい音と共に、朝日の左頬に返り血が飛びついた。


「死ぬのは怖くないヨ……ボクにとって怖いのは……死んだまま生きる事ダケ……。キミに生きたまま死なされて……ボクは……」


 幸せだ。


 その遺言を口にして、リッパーは安らかに目を瞑った。最後まで、笑みは崩れなかった。


 静かな雪原。


 そこにいつもの知らせが脳に響く。


「サバト第百九試合が終了しました! 速やかに戦闘を終えーー」


 朝日は手を槍から離す。槍はリッパーの左胸に刺さったまま、塔のようにそびえ立っている。


 右手で左頬に触れてみる。生暖かい血が手についた。それを見つめる。


 次に月夜の顔を見てみる。怯えて、目に涙を蓄えていた。


 朝日は……どんな顔をしているのか分からない。




 きっと、人殺しの顔をしているんだ。




 足元が光となって消えていくのだけが見える。






 ☆


「想定外の結末だったね、魔法王」


 魔法王の城内の王室。プレアは水晶の中を覗き込む。ボールの玩具にじゃれる普通の猫のように、水晶にしがみつく。水晶の中には鮮血の雪原の上に眠るリッパーと朝日、月夜の三人が映っている。


「僕にとって、紫水朝日は彼を強くする当て馬のつもりだったのだけど」


「儂とてお前と同じ気持ちだ。だが、戦いとはこうではなくてはつまらない」


 プレアの後ろにいる魔法王が水晶を覗きながら、ほくそ笑む。


「儂が一つ疑問なのは……ジョンドゥ・ザ・リッパーは紫水朝日の母を殺したのか?」


「知らない」


 魔法王の質問にプレアはつまらなそうに返答する。


「フン、お前という奴は相変わらずだな」


「全ては変身石……いや、願い石の意志に従っただけだよ。紫水君を強くする最適解があの言葉だと、願い石が判断したんだ」


「まあ、システムに人情等通用せぬ物だな」


「ともあれ、ジョンドゥ・ザ・リッパーが脱落した事であらゆる状況が変わったね。まぁ、どちらが勝利にするにせよ、今回のサバト終了を期に最終段階に移行する手筈だっただろう?」


「そうだな」

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