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エディプスは笑う  作者: sarieri
序章
5/15

流動

(とりあえず、先手は取れたか)

 

自軍が押し込んでいくのを見て、呂橋は安堵のため息をついた。右翼の最大戦力とも言える怜たちを最初に投入するのは、かなり勇気のいる決断だったが、それが功を奏したのを確認して、呂橋は素直に安心していた。


「うまくいったようじゃな」


 菠薐が白髭を撫でながら呂橋に言った。


「ああ。張麗麗の姿が確認できないから、そこが気になるが」

「そのことだがな……やつが来ているというのは、事実であろうか」

「それはあたしも気になっていた。だけど、報告では確かに軍の中で姿を見たらしい」

「……誤報であればいいがな」


 菠薐がシワの目立ってきた顔を歪めた。

 張麗麗は、帝国最強と呼ばれながら、実際の戦に現れることは非常に稀だった。皇帝が側に置いて離したがらないのである。よって、なぜ今回の戦に張麗麗がわざわざ出向いてきたのかが、呂橋にもわかっておらず、菠薐の言う通り、誤報である可能性も捨てきれていなかった。


「あーあ。なんでレイは僕を連れて行ってくれなかったんだろう。僕も暴れたかったのにな」


 呂橋の隣にいたネオが、退屈そうにあくびをした。


「もう少し緊張感を持たぬか、ネオ」

「えー、じいさんたちが緊張しすぎなんだよ。張麗麗がいたっていなくたって別に関係ないよ。レイと僕で殺しちゃえばいいんだしさ」


 横で眠たげに目をこする少年を叱ってやろうと思い、呂橋は口を開きかけたが、結局言葉を発さなかった。そもそもネオは怜の言うことしか聞かないし、彼の言うことにも一理あると思ったのだ。


(確かに、あたしたちは少し考えすぎている)


 呂橋が菠薐の顔を見ると、菠薐も同じように考えたことがわかった。


「ねぇ呂橋」

「なんだい?」

「やっぱり今から僕も向こうに行っちゃダメ? この調子なら、隊のみんなで行けばすぐに終わりそうだしさ」

「ダメだ。すぐと言っても、三十分やそこらじゃ終わらないだろう? レイと有理には時間制限がある。あいつらも一回戻ってくるはずだしな」

「えー。三十分で終わらせるからさ。お願い」


 丸い目を輝かしながら、ネオは顔の前で手を合わせた。顔にはまだ幼さが残っており、ネオの表情は様々な変化を見せる。馬に乗っていると、体の小ささがより際立つようだった。まだ十四歳の少年ながら、怜がその戦闘能力を買って入隊させた。だが、彼の頑是ない性格には、怜も扱うのに苦労しているようだった。


「少し我慢しろ。お前の出番は必ずくるよ」


 呂橋はネオの愛らしい栗色の髪を撫でながら言った。


「そうだ。わしも剣を振り回したいのを我慢して、ここにいるんじゃからな」

「ジジイは黙ってな」


 呂橋が睨むが、菠薐は気にした様子もなく高らかに笑った。ネオはつまらなそうに、頭の後ろで手を組み、再び大きなあくびをした。


「ちぇっ。超龍はずるいなぁ」

「大人数を相手にして、レイとユーリについていけるのは超龍くらいだからな」

「お前さんは軍を相手に生きるタイプではなかろう」

「そうだけどさ……僕も槍を使おうかなぁ」

「あんたじゃ槍に振り回されるだけだよ」


 超龍はほとんど口を開かない無口な男だが、その寡黙さを怜は気に入っていた。超龍は初め別の隊に所属していたのだが、怜の武勇に惚れて、わざわざ転属を申し出たのだった。超龍がアマンダに懇願していた様子を見ていたある兵士が、


「超龍さんってあんなに喋るんですね」


 と驚いたほど、超龍の怜に対する熱は強かった。幼い頃から日々を共有してきた有理を除けば、怜が隊の中で一番信を置いているのは、間違いなく超龍である。


「じいさん、暇だから面白いことしてよ」

「その雑なお願いはなんだ。わしを馬鹿にしているのか?」

「何? できないの? 面白いこと」

「……できるに決まっておるわい」


 呂橋を間にして交わされている緊張感のない会話に、苛立ちと、自分の危惧していた状況から遠ざかっているという、わずかな安堵を感じ始めた頃、呂橋はある異変に気がついた。


「おい、ジジイ」


 呂橋はすぐさま、伸びている白髭を使ってリリーを笑わせようとしていた菠薐に声をかけた。


「なんじゃ?」

「前線が押し返されていないか?」


 菠薐は前線に目をやり、その様子を確認すると、顔から緩んだ表情が消え、真剣な顔つきになった。


「相手が体勢を整え始めたってだけじゃないの? 帝国の軍も烏合の衆なわけじゃないでしょ」


 ネオの言うことも正しいと思いつつも、呂橋は嫌な胸騒ぎを感じていた。本当にそれだけなのだろうか。怜たちがいるのに? 呂橋の鼓動が早くなりつつあるころ、前線と後方を行き来する連絡役が、馬を走らせ前線から戻ってきた。


「報告します」

「頼む」


 連絡役は唇を噛み、うつむいた。そして、意を決したように勢いよく顔を上げ、口を開いた。


「超龍殿が戦死しました」


 三人の顔に驚愕の色が浮かんだ。呂橋は胸を抑えた。鼓動があまりに早すぎて、自らの体から心臓が出て行こうとするようだった。


「それは、本当なんだな?」

「事実です」

「そうか……」


 呂橋は天を仰ぎ見た。悲しむ時間はない。だが、ともに十年近くを過ごしてきた仲間の死を割り切れるほど、呂橋は強くなかった。あるいは、それを強さとは言わないのかもしれない。味方が死んでも動じないようにすることは、必要なことなのかもしれない。呂橋は唇を噛み締め、自分の中に巣食う不安が、現実に現れ始めていることに耐えようとした。


 そんな状態の呂橋の代わりに、菠薐が厳しい顔をしながら、連絡役に尋ねた。


「状況は」

「レイ殿、ユーリ殿、超龍殿が率いた第一波は、敵軍の陣を乱すことに成功しました。レイ殿は敵の指揮官の一人を討ち、相手の崩壊も近かったのですが、張麗麗が現れ、超龍殿が対応に当たりました。近くにいたユーリ殿も救援に向かいましたが、間に合わずに超龍殿が死亡。現在はレイ殿と張麗麗の一騎打ちとなっています。ユーリ殿が前線の兵の指揮をとり、未だこちら側の優勢には変わりませんが、張麗麗の軍によって押し返されつつあります」

「そうか」


 呂橋はやっとの思いで口を開いた。衝撃を受けたものの、張麗麗軍が出てくるのは予想されていた事態である。ある意味、この早いタイミングで敵の主力を前線に誘い出せたのは、こちらが押していることを物語っているのだ。呂橋はそう考えて、突撃の号令をかけようとした。


「ジジイ、リリー、行くぞ」

「待て」


 声をかけられて、呂橋が後ろを振り向くと、黒い装束で身を包んだ一人の女が立っていた。偵察に駆け回っているはずの王であった。


「報告がある」

「急げ。こっちも忙しい」

「黒鉄が本隊の前に現れた」


 呂橋は息を呑んだ。信じられなかったのだ。王が淡々と報告を続ける。


「どこに潜んでいたのかわからないが、アマンダの軍がアルベルトの軍と組みあっていると、黒鉄の一万の軍が左翼を食いつぶし、本陣の横に突撃してきた」

「待て。黒鉄が動いているなんて報告はなかったはずだぞ」

「ああ。私たちに全く勘付かれずに現れた」

「王、情報を集めるのはあんたの仕事だよな?」

「その通りだ。これは私の落ち度だ。すまない」

「テメェ、すまないで済むと思ってんのかよ」


 呂橋の怒鳴り声が虚しく響いた。ネオは、「最悪だね」と言って小さく笑った。


「呂橋、落ち着け。王を責めても状況は変わらない。こうなったら一度引かなければ」

「それも無理だ」


 王は顔を歪めながら、首を横に振った。


「私たちを支持していた貴族が寝返って、軍をこちらに向けて出撃させた。もうこちらに近づいている」


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