美女と煙草
翌朝、怜が趙龍を連れて戦の前の最後の全体会議に赴くと、すでに全員が集まっていた。冴え冴えとした青空が広がっており、野良犬の鳴き声が間遠に聞こえた。戦には絶好の日であった。
小さな丘の頂、今日の戦場を目にすることができる場所に長机が用意されていて、そこにアマンダを含め十人が席についている。眼下には森が広がっている。遅れたことを詫びながら、怜が端の席に着くと、アマンダのそばに座っていた呂橋が話し始めた。
「このまま進軍していくと、予定通り、本日の昼に帝国軍とぶつかる。敵の数は二万。対してこちらは、別ルートで進軍してきた兵を合わせても、一万強」
呂橋は何らかの言葉を貰おうと、アマンダを見た。アマンダはゆっくりと手を組み、怜たちを見渡した。
「これまでなら、一万くらいの差などどうってことないのだけどね。今回ばかりは気をつけなければならない。敵の大将はアルベルトだという話だし、軍の中には張麗麗も混じっているらしいから」
その二つの名前が連続して発せられ、場に緊張が走った。席についている十一人、その周りで立つ各幹部の付き添いのものたち、全員が体を硬くしたのだ。それほどに、その二つの名前は脅威で、また恐怖だった。
「無論、負けると言いたいわけではないわ。激戦が予想されるということ。呂橋、他の動きはどう?」
「王たち諜報員を周辺に散らせているが、目立った動きは確認できていない」
「そう。直前まで逐一報告させて」
「わかった」
報告がある者は、と呂橋が聞き、手が上がらないのを確認すると、アマンダが立ち上がった。それを見て、全員が即座に立ち上がる。アマンダは皆の動きを眺めた。そして、笑った。
「大丈夫、勝つのは私たちよ」
皆が持ち場に散っていく中で、怜はアマンダと話している呂橋のもとへ近づいていった。呂橋は、怜が寄ってくるのに気がつき、あからさまに顔をしかめた。呂橋は自分が何を言われるのかわかっていた。
「どうした?」
「呂橋、やはりこちら側に戦力を偏らせすぎていないか?」
「またその話か」
呂橋は大げさにため息をついた。そして、服の袖からタバコと火つけ箱を取り出した。怜には見向きもせず、煙を美味そうに吸い込み、空に向かって吐き出している。
アマンダが率いている革命軍の戦略や政治的事柄のほとんどは、呂橋が統括している。よって、どれほどアマンダに直訴しようとも、呂橋の許可がなければ軍を動かすことはできない。実際、彼女はとても有能だった。もともと山賊でありながら、アマンダの寛容さに惚れて軍に入ると、山賊時代の経験を戦で生かし、元来の頭の良さをさらに伸ばすようにして勉学に励んだ。戦と内政、呂橋はそのどちらも高水準でこなすことのできる、アマンダの一番の側近として、わずか十年ほどのうちに勢力をどんどん大きなものにしていったのだった。
また、呂橋は美しかった。山賊時代に片目を失っており、それ以来、「男は諦めた」と呂橋は言っている。それを体現するかのように、焦げたような茶色の髪を無造作に伸ばし、これでもかというほど煙草を吸う。山賊になるほど気性は激しく、言葉遣いも荒い。戦では矛を振り回し、酒を一定以上飲むと暴れて手がつけられなくなる。それでも、軍の中に熱烈な支持者を獲得するほど、彼女は顔も体も美しく、また心優しくもある。そして、アマンダの一番の理解者だった。
呂橋はタバコを踏み潰し、改めて怜と向き合った。怜と有理を拾ったのは、まだアマンダの軍に入ったばかりの呂橋だった。その頃のことを思い出して、呂橋は少し笑った。
(昔はもっと可愛かったよな)
呂橋は怜の蒼い瞳を見つめた。顔つきはすっかり大人びていたが、その瞳の奥には、まだ若さゆえの不安定さが揺れているように呂橋には見えた。
「レイ、命令は変わらない。あんたらの部隊はジジイの軍と一緒に右翼、つまりうちらの軍の主攻を担う」
「そこまではわかる。だけど、呂橋がこっちに合流する必要はあるか?」
怜はその点が納得できなかった。菠薐率いる六千の右翼、そこに呂橋までもが加わってしまったら、本隊の戦力があまりに弱くなりはしないだろうか、そう怜は考えていたのだ。
「仕方がないのよ、レイ。私たちには長期戦に耐えきることのできる戦力がないわ。つまり、いかに早く右翼のあなたたちが敵の本陣に届くことができるか、ここにかかっているの。だから、私たちの中で一番力のある菠薐の軍、少人数ながら瞬発力に長けたレイの遊撃隊、それと柔軟な対応ができる呂橋が右翼に必要なのよ」
「ママン、それは理解しています。ですが……」
呂橋は歯切れの悪い怜を見て、怜が自分と同じ不安を感じていることを知った。そのせいで、呂橋も強く言えなくなってしまった。この戦にいつもと違う恐れを感じているのは呂橋も一緒だった。何かがおかしい、と思っていたのだ。
アマンダの革命軍は、いくら勢力を大きくしつつあるといえども、数多く存在する帝国への反乱分子うちの一つであり、その中で比較的力がある軍というだけに過ぎなかった。アマンダの革命軍だけで帝国を滅ぼし、世界を変えるほどの力はない。まだ幾つかの土地を拠点としてアマンダの理想を掲げ、それを広めている段階である。
帝国による独裁に抵抗を覚え、反旗を翻す人々は多い。だが、多くは力によって潰され、帝国の脅威となる規模に拡大していく前に滅ぼされる。そんな中で、掲げる理想を多くの人や貴族たちに支持され、帝国が簡単には手を出しにくいほど力をつけて、革命軍と呼ばれる集団となる場合もある。彼らはそれぞれの理想を掲げ、身に付ける服を統一したり、宗教を共有したりするなど、各々に異なった特徴を持っている。現在も、三つの代表的な革命軍が存在する。そのうちの一つがアマンダの革命軍だった。
アマンダの革命軍には、統一された特徴がない。服も、容姿も、信ずるものも、それぞれ異なっている。あえて言うなら、特徴がないことが特徴であろう。実際、アマンダの掲げる理想というのも、そういうことだった。
「自分と違っている人々を拒絶するのではなく、受け入れる努力をしてみませんか」
アマンダはこう訴えるのだ。言うは易く行うは難し。そう非難されても、アマンダは下を向かなかった。アマンダには、それを実現させてくれるのではないかと思わせる、光があった。いつしか仲間も増えていき、知らぬものはいないというほどに成長していった。
だが、それでも帝国を滅ぼし、新たな世界を築いていくには戦力が全く足りない。大きな損害を受けるため、また、一つの革命軍に力を注ぐとその隙を違う軍に突かれてしまうため、そういった帝国側の理由から正面衝突はないものの、真っ向から組み合う戦力が整ったとは、アマンダも呂橋も考えていなかった。
しかし、帝国の軍隊がアマンダの本隊に向けて出撃したとの連絡が、アマンダを支持している貴族から届いた。なぜこのタイミングなのだ。呂橋は頭を懸命に回転させ、何が起きているのか考え続けた。しかも、軍を率いるのが帝国で英雄的名声を得ているアルベルト、そして軍の中には、帝国一と呼ばれる将、張麗麗がいるという。その武将への力の入れ具合の割に、兵がさして多いわけではないのも呂橋は気になっていた。
何かが起きている、だがその何かが掴めない。募っていく焦燥感と、近づいてくる衝突の時。逃げるわけにはいかない。戦わなければならない。だが、不確定要素の多さがいたずらに不安を煽っていく。アマンダと呂橋はそんな不安を共有し、一つの結論へと導かれていったのだった。
呂橋は袖口から新たなタバコを取り出して吸い始めた。言葉に困っている呂橋の様子を見て、アマンダが代わりに口を開いた。
「これは決定事項よ。時は動き続ける。私たちも、帝国兵もそれは同じ。敵は待ってくれないわ。行きなさい、レイ。戦いの後、会いましょう」
いつもの優しさと強さをアマンダの声に感じて、怜は幾分落ち着きを取り戻した。アマンダと呂橋に控えめに微笑んでから、少し離れたところで待機していた超龍を連れて持ち場に向かった。
アマンダはその後ろ姿を見ながら、自分が何かを言い忘れたような気がしていた。自分が言いたいことを伝えられていないと思った。怜の姿が遠ざかっていく。アマンダは口を開きかけた。しかし、結局声をかけなかった。何が言いたいのかわからなかったのだ。曖昧に開かれた唇が、自嘲的な笑みに変わった。
「最近、こんなのばかりね」
「ん? どうした?」
「ううん、なんでもない。ねぇ、煙草を頂戴」
「……やめたって言ってたよな?」
「たまにはいいじゃない」
子どものように無邪気に笑うアマンダを見て、呂橋も笑い、煙草を投げた。
「ほら、大事に吸えよ」
「あなたは一本一本を大切に吸っているのかしら」
「もちろん」
「毎日大量に吸っているのに?」
「男のための愛情を、煙草に捧げているのですよ、ママン」
アマンダは少し手間取りながら火をつけた。煙が吐き出されて、すぐさま空に消えていく。見えなくなった煙に手を伸ばした。
「そういえば」
「ん?」
「あなたが私のことをママンって呼ぶのって初めてじゃない?」
「その通りですよ、ママン」