恩返し
リハビリがてら勢いで書いた作品ですので、肩の力を抜いて読んでいただければと思います。
「お前さん間が抜けすぎじゃろ」
平助はため息を溢し、頭をガシガシとかく。目の前には、獲物を取るための罠に掛かった小鬼。
人の力の及ばない妖ではあるのだが、熊をも捉える罠相手では抜け出す事は叶わなかったようだ。
「ああ口惜しや。人間如きに捕まるとは」
思いの外流暢に話す小鬼に、さてどうしたものかと平助は考える。
茶色の肌に膨れたお腹。所謂餓鬼と呼ばれるものだろうか。
この辺りでは鬼は人に仇なす存在として、忌み嫌われてはいる。
居るのだが――。
「はぁ、これも何かの縁だべ。意思の疎通は出来るのだしせめて会話してくれんかの?」
笑顔を作り小鬼に平助は話しかけた。
変わり者だと笑われ続けたが、これは変わり者どころじゃないかもしれんな。そんな思い故笑いが零れたのだが、小鬼にとってもやはり異常に映ったようで警戒からだろう体を固くする。
「何が会話じゃ。我らを滅ぼさんとする人と相いれる事など片腹痛いわ」
強きに言うものの、体の震えは怒りより恐怖からだろう。
そんな気がすると平助は判断し、ドカッと腰を据えて改めて小鬼に話かけた。
「お前さんの言う通り、人と鬼は忌み嫌っているのう。少なくともこの辺りではそうじゃ」
変わらぬ笑みを浮かべたまま話す平助を、小鬼にはじっと震えたまま見つめ続ける。
その姿に、話を聞く気はあるのだと平助は判断した。
「だから、その警戒心は正しい。寧ろわしの方がおかしいんじゃろ。他の者だとお前さんを生かしてなどおらぬじゃろうからの」
だが――。そう言って平助は言葉を切った。
改めて小鬼を見据え、表情を真剣なものに改める。
「確かにわしは人でお前さんは鬼じゃ。が、わしは平助という個人でもある。お前さんも一人の鬼じゃろう。む? 人じゃ失礼か。一鬼とでも言うべきか? すまんの、学がない故どう呼べばよいかわらかぬ。が、どうだ。あくまで個としては別じゃとわしは考えているのだが、お前さんはどう思う?」
平助の言葉に、小鬼は目をしぱしぱと何度も瞬かせる。
「馬鹿か、お主は本当に馬鹿じゃ」
強い口調で言われ、平助はあははと声を上げて笑った。
その姿に小鬼は目を丸くする。
「そうじゃの。否定できん。わしは馬鹿じゃ。馬鹿だからこそ話せるなら仲良く出来んのかと今は思うておる」
平助の言葉に、小鬼は何を言っているのかとぽかんとした表情を浮かべた。
その様子に、平助は優しく目を細める。
「お前さんからすると不本意ではあるじゃろうが。近所の子供とお前さんの差がわしには分からんのだよ。素直じゃし可愛いし」
可愛いの部分で、びくっと小鬼は大仰に反応した。
平助はおやっと思いまするものの、まぁ鬼に対し可愛いなどと言うのはおかしかったかと自己判断を下す。
「まあ、だからというかわしの勝手な思いじゃが。手当てさせてはくれんか。その罠に掛かった足は元より、傷だらけではないか」
もしかすると傷つけたのは人かもしれなかったが、それに思い至っても平助は小鬼にそう言葉を掛けた。
と、小鬼の様子が明らかに変わる。
「本当にお主は変わっとる。鬼ですらお主みたいなものはおらんぞ」
「そりゃそうじゃ。わしは人ではあるが平助と言う個人でもある。似たような者はもしかしたら居るかもしれんが、わしはわしじゃ。お前さんがお前さんという一鬼の鬼であるようにな」
にこっと微笑んだ平助に、小鬼は呆れたような様子を見せる。
そして、体の震えがようやく止まった。
その姿に、受け入れてくれたと判断した平助は立ち上がり、罠を解くために近づく。
小鬼はじっと平助を見つめていたものの、黙ってされるがままになった。
そのまま平助は罠を解き、小鬼をさっと抱き上げた。
「おおおおお、待て待て待て。お主何をしておる!?」
「そりゃ手当てをする為じゃが。お前さんもっと飯を食わんと軽すぎるぞ。大したものは出せんがうちで飯を食っていけ」
「いやいやいやいや。流石に。はっ、私をこれで篭絡するつもりか」
混乱からだろう、素っ頓狂な言葉を発した小鬼の言葉を平助は笑い飛ばす。
「それこそ馬鹿を言え。お前さんには保護欲を掻き立てられてもそれまでじゃ。そして、子供の面倒は大人が見るものじゃとわしは思うとるよ。や、鬼の世界では違うかもしれんが人の世ではそうじゃ。捕まったのじゃからこのくらいは我慢せぃ」
平助の言葉に、何故か小鬼は頬を膨らませた。
「可愛いと言うておったではないか」
はて、何故こんなに反応するのか。平助はそう思ったものの、思った事を口にする。
「そりゃ可愛いが、子供相手に欲情はせんよ。する輩も居るみたいじゃが、少なくともわしは違う」
「子供ではない!」
平助の言葉に噛みつくように小鬼が返してくる。
その反応がやはり可愛らしくて。まぁ見た目は確かに不気味ではあるが可愛い奴じゃと平助は笑みを浮かべた。
「そうかそうか。やはりお前さんは可愛いのぅ」
平助の反応に、小鬼はぷぅっと再び童のように頬を膨らませた。
なんじゃ、やっぱり人も鬼も見た目はともかく変わらぬではないかと平助は思う。
ならば、やはり怪我人――怪我鬼だろうか。を助けるのは人を助けるのと変わらぬと、平助はそう判断した。
小鬼を助けた平助は、どうもそれが周りに知られたようで煙たがれるようになってしまった。
変わり者だけど良い者という認識から一変、鬼の手先と扱われるようになったのだ。
平助はそれでもいつも通りに過ごしたのだが、流石に村で生活するのは困難になってしまった。
流石に家に火を放たれてまで、そこで過ごす気にはならなかったからだ。
下手をすれば死んでいた事だろう。狙ってかは定かではないが、平助が留守だったのは不幸中の幸いだった。
「まあ、どんなに説明しても聞く耳すら持ってくれんからのぅ。鬼から害を受けたのはわしらのはるか先祖の話じゃと言うのに頭の固い奴らじゃ」
そんな事を言いながらも、平助は自分の方がおかしいのだと思っている。
皆の方が正常だと。
だからこそ、家を失ったのを理由に山へと一人引きこもった。
実のところ村の者達を最後まで嫌いにはなれなかったのだが、向こうが自分を煙たがっているのくらい嫌と言うほど理解させられたのだ。
そうまでされて居座る程、平助は無頓着ではなかったのだ。
それでも、平助に後悔など一切なかった。
逆に自分の心を偽って小鬼を排除していたとしたら、そちらの方が平助は自分を許せなかった事だろう。
「まあ、わしには似合いの結末かな」
苦笑いを浮かべ、平助は自分で建てた小屋の中で獲物を裁いていく。
元々猟師だったおかげで生きていくに不自由はない。
体調を崩した時は流石に人恋しくなったが、幸い平助にはまだ若さもある。
もう幾年過ぎたらわからぬが、まだ暫くは大丈夫だと言う思いがあったのだ。
と、コンコンと戸を叩く音が響いた。
わざわざ嫌う平助の元を訪れるものなど皆無ではあったが、時折迷った旅人が立ち寄る事はあった。
ここ数年で数えるほどではあるが、今回もその一つに加わるだろうとのんびりと戸を開けに向かう。
「はいはい。今から開けるから待っとくれ」
平助の返事に戸の音が止まる。
きっと安堵した旅人が居る事だろう。一人だと心細いからと平助はそんな思いから柔らかく微笑んで戸を開けた。
「ああ、ようやっとお会い出来ました」
目の前には目を見張るような美女が立っていた。
白い肌に輝く銀髪。赤い瞳は涙に濡れ表情は喜びで満ちてる。
その姿に平助は言葉を失ってしまった。
「覚えていらっしゃいますでしょうか。昔の恩を返しに来たのです」
縋るように平助に言葉を掛ける美女に、平助はすぐに小鬼の事を思い出した。
「ただ手当てとしただけじゃと言うのに、お前さん律儀過ぎやしないか?」
「そんな、あの時から貴方の事を忘れた事などありませぬ! どうか、私をおそばに置いて下さいまし」
美女の言葉に、平助は逆らう事は出来なかった。
なんだかんだ一人の寂しさに堪えていたのもあり、美女を受け入れる。
それからは、毎日が劇的に変わった。
美女は慣れぬからだろう色んな失敗をしたが、そんなもの平助が手助けをすればよい。
居てくれるだけで、微笑んでくれるだけで平助は毎日が幸せだった。
自然と恋人同士になるのは当然の流れで、平助は日々が再び心から楽しく感じられるようになった。
多少やつれ体の疲れが取れぬようになったのは、それだけ夜の生活も順調な証拠だと平助は喜びすら感じていた。
「お雪。何か不自由はないか?」
「いえいえ、本当に良くしていただいてありがとうございます」
出来た恋人は、平助に笑みを浮かべてそう返す。
それだけで平助は力が湧いてくる思いだった。
と。
ある夜戸がゴンゴンと強く叩かれる。
幸か不幸か夕食が丁度済んだくらいで、恋人は良い顔をしなかったが平助は向かい入れる為に戸へと向かった。
「良いじゃないほっときなさいよ」
どこか焦った様子で口にする恋人に、平助は苦笑いを浮かべて口にした。
「すまんな。お前さんがそんなに人見知りとは。いや、それも当然か。だが、見捨ててはおけん。悪いのぅ」
恋人にはそう伝え、平助は待たせたと言いながら戸を開けた。
すると、健康的に焼けた肌を持つ黒髪赤目の嫁とは違う種類の美女が立っていた。
「ああ良かった。お主まだ生きておったか」
平助の姿を見るや嬉しそうに、だがすぐに心配そうに言葉を発した黒髪の美女は。平助が許可を出すより早くずかずかと部屋の中へと押し入ってきた。
「ちょっ、待てお前さん。ちと図々しすぎるぞ」
平助はそう言ったが、その言葉はむなしく虚空へと溶けた。
「やはり貴様かこのアバズレが! わしの恩人にこんな真似をして無事で済むと思うなよ」
「何の事か分からぬのぅ」
激しく怒りを表して黒髪の美女に、ほっと息をついた恋人は余裕たっぷりに返した。
置いてきぼりを食らった平助だが、二人の間に割って入る。
「待てと言うのがわからんのか。お前さん失礼が過ぎるぞ!」
そう言った平助を、平助が驚くほどの力で黒髪の美女が抱きしめた。
「今は黙っておれ。この不届きモノをぶちのめすのが先じゃ!」
「あははははは、末端に過ぎぬ気様に我は斃せぬよ!」
黒髪の美女の胸に抱かれ、何とか抜け出そうとするものの平助にはかなわなかった。
痛くないように抱かれているものの、どんなに力を込めてもびくともしなかったのだ。
恋人を見れば、助ける様子など一切なく。だが、平助はその様子を訝しむ事無く逃げるように言い放つ。
「はよう逃げろ! こやつ普通ではないぞ!」
「あははは、それはおかしな事を。こんな雑魚に遅れは取りません。何より足手纏いまで抱きかかえてくれて好都合じゃないですか」
「おのれぇ、絶対許しておけぬ。だからこそ、私は頭を下げて来た。誇りなど知ったことか!」
恋人の言葉にショックを受けた平助だが、恋人は黒髪の美女の言葉に目を見張った。
と、見るなと言う言葉と共に平助は顔を黒髪の美女の胸に押し付けられた。
出られぬと分かってはいても、全力で平助は抵抗する。
何故なら恋人と思わしき声が、その声が悲鳴を上げていたから。
ほどなく悲鳴は収まり、同時に平助も解放される。
「来るのが遅れてしまって本当に申し訳ない。じゃが、これで危険は去っ――」
「出ていけ!」
平助は心のまま叫ぶ。
黒髪の美女が傷ついた表情を浮かべたが、一切気にならなかった。
「なっ、私がお主に助けられた鬼じゃ。そこの鬼は私と偽って」
「幸せだったんだ! お前がそれを壊した!」
容赦のない平助の言葉に、黒髪の美女はくしゃっと顔をゆがめた。
「だって。私はお主を助けたくて」
「頼んでいない」
よろよろと平助は恋人を探すものの、その亡骸すら残っていなかった。
残っているのは、部屋のあちこちが破壊されている事だけだろうか。
「そんな。私は恩を返したくて――」
力なく黒髪の美女がそう呟くのは聞こえたが、平助は反応しなかった。
もう居ないと分かりきっていても、小さな小屋をくまなく探す。
平助は泣いていた。黒髪の美女――あの時の小鬼も泣いていた。
ただただ泣きながら平助を見つめ続けるその姿に、平助はひとしきり探し終わって更に時間をかけて言葉を掛ける。
「知っていた。わしの恋人が人でないのもお前さんでもないことも。知ったうえで、それでも寂しい時に一緒に居てくれたんじゃ。好きだったんじゃ」
平助のその言葉に、とうとう元小鬼は膝をついて泣き崩れた。
そんな元小鬼に平助は近づき、優しく頭を撫で始める。
ビクっと体を震わせたものの、優しく撫でられ続けて元小鬼は困惑した様子で平助へと顔を向けた。
「色々と思うところがあるし、正直今はお前さんを許せる事など出来そうにない。んじゃがなぁ。やはり子供を泣かせっぱなしにはわしには出来ないな」
平助は弱々しくもそう口にした。
元小鬼は、そんな平助を泣きはらした目で見つけ続ける。
「まああれじゃ。命を救ってくれてありがとう。正直その辺りも分かっていたんじゃが。まぁなんじゃ、考える時間をくれんか」
平助の言葉に、元小鬼は何度も頷いた。
「ごめんなさい」
元小鬼のその言葉は、すとんと平助の心に入ってきた。
それは何故か、平助だって薄々分かっていたのだ。
恋人の言葉が薄っぺらなものだと。自分に心などないのだと。
そして、この元小鬼の。劇的な変化を見せてやってきた美女の言葉は心が籠ってると。
両方の言葉を聞いて、分かってしまったのだ。
「そうじゃなぁ。うん。無理じゃ」
平助は心のままに言葉を紡ぐ。
元小鬼は傷ついた表情を浮かべたが、平助は構わず言葉を続けた。
「今はいっぱいいっぱい過ぎるし、だから。まぁ明日遊びに来ると良い。一日寝れば多少は落ち着くじゃろう」
「い、良いのか?」
心配そうに言ってきた元小鬼にに、平助は不格好な笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。時間は掛かるだろうが言葉を交わせる以上話す価値はあるじゃろう。って昔似たような事を言ったと思う。自分で言った以上責任を持たねばなぁ」
「話したい事が、伝えたい事があるんだ」
「うんうん」
「本当に沢山。でも、それは明日以降少しずつ言っていく。だからこれだけ」
体の体制を変え、平助と元小鬼は向き合った。
「あの時はありがとう。そしてごめんなさい」
小鬼の言葉に、平助は笑みを浮かべて頷いたのだった。