第20話 病、翌朝
わたしにはパパもママもいて、
でもパパもママもいなくなって……
わたしは暗闇のような空間の中、手を掴まれ遠く遠く
誰かに引っ張られて歩き続けている。
いくらわたしが嫌がっても、その誰かは歩くのもやめてくれない……。
後ろ姿だけで顔が見えない。振り向かない。
いくら呼びかけても応える素振りすら見えない。
あなたは だあれ?
引っ張られていた手が燃える。かと思えば血にも濡れている。
熱も血の汚れも、何度振り払おうとも振り払えない。
わたしの手を掴んでいた誰かは もういない。
作法もない踊りを踊らされているわたしの周りから、
振り散る火と血に反応し、暗がりから じわりと浮かび見えた。
血に塗れ、バラバラと斬り捨てられた人と魔物の死体の数々。
それらの中心で私は独りで立ちつくしていた。
私の名前を呼ぶ声がした。
改めて見回した。しかし声の主はいなかった。
再び名前が呼ばれた。
気が付くと私は、抜き身の剣を右手で強く握りしめていた。
三度、名前を呼ぶ声がした。
私の正面に黒髪の男性が立っていた。
「アルテナ……」
彼は穏やかに微笑み、優しく私の名前を呼んだ。
「ソーマ……」
優しく撫でるような彼の声が、私には なぜだかくすぐったくて、
私も彼に笑みを返していた。
そんな笑みを浮かべている彼の唇の端から血が滴り
とめどなく流れて落ちる。
私が握りしめている剣が、切っ先が、
彼のみぞおちに突き刺さっていた――
「――っ!? 」
「おわっ!? ビックリしたっ!? 」
跳ねるように上体を起こしたアルテナをよけるように、
ソーマは驚きを露にしていた。
(夢……? )
アルテナは首も目もキョロキョロと見回し、現状の把握に努めた。
どこかの部屋の寝台に寝かされており、
彼が看病していたことは瞬時に理解できたようだ。
また、彼女の右手が彼の右手を強く握りしめていたことも。
強く握り過ぎて彼の右手の一部が少しほど紫に変色しかかっていたが、
彼はそれを表情に見せずに、ただただアルテナの様子を心配していた。
「体の具合はどう? いきなり倒れこんでびっくりしたよ……」
「な、なんでもないわ。ゲホッ!? 」
心配と安堵を織り交ぜた様子のソーマに対し、
夢見が悪くてそっぽ向いてしまうアルテナだったが、咳き込んで外を見た。
夜が沈んで白ばんでいく空と、
見慣れぬ街の風景が木窓から見えていた。
夜から朝に、それに気づくとアルテナは 今度は室内を見回した。
木造の室内に蔵書がずらりと入った棚がいくつもある。
そして寝台のそばの椅子に座った彼がいた。
彼の隣には片手で抱え上げれる大きさの壺が置いてあり、
壺の中には水が入っているようだった。
「ブラウさんが言うには魔力病らしいけど、
治るまでしばらくは、ここを使って良いってさ。」
そう言ってソーマは、
アルテナが跳ね起きた時に額から落ちた布を壺の口にかけた。
額に合うように細長く折りたたまれた布の端が
壺の中の水に浸って染み渡っていく。
壺の中の水の量が程々にまで減っていることにアルテナは気づいた。
「もしかして……」
「ん? 」
「朝まで看病してたの? 」
「まぁ……他にできることもないしね。先生の診察が間違ってたら困るし、
何かあったらすぐに呼びに行けるようにしてただけだしね。」
なんてこともないように言うソーマの目は
あの夢で見たのと変わらず優しく、
それでいて眠気に苛まれて とろんと瞼が下がっていることに、
アルテナは申し訳なさで胸がいっぱいだった。
「……あ、お目覚めですか? 」
木の扉を静かに開けて、シアンがそぉっと顔をのぞかせていた。
「あぁ、おはようございます。ふぁあ……」
「すごいあくびですね。寝てないんですか? 」
「えぇ、まぁ……アルテナも目覚めたことですし、今から寝ますよ。」
「お部屋はわかりますか? 」
「隣ですよね。何かあればすぐ駆けつけますので。」
御盆に料理を載せて運んできたシアンと会話を交わすと、
ソーマはゆっくりとした動作で椅子から腰を上げ、立ち上がった。
いつの間にか親しくなっている二人を見ていて、
アルテナはなんだかおもしろくなかった。
「じゃあアルテナ、おれちょっと寝てくるから……あふぁ……」
眠気がさらに強くなったソーマは、
軽く片手を振って部屋を後にした。
*
ヤクタチ・ソーマと名乗った男性が部屋を出たのを見送り、
アルテナと呼ばれた少女へとシアンが顔を向けると、
少女は色々な感情の混じった警戒の表情をシアンへ見せていた。
(人見知りな娘なのかしら? )
病に倒れる前も険しい表情をしていたことと、
彼と二人きりだった時の様子の差から、彼女はそう判断した。
「ここはどこで、あなたは何者で、ブラウって人も誰なの? 」
病により調子が悪いからか、
少女の態度には険があり口調もキツかった。
もし体調を崩していなかったら、どれほど問い詰められていたか……
そう思いながらシアンは、この街のことと自分のこと、
お師匠様のことを簡単に こう説明した。
ドーマの街より北東に、草原地帯を越えた先にある この街の名前はホルマ。
ホルマの街と呼ばれている。
お師匠様――ブラウ・マディソンは高名な魔力研究者であり、
医学にも理解が深い元冒険者で、ホルマの街で屋敷を構えて生活している。
そしてシアンは、お師匠様のもとで住み込み、
身の回りの世話をしながら魔力研究の手伝いもしている――と。
そして昨夜、彼女の診察を終えてからお師匠様とソーマとの間で、
アルテナの体調が回復するまでの期間中、
お師匠様と一緒に住んでいる この屋敷に滞在することになったこと。
また滞在してる間、シアン同様にお師匠様の魔力研究の手伝いをしながら、
ソーマは彼女の看病も行っていたことも、シアンはアルテナに伝えた。
「……そう、迷惑をかけたわね……」
彼女が倒れてから今現在までのことも含めて説明すると、
恩があることになるからか、彼女の態度も少しは和らいだようだ。
「いえ、それより朝食を運んできたんですよ。どうぞ。」
先ほどまでの彼女のキツい口調に思うことはあるけれど、
そういったことは心のうちに押し殺していたシアンであった。
朝食を受け取ったアルテナは一口一口ゆっくりと、
しかし落ち着かないのか、視線だけはあちこちに向けながら食事していた。
(こんなにかわいい娘が、どうして二人で旅をしているのかしら? )
その様子を見ながら、シアンは窓の外を見た。
いつもと変わらない朝明けの空に真綿のように白い雲が流れていた。