5月21日(金) スカートの下にジャージとな?
「夏凪、そろそろ出ないと遅くなるんじゃないの?」
朝の慌ただしい時間に母の声が響く。
「分かってるってば。もう出るから。」
「はい、お弁当。珍しく慌ててるのね。」
「ありがと。そうだ、今日から合唱部の練習に出るから、帰り少し遅くなるかも。」
母から弁当を受け取った私は、早口でそう告げた。時計に目をやると、結構ギリギリな時間だった。
「あら、そうなの?頑張ってらっしゃい。あとで話聞かせてね。」
「了解、行ってきます!」
私はそう言って家を飛び出した。朝が苦手なわけではないけど、昨日は色々と精神的に疲れていた部分があったのか、久しぶりにギリギリまで寝ていてしまった。ここから学校までは自転車で20分くらいかかる。飛ばせば15分、いや、12分で行ける。私は、地元でも有名な心臓破りの坂を自転車で一気に駆け下りた。登りは死ぬほど辛いけど、下るだけなら快適なものだ。坂の下の信号は青、曲がってくる車もなし。一気に行ける。下り坂で加速した私は、そのままの勢いで走り抜けた。立ち漕ぎでさらに勢いをつけて時間を稼ぐ。
女子らしさ?知らないね。伊達に真面目に校則どおりのスカートの長さにしているわけじゃないのさ。体だけは丈夫なもんで、皆勤賞がかかっているからね。何かの役に立つわけじゃないけど、もらえるものはもらっておこうって事で。
(セーフ!!)
心の中でそう叫んだ。現在、始業5分前。家から学校まで13分で着いた、間違いなく新記録だ。自転車置き場に自転車を置いて、早足で昇降口を抜ける。教室のドアを開けた時点で3分前。余裕だね。
「おはよう、夏凪ちゃん!」
自分の席に着くと同時に、豊島さんが声をかけてきた。
「おはよう、藍子ちゃん。」
「何か、息切れしてない?」
「ああ、ちょっと寝坊しちゃってね。家からここまで13分で来ちゃったよ。」
「13分!?すっげえ・・・。」
豊島さんは目を丸くしながらそう言った。朝からこうやってクラスメイトと会話をするのも、何だか久しぶりで嬉しくなった。
「1時限目、何だっけか。」
「数学だよお。移動教室じゃなくて良かったねえ。」
「ほんと、助かったかも・・・。でも数学は嫌だなあ。」
私は豊島さんと顔を合わせて笑いあった。ああ、いいなあこういうの。そんな事を思っていたら、数学の先生が教室に姿を見せた。豊島さんは「また後でねえ。」と言い残し、そそくさと自分の席へと戻っていった。
午前中の授業を無難にこなし、あっという間に昼休みになった。私はいつも通り、母から持たされた弁当を自分の席で広げようとしたところ、豊島さんが早足で私の席に寄ってきた。
「はい、ストォーップ!そこまでだよ!」
「え?」
「お弁当タイムのことだよ!」
「まだ始まってすらいないよ・・・。」
私は弁当の袋を開きかけたまま、ストップの声に反応して固まってしまっていた。
「いつも澄佳ちゃんの教室で食べてるんだよ。夏凪ちゃんもほら!」
豊島さんは半ば強引に私の手を引っ張って、教室の外に連れ出した。
「ちょ、ちょっと藍子ちゃん、桜庭さんの教室って何組だっけ?」
「3組だよ、ほらほら。」
豊島さんがぐいぐいと私の手を引っ張る。友達と一緒に他のクラスで昼食をとる事など、高校に入学してから初めての事だった。
「おーい、夏凪ちゃん連れてきたぞー。」
3組の教室に入ると、既に3人分の席がセッティングされた状態で桜庭さんと棚橋さんが待っていた。
「あれ?トヨ、夏凪も連れて来たのか。それだと、席がひとつ足りないね。」
棚橋さんはそう言うと、あたりをきょろきょろと見回し始めた。使われてない席を探しているようだった。その時、そんな状況に気がついた一人の男子が、私に声をかけてきた。
「倉石さんだっけ?俺の席、使っていいよ。」
彼は私の名前を呼んだ。向こうは私の名前を知っているようだったが、私は彼に見覚えが無かった。どこかで会っただろうか?1年生の時のクラスメイトでもないし、記憶に思い当たる部分が無かった。
「あ、ありがとう。えっと・・・。」
「ああ、俺は折原って言うんだ。昨日、合唱部の見学に来てたでしょ?俺も合唱部なんだよね。これからよろしく頼むよ。」
彼は折原君というらしい。昨日見学に行ったときは、人数の多さにびっくりして誰が誰だかも分からない状態だったから、全く記憶に残っていなかった。
「あ、うん。こちらこそよろしく。でも、いいの?休んでたんじゃない?」
「いいのいいの。俺はいつも、メシ食った後はベランダだから。」
折原君はそう言うと軽く手を振ってベランダに向かった。まだ休み時間が始まって10分も経っていないのに、もう昼食を食べ終えたんだろうか。
「ベランダで何するんだろ?」
私は目の前の3人に率直な疑問をぶつけてみた。
「見てりゃ分かるよ。さ、食べようか。」
棚橋さんは、あまり興味が無さそうにそう言い放った。私は気になって、折原君の姿を目で追っていると、彼はおもむろにアコースティックギターを取り出してそれを弾き始めた。
「え?折原君、ギター弾いてるよ。」
私は思わず声を上げた。
「あー、いつもの事だよ。見てるとバカがうつるよ。」
棚橋さんは相変わらず興味が無さそうにそう言った。周りの人たちも、まるで気にしている様子は無い。いつもの事というのは、どうやら本当のようだ。誰も何も気にする事も無く、普段どおりの昼休みを過ごしているという感じだった。
私にとっては物珍しい光景であるため、おかずを口に運びながら、ちらちらと折原君の方を気にしていた。最初はギターを弾いているだけだった彼は、今度はギターを弾きながら歌い始めた。あ、この歌聞いたことがある。最近人気がある男性2人組のアーティストの曲だ。
「折原君って、いつもあんな感じなの?」
「そうだよお。ボクにとっては、折原君の弾き語りはもはや環境音と同じ扱いだよ。」
「そうねえ。弾いてない時は、何か悪い物でも食べた時くらいじゃないかな?」
棚橋さんが黙々と食べ続けている中で、豊島さんと桜庭さんは口々にそう言った。
「へえ、私にとっては新鮮すぎる光景だよ。」
「夏凪よ、これ以上見てはならぬ。お主、呪われるぞ。目と耳が腐るまっこと恐ろしい呪いじゃ・・・。」
棚橋さんが私の目を目隠ししながら、おどろおどろしい口調でそう言った。折原君がどんなキャラなのかまだよく分からないけど、何となく部活での立ち位置は理解出来たような気がした。第一印象では、そんなに変な人という印象は無いのだが、少なくとも目の前の3人組からはまともなキャラとは見られていないようだった。
色々と雑談をしていると、あっという間に昼休みが終わってしまった。思い返してみれば、中学生の頃はいつもこんな感じで休み時間を過ごしていたんだけどな。そんな事をふと感じた。
仲の良かった友達は違う学校に行っちゃって、私だけ今の学校に入る事になって、そして気がついたらあんまり周囲に馴染めなくていつも一人でいることが多かった。結局、中学生の頃はいつも一緒にいた友達に依存していたんだろう。何の根拠も無いのに、ずっと一緒にいるもんだと思っていた。そんな時に、急に離れ離れになったから、私は一人じゃ何も出来なくなった。今だって、こうして皆に手を差し伸べてもらったから、居場所を作る事が出来ただけであって、私自身は何も出来ていない。また結局、周りの人の力に頼り切ってしまっている。これじゃ、駄目だよね。そんな事、分かっているんだけどさ。頭の中で、そんな考えが浮かんでは消えていった。
放課後、豊島さんと部活に行く準備をしている最中に、私はふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
「ねえ、藍子ちゃん。今の合唱部って何人くらいいるの?」
「んー?何人だったかなあ。3年生の男子は木村君とあと二人いて、同級生は折原君と5組の永井君。あと、1年生が一人かな。」
「男子って6人だけ?女子は?」
「女子はねえ、確かソプが8人で、メゾが13人、アルト12人かな?ボクはアルト担当なんだよ。」
「全部で39人か。結構多いんだね。」
「そうだねえ。賑やかだよお。夏凪ちゃんが入るとちょうど40人になるね!」
豊島さんの話を聞いて、木村先輩が私に助っ人を頼んだ時に、人数のバランス云々と話していた事について納得がいった。確かに聞く限りだとソプラノの人数が他の女声パートより少ないようだ。でも、どうして先輩はソプラノが足りない事に対する助っ人に私を選んだのだろうか。今日の練習の時に声域の確認をするって言っていたし、そこで分かるんだろうか。
「夏凪ちゃん?どした?」
「あ、うん。何でもないよ。」
「じゃあ、澄佳ちゃんと千穂太郎を回収して部活いこっか。」
豊島さんの言葉に私はひとつ頷いて、一緒に教室を出た。桜庭さんと棚橋さんはまだホームルームの最中だったが、すぐに合流出来た。
「夏凪、今日ジャージ持ってる?」
教室から出てきた棚橋さんが開口一番、私にそう尋ねた。
「教室においてあるけど、どうして?」
「下だけ履いておくといいよ、ほれ。」
棚橋さんはそう言ってスカートをひらひらとまくって見せた。スカートの下にジャージを履いている。よく見ると、桜庭さんも豊島さんも同じような格好をしていた。
「何でジャージ履いてるの・・・。」
「声出しの前に、筋トレやるんだよ。腹筋と背筋ね。」
「へ?」
棚橋さんの言葉に、思わず変な声が漏れた。
「複式呼吸って聞いたことあるでしょ?歌う時はお腹使うのよ。だからちゃんと鍛えておかないと。」
桜庭さんがそう説明してくれた。
「へへん、夏凪ちゃんも私の鋼鉄の腹筋みたいに鍛えねばならんよ。」
そう言いながらお腹を突き出した豊島さんに向かって、棚橋さんが無言でボディブローを繰り出した。
「な、何するんだよお!」
棚橋さんの一撃が思い切り入ったようで、豊島さんはお腹を押さえながら苦しそうに抗議した。
「めっちゃプヨプヨしてた。」
「乙女の腹筋にプヨプヨとか言うなよお!!」
「はいはい、二人ともその辺にしなさい。そろそろ部活に行かないと駄目でしょ。」
桜庭さんはやり合う豊島さんと棚橋さんをうまい具合に落ち着かせてしまった。さすがに、飼い主を自称するだけの事はあるなと思った。私は言われたとおりジャージを持って、音楽室へと向かった。
私たちが音楽室に着いた頃には、既に他の部員たちの大半が集まっていた。まだ周りから好奇の目で見られているような感じがするが、昨日音楽室に初めて入った時ほどではなかった。
「はい、それじゃ二人組になって腹筋と背筋やるよ。」
部長の西島先輩がそう声をかけると、部員たちはそれぞれ二人組に分かれて、筋トレをはじめた。
「夏凪、今日は私とやろう。」
棚橋さんにそう声をかけられた。
「なんという事だ・・・スパルタ教育の千穂太郎に捕まってしまうとは。もはや無事では済まないだろう・・・。」
棚橋さんに声をかけられた私を見て、豊島さんが変な顔をしながらそうつぶやいた。
「おい、人聞き悪いな・・・。」
「そうよ藍子ちゃん。バカな事言ってないで、こっちでやるわよ。」
豊島さんは桜庭さんに軽くあしらわれて、音楽室の隅の方に連れて行かれてしまった。私は棚橋さんに足を押さえてもらって、腹筋を始めた。思ってみれば、腹筋なんて何年振りなんだろう。運動部に入った事がない私には、筋トレなど無縁な事だった。文化系の合唱部なのに、筋トレをするなんて思ってもいなかった。
腹筋を20回、背筋を20回やって棚橋さんと交代した。不慣れな私と違って、棚橋さんは軽快なテンポで軽くこなしてしまった。再度交代してもう1セットずつやって、終了となった。腹筋と背筋それぞれ40回でも、不慣れな私には十分すぎるほどきつい。腹筋の辺りがピクピクしている感覚がある。
既に疲れきっている私の姿を見て、棚橋さんは笑っていた。
「夏凪、運動不足なんじゃない?」
「ですよね・・・。」
そうとしか返せなかった。余裕そうにしている棚橋さんを見て、何だか自分が情けなくなった。周りを見渡すと、大体の人が既に2セットを終えていて、最後の組が終わったのを見計らって西島先輩が口を開いた。
「じゃあ、パートごとに並んで。声出しするよ。倉石さんは棚橋さんの隣でやってみてね。」
「千穂ちゃん、何をすればいいの?」
声出しと言われてもよく分かっていない私は、棚橋さんに助けを求めた。
「西島先輩がピアノで音出してくれるから、それに合わせて声を出すんだよ。とりあえず一回聞いてみて、入れそうだなって思ったら入ってみればいいよ。簡単だからすぐ慣れるって。」
私はひとつ頷いた。棚橋さんが言っていたように西島先輩がピアノで音を出し、それに合わせて部員たちが流れるような音程で声を出していく。毎回ひとつずつ音程を上げていって、その音を基準にして同じように流していけばいいんだという事は分かった。
「次、入ってみる。」
隣にいる棚橋さんに小声でそう告げると、彼女はひとつ頷いてくれた。タイミングを計る私の胸は、やけにドキドキしていた。ちゃんと声が出るだろうか。声出しといっても、既に皆は歌っている時と同じようなきれいな声で声を出している。この中に混ざっておかしな事にならないだろうか。そんな事を考えていると、次のタイミングがやってきた。
私は、何も考えずに素直に声を発した。思ったよりも、すんなりと声が出た。棚橋さんの方に目線を向けると、彼女はうんうんと頷いてくれた。どうやら、大丈夫のようだ。私は、続けて声を出す。皆と同じように声を出せてる?ひとつひとつ確認するように声を出してみる。一通りの声出しが終わった時、私の胸は最初に声を出す瞬間よりも高鳴っていた。耳の奥に、心地良さがしっかりと残っている。
「ちゃんと出来てたね。偉いぞ。」
声出しが終わった後に、棚橋さんがそう言って私の肩をぽんぽんと叩いた。その様子を見て、西島先輩も私の方に近寄ってきた。
「倉石さん、どうだった?」
「あ、はい。とりあえず入ってみたんですけど、ずれてませんでしたか?」
「大丈夫よ。この後、いつもだとパートごとに練習して、最後に合わせるって流れでやってるんだけど、倉石さんはまずは音域のチェックをしないとね。」
「音域のチェックって、どうするんですか?」
「木村君がやるって言ってたから、部室に行ってみて。音楽室から出てすぐのところに4つ部室があるけど、一番奥の部室でやるって言ってたから。」
西島先輩にそう言われた私は、言われたとおり木村先輩が待っているらしい部室へと向かった。音楽室を出てすぐのところに、4個並んだ部屋があった。それぞれ、手前からソプラノ、メゾソプラノ、アルト、男子用と並んでいるようだ。私は西島先輩の話の通り、一番奥の男子用の部室のドアを開けた。
「よお、倉石。男子の部室へようこそ。」
中に入ると、木村先輩が小さなピアノの前に座っていた。そこには、折原君と、多分豊島さんから聞いていた同級生の永井君と思われる男子の姿があった。彼らは物珍しそうな視線を私に向けた。
「折原、永井、ちょっと外で練習しててくれるか?倉石の音域チェックをしないといけないんでね。」
「えー、俺らはお払い箱かよ。」
木村先輩の言葉に、折原君は少し不満そうにそう言った。
「お前らに見られてたら、倉石も緊張するだろ。それに、部室でピアノが置いてあるのここだけなんだよ。ほら、さっさと出た出た。」
木村先輩がそう促すと、永井君が不満そうにしている折原君を半ば無理やり部室の外へと連れ出していった。私はそんな光景を目にして、何だか申し訳なくなった。
「先輩、いいんですか?」
「いいのいいの、あいつらは外でも練習出来るから。さて、早速だけど始めようか。」
「どうすればいいんですか?」
「俺がピアノを弾くから、倉石はその通りに声を順番に出していってくれればいい。」
「さっきの声出しみたいな感じですか?」
「あれより簡単だよ。じゃあこの辺りから・・・。」
先輩はそう言ってピアノで音を出した。私が声を出すと、1音ずつ高くしていって、それを繰り返してという感じだ。だいぶ高音になってきたところで、声が出しにくくなってきたのを感じた。この辺りが出せる限界なんだと自分でも分かる。
「こんなところかな。やっぱり俺の見立て通り、音域的にはソプラノで大丈夫だね。」
「そうなんですか?でも、最後のあたりは少しきつかったです。普通に出すとかすれちゃいそうで。」
「最初は皆そんな感じだよ。これから練習していけば、もっと安定して出せるようになる。」
「でも、大会って8月末って言ってましたよね?たった3ヶ月でちゃんと歌えるようになるんですか?」
私は少しだけ心配だった。先輩に尋ねたとおり、大会までは3ヶ月しかないのだ。本格的な合唱なんてやった事がない状態で、どこまで歌えるようになるのだろうか。助っ人として役に立てるのだろうか。さっき声出しで思ったよりうまくいったから、何となく大丈夫なんじゃないかって思った節はある。でも、冷静に考えてみると、3ヶ月という期間はあまりにも短いのではないか。そう感じるのだ。
「心配は要らない。頼んで来てもらった以上は、3ヶ月でものになるようにしっかりサポートはするから。」
「・・・はい。」
先輩の力強い言葉に、今の私は自信のない返事を返すことしか出来なかった。でも、その言葉がとても心強く感じたのは確かだった。
「もう少し声出ししてみようか。いきなりパート練習に加わるってのも大変だろうからね。しばらくは声出しを中心にやってみよう。」
先輩はそう言いながらピアノを弾いた。私はそれに合わせて声を出す。最初の声出しの時も思った事だけど、案外思ったとおりに声が出る。緊張もあって少し震え気味だけど、それでもちゃんと音は出る。私が出す声を聞いて、先輩は音が合っていることの意思表示として頷いてくれる。そんな繰り返しが心地よくも感じた。
しばらく声出しを続けていると、部室のドアがゆっくりと開いた。顔を覗かせたのは、何度か職員室で顔を見た事はあるが、名前は知らない音楽の先生だった。
「続けて。」
つい声を出すのを止めてしまった私を見て、先生は一言そう言った。先生は部室の入り口で立ち止まったまま、私の声出しの様子を見つめていた。緊張のせいで、さっきよりものどが狭まるのを感じた。うまく音が出ているか、よく分からない。そんな不安を察してか、先輩はこちらを見ながら頷いていた。
「いいねえ。きれいな声だ。」
一通りの声出しが終わるのを待っていたかのように、先生は拍手をしながらそう言った。きれいな声などと言われた事がない私は、顔から火が出そうになって頬に手を当てた。
「倉石さんだったかな?木村君から話は聞いてたよ。」
「あ、はい。2年7組の倉石です。」
「僕は合唱部の顧問をしている若生。倉石さんとは授業では会った事が無かったけど、これからよろしくね。」
先生はそう言いながら手を差し出した。私はぺこりとひとつお辞儀をしながらそれに応じた。
「ところで、いい声だったね。合唱やってた事があるのかい?」
「いえ、学校の授業とかで歌った事があるくらいです。」
「そうかそうか。いやあ、これからが楽しみだね。倉石さんはきっと上手くなるよ。」
先生は嬉しそうにそう言った。
「俺の見立ても大したもんでしょう?」
先輩はそれに合わせて、誇らしげにそう言った。
「うんうん、さすがだね木村君。ところで、男子の方の勧誘の具合はどう?」
「いやあ、それがなかなか。一人、当たってみようかなと思う後輩がいるんですけどね。」
「そうかい。まあ、無理強いは出来ないからね。見つかれば嬉しいけど、まあ木村君も無理はしないって事で。」
「ま、了解ですよ。」
「じゃあ、僕は他のところを見てくるから、練習頑張ってね。」
先生はそういい残して、部室を後にした。私は、先生と先輩の会話の中で、ひとつだけ気になったことを尋ねてみた。
「先輩、男子の助っ人も探してるんですか?」
「うん。見ての通り、男子の方が致命的に不足してんだよね。3年は俺ともう二人しかいないし、2年が2人に1年が1人。何とかかんとかやってるけど、もう少し増えてくれないとなあ。」
先輩は腕組みをしながら困ったような声を出した。
「先輩も見かけによらず苦労してるんですね・・・。」
「何気にひどいね、倉石サン。まあ、最初から駄目元だし、当たって砕けろって事で。」
先輩はそう言いながら笑った。私が助っ人をやるって言ったときも、すごく喜んでいたし、勧誘の事で色々苦労しているんだろうなということは想像出来た。女子が30人超のところに男子は6人だけ。確かに、数だけを見たらこんなので成り立つのかって思うくらい少ない。昨日合わせているのを聴かせてもらった時は、素人目だと特に違和感も感じなかった。男子が弱いって感じも無かった。でも、大会で歌うレベルになるとそれだけじゃないんだろうな。そんな事を思っていた。
「さて、もう少しやろうか。」
「あの、先輩。」
練習を再開しようとする先輩を遮る形になったが、私は頭の中に浮かんだことをぶつけてみることにした。
「合唱の大会のこと、前に少し教えて貰ったじゃないですか。県大会とか地方大会とか。」
「うん。」
「大会って、実際どんな感じなんですか?」
私の質問に、先輩は少し困った顔をした。
「どんな感じって、かなりアバウトな質問だなあ。」
「ですよね・・・。えーと、例えば県大会で上位の団体が地方大会に進めるって言ってましたけど、何で決めるんですか?」
「ああ、合唱の大会には審査員がいてね。審査員の採点によって、金賞、銀賞、銅賞って結果がつくんだよ。」
「オリンピックのメダルみたいな感じですね。」
「ちょっと違っててさ。出場すると金・銀・銅どれかは必ず貰えるんだよ。金賞が3団体、銀賞5団体とか、複数出るんだよね。」
「へ?どういう基準なんですか?」
「んー、詳しい基準は俺は分からないけどね。で、地方大会に行けるのは上位3団体だったはず。審査要綱か何かに載ってた気がするんだけど、あんまり詳しく見た事ないからさ。」
「うーん、難しいんですね。去年はうちの学校はどうだったんですか?」
「去年は5位でダメ金だった。」
「ダメ金?」
「そそ。金賞だったのに地方大会に行けない、通称ダメ金。」
「一番上の賞なのにダメなんですか・・・。」
「去年は上位3校が地方大会に行ったからね。金賞でもぬか喜びってやつ。」
「厳しいんですね・・・。」
「せっかく倉石も助っ人で来てくれたし、男子の勧誘も何とかする。今年はそう簡単には負けんよ。」
少し表情を曇らせた私を見て、先輩は力強くそう言った。こんな素人丸出しの私を頼りにしてくれている事については何だかむず痒く感じるけど、不思議と悪い気持ちはしない。先生にもよく分からないけど褒められた。それだけで十分だ。
「その意気ですよ!やってやりましょう先輩!」
「お、やる気だねえ?じゃあ、練習再開ってことで。」
そう言った先輩は心なしか嬉しそうだった。その後、声出しとか色々な練習に付き合ってもらい、部活の時間はあっという間に過ぎていった。