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コーラスビート!  作者: 土田うるさ
- 高校2年生 私の日記 一冊目 -
4/20

5月20日(木) 私の答え

 今日の授業を終えた私は、荷物をまとめて図書室へと向かっていた。

 昨日、母と話し終えた後、ずっと部屋にこもって考えた。多分、これまでに無いくらい、色々な事を考えた。そして、私の中で答えは決まった。

 今日は木村先輩が図書委員会の当番の日だから、図書室に行けば会う事が出来る。少しずつ図書室に近づくにつれて、鼓動が高鳴るのを感じた。頭の中では、先輩との会話のやり取りについてシミュレートが繰り返されている。こう言ったらこう返す。ああ言ったらこう返す。入念にそれを繰り返す。そんな事を繰り返しているうちに、目の前に図書室のドアが迫る。

 シミュレートは完璧だ。あとは話すだけ。それだけなのに、緊張感が物凄い事になっている。私はそっと、音を立てずに図書室のドアを少しだけ開けて中を覗き込んだ。すぐに、私の目に先輩の姿が飛び込んできた。


 利用者もいないようで、先輩が貸し出しカウンターで退屈そうに座っているのが見えた。その姿を見た瞬間に、どくんと私の心臓が大きく鳴ったように感じた。それと同時に、何をどう伝えればいいのかが真っ白になるのを感じた。せっかくのシミュレートの内容が一瞬で吹き飛ばされてしまった。さっきまで考えていた事が何故だかさっぱり思い出せなくなっている。ふと、頬に手を当ててみると、熱でもあるのかと思うくらい熱くなっている。


 大混乱している頭をまとめようとするが、一向にまとまる気がしない。かと言って、いつまでも図書室のドアの前で中を覗き込んでいる不審者のような行動を続けているわけにも行かない。ああ、もうどうにでもなってしまえ。こういう時は勢いに任せて行ってしまえばいいんだよ。そう自分に言い聞かせて、私は勢いよく図書室のドアを開けた。


「失礼します!」


 退屈さゆえに完全に気を抜いていた先輩の体が、私の声に反応してびくっと動いた。


「く、倉石?どうした?」


 先輩は目を丸くしながら私の方を見た。私はお構いなしと言わんばかりに、つかつかと先輩が座るカウンターに向かって歩を進めた。


「あのですね!」


「は、はい。どうしましたか、倉石サン・・・。」


 先輩は少し驚いた表情でこちらを見つめていた。勢いをつけて突撃したものの、次の言葉がなかなか出てこなかった。どのくらいそのまま時間が過ぎただろうか。数秒?いや、体感ではもっと長く感じた。


「・・・倉石?」


 先輩が私を呼ぶ声を聞いて、私ははっと我に返った。そして次の瞬間、私の口から言葉が漏れた。


「この前の話ですけど、私に出来る事ならば・・・。」


 何か、かなりシミュレートした内容と違っている。もっと色々とやり取りをして、その中で伝えるつもりだったのに、何の前振りも無く吐き出してしまった。私の言葉を聞いた先輩の目は、さっき勢いよくドアを開けた時と同じように丸くなっていた。


「本当に?」


 先輩は、私を見つめたまま一言そう言った。そういう返しをされると、返答に困ってしまう。でも、さっきの言葉が私の答えだった。何の根拠も自信もないけど、自分で考えて、そして出した結論だ。


「はい。」


 そう言いながら、私はひとつ頷いた。先輩の言葉への返答は、この一言で十分だ。私は、自分で出した結論を、自分自身の選択を尊重する。今更、捻じ曲げたりなんかしない。これは、今までずっと引っ込み思案だった自分への挑戦なんだ。そう考えている部分もあった。


「本当の本当に?」


「本当の本当にです。」


「エイプリルフールは遅れてきたりしないよね?」


 先輩が珍しく不安げな表情を浮かべている。こういう展開に、何かトラウマでもあるんだろうかこの人は。


「そう言われると、何だか決意が鈍ってきたような気が・・・。」


 私はそんな先輩に少しだけ意地悪をしてみたくなって、そんな事を言った。


「ああっ、嘘だって!俺は倉石サンの事信じているよ!」


 ころころと態度が変わる先輩を見て、私は何だかおかしくなった。


「私も、嘘ですよ。やるって言ったら、やりますよ私は。」


 そう、一度口にした事だから、もう揺るがない。軽い気持ちで言ったわけじゃない。ちゃんと考えて、出した答えだから。


「良かったあ・・・。」


 先輩の口から安堵したようなため息が漏れた。力の抜けたような表情で、それでも笑顔を作って私に笑いかけていた。


「先輩?」


「正直、断られるんじゃないかって思ってたからさ。前に話した時に、あんな風に逃げられちゃったからね。」


 逃げた?そうだったっけ?私は、この間先輩を話した時の状況を思い出してみた。先輩と話をしていて、最後に・・・。ああ、そう言えばダッシュで逃げましたわ。確かにあの時の心境は、逃げ出したい一心だった。まあ、先輩にもこっちの気持ちが伝わっていたという事だろう。


「あれは逃げたわけじゃないです。ちょっとパニックになってしまって・・・。すみませんでした。」


 実際は逃げてしまっていたのだが、ストレートにそう伝えるのも心苦しいため、私は半分だけ本当の事を言った。


「いやさ、他の人にもお願いして回ってたんだけど、全部断られてね。だから、倉石のときも、駄目だったかって思ってたんだよ。」


「何だか、すみません・・・。」


「いや、倉石が謝る必要は何も無いよ。それにさ、よくよく考えると倉石だけだったんだよね。」


「何がですか?」


「考えさせてくれ、って言ってくれたのさ。」


 何も言わず、半分首を傾げて見せた私を見て、先輩は続けた。


「他の人は即答で断られてたからね。倉石だけだよ、考えてくれたのは。そして、やるって言ってくれたのも。」


 私は、先輩の言葉を黙って聞いていた。口を開いたら、何かが溢れ出してきそうで、何も言えなかった。もういいんだよ、やるって決めたんだから。何も言って貰わなくたって、いいんだよ。先輩の気持ちは、十分に伝わっているんだから。


「だから、ありがとう。」


 先輩はそう言いながら手を差し出してきた。だが私は、そんな先輩と目を合わせる事が出来ずに、うつむいてしまった。

 ありがとう、それは私が言うべき言葉だった。誘ってくれてありがとうって、私の方から言いたかった。こうやってたくさん考えて、動き出すきっかけをくれた事に、私は感謝しているんだ。


 だから伝えたい、この気持ちを。でも、それはきっと、今じゃない。まだ何も始まってすらいないんだから。今は、先輩の気持ちを素直に受け取っておく事にしよう。そして、いつか必ず伝えるんだ。ありがとうって。


「これから、よろしくお願いします。」


 うつむいていた私は、顔を上げて先輩の手を取った。充血していただろう目を見られるのは恥ずかしいと思ったけど、はっきりと伝えたかったから。

 

「こちらこそ、よろしく。ちゃんとサポートするから、大丈夫だよ。」


 先輩はそう言って易しく微笑んだ。


 その後、ぼちぼちと人が集まりだした図書室で、先輩の仕事を手伝いながら過ごした。気がつくと、間もなく17時半になろうとしていた。もう利用者も残っていないようだ。


「さて、もうすぐ閉める時間だ。俺はこの後部活に顔出すけど、倉石はどうする?」


「どうすると言うのは?」


「時間があるなら、少し見学していく?いつから参加するかは、倉石の都合に合わせてもらっていいからさ。」


 言われて見れば、助っ人の事について詳しい事は何も聞かされていない。いつから参加するって話も、そう言えば聞いていなかった。思い返してみると、色々と説明が抜けていた気がするよ、先輩。


「邪魔にならないですか?」


「この時間は合わせてるはずだから、雰囲気を見てもらうにはいいと思うよ。」


「合わせ?」


「ああ、合わせってのは全パートが集合して実際に合唱するって事。普段は最初に、パートごとに練習してるからね。で、後から皆で合わせてって感じなのさ。」


 そう言えば、中学生の時に校内の合唱コンクールをやってた時も、そんな感じで練習していた事を思い出した。合唱部がどんな風に活動しているのかもよく分かっていない事だし、これからお世話になるわけだし、いい機会だと私は思った。


「じゃあ、少しだけ見学させて下さい。」


「お?じゃあ、行こうか!」


「閉めるまであと10分ありますよ?」


「どうせもう誰も来ないって。閉めちゃおうぜ。」


 まあ経験上、テスト前でもない限りは17時を過ぎると殆ど人もいなくなるし、新たに駆け込んでくる人もまずいない。実際、何も問題はないのだろうけども、こんなに適当でいいんだろうかと疑問に思う私がいた。


「施錠ヨシ、電気ヨシ。そんじゃ音楽室にGO!」


「音楽室ってどこにあるんでしたっけ?私、この学校に入ってから、一度も音楽室は見た事ないんですよ。」


「あれ?倉石って音楽クラスじゃないんだっけ?」


「書道クラスですよ。私、音楽も美術も得意じゃないですもん。」


 この学校は通常の授業の他に、芸術系科目を何か一つ選択する事になっていた。音楽、美術、書道とあるが、音楽はそもそも楽器も歌も出来ないからパス。美術に関しては、幼稚園の頃から絵心が無いと言われ続けている私なので、音楽以上に選択肢に入らない。そこで、消去法で辿り着いたのが書道であった。小学校の頃から宿題で書初めとかあったし、書道なら美的センスが皆無でも何とかなるだろうという思いがあった。実際、字が下手という訳ではないし、今のところは無難にこなせていると思っている。


「書道なの?倉石には似合わな・・・痛い!!」


 私は何か失礼な事を言いかけた先輩の脛に、ローキックを放った。図書委員で散々関わってきているし、このくらいの過激なスキンシップでも先輩は許してくれるだろう。そもそも、原因を作ったのは先輩の方だし。自業自得という事で食らって頂く。


「おっと、つい足が。今日の足は元気だなあ。同じ動きを反復してしまいそうだなあ・・・。」


「スミマセン、スミマセン・・・。」


 本当に、先輩は先輩としての威厳のかけらも無い。時々先輩らしい一面を覗かせる事もあるが、基本的にはいつもこんな感じである。まあ、こんな感じだからこそ、あまり気を遣わずに接する事が出来ているのだけれども。


「音楽室は3階だからさ、ここ上がってすぐだよ。」


 先輩はそう言いながら階段の上を指差した。私が部活で使っている家庭科室と被服室は、今いる北側校舎の1階にある。図書室は2階。3階には視聴覚室等があったと思うが、これまでに使った事が無いため、3階に上がるのは初めてであった。


 先輩の後について階段を上がっている途中、微かに歌声が聞こえてきた。


「これ、合唱部で歌ってるんですよね?」


「そうだね、ちょうど合わせてるみたいだ。音楽室は防音になってるから、少ししか聞こえないけど。」


 私は微かに聞こえる歌声に、耳を澄ませてみた。それは、とてもきれいな歌声だった。中学生の頃に、音楽の授業やクラスでやっていたような合唱とは違う、どう例えれば良いのか分からないけれど、本格的な合唱だ。私は急に、不安な気持ちになった。


「あの、先輩・・・。」


「ん?」


「本当に、私なんかで役に立つんですか?」


「どうして?」


「いや、私はこんな風に、きれいに歌える自信なんて・・・。」


「大丈夫。合唱部だからって、歌が上手い人だけじゃないしさ。まず、気楽にやってみるといいよ。」


 先輩はそう言って笑ったが、私はとてもそんな気持ちにはなれなかった。気楽も何も、この歌声を聴いてしまった瞬間から、心臓がばくばく鳴っている。音楽室に近づくにつれて、聴こえる歌声は大きくなっていく。それに比例するように、私の心臓もますます大きな音を立てる。そしてついに、音楽室のドアの前に辿り着いてしまった。おもむろにドアに手を伸ばす先輩を、私はとっさに制止した。


「先輩、ストップ!ストップです!」


「どした?」


「まだ歌ってる途中みたいですし、邪魔になると悪いので終わるのを待ってからにしましょうよ。」


「そっか、それもそうだな。この曲、今度の大会の課題曲なんだけど、もうすぐ終わるよ。」


 すぐ終わってしまうのか。この時間を利用して気持ちを落ち着けようと思っていたのに、あまり時間は無いようだ。先輩に気付かれないように、深呼吸をしてみる。それを何度か繰り返していたら、心なしかさっきよりは気持ちが落ち着いたような気がした。


「あ、終わったみたいだから入ろうか。」


 先輩の言葉に、私は覚悟を決めた。よくよく考えてみれば、今日はどうせ見学だけなんだから、そんなに緊張しなくてもいいだろう。自分にそう言い聞かせて頷いた。


 次の瞬間、先輩は予想外の行動を取った。


 バァンと勢いよくドアを開けて中に入ると、大きな声でこう言った。


「みんな、お疲れ!はい、注目!」


 何をやらかしてんだ、この人は。音楽室の中いる40人ほどの合唱部員の人たちが、先輩の声に反応して一斉にこちらの方に視線を向けた。想像していたよりも、ずっと大人数だった。


「今日から助っ人に来てくれる事になった倉石さん。皆よろしくしてあげてね!」


 音楽室の中がざわつき始めた。中には数人見た事がある顔が混ざっていたが、それどころの話ではなかった。しかも、今日から!?さっきは、いつから始めるかはこっちの都合でとか言ってなかったっけか、先輩よ。やはり、どうにもこの人は読めない人だ。さっきまでの緊張がどうとかいう話ではなく、今は目の前で起こってしまったこの状況を何とかするしかなかった。


「先輩、どうすれば・・・。」


 私は小声で、隣でニコニコしている先輩に尋ねてみた。


「自己紹介でもしておけばいいよ!」

 

 そうですか。簡単に言ってくれたものだが、私は何をするにもまずはシミュレートが必要だ。ぶっつけ本番なんて勘弁して頂きたい。しかし、ざわつきの止まないこの場を収めるには、やるしかないのだろう。私は仕方なしに、口を開いた。


「あ、あの・・・2年7組の倉石夏凪です。助っ人と言われても何をすればいいのかまだ分からないですけど、よろしくお願いします。」


 我ながら非常につまらない自己紹介だ。というか、紹介すらしていない。名前とクラスしか言ってないじゃないか。どんな反応をされるのかびくびくしていた私だったが、想像とは裏腹に、合唱部員の人たちから拍手で迎えられた。こんな拙い自己紹介に拍手を貰う事が何だか恥ずかしく、私はぺこりと軽く頭を下げた。


「木村君、入って来るなら来るで、もう少しまともに入って来なさいよ。倉石さんも困ってるじゃない。」


 前列の一番奥にいた3年女子の先輩が、そう言いながらこちらに近づいてきた。私はその先輩を見ながら、もうひとつ頭を下げた。


「ああ、部長。この人が、この前話してた後輩の倉石さん。今日は見学って事で来てもらったからさ。」


「まったく・・・倉石さんごめんね、この人ちょっと変わってるから。私は西島琴音。一応部長って事になってるから、これからよろしくね。」


「あ、はい。倉石夏凪といいます。よろしくお願いします。」


 3年生の西島先輩。初めて会った人だけど、木村先輩とは違って落ち着いていて良い人そうだなと感じた。その柔らかい表情から、穏やかな人柄が伝わってきた。


「変わってるって何だよ、失礼な。倉石を説得したのは俺だぞ。もっと褒めてくれたまえよ。」


「本当の事じゃない。それに、褒めるならここに来てくれた倉石さんを褒めるべきでしょう。」


「むむむ・・・。」


 面倒くさいモードに入った木村先輩を簡単にあしらうとは、西島先輩はなかなかのやり手だと私は思った。


「で、これからどうする?先生は?」


 褒めてもらう事を諦めた木村先輩が、西島先輩にそう尋ねた。


「先生は今日は出張だって。だから、あと何回か合わせて、今日は終わりにしようかと思ってたけど。」


「そっか。じゃあ俺も入るから、倉石はこっちに座って見学してて。」


 木村先輩はそう言うと、どこからか椅子を持ってきて音楽室の端の方に席を作ってくれた。


「まずは雰囲気だけでも味わってみて。これからの事は、少しずつでいいからね。」


 西島先輩はそう言うと、部員たちに指示を出し始めた。


 そして、合唱が始まった。知識が無いから曲名も分からないが、賛美歌のような曲だった。何かの映画で見たような、教会とかで歌ってそうな雰囲気の曲だった。私はそっと目を閉じてみた。ドアの外で聴いたよりも、ずっと心地よい歌声だった。私はこれから、ここにいる皆と歌う事になるのだろう。自分にこんな声が出せるだろうか。皆のように、きれいに合わせて歌う事が出来るのだろうか。色々な思いが浮かんでは消えてゆく。


 私は、助っ人として合唱部に参加する事を決めた。考えに考えて、そう答えを出した。答えを出した後も、こうやって色々と考えを巡らせている。でも、私はこれでいいんだ。こうやって、何でも考えて考えて、少しでも進んでいけばいい。みんなの歌声を聴いていると、不思議とそんな前向きな気持ちになれる気がした。


 まずは雰囲気だけ。西島先輩が言っていた言葉を、私は思い出した。色々考えるのはとりあえず後回しにして、今はこの雰囲気を感じていたい。私は何もしていない。ただ皆の歌声を聴いているだけなのに、生まれてくる一体感がある。ああ、何となくこういうのっていいなあ。久しく忘れていた感覚だった。


 曲の終わりに、私はそっと目を開けた。心地よい余韻が、私の耳に残っている。いつの間にか、音楽室に入る前の不安は吹き飛んでしまっていた。自分も、あの輪の中に混ざって、一緒に歌うんだ。そうリアルに想像出来た。聴いているだけでも感じる事が出来た一体感、自分があの輪に混ざったらどう感じるのだろうか。柄でもなく湧き上がる胸の高鳴り。この正体を早く確かめたくて、私はうずうずしていた。


 その後、何度か同じ曲を合わせて、今日の部活は終了となった。後片付けをする部員たちの姿をふわふわした感覚で眺めていた私のところに、西島先輩が近づいてきた。


「倉石さん、お疲れさま。今日歌ってた曲、8月の合唱コンクールの課題曲なんだけど、どうだった?」


「あの、皆さんすごく上手くて、もっと聴いていたい感じです。それで・・・。」


「どうしたの?」


 口篭った私を見て、西島先輩が首を傾げた。


「私も、皆と一緒に歌ってみたいなって思って。あ、あの、変ですよね。今まで合唱やった事も無いのに・・・。」


 私は何か大変な事を言ってしまった気がして、顔が紅潮していくのを感じた。私の言葉を聞いて初めはきょとんとした表情を浮かべていた西島先輩だったが、すぐに優しい表情に戻ってこう言った。


「何も変じゃないわ。合唱って、きっとそういう魅力があるんだと思うの。私が合唱を始めたきっかけも、似たような事を感じたからなのよ。」


「そうなんですか?」


「ええ。良かったら、明日も部活はやってるから来てみて。無理はしなくていいからね。それじゃあ、私は後片付けがあるから、またね。」


「はい、ありがとうございました。」


 私が今日感じた感覚、合唱をやっている人は皆感じるものなんだろうか。西島先輩が合唱を始めたきっかけは、私が感じた事と似たようなものを感じたからだと言っていた。いつか、その辺りの話も先輩と詳しく話してみたい。そんな事を考えていたところで、突然私を呼ぶ明るい声が聞こえてきた。


「夏凪ちゃん!ボクだよ!」


「・・・豊島さん?」


 明るい声の主は、私と同じクラスの豊島藍子とよしまあいこさんだった。さっき、音楽室に入った時に真っ先に目に入ってきたのが、見覚えのあった彼女の姿だった。彼女もすぐに私に気付いて、自己紹介の時からニコニコしながら話を聞いてくれていた。同じクラスとはいっても、挨拶を交わす程度で、これまで殆ど話した事は無かった。彼女は休み時間になると他のクラスの人と一緒にいる事が多かったため、関わる機会があまり無かったのだ。一人称は、さっき聞いての通り「ボク」である。見た目は髪もすらっと長いし、女の子らしい感じなのに、何でなのかと疑問に思った事もあったが、彼女の独特の世界観があるんだろうなって勝手に納得していた部分がある。


「助っ人って夏凪ちゃんの事だったんだね。これからよろしくねえ。同じクラスに合唱部員が増えるのは喜ばしい限りだよ。」


 豊島さんはそんな事を言いながら満面の笑みを浮かべた。元々、感情が表情に出やすい彼女は、すごく分かりやすいから助かる。


「あ、うん。これまであんまり豊島さんと話した事無かったけど、これからよろしくね。」

 

「なんだよお、水臭いなあ。藍子でいいよ、藍子で!ボクと夏凪ちゃんの仲じゃないか。」


 豊島さんはやけに興奮しながら、私の肩をバンバンと叩いた。これまであまり積極的に関わった事が無いのに、どんな仲なんだろうか。でも、フレンドリーに接してくれる人がいる事は、これからここでお世話になる私にとっても喜ばしい事だ。


「藍子ちゃん、倉石さんに迷惑かけちゃ駄目でしょ?」


「そうだぞ、トヨ。あんたはいつもそうなんだから。」


 興奮気味の豊島さんの背後から、2人の声が響いた。ああ、この人たちも見た事がある。いつも休み時間に、豊島さんと一緒にいる2人だ。彼女たちは確か文系クラスの2人で、よく廊下で3人揃って話しているのを見かけた事がある。もっとも、2人とも名前は知らないけども。


「むー、ボクは何もしてないよ。迷惑もかけてないし。澄佳ちゃんと千穂太郎も、私と夏凪ちゃんの友情に割って入ってくるなよお。ほっといてくれよ。」


 豊島さんはふてくされたような表情を浮かべながら、2人の方を見た。本当に彼女は分かりやすい。言葉と表情が見事に一致している。そんな姿を見ながら、私は笑いそうになるのをこらえていた。


「倉石さん、初めまして。私は3組の桜庭澄佳さくらばすみか。藍子ちゃんの飼い主みたいなものかな。」


 やけに丁寧な口調で、桜庭さんが先に自己紹介をした。それにしても、飼い主ってのは何なんだろうか。豊島さんはペットみたいな扱いなんだろうか。


「私は1組の棚橋千穂たなはしちほ。千穂太郎じゃなくて千穂だから。トヨと澄佳の保護者みたいな立ち位置なんでよろしく。」


 棚橋さんは気さくな感じでそう自己紹介した。トヨってのは多分豊島さんの事を言っているのだろう。私は二人に向かってぺこりと軽く頭を下げた。


「7組の倉石です。2人とも、よろしくね。」


「ええ、これからよろしくね。千穂ちゃんが私の保護者ってのは納得がいかないけど・・・。」


 桜庭さんは、微笑みながらそう言った。何だか、言葉の言い回しが少しだけ怖い。


「堅苦しいのは苦手だから、夏凪って呼んでもいい?私の事も呼び捨てでいいからさ。太郎は付けなくていいけど・・・。」


「あ、うん。それでいいよ。」


 棚橋さんは見た目はすらっと背が高くて活動的な感じで、中身も同じような感じだと私は思った。マスコット的な豊島さん、落ち着いた雰囲気の桜庭さん、気さくな感じの棚橋さん、いい感じにタイプの違う3人組である。そこに私が混ざったらどうなるだろうか?うん、平々凡々な私が混ざっても、きっと何の影響も及ぼさないだろう。でも、そのくらいの方が溶け込みやすいのかも知れない。そんな事を感じていた。


「むー、澄佳ちゃんと千穂太郎め!ボクには飼い主も保護者も不要だよ!」


「はいはい、どうどう。あと、毎回言ってるけど太郎は余計だぞ。」


 棚橋さんは絡んでくる豊島さんを適当にあしらって見せた。体格差には勝てず、豊島さんは簡単に押さえ込まれていた。


「藍子ちゃんだけじゃなくて、千穂ちゃんの飼い主も必要みたいねえ。二人とも暴れん坊だから。」


 桜庭さんが2人を見ながらさらっとそんな事を言った。口調は落ち着いているけど、実はこの人結構毒舌なんじゃないかと感じた瞬間だった。


「倉石、今日はありがとね。」


 豊島さんたち3人のやり取りを眺めていた私の背後から、木村先輩の声が聞こえた。


「あ、先輩。」


「いつもこんな感じで活動してるんだ。何となく雰囲気分かってもらえたかな。」


「はい。思っていたより人数が多くて驚きましたけど、雰囲気は何となく。それで、明日から来てみようと思ってます。」


「あ、そうなの?嬉しいねえ。」


「だって、いつから助っ人に入るかは私の都合でって先輩言ってたのに、音楽室に入った瞬間に今日からとか言ったじゃないですか。」


「ああ、あれは・・・。はは、ついね。ごめんごめん。」


「別に、怒ってないですから。むしろ、今日見学させてもらって、なんだかやる気が出たので。」


 やってしまったと言わんばかりに申し訳無さそうにしている先輩に、私ははっきりとそう告げた。気持ちを自分の中だけにしまっておくと、またちょっとした事で逃げてしまうかも知れないと思い、あえて口にする事で先輩に証人になってもらおうとしたのだ。


「そう言ってもらえると嬉しいね。明日は、最初の全体練習が終わったら声域の確認でもしようか。どのくらいの声が出るのか、分かるからさ。」


「はい。よく分からないけど、お願いします。」


 先輩は本当に嬉しそうにしていた。そんな姿を見ていると私も嬉しくなってくる。これから始まる新しい生活が、どんなものになるのか全く分からない。少なくとも、今入り口に立った段階の印象だけを整理すると、こういうのも悪くないなと思った。さっきの豊橋さんたちのやり取り。西島先輩や木村先輩との会話。誰かと話して、誰かと関わって。うん、思ったよりも楽しいかも。明日もこんな風に、過ごしていけるのだろうか。いや、過ごせるように自分から関わっていかないといけないよね。


「夏凪ちゃん、そろそろ帰るよお。一緒に帰ろうよ。」


 いつの間にか、片付けも終わったようで、豊橋さんが声をかけてきた。音楽室を出たところで、桜庭さんと棚橋さんも待っていた。何だろう、こういう事は随分と久しぶりのような気がした。


「うん、今行くね。それじゃあ先輩、明日もよろしくお願いします。」


「ああ、また明日ね。」


 私は木村先輩にひとつ頭を下げると、3人に合流して帰路についた。

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