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コーラスビート!  作者: 土田うるさ
- 高校2年生 私の日記 一冊目 -
3/20

5月19日(水) やらかした・・・。

 木村先輩の相談から二日目の水曜日、私は部活のために家庭科室にいた。先週は裁縫で小物作りをしていたし、今日は適当にクッキーでも作る事にした。ちょうど小腹も空いてるからね。


 3年生の先輩2人は気まぐれだから、部活に来たり来なかったり、かなりムラがある。今日はどうやら後者の方らしい。不真面目というわけではないが、やる気があるのかどうかでいったらそれ程無いと思われる。きっと私と同じく、何らかの部活に入らないといけないからと理由で選んだに違いない。


 そんなことを考えながらも、しっかりと手は動く。生地はこれで問題なし。あとは180℃のオーブンで20分くらいだったかな?うん、多分そのくらい。


 型抜きをした生地をオーブンの中に入れると、私はエプロンを外して一息ついた。


「・・・あの話、どうしよう。」


 相変わらず、一人になると独り言が漏れる。あの話、もちろん木村先輩からの相談の件だ。どうしようかなというのは、イエスかノーか、そういう事ではない。いつ、どのタイミングで断ればいいのか、そっちの問題だ。


 何かを断るという事も、非常に勇気がいる。どうやって断ったら相手を傷つけずに済むか。嫌な思いをさせずに済むか。また、自分も後腐れがなく終われるか。考えるべき事はとても多い。


 頭の中で、ああでもない、こうでもないと色々とシミュレートを繰り返す。複数パターンのやり取りを想像して、結果がどうなるか自分だけでなく先輩の立場にもなりきって思考する。私がこうやって何通りも思考を巡らせて下準備をするのは、何も今回の事に限った事ではない。何をするにもこんな感じなのだ。こうやって色々なパターンを想像して、念入りに準備をしないとどうにも不安になってしまう性格なのだ。


 一体何パターン目のシミュレートになっただろうか。ふと思考が途切れた瞬間、考える事にばかり集中していた私の鼻が、異変を感じ取った。


「こ、焦げてる!?」


 私はそう声を上げて、慌ててオーブンの中を覗いた。完全にやってしまった。取り出してみると、ケシズミと化した無残な物体がそこにあった。


「はあ、貴重な食料が・・・。」


 私は大きくため息をついた。


 昨日、今日と、何をやってもいまいち手につかない。心ここに在らず、という感じだ。いつまでもこんな状態を続けるわけにはいかないし、早く先輩に伝えないといけない。「私には出来ない。」って。


 空いた小腹も満たせないまま、私は謎の物体の片付けを終えて帰路についた。


「ただいま。」


 いつもようにそう言って家に入った。


「あら?今日は部活だったんじゃないの?早かったじゃない。」


 キッチンに立っていた母が、体を半分だけ出して玄関にいる私を見つめてきた。


「そうなんだけどねえ。クッキー作りで盛大にやらかしたから、そのまま帰って来た。」


「クッキー?何回も作ってるのに失敗したの?」


「こういう事も、たまにはあるって事・・・。」


「ふうん。じゃあ、早めにご飯にしてあげるから着替えておいで。」


 さすが家族だね、分かってらっしゃる。今日は何故かお腹が空いているから、早めの夕食は本当に助かる。あれだ、色々考えているせいでエネルギーを大量に消費しているの化も知れない。


 私は部屋で着替えを済ませると、キッチンで夕食を作る母に声をかけた。


「手伝おうか?」


「いいわよ、もうすぐ終わるから。それに、ご飯まで失敗されたら困るからね。」


「そう何度も失敗しないってば・・・。」


「いいから、座ってなさい。帰って来たばかりなんだから。」


 母にそう促され、私はテレビをつけてリビングで待っていることにした。まだ6時を過ぎたところだったので、テレビはニュース番組しかやっていない。世間の話題にそれ程興味が無い私は、流れるニュースを適当に眺めながら、夕食を待っていた。


 程なくして、母が夕食を運んできてくれた。母も席に着き、待ちに待った夕食タイムが始まる。クッキーを失って空腹だった私は、何も考えずに目の前の夕食を食べ始めた。うん、やはり家のご飯は良いものだ。クッキーは惜しかったが、そのおかげで余計にご飯がおいしく感じられるわけだから、これはこれでありだ。


 ある程度お腹が満たされてきた私の頭の中で、また先輩の話がループし始めた。解決しなければならない出来事が残っていた事を、思い出したのだ。結論は決まっている。あとはどう伝えるかだけだ。それだけの事なのに、最後の詰めが決まらなかった。


 これまで、先輩とは委員会を通してそれなりに仲良くやってきたと思っている。この前のように仕事も少なく暇な時に、適当に話をして、適当に笑い合って、そんな適度な距離感に私は心地良さを感じていた。


 私が今回の話を断ったら、先輩との関係はどうなってしまうのだろうか。気まずくなって、話もしなくなるのだろうか。あの先輩の事だから、きっとそんな事も無いのだろうけど、私の方はそうは行かないと思う。断ったという罪悪感から、距離を置いてしまうに違いない。


 やり取りをシミュレートするばかりで、全く考えが及んでいなかったが、今の環境を失う事も想定に入れなければならない事に、私は気付いてしまった。積み上げたものが崩れてしまう事への不安が、新たにわき上がってきた。


「あっ!」


 目の前にあった水の入ったコップを取ろうとして、私は指を引っ掛けてしまった。慌ててそばにあった布巾を掴み、水がテーブルの下に零れ落ちるのを必死に阻止した。


「もう、何やってるのよ。」


 母が呆れ顔でこちらを見る。


「ごめんごめん、ちょっとボーっとしてた。」


「学校で何かあったの?」


「え?」


 母の言葉に、私の心臓が大きくドクンと動いた。

 

「クッキー作りも失敗したとか言ってたし、今もボーっとしてるし、何かあったんじゃないの?」


 こういう時、親というものはやけに鋭いものだ。子供のちょっとした変化でも、いとも容易く見抜いてしまう。それだけ、普段からちゃんと見ていてくれるって事を喜ぶべきなのかどうなのか、私は複雑な思いだった。


「いやいや、何も無いよ。気のせいだってば。」


 別に隠すような事でもないけど、あえて話したところでどうなるという問題でもないと思い、私は軽く誤魔化して見せた。


「・・・怪しいなあ。」


「アヤシクナイヨー。」


「本当に?」


「ホントウダヨー。」


 謎の外国人みたいになってしまったが、本当に怪しい事など何も無い。怪しいかも知れないけど、怪しくない。


「落ち込んでるって様子でもないし、表情もそこまで暗くない。ちゃんと話もしてるし・・・。」


 私の目を見ながら、母がボソボソとそんな事を言い始めた。こういう場面に直面した時に、自分なりの推理を進めてしまうあたり、私の母なんだなあと実感出来る。しかも、本人は口から出てるって気付いてないっぽい。数日前に私も先輩に対して同じような事をやってしまったから、余計にそう感じる。


「・・・好きな人でも出来た?」


 母の推理は予想外のとんでもない結論に行き着いた。私は思わず、むせてしまった。こんなベタな反応をしたいわけではないのに、あまりの衝撃で飲み物が気管に入ってしまった。


「何がどうなったらそうなる!!」


「あら、違うの?」


 あら、じゃないでしょう。これは完全に迷探偵である。絶望的に大ハズレだよ、母よ・・・。ちゃんと娘の事見ていたのかい?


「違う!」


「あら、そうなの?私が高校生の頃なんて、好きな人の一人や二人くらいいたわよ。自分で言うのもなんだけど、それなりに人気もあったのよ。」


 ソウデスカ。人気があったってのは何となく想像が出来るよ。学生時代の写真を見ると、きれいだもの。今もスタイル維持してるし、年齢の割にはきれいな部類だとは思ってるけどさ。私ももっとあやかりたかったものだよ。


「お母さんの事はどうでもいいとして、私の悩みはそんな事じゃあないよ。」


「・・・悩み事があるわけね?」


「え?」


 私は自分が何を言ったか思い出してみた。悩みはそんな事じゃない、確かにそう言ってしまった。完全に誘導された。


「悩み事があるなら言いなさい。ほら。」


 ぽんこつ系迷探偵だと思っていたら、やり手の罠師だったようだ。ここは押したモン勝ちと言わんばかりにぐいぐいと圧力をかけてくる。これはもう逃げ切れない。適当に濁したら、また変な方向に向かっていく危険性もある。


 私は観念して、先日の出来事を母に全て説明した。


「やってみればいいじゃない。」


 私の説明を聞き終えた母は、真顔のままそう私に告げた。


「やってみればいいって、そんな無責任な・・・。私みたいな素人が、いきなりどうこう出来るわけないでしょ。」


 あまりに短絡的な母の言葉に若干の苛立ちを覚えながら、私は反論した。


「誰だって、何かを始める時は初心者じゃない。練習するから、上達して行くんでしょう?」


「それはそうだけど、練習するとかしないとか以前に、私には無理だよ。」


「何で無理なの?」


「歌った事なんて無いから、人前でなんて歌えないよ。合唱部の人たちは、みんな歌が上手いから合唱やってるわけでしょ。そんな人たちの中で、やっていけるわけないもの。」


 私の言葉を聞いて、母は静かに笑った。


「歌の上手い下手だけで言うなら、案外、夏凪も負けてないかもよ。」


「どういう事?」


「覚えてないの?あなたは小学生の頃、学校の音楽の先生から、天使の歌声なんて言われた事があるのよ。先生ったら、わざわざ家に電話してきて「少年合唱団に推薦したい。」なんて言うものだから、本当にびっくりしたんだから。」


 母の言葉が、昔の私の記憶の扉をそっと叩いた。そう言えば、ずいぶん前に聞かされた事があった気がする。


「透き通った高い声で、きれいに歌うんだって、先生すごく褒めてたのよ。」


 うん、思い出した。小学生の頃、私は音楽の授業で先生に褒められた事がある。放課後に音楽室に呼ばれて、先生の前で歌った事もあった。その時に、先生から薦められたんだ。合唱団に入ってみないかって。でも、私は・・・。


「人前で歌うのなんて無理。今も昔も変わってないわね、夏凪は。」


「うん、思い出した・・・。」


 音楽の先生に合唱団の事を話された私は、人前で歌う事なんて出来ないって泣き出してしまったんだ。先生はそれでも諦めきれなくて、母に電話でこの事を告げたらしい。でも結局、私の気持ちは変わらず、合唱団の話は立ち消えになってしまったのだ。それまでは何でもなく歌っていたのに、人の目を意識した途端に恥ずかしさだけが表に出てしまい、知らないうちに私は自分の心に蓋をしてしまっていた。


 あの時、逃げ出してしまった事を、私は後悔しているのだろうか。いや、後悔はしていないはずだ。だって、ずっと思い出す事も無かったんだもの。でも、思い出してしまった今はどうだろう。今まで埋もれていた自分という存在の一部を知った事により、今までとは違う感情が生まれてきている事は確かだった。


「やってみたらいいじゃない。」


 母は優しく笑いながらもう一度そう言った。同じ言葉なのに、さっきとは全く違う言葉に聞こえた。無責任にすら聞こえた言葉が、どうしてこんなにも私の心を打つのだろうか。


「私に、出来るかな。」


 自信なく小さく搾り出した言葉は、一筋の涙に姿を変えた。何故流れたのか、私にもよく分からない。でも、心のドアが開くって、こういう事を言うんだろうな。そんな風に感じた瞬間だった。


「それを決めるのは、あなた自身。出来ないと決めつけるくらいなら、勇気を出してやってみたらいいじゃない。」


 静かに、でもはっきりとした母の言葉が、私の心を揺らす。


「・・・考えてみる。」


 さっきまで、答えは決まっていたはずだった。それをどう告げるかだけ、考えていた。昨日、今日で考えた私の答えは、今この瞬間に振り出しに戻ってしまった。それでも構わない、考えよう。逃げるための言い訳に使っていたこの言葉を、もうそれだけのために使ったりしたくない。本当の意味で考えるんだ。これから、私自身のスタートを切るために。


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