5月14日(金) 始まり
連休ボケがイマイチ抜けきらない5月の金曜日、私は今日も図書室にいた。週に2、3回、放課後に図書室の貸し出しカウンターに座っている。委員会の仕事なので仕方がないことだが、人がいない図書室というのは退屈なものだ。整理する本でもあれば時間も潰せるのだが、あいにく今日はそういった仕事も無いようだ。
週末はみんな早めに帰ってしまうせいか、なおさら人が少ない今日の図書室。テストが近いわけでもないから、個人用のブースも今日はがら空きになっている。
ふと窓際に目線を向けると、窓の外からはゆるい光が差し込んでいた。
「まだ4時半かぁ。」
腕時計に目をやった後、私の口から誰にも気付かれないくらい小さな独り言が漏れた。図書室は昼休みと、放課後は17時半まで開けている。普段なら1時間なんてあっという間だが、退屈な時の1時間というものは、とてつもなく長いものに感じられる。
「あの、すみません。」
ボーっと窓の外に目を向けていた私の死角から、遠慮がちな声が飛んできた。
「は、はいっ。どうしました?」
突然声をかけられた私は驚いて振り返った。焦りを隠しながら姿勢を正し、声の主の方に向き直った。遠慮がちな声の主は、1年生だった。私の通う学校は男女ともにネクタイの色で学年がすぐに分かるようになっている。
「この作者の本を探してるんですけど、どの辺りにありますか?」
彼女は私に一枚のメモを差し出した。2年生である私に声をかけることに緊張しているのか、相変わらず声色は遠慮がちなままだ。彼女から渡されたメモに書いてあった作者は、私も以前読んだことのある作者であったため、すぐに本の場所が頭の中に浮かんだ。
「ああ、この人の作品ね。ついて来て、教えてあげるから。」
いつもだと口で説明して終わりのところだが、何となく先輩らしく振舞いたくなった私は、貸し出しカウンターから出て彼女の目的の本があるコーナーに向かった。
「ほら、ここ。作者ごとにタグがついてるでしょ。作品名であいうえお順になってるから、探して見てね。」
「はい、ありがとうございました!」
さっきまでの緊張した様子はすっかりほぐれたようで、彼女は明るい声を上げた。
私はどういたしましてという代わりに軽く手を振って貸し出しカウンターに戻った。
毎週のようにこうして図書室で過ごしている私にとっては、どこに何があるかなどということはお手の物だ。返却された本を整理したり、今回みたいに誰かに尋ねられた本を探したり、そういう事を一年生のころから続けてきたから、すっかり慣れっこだった。それでも、ああして「ありがとう。」って言われると嬉しくなる。私でも役に立ててるのかなって思うから。
「おい倉石。何でニヤけてんだ?」
「ひっ!」
嬉しいという気持ちが表に出てしまっていたのか、どうやら私の口元は緩んでしまっていたようだ。気がついたときには、私の隣に図書委員長である木村先輩が座り込んでいた。
「き、木村先輩!じゃなくて委員長、何してるんですか・・・。」
「ん?何ってわけじゃないけど、日課の倉石観察ってやつ?」
とぼけた表情で木村先輩がそんな事を言う。彼は3年生の木村奏太先輩。図書委員会の委員長で、少し変な人。先輩とは1年生のころに委員会で知り合ってからというもの、時々こうして図書室に現れて、適当に私をいじって帰っていくことが多い。いい時間潰しにはなるけど、観察するのは勘弁して欲しいところだ。
「そういうの悪趣味って言うんですよ、悪趣味。しかも日課にしないで下さい。」
「悪いな。ところで倉石、俺の事いつまで委員長って呼ぶのさ。最初に言ったみたいに木村先輩でいいだろ。」
「何か会話がワンテンポ遅れてるような・・・。まあ、どっちでもいいです。私の気分次第って事でいいじゃないですか。」
私が呆れ顔で指摘すると、先輩はいつものように笑っていた。
「それで、今日はどうしました?今日は私の当番の日じゃないですか。見ての通り、先輩のやる事は何もないですよ。」
「あー、委員会のことじゃなくてさ。ちょっと部活の事で相談したいことがあるんだよ。」
部活のこと?そもそも、先輩とは委員会でしか関わる事がないし、何の部活に入っているのかすら知らなかった私は思わず首を傾げた。
「先輩、部活って何やってるんですか?」
私は疑問を率直に先輩にぶつけてみた。
「あれ?俺、話した事無かったんだっけ?」
「無いですよ。」
「よし、じゃあせっかくだから当ててみようか!」
「えー・・・。」
こうやって無茶振りをしてくるところもいつもの先輩らしい。しかし、この学校にいくつ部活があると思っているんだろうか。
私が通う県立海里高校は、文武両道を校訓としていて部活動に非常に力を入れている高校として知られている進学校だ。生徒は何らかの部活に所属することが義務付けられているため、その種類は多岐にわたる。
私は先輩の顔を見ながら、何かヒントが無いか探してみる。日焼けしているわけでもないし、手にマメが出来ているわけでもない。目に見える特徴からは、何をやっているのかまるで想像がつかない。
「背も高いってわけじゃないし、体格がいいわけでもないし、運動神経は見た感じ・・・うーん?」
「倉石サン、声が出てるヨ・・・。何やら残酷なプロファイリングがね・・・。」
私は先輩の言葉にはっとして口を押さえた。考えすぎてつい口から独り言が出ていたらしい。私のそんな姿を見て、先輩は声を出して笑っていた。
「す、すみません、つい・・・。」
「ははは、別にいいって。本当のことだしね。」
「先輩、結局何の部活やってるんですか?」
私の言葉に、先輩は一呼吸置いてから口を開いた。
「合唱部だよ。俺、副部長やってんのさ。」
合唱部。私の想像していなかった名前が出てきた。先輩に似合わないとかそういう事を思ったわけではなく、私の勝手なイメージには引っかからなかったというだけだ。私の中では興味を持った事も無く、名前を言われても、そんな部活もあったんだな位の印象しかないというのが正直な感想だった。
ぽかんとしている私をよそに、先輩は続けた。
「俺のイメージじゃなかった?」
「いえ、そんな事ないですけど。想像出来なかっただけです。すみません・・・」
「何で謝るのさ。倉石は何も悪くないだろ。それでさ、ちょっと合唱部の事で相談に乗って欲しいんだよ。」
「え?でも私、合唱部の事なんて全然分からないですよ。相談に乗るって言っても話を聞くくらいしか出来ないと思うんですけど。」
正直なところ、部活の相談と言われても困ってしまう。合唱部に誰が所属していて、何をしているのかもよく分からないのに先輩の相談に乗る事など出来るのだろうか。むしろ部外者が余計な事を言って、変な事にならないだろうか。そんな思いが湧いてきていた。
「いいよ、それで。」
私の困惑になどまるで気付かない様子で、先輩は軽い口調のままそんな事を言った。見た感じの雰囲気と、今の口調から察するにあまり重い内容であるとは思えない。でも、先輩は相談だと言っているし、こっちは真面目に聞いた方がいいんだろう。私はそう結論付けた。
「分かりました、私で良ければ。それで、どんな話です?」
「ちょっと込み入った話でね。週明けの月曜日とかどう?放課後にここで待ってるからさ。」
「月曜日?放課後は図書室開けてない日じゃなかったですか?」
「一般開放してないけど、鍵は俺が持ってるから。開けとくよ。」
「図書室を私物化していいんですか・・・。」
「ボクは委員長ですよ?特権階級ですから!書庫の一角を占有しているキミも、似たようなものじゃないのかね?んん?」
「うっ・・・。」
確かに私は司書の先生に頼み込んで、使われていない古い書庫の一角を自分用のスペースとして貸してもらっている。放課後の自習用に使ったり、休憩用として使ったり、占有しているのは確かだが、ゴミの山だった書庫を一から片付けたのは他でもない私である。そのご褒美にという事で、司書の先生に貰った癒し空間なのである。あの空間を確保するためには、委員長という立場を利用しただけの特権階級には理解出来ない苦労があったのだ。
そんな事を思っていても目の前で踏ん反り返っている特権階級先輩をどうにか出来るわけでもなく、私はしぶしぶ了解した。
「月曜日ですね、分かりました。」
「おお、サンクス!さすがは倉石サマ!じゃあ、期待してるから!」
「期待って何ですか?私まだ何も聞いてないんですけど・・・。」
「OKOK!じゃあ俺は部活に行くからさ。月曜日頼んだよ。」
「はあ、分かりました。」
何が何やら分からない私は、テンション高めで去っていく先輩の後姿を見送る事しか出来なかった。
気がついたら、時間は17時半を回っていた。図書室を閉めて、後片付けをする時間だ。残っている生徒にその事を告げて、私は貸し出しカウンターの片付けを始めた。静まり返った図書室に、私の動く音だけが響く。
「月曜日、何なんだろうな。」
思っている事が勝手に口をついて外に出た。
「先輩の部活の事で、私に言える事なんてあるのかな。」
片付けをしながら、そんな事をつぶやいていた。
私は倉石夏凪。県立海里高校に通う2年生。海の近くにある学校だから、きっとこんな名前。数学は得意じゃないけど、理科系は好きだから理系のクラスに所属している。8組ある内の7組所属だ。
性格は、うん、どうだろうな。自分じゃよく分からない。人付き合いはそんなに得意な方じゃない。中学生まで中の良かった友達は、受験に失敗して私立に行ったりとか、やりたい事が出来て他の高校に進学したりとか、そんな事が重なって離れ離れになってしまった。高校に入ってからは特別仲のいい友達も出来ないまま、気付いたら2年生になっていた感じ。孤立しているってわけではないけれどさ。
昔から、何かに思い悩むと自分が何者であるか時々考えてしまう。今も、まだ聞かされてもいない先輩からの相談とやらに気持ちが向いてしまっているのだろう。何の取り得があるわけでもない私が、力になれるのだろうか。少しでも力になれれば嬉しいとは思っているけれど。
一体月曜日に何があるのか、この時の私には全く想像が出来ていなかった。先輩の相談がきっかけで、私の高校生活が想像もしなかった方向に進んで行く事になる事も、何もかも。