40 村での暮らし2
日差しが大分、西へと傾いたころ、
「今日は、この辺にするか」
源助が、鍬を振る奇妙に声を掛けた。
松とお竹は食事の後、既に家に帰っていた。
源助は、奇妙を連れて小川へ行くと、鍬を洗っている。
「しっかり洗わねぇと直ぐに錆びちまうからな。結構高かったんだぞ。――よぅーし綺麗になった」
木の板に金属の板を張り付けただけの簡素なものである。しかも既に錆びている。源助は、綺麗になった鍬を自慢げに掲げて奇妙に見せた。
百姓にとっては、侍の刀と同じなのだと奇妙は思った。
「そうですね。大事なものですから」
奇妙も、源助に習って当たりの草をむしり取ると、それで鍬を擦った。
「綺麗になりました」
水をはらった奇妙は、鍬を見た。
鉄は錆び台木は、腐り欠けている所もあったが、これが無ければ、米を作る事は出来ない。そう思うと、一日共に働いたこの道具に愛着を感じた。
「おう、ありがとな。さぁ、帰ろうか」
「はい」
二人は、鍬を担ぐと歩き出した。
「お帰りなさい」
家に、帰ると松が笑顔で出迎えた。大分体調も回復したようである。
夕食には、お竹が作った鍋を頂いた。味噌味で野菜や鳥が入っている。
「ん? ……松殿、芋が好きなのですか?」
奇妙が松の様子を見て聞いた。
「松でいいですよ。奇妙様」
と、笑顔で答えると、
「お芋大好き」
と、ひたすら芋だけ食べている。
「そうか、松は芋がすきなのか」
奇妙は、感心している自分が可笑しくなった。
「こんな生活も良いものだな」
ひたすら芋だけ食べる松を見ながら奇妙は思った。
その時、戸口の外でガタガタと音がした。源助が戸口を開けて外を確認したが誰もいない。
「もしかして……これかな」
源助が戻って来ると、両手を前に垂らして見せた。
「お化けなんて、いません」
松が目を丸くしながら、きっぱりと言った。
「いやいや、そうとも言えねぇ……。俺が子供の頃よぅ、暗くなるまで遊んで帰た時にな、墓場の近くを通ると明かりが見えたんだ、こんな時分に誰かいるのかと不思議に思ってよう……足を止めると、火の玉がゆらゆらと……」
源助が情緒たっぷりに話した。
松は、目を丸くして聞いていたが、
「そうなんですか。お芋食べなきゃ」
源助の話には、興味なさげに鍋に箸を伸ばした。
「あぁ!お松ちゃんの後ろに」
源助が箸で松の後ろを指した。
「いやぁぁぁぁぁぁーーー!」
松が、手をバタバタして散り乱すと隣の奇妙に抱き着いた。箸の芋が宙を飛んで奇妙の頭に乗っかった。
「ちょっと、あんた! 怖がらせるんじゃないの!」
見かねたお竹が源助に言った。
その頃、氏郷はというと宿屋の二階から外を眺めていた。火鉢の横では弁が布団にくるまって寝ている。
隣の部屋からは、
「い・ろ・は・に・ほ・へ・と……」
せんと梅の声が聞こえる。昼間、五徳が梅の為に書いた字を、梅がせんに習い読んでいるのだ。
「御苦労さま」
と、声がした。氏郷が部屋の入口を見ると、五徳が膳を持って立っていた。髪が濡れているところを見ると風呂上りである。
五徳は、部屋に入ると氏郷の前に座った。
「握り飯か。これはありがてぇ」
と、氏郷は言ったが、その視線の先にあるのは、五徳の太ももである。薄明りである為か、五徳は浴衣が開けている事など気にしていない。
(………………)
あまりジロジロとみる訳にもいかない。そわそわと腕組して外を眺める氏郷に、
「あんた、なかなか頼りになるわね」
と、五徳が声をかけた。
「だろ! この俺を誰だと思っている!」
氏郷がいつもの調子で答えている所に、
「はい」
と、渡されたのは杯である。すると五徳が酒瓶を出して酌をした。
「五徳ちゃんの酌とは、どうゆう風の吹き回しだ」
氏郷は、少し驚いたようである。
「あら。私がお酌したら変かしら」
「い、いや。五徳ちゃんの酌なら、どんな酒も天下一だぜ!」
少し照れくさそうに言うと、氏郷は一気に飲んだ、
「お父様も、天下の事は、お兄様に任せるより、あんたに任せた方がいいんじゃないかしら」
「そうか? それでは、天下の事は俺にまかせて……」
と、言いかけた時、言葉が止まった。
五徳の顔が目も前に迫ったのだ。
ち……近い。
「ふーん。こうして見ると、いい男ね」
五徳が乾ききっていない髪を艶めかしく耳にかけた。浴衣の隙間からは胸元が見える。その艶やかで美しい姿が月明かりに照らされていた。
余りに近いので、氏郷は、後頭部を壁に押し付けるまで退いた。それに合わせて、五徳がまた詰め寄る。
氏郷が大勢を戻したら、唇がついてしまいそうである。
「……ご・と・く・ちゃん……」
「なあぁに……」
「よ……酔ぅているのか」
「ん? 酔ってなんていないわよ」
五徳が首を傾げて答えたが、
(よ、酔っている!)
氏郷は思った。
「冬の代わりに、あんたと一緒になるのは私だったかもって思ったのよ……」
(な、なんだ、これは……この状況は!)
………………。
「わたしじゃ……イヤ」
五徳が首をかしげて、何ともあどけない可愛らしい仕草を見せた。
「イ……イヤという訳ではないが……」
(お、……俺を誘っているのか……)
「ねぇ。どうなのよ。はっきりしなさいよ」
五徳が艶っぽい声で迫って来る。
(ど、どうする俺! 五徳ちゃんは既に人妻……不義密通ではなか! 何かあれば、間違いなく親父に殺される。しかし! 唇が……この唇が俺を呼んでいるのだ! いや俺には冬が……。ああ……唇が……唇が俺を……)
「五徳ちゃん!」
氏郷は五徳の肩を両手で持つと、意を決したように顔を近づけた。唇が重なるかという時、五徳の手が遮った。
「ふわぁー」
と、大きなあくびをしている。
「少し酔ったかしら。眠くなったわ」
と、言うと五徳は部屋を出て行った。
(・・・・・・・・)
残された氏郷の背中が寂しい。酒を杯に注いで一気に飲み干すと、拳を握りしめて天井を見ている。