4 春風
奇妙は、歓声を背に一人会場を離れ、広場の土手の草むらに寝転がった。
澄み渡る空に雲が流れている。
汗ばんだ体に、春の風が心地よかった。
「若は、雲を眺めるのが本当に好きですな」
いかにも働き盛りと言った感じの、壮年期の男が声を掛けて、奇妙の横に寝ころんだ。
この男は、木下秀吉という。歳は、三十七である。
「叔父上か、あの雲は何処まで流れて行くのだろう」
奇妙は雲を見つめたまま話した。
秀吉と父とは、二十年来の付き合いで、友であったので、奇妙は幼いころより叔父上と呼んでいるのである。
秀吉は、黙って空を眺めていたが、
「あの雲は、奇妙の心か?」
と言った。
少年は、答えなかった、雲を見つめたままだ。
「おっと、既に奇妙では無かったな、菅九郎信繁殿!」
奇妙は、昨年七月に、奇妙は元服して名を、菅九郎 信繁と改めていた。
信繁とは、名将として名高い信玄公の弟の名を頂いたものである。
しかし、武田家と険悪になり、今ではその名で呼ぶ者は居ない。
秀吉は、昨年から浅井長政の小谷城を包囲して近江に居たので、悪気はないのであろう。
「信繁か・・気に入っていたけど、名前なんて、もぅどうでもいいよ。それに、元服しても何も変わらないよ」
「そんなことは、無いぞ!」
秀吉は体を起こして続けた。
「これからの織田家は、いや天下の政は、信繁、お前に、にかかっているんだからな、皆期待しているぞ!」
「天下ねぇ……」
奇妙は、興味なさげに呟いた。
そんなやり取りをしている所へ、氏郷が肩をさすりながらやって来た。
「くっそう! あら鹿の奴、なんてバカ力だ! 次は勝つ!」
元気いっぱいに言い放つと、秀吉を見て、
「これは、秀吉殿お久しぶりでござます」
と、これまた元気に挨拶した。
「相変わらず威勢がいいな。正面からぶつかるばかりが、戦いでは無いぞ! もっと頭を使え!」
「はっ。……性分でございますので……」
氏郷が返答に困っていると、
「あははは、若者はそのくらいで丁度よい!」
そう言い放ちながらやって来た壮年の男は、前田利家である。
利家は、三十五歳、秀吉とは屋敷が隣で友である。
「おう、秀吉! 生きていたか!」
「わしが簡単にくたばるかよ!」
秀吉の肩を叩いて再会を喜ぶと、
「御屋形がお呼びだ、午の刻より評定を開くそうだ」
「若も氏郷も、ちゃんと出るんだぞ!」
と、言うと、二人は城の方に歩き出した。
「ハッ!」
と、氏郷が凛々しく答えた。
「あぁ、後で行くよ、ありがとう」
奇妙も、利家に頷づくと、また空に目を戻した。
どこまでも続く青空に心が吸い込まれそうになる。
そこに突然、風が吹いた、思わず顔を背けたくなるような突風であった。
奇妙の髪がなびいている。
「気持ちのいい風だな奇妙」
「ああ、本当に気持ちのいい風だ」
蒼天に広がる雲は、春風に押され東へと流れて行くのであった。
歴史一言紹介
史実にて、奇妙は元服して最初は、信重と名乗ります。
この小説では、信繁とさせて頂きました。
なぜ?信重?。
これは私の考えなのですが、当時は当て字で書く事も珍しく無かったので、この信重とは、武田信玄の弟の名、信繁を頂いて付けたと考えています。
奇妙の婚約者は、信玄の娘です。武田家と関係が悪くなったとき、信長は、奇妙を信玄の養子にしていただきたいとまで言って、武田家との外交に気を使っています。
この説は、私の私説ではありますが、せっかく自分の小説なので使ってみました。
秀吉が奇妙とタメ口で話しています。これは、私の秀吉という人物と織田家の人物関係の解釈です。
私は実際に、このような関係ではなかったかと考えています。
秀吉の氏郷への言葉。
後に秀吉は、氏郷を評して、五千人の織田軍を四千人討ち取っても信長は、脱出しているが、蒲生軍は、先の五人を討ち取れば勝てる。それは、そこに氏郷の首が含まれているからだ。と言った。
このエピソードを基にしてみました。褒めたのか、、、けなしたのか、、、、しかしなんとも、男前のエピソードで氏郷がカッコイイです。
私この話、信長バージョンではなく、家康バージョンをどこかで聞いて覚えて居たのですが、ウィキを確認したら、信長バージョンでした。