38 二人の旅路
翌朝、奇妙と松は旅路について、神社の脇の村街道を南西へと進んでいた。
二人が村はずれを過ぎた頃である。奇妙は松の歩みが遅いのに気が付いた。
「少し急ぎ過ぎましたか?」
「いえ、大丈夫です」
松が答えた次の瞬間、よろよろと膝を着いた。
奇妙が慌てて掛け取ると、松は、ふぅふぅと苦しそうに息をしている……。
よく見ると顔が赤い。
「失礼します」
奇妙が、松の頬に手をかけた。――熱い。
「熱があるではありませんか」
「私は大丈夫です。先を急ぎましょう」
と、松が立ち上がって歩こうとするとまた、ふらふらと膝を突いてしまった。
奇妙は、焦っていた。
旅路を急ぐどころではない。
「先ほどの村に戻りましょう」
奇妙は、松を背におぶると今来た道を引き返してゆく。
村へ戻った二人の所へ村人が通りかかった。歳は三十位であろう、鍬を肩に担いで、陽気に鼻歌を歌っていた。
奇妙が、村の宿を訪ねると、隣村まで行かないと無いという。
「そうですか……」
奇妙は、答えて歩き出した。
「どうしたんでぇ?」
少女を背負っている少年を見ながら、男が、心配そうに聞き返した。
「熱があるのです」
「それは、いけねぇ!」
男は、そう言って歩き出す奇妙を見ていたが、
「おい! ――良かったら家へ来い」
少女を背負って歩く少年をみて放っておけないとみえる。
最初は遠慮していた奇妙達を半ば強引に家まで連れて行くと、戸をガタガタと開けて、
「お竹!病人だ。いるか」
と、妻を呼んだ。
その様子を、遠目からひっそりと見ている男が居た。しかし奇妙には、それに気が付く余裕など無かった。
奇妙達を家に上げると、妻は松に布団を着せてくれ、世話をしていた。
申し訳なさそうにしている奇妙に男が、
「俺は、源助ってんだ。あいつは女房のお竹だ」
「私は、奇妙と申します。あの子は、つ……妻の松です」
「へぇー。何処かへ行く所だったのかい」
「高遠でことづけを頼まれまして、南へ」
とっさの思いつきで答えた。
「ほおぅ」
と、源助は答えたが、興味は別の所へ移った様である。
「さすが、お侍様だ。立派な刀だな」
「これですか、これは妻の父上から頂いたものです」
「ちょと、見せて貰ってもいいか?」
百姓と云えども、やはり男である。
「え、ええ」
源助は奇妙から太刀を受け取ると、鞘から抜いた。
「おおー!」
刀の善し悪しなど判らない源助でもその迫力に圧倒された。流石は、号・義弘、幻と言われる名刀である。
その輝きは、怪しささえも携えていた。
「えいやー!」
と、源助は、振り下ろす真似をすると、奇妙にニッと笑顔をつくった。
「俺も、もう少し若けりゃ戦に行って手柄を立てる所だったんだけどよう」
「ちょっとあんた! 馬鹿な事言ってないで、静かにおし! お嬢さんが眠った所なんですから」
妻に言われ小さくなっている源助の横で、奇妙は、お竹に頭を下げた。
源助が、太刀を鞘に納めて奇妙に返すと、
「こんな、あばら屋で申し訳ねぇが、元気になるまで休んでいきな。遠慮は要らねぇよ」
と、言うと思いついたように、床板の一部を外すと小さな壺を取り出した。
「ちょっとあんた……」
お竹が一瞬、険悪な顔をしたのを、奇妙は見逃さなかった。
源助は、壺から小銭を取り出した。この若夫婦にとって、なけなしの銭である。
「ちょっくら、一っ走りして何か分けて貰って来らぁ」
と、言う亭主に、
「そうね。そうしましょう」
お竹は、頷きながら答えた。
一刻ほどしてか源助は嬉しそうに、米と山鳥と卵を抱えて帰って来た。百姓にとっては御ちそうである。
お竹が、米を炊くと粥を作っている。
松が目を覚まして奇妙と囲炉裏を囲んだ。
源助がやってくると、小声で、
「ふっふっふっ。どうだい?」
と、にんまり笑って、取り出したのは小さな酒瓶であった。買い出しのついでに手に入れた物である。
盃に注がれた酒を奇妙は一口に飲んだ。
「これは美味い」
と、答えた。
「お嬢ちゃんもどうだい?」
松も進められ頂いた。
「どうだ、美味いだろ」
「はい」
松は、正直良くわからないと思ったが、笑顔で答えた。
奇妙は、ハッと気が付くように、酒瓶を取ると、
「源助殿、さっ一献」
と、酌をした。
一気に飲むと源助が、満面の笑顔を作った。
ここが岐阜であったなら、奇妙の行為に、感激する者もいたかもしれないし、自慢して回るまでいるかもしれない。
そこえ、お竹が粥をもって来て囲炉裏に掛けたとき、源助が、酒瓶をサッと自分の横に隠した。
「あんた、また余計なもの買って!」
「さぁ、食べよう」
妻の小言など聞き飽きたと言った感じで二人に粥をすすめた。酒瓶を隠したのも、本気で隠したわけではなさそうである。
食事をしていると、
「お竹さん。ご迷惑かけてすみません」
と、松がお竹に声を掛けた。
「お構いなく、毎日この人の顔ばかり見ていて飽き飽きしていたから、気にしないで」
と、笑顔で軽口を立てたが、源助は気にする風もなく酒を飲んでいた。
夜になると、松の体調の事も有り、早々に床に就いた。
源助と、お竹とは囲炉裏を挟んで少し離れ、風よけの為に簡単な敷居を建てただけであった。
松は、布団にくるまり、奇妙はその横で筵を掛けただけであった。
寝返りを打つように、松は横を向くと奇妙に話しかけた。
「清水の舞台からの眺めはとても格別だとか、それに五重の塔も凄く立派でしょうね。……あっ、何と言いましたか金色のお寺」
「鹿苑寺ですか」
「見てみたいなぁ」
「私が案内いたしましょう。今は、ゆっくり休んで早く元気に」
と、奇妙が松の手を取った。とても小さく柔らかいと思った。
「……楽しみ」
松は両手で奇妙の手をとると、自分の懐に寄せた。




