33 逃避行
話は決まったとなれば皆が旅支度を始める。その行動は早かった。
しかし、そこに問題が起こる。
「ん? 五徳。それで行くのか……」
「歩くなんてやーよ」
五徳とせんが馬車の用意をしているのを見て奇妙が言ったのだ。
「五徳ちゃん…そりゃあまりにも目立つから……」
と、氏郷が言ったが、
「何言ってんのよ。目立つから良いんでしょ」
氏郷は、五徳が変な事を言うと思ったが、
「なるほど……それも良いか」
と、納得したようである。
「皆、用意は良いか」
奇妙が一同を見渡した。
「ん? 弁。お前……」
「姉ちゃんが行くなら俺も行く」
と、松の横で木槍を持って仁王立ちになっている。
「貴方は、残りなさい」
慌てた様子で松が言ったが、
「嫌だ! 嫌だ!」
と駄々をこね出した。
「中々立派じゃないか!」
氏郷が弁の肩を叩くと、奇妙と松に対して俺に任せろと言った具合に頷いた。それに、ここで揉めても埒が明かないという事であろう。
「松殿……本当に良いのですか」
改めて奇妙が聞いた。
「はい」
と松が奇妙に傍らで頷くと、
「奇妙様、脇差を私に」
と、言う。
「し、失礼します」
奇妙が緊張した面持ちで、松の肩に手を置いて脇差を松の首もとに突き付けた。
もちろん、刃を逆手にしている。
(松殿…いい匂い…桜の香り?)
松に近づいた奇妙がそんな事を思った。
「もっとしっかりと、抱き抱える様に掴んで下さい。これでは人質に見えません」
「はっ、はい」
言われて奇妙は、後ろから松を抱きかかえる様に掴んだ。
かなりの密着度合である。
小柄な松の柔らかさと、その温もりが奇妙の腕に伝わる。
緊張の為か、奇妙の額に汗が流れ心臓が高鳴った。
余りにドキドキと鼓動するものだから、松に気づかれては恥ずかしいと思った。
一方。松は、奇妙に後ろから抱かれ、赤い顔をしている。
考えてみれば、これほど、男性と密着したことなど無い。
冷静で居ろと言う方が無理である。
ドキドキドキドキドキドキ。
二人の鼓動が激しくなる。
顔を赤らめて硬直している二人をよそに、
「行くわよ!」
と、五徳が皆に言った。その声には緊張の色が見える。
「よぅーし! 行っくよ!」
せんが五徳の言葉を合図に皆の前に出ると門を押した。
「んんんんん!」
力いっぱい押した。門というには、簡素な板を張り付けただけの扉であるが、びくともしない。
「五徳ちゃん、どうしよう……」
せんが五徳を振り返った時、
「せんちゃん! 俺に任せろ!」
氏郷が、自信たっぷりに、せんの肩をぽんと叩いた。
力任せに体当たりでもするつもりかと、皆が思った。
門と向き合った氏郷は、足を開いて姿勢を正すと、
「開門!!」
腕を大きく振り上げて高らかに声を上げた。
なんと、凛々しく通るこえであろうか、これが大名屋敷であれば、この声だけで一目置かれるであろう。
しかし、………………………。
反応が無い。
それは、そうである。囚われの身の彼らの言葉ではない。
「ええーい! 開門!!」
氏郷が、更に高らかに声を上げた。
(おいおい…しかしどうする)
奇妙は、呆れながらも思案した。
その時――――門が開いた。
「何を騒いでいる………って、お前たちその出で立ちは………」
門を開けた惣藏が、一同を見ると驚きを隠せない。
「帰らせて貰うぜ!」
「………そんなわけに行くか………皆、門を囲め!」
惣藏は、戸惑ったようであったが、他の警備の者を門の周りに集めた。
「こいつらを、逃がすな!」
惣藏の言葉に、警備の兵が槍を握り返して構えている。
奇妙が松を抱えて前にでた。
「そこを退いてもらう」
松の、胸元に短刀を当てている。
「姫様! ……なんと卑怯な!」
惣藏は、松を一人で屋敷に入れたことを後悔した。
「退け!」
更に、奇妙が詰め寄った。しかし、兵達は退かない。惣藏は、太刀を抜いて隙あらば、松を助けようと構えている。
―――――――――。
「退きなさい!」
その言葉は、松であった。
「私は、死にたくありません。私に何かあれば、あなた達とて、生きては居れませんよ!」
その迫力に、兵達が下がった。
「もっとです。もっと下がりなさい」
松は、門から兵達を遠ざけた。
奇妙と松に続いて五徳たちの馬車が門を出た。
「追うな!追えば、姫君の命は無いものと思え!」
奇妙が、鬼気迫るように言った。
「そうです!追ってはなりません。良いですね!」
と、松がそれに続いた。
「そうだ!そうだ!姉ちゃんが死んじゃうぞ!」
と、弁が傍らで叫んでいる。
「……弁。お前まで……」
惣藏は言いながら、それでも機会をうかがっている。
しかし、氏郷が一声上げると馬車が走り出した。疾走を始めた馬車の横を弁が走って来る。
「乗れ!」
と、弁の手を掴むと自分の横に拾い上げる。
「さっ」
奇妙が松に声を掛けた。
「はい」
松の手を取った奇妙は、馬車を追いかけるように走り出した。
馬車に追いつき、柱につかまると松を抱える様に飛び乗ると、自分の懐に抱き寄せた。
「本当に良かったのですか?」
松は、奇妙に抱かれて、その顔を見上げた。
――――。
風が激しく二人を過ぎて行く。
松の黒髪が流れ舞う。
――――。
松は、真っ直ぐに奇妙を見詰めて、
「はい」
と、答えた。
その瞳は、多難の未来とは裏腹に希望に満ちていた。