32 松の決意2
弁と氏郷が一息ついて汗を拭っていると、門から松が現れた。
「あっ。姉ちゃん」
と、弁が呼んだ。
「お世話になります」
氏郷と弁の様子を見て、松が氏郷に礼を言った。
「おい! 奇妙! 松殿がいらしたぞ」
松にお辞儀を返して、昨日から部屋に籠っている友を呼んだ。
天井を眺めていた奇妙が慌てて起きると、庭に出て松を迎えた。
「昨日は、すみませんでした」
「いえ、こちらこそ失礼なことを」
松が、奇妙に礼をして返した。
(……やばい……何か話さないと……)
奇妙が、あたふたとして、
「今日は、とても良い御天気……」
と言いかけた時、松の言葉がそれを遮った。
「あの。お話があります」
「はい」
奇妙が、返事をしたが松は何も言わない。
「良かったら、どうぞ」
と、屋敷に上がる事を進めると、ちょこんとお辞儀をしただけである。
皆が屋敷に上がった。松の持って来た菓子を五徳が並べて、せんがお茶の用意をした。
「お姉さま。ありがとうございます。さっ、せんちゃん頂きましょう」
五徳が、松に茶碗を差し出すと、奇妙をみて、
「んん!」
と、奇妙に何か話しかけろと言わんばかりに目で合図する。
「あの…お話とは…………」
奇妙が松に聞いた。
(………………)
松の沈黙が奇妙を不安にさせた。
松は、黙ったままであった。
が、―――意を決した様子で、
「奇妙様! ……私を連れて逃げて下さい」
その瞳には強い決意が光っている。
「えっええーーーー」
部屋の中に一同の驚く声が木霊した。
「シーーッ」
松が、口の前に指を立て皆の驚きを制した。
「今…何と…………」
「ですから……私を連れて逃げて下さい」
奇妙に改めて問われ、恥ずかしそうに松が答えた。
皆が、呆気に捉われていると、
「奇妙様ここに居ては危険です。お父様や兄上様が、貴方を生かして返す保証はありません」
松は、強い口調で言って、更に続けた。
「私、考えたんです。私を人質として逃げれば、追手を交わせるのではと。それに………」
何か言いかけて、頬を赤らめて黙った。
「どうするよ? 奇妙」
「どうするって、松殿に迷惑はかけられないよ」
「迷惑なのでは………」
松が、言いかけた時、
「逃げましょう!」
五徳がきっぱりといった。
「そうだな、このままここに居ても、織田家と武田家の関係が改善される事は難しいからな、どのみち良い結果にはならないかもな」
氏郷の言葉は、的を射ていたと言える。
「そうよ。こんな所で幽閉されて死ぬつもり。天下の事はどうすんのよ?」
「しかしな……」
それでも、奇妙は決断を鈍らせた。
「奇妙様。お願いします。私をお連れください」
松が、真っ直ぐな瞳で決意を込めて言った。
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「わかった。逃げよう! 松殿には迷惑をかける」
奇妙が凛として答えた。
「はい」
と、松が軽やかに笑顔で返事をした。




