29 高遠城
「ほぉう! これは、凄い!」
高遠城を、麓の川沿いから見上げて声を上げたのは氏郷である。
山の尾根裾を利用した山城である。その城の大手門は、三十間以上は優に有りそうな、急勾配の斜面の上にあった。
「右の谷は、切り立った崖。左の谷は、狭い街道か……そして左右の谷から流れる川で城裾を囲んでいる」
氏郷が感心するように付け足した。
「そして、この街道を通らねば諏訪に抜けられない立地か」
さらに、奇妙が付け足す。
「奇妙、どう攻める」
「谷の外側にある、左右の山に陣を張られては、搦め手に回り込むのも容易では無いだろうな」
「おお!!」
奇妙の言葉に氏郷が思わず声を上げる。
「左右の山が、でかい土塁と言うことか!」
「ああ。後方からの補給線を確保しながら籠城出来ると言うわけだ」
「うおおおぅ! これは面白ぇ!」
少年達は、頭上の城を見上げながら目を輝かせていた。
奇妙達を連れる一行は、正面の大手門からは城に上がらず、裾を左へと搦め手を目指した。
諏訪へと続く街道に騎馬の一団がいた。そして、この狭い谷の川向うにも騎馬の一団が見える。この騎馬の一団は街道を封鎖している様子であった。
「おう! 喜兵衛! 検問ご苦労」
先頭を行く昌続が、遠目から一団の中の若武者を見つけると声を上げた。
「昌続殿! 捜索の方は、どうであった?」
声を上げて昌続に応える男は、武藤喜兵衛という。歳は、二十七である。昌続同様、信玄の馬廻り筆頭格の一人である。
昌続と比べると、線の細い印象ではあるが、長く流れる髪がとても似合っていた。
喜兵衛は、昌続が自分の元までやって来ると、
「ここは、まだ通らん。甲斐の国へ向かうならここを通るはずであるが……塩尻方面へ抜けたというのは考えづらい……」
一人思案するように語った喜兵衛は、昌続が笑顔である事に気が付いた。
「ん? もしや……そうかあの者達が、織田の……?」
「ははっ。察しが良いな。そうゆう事だ」
この二人は、信玄の命により奇妙を探していたのである。喜兵衛は、高遠で検問を張り、昌続は、街道を探して回るという手筈であった。
そこへ―――。
「ああっ! 父ちゃん!」
と、弁が走って来ると、喜兵衛に抱き着いた。と、言うより体当たりしたと言った方が良い。それを喜兵衛がしっかり受け止めた。
喜兵衛は、弁の父親である。
「弁か! お前が何故ここに?」
「姉ちゃんと来たんだ!」
と、得意げに答えていると、
「武藤殿、お勤めご苦労様です」
と、松がやって来た。
「これは、姫君!」
流石に驚いたようで、慌てて会釈をした。
「あの方々には、助けて頂きました。ゆっくりお休み頂きたいと思います」
「まっ。そういう事だ、首尾は後ではなそう」
昌続が、喜兵衛にいった。
奇妙達一行は、高遠城内の一つの屋敷に案内された。
独立した建物で、木の塀で囲まれ庭が付いている。外来の武将の宿泊所といったところであろう。
奇妙は、ここへ来てから妙に静かであった。
「しかし、良かったな奇妙。松殿は、中々素敵な方じゃないか! 少し気が強そうでは有ったが」
と、氏郷が奇妙の肩を叩いた。
「うん……」
奇妙は、それしか答えなかった。この屋敷に来てから、深刻な面持ちで妙に静かである。
「なんだ! その薄い反応は! せっかく会えて嬉しくないのか?」
そのやり取りを見ていた五徳が、
「ちょっと、あんたさぁ。自分から気を使ってもっと話しかけなさいよ」
ここへの道中、奇妙と松が何も話さなかった事を言っているのである。
女子への接し方を、妹に説教される兄というのも何とも情けない話である。
その時、突然。
「ああああぁぁぁ…………どうしよう…………」
奇妙が頭を抱えて呻きだした。
「わっ。びっくりしたぁ! なんだ突然!」
「やはり迷惑だったか! なぁ氏郷! 迷惑だったら迷惑だと言ってくれー!」
氏郷の襟首を掴んで揺すりだした。
「おい! 俺に言うなよ! 俺に! ……しかし言われてみれば……確かに」
ここに来るまでの松の態度を思い出すと何とも言えないと思った。
「だよなぁ………」
と、奇妙が膝から崩れて行く。
「はぁ? 今さら何言ってんのよ」
五徳が腕組しながら突っ込んでいる。
「心配するな奇妙! これだけ近くに居るんだ、また話せるって」
取り乱している奇妙に、取り繕うように氏郷が言った。
「はぁ? あんたも何言ってんのよ! ここを何処だと思ってるのよ。話せるどころか生きて帰れるか分からないじゃない」
五徳の矛先が今度は氏郷に向いたようである。
「城を眺めて燥いでる暇があったら、少しは先の事も考えなさいよ。どうするのよ! この状況で!」
この状況とは、庭を囲む塀の外には警備の兵が大勢いるのが分かる。
「うむ。確かに……」
氏郷は、崩れ落ちている奇妙の横で考え出した。
「これは不味いぞ! 信玄公は、自分の息子も閉じ込めて毒殺したって言うし。ましてや、他家の人間に容赦が有るとは思えねぇ……おい奇妙!」
と、隣を見たが、打ちひしがれていて話にならない。
「あんた達、何とかしなさいよ」
五徳は、腕組してご立腹であったが、その指摘は的確なものであった。
「さすが五徳ちゃん! 偉い!」
そこで、せんが、ぱんっと手を叩いた。
奇妙達と別れた松達の一行は、大きな屋敷の一室にいた。
夕飯を済ませ床に就こうとしている。
「松様、素敵な方ではないですか。良かったですわね」
はなが、松の耳元へ寄ると、小声で奇妙の話をした。
「はっ…はい」
松の顔が赤くなった。
はなは、松を微笑ましく見ただけでそれ以上は、何も言わなかった。
「お疲れですから、今日は休みましょう」
と、だけ言って、菊を自分の傍に抱き寄せると、横になった。
一時ほどしてから、松が目を開けた。
はなと菊は、旅の疲れもあり既に寝息を立てている。隣の部屋に居るはずの、惣藏と弁も静かになっていた。
松は、上を向いたまま目をぱちぱちとさせて思った。
(寝れない………)