2 少年の想い2
食事をする居間は、庭園が望める明るい部屋である。
奇妙が、庭に隣接した廊下を進んでゆくと、にぎやかな声が聞こえてきた。
五徳も一緒に食事をしているのだろうと思った。
笑い声が屋敷中に響くようである。
居間では、既に信長と五徳が朝食を取っていたが、賑やかな盛り上がりの正体が直ぐに分かった。
「あぁぁぁぁぁ!」
奇妙は慌てて居間に入ると五徳から文をむしり取った。
五徳は、おもちゃを取り上げられた子供のように、すねた素振りをみせると、
「なによ! 女々しいやつ。どうにか成ると思ってるの? あんたの婚約なんて破棄よ破棄! ねぇ、お父様」
「ハッハッハッ! まったくだ! 女々しい奴め!」
信長は、楽しそうである。娘に久々に会えて嬉しいのであろう。
奇妙は、お膳の前に座ると、
「武田とは、どうすんだよ! 親父!」
「どうするも何も、信玄の野郎! こっちが下手に出ていりゃいい気に成りやがって! 美濃まで来たら返り討ちにしてくれるは! ハッハッハッハッ!」
豪快な物言いである。
信長は四十歳である。戦人の血が騒いでるのであろう。
「ちょっと待てよ! 武田と戦になりゃ、俺と松殿はどうなるんだよ?」
奇妙の言う松殿とは、甲斐の国主、武田信玄の娘である。
奇妙十一歳、松姫七歳の時に婚約しており、五年が経つ。
その間、文のやり取りだけで有ったが、奇妙は、二人の心は通じ合っていると思っている。
しかし昨年の末、二人の関係に暗雲が立ち込めたのである。
信玄が美濃、三河へと進攻したのだが、三河の国主、徳川家は、織田家の同盟国であった。
信長は、家康に援軍を出していた、それは、徳川が武田に降伏する事の阻止、美濃国内において、武田との決戦に備えての、時間稼ぎの意味もあった。
昨年末の三方ヶ原の戦いで、織田家からの援軍も、徳川軍と共に戦った。戦いは、徳川の敗北であった。
そのおり打ち取られた平手長政の首と共に、織田家が武田と敵対したとして、信玄は、織田家に対して断絶してきたのである。
「松殿の事は諦めろ。奇妙、お前を人質に出すと言ったが、信玄は断ってきたからのう……」
「そんなに簡単に割り切れるかよ! 何とか成らねーのかよ?」
「もう無理だな! 信玄の奴は、あれこれと俺の悪口を書いた書状を将軍家に送ったようだからな、俺も信玄の不届きな行いを書き連ねて将軍に送ってやったぞ! ハッハッハッハッ」
「なんだよ! 二人して子供の喧嘩じゃねーか! 織田と武田が直接、戦になっていない今なら、戦を止められるんじゃねーのか?」
「無理だと言っておろう、仕掛けてきたのは信玄の奴だ! そんなに言うなら奇妙、お前が自分で何とかすりゃあいいだろうが!」
「そうよ! あんたには、どうすることもできないんだから、いちいち女々しい奴ね」
五徳が口を挟んだ。奇妙は返す言葉がない、少年にもどうすることも出来ない事は分かっているのだ。
イラついた顔で、膳に盛られた朝食をガツガツ食べながら五徳を見て、
「お前、何でここに居るんだ! また信康と喧嘩でもしたのか?」
「ふん! あんな奴の事なんか知らないんだから!」
「お前らなぁ、もう少し仲良くやれないのか?」
「うるさいわね! 独り身のあんたに言われたくないわ!」
「夫婦ってのは色々と有るものだ、寂しいお前にはわからん。ハハハッ」
父親が娘の肩をもって茶化してきた。
「さすが、お父様! 誰かと違って話が分かるわ」
五徳も父親にあえて嬉しいのであろう、奇妙の不幸を肴に二人は楽しげである。
(ううっ……こいつら、俺の気も知らないで…………)
奇妙は、食べ終わった椀を、勢いよく膳に置くと、その膳を方付けようと立ち上がった。
「そのようなこと、侍女にやらせよ」
目についた事を何でも口に出すのは信長の性分であろう。
「自分でやるからいいよ」
弟たち、茶筅や三七には、自分で膳を運ばせていたし食事の部屋も別であった。
奇妙は、自分だけ特別扱いされるのも、面倒だといった感じである。
膳を持って部屋をでる奇妙に信長が声を掛けた。
「今日は、天下の行く末を決める評定をする。お前も出ろよ!」
「寂しい俺には、天下の事なんてわかんねーよ!」
捨て台詞の様に、吐き捨てると奇妙はズカズカと出て行った。
「なによ! あいつ。バカじゃないのかしら! ねぇお父様」
五徳は、父親を見たが腕組してご立腹の様子であった。
歴史一言紹介
元亀四年の婚約破棄。
信長が信玄に対して下手に対応し、奇妙を信玄の養子にしてほしいと頼んだ。
信長と信玄が将軍に悪口を書きあった手紙。
五徳と信康の不仲説
これらは、伝承を元に書いています。
歴史一言紹介について。
歴史物って、とっつきづらさが有ると思うのです。歴史一言紹介が、まったく知らない方や、名前くらいしか知らない方に、興味を持って頂ける切っ掛けになればと考えたのですが、物語の邪魔かな?とも思うところであります。
私も昔、大河ドラマの最後の5分くらいの伝記の紹介をみて、「へーぇ。そうなんだ!この様な話が実際に伝承としてあるんだ」とそこからだんだん歴史に興味を持ち始めた気もします。
もっと、知りたい。もしくは、物語の邪魔では?など、参考までにご意見がありましたら教えたいただきたく思います。