19 温泉宿2
五徳は、湯船につかっている。少し熱めのお湯と、春風が相まって何とも気持ちがいい。
「やっぱ素敵な所じゃない、また来たいわね」
五徳は、この伊那の土地が気に入ったらしい。素直な感想であった。
そう言うと、湯船に寝そべって夜空を見た。
「綺麗ねぇ……」
そこには、満天の星空が広がっている。
「キラキラ輝いて吸い込まれそう」
と、五徳が続けた。
「わぁ凄い!」
せんも見上げて思わず声を出した。
世界を覆う満点の星が少女たちの瞳に輝いている。
「五徳ちゃんは、昔からお星さまが好きだもんね」
せんが、星を見ながら言った。
「あら? そんな話、せんちゃんにしたっけ?」
「だって、いつも持っているお気に入りの扇子にもお星さまがいっぱい」
「あぁ、あれは兄様がくれたのよ。お嫁に行く時にね。私が星が好きだから……私が寂しい時には、俺も星を見ているってね。あいつも良いとこあるのよ。今は、私の事より、想いの姫様の事で頭がいっぱいでしょうけど」
「へぇぇ。さすがお兄様! いいなぁ私も、そんなお兄様が欲しい」
「あはは。せんちゃんには、元気な弟が二人も居るじゃない!」
「うんん・・・・!」
せんが、弟と兄では、全然違うと言わんばかりに、ううんという表情を作っていたが、
「お兄様上手くいくといいね」
と、話を戻した。
「そうね……」
五徳が、優しく答えた。
「あっ! 流れ星」
五徳が声を上げた。
「あっ! また流れた!」
今度は、せんである。
「見て、また!」
五徳がまた声を上げる。
「わぁー! 凄い! 凄い!」
重ねて流れる星を見て二人は手を互いの手を叩いて無邪気に喜んだ。
「こんな闇夜でもキラキラ輝いて、みんなを楽しくしてくれるなんて、まるで五徳ちゃんみたい」
「そうかしら?」
五徳は、照れくさそうに微笑んでみせた。
―――その時、五徳が何かに気が付いてせんを見た。
「ぬおお! もう少しだ! 頑張れ!」
石壁をよじ登りながら、氏郷が隣の盛信に声をかけた。
「ああ! ここまで来て引き下がれるか!」
火照った体から汗が噴き出している。
なんとか、石壁を登りきると、岩の陰から少年達は風呂の様子をうかがった。
「見えるか?」
小声で盛信が聞いた。
「何も見えねぇ」
湯煙で、様子が解らない。
氏郷が、前方の岩を指差した。もう少し近づこうと合図したのだ。
盛信は、それにコクリと頷く。
少年達は、抜き足差し足、湯船の淵の岩場に身を潜めた。
(これだけ、近づけば見えるはずだ!)
二人は、顔を見合わせてニヤッっとすると、遅る遅る岩陰から顔を出した。
「・・・・」
湯煙の中の湯船は、見えるが肝心のものが分からない。
「見えるか?」
と、互いに確認し合った。
「見えねぇ……」
―――その瞬間。
「わっ!!」
と、背後から声が掛かった。
「うわわあぁぁぁ!」
突然の声に驚いた二人が後方へよろけて飛んだ!
声の主は、せんであった。その様子を見ながら、にゃはは! と笑っている。
そこへ、五徳の罵声が飛んだ!
「この変態! 死ねーーー!」
飛んで来たのは罵声だけでは、無い。
―――桶だ!
五徳が続けざまに投げた桶が二人の顔面を直撃した。
「ぐぇ!」
と、うめき声を上げながら、二人は石壁から、下の湯船に落ちて水しぶきを上げた。
落下しながら、少年達は思った。
(・・・見えた!)
先に部屋に戻った奇妙は、二階部屋の縁側に腰掛けて夜風に当たった。
湯上りの体に、風が気持ちよかった。
空を、見上げると満天の星空である。
「松殿……」
と、つぶやいた。
松もこの星空を見ているのかと、奇妙は思った。
離れて居ても、同じものを見ていると思う事が、少年には、せめてもの慰めであったのかも知れない。
奇妙が物思いにふけっていると、
―――ザブーン! ザブーン!
と、何かが池にでも飛び込んだ音が聞こえて来た。
(まったく、何してんだか……)
奇妙は、気にする様子もなく、星を見たままだ。
春風が奇妙の髪をなびかせて過ぎて行く。
(あと、五日もすれば甲斐の国か……)
少年の心は逸るのであった。




