18 温泉宿1
恵那山の街道を下って、伊那平に足を踏み入れた一行は、盛信の案内で宿場町にいた。
街道に沿って宿が立ち並び、至る所に湯の旗が見える。天然湯が自慢の宿場町でであろう。
盛信が一行を案内したのは、宿場より少し高台にある宿であった。
「ここか……」
奇妙は、躊躇した。一目で高価な宿だと分かる。
「ん? どうした?」
「いやぁ……予算がな……」
「ははは! 俺も銭はねぇが、何とか頼んでみるか」
盛信は、冗談ぽく言うと、一人宿に入って行って女将と話し出した。
(おいおい……それで、停めてくれるのか?)
奇妙は、思った。武田の侍大将とは、それ程力があるのか?
――いや、他国にも名の知れる、馬場、内藤、高坂、山県、であれば頷ける。
仁科とは、それ程有名なのか? それに盛信は、まだ十六の少年である。
銭も持たずに、停めてくれなどと言う話が通るのだろうか?
「早く来いよ!」
奇妙の不安をよそに、盛信が手招きした。
隣の女将は、奇妙達一行に深々とお辞儀をしている。
「あいつ、中々やるじゃない!」
五徳が、見直したように言って宿に入っていく。
「折角だ! 好意に、与ろうぜ!」
「あぁ、そうだな」
「いっきまーす」
そういって、皆が五徳に続いた。
一行の通された部屋は、大広間であった。部屋の装飾からしても数ある部屋の中でも上級である事は、一目でわかる。
それに、目の前の食事も豪華の一言であった。
「おい! 盛信! 本当に大丈夫なのか?」
「何がだ?」
「銭だよ! 銭! 後で請求されてもこんなに払えんぞ」
奇妙は、盛信と女将がどんな話をしたのか聞いたわけではない。銭もないのに、適当な事を言ったかもしれないのである。
「ははは! そん時は、皆で逃げるか?」
「おい! 食い逃げでお尋ね者に成る気かよ!」
「食っちまった物は、仕方ねぇ! それも面白いかもな」
氏郷が面白そうに言った。
「ははは! 心配するな! 冗談だ!」
盛信は、そんな他愛もない冗談んを心底楽しそうに話した。
そこへ、女将がやってきて、
「お部屋のご用意は出来ております。露天の湯も在りますので、是非ご堪能下さい」
と、言った。
「女将殿、とても美味かった感謝いたす。この礼は、いずれ」
「お気に召さずとも、いつも父上様には、良くしていただいておりますので」
盛信の言葉に女将は深々とお辞儀をした。
奇妙は、その様子を見ていたが、盛信は、普段はわざと偉そうな態度を取っているが、実は礼儀正しい奴なのではないかと思った。それに、やはり仁科家は、信濃では、有名な豪族なのであろう。
「五徳ちゃん! 露天湯ですって! 行きましょう!」
「そうね」
「よーし! 皆で一っ風呂頂こうか!」
氏郷が、一同を見渡して元気よく言ったが、
「あんた達と入るわけ無いでしょ」
五徳の言葉に氏郷は、そりゃそうかといった具合に黙った。
「心配しないでも、上の湯、下の湯と二つありますから、お嬢様方は、上の湯を御利用成されては?」
女将の提案に、
「そうしましょう」
と、五徳が答えて、一行は大部屋を後にした。
奇妙達は、五徳と分かれ、寝室によって着替えを持つと風呂へ向かった。
「うおー! 気持ちぃー!」
氏郷が、ザブンと飛び込むと頭まで潜って顔を出した。
「なかなか風情のある風呂じゃないか」
奇妙も風呂に浸かって周りを見渡した。
既に日は落ち夜であったが、灯篭の明かりが岩作りの風呂を照らしていた。その淡い光が立ち上る湯気に反射して、幻想的な世界を作り出している。
「だろ! 俺もここは気に入りでな」
「盛信、感謝するぜ! 今までの疲れが吹っ飛びそうだ」
氏郷は、顔を擦りながら言った。
一時ほどして、上からせんの声が聞こえて来た。
女将の言った上の湯とは、奇妙達のいる風呂の石壁の上に在るのだ。
「五徳ちゃん見てー素敵よ!」
「そうね」
もちろん、奇妙達の所からは、上の様子は分からない。五間ほど上に灯篭の光がぼんやり見えるだけだ。
「よぅーし!行くか!」
氏郷は、湯船から上がると、腕組して石壁を見た。
「忠三郎!俺もお供するぜ!」
そう言って並んだのは、盛信である。
その意味が、奇妙には、直ぐに分かった。覗きに行こうとしているのである。
「お前たちなぁ……見つかったら殺されるぞ! ―――それに、その壁登るのかよ?」
「男には、危険と分かっていても、やらねばならん時が有るのだ!」
氏郷が、高らかに拳を作った!
「この程度の石壁、武田の将を舐めるな!」
二人は、向き合いニッと決め顔を造った。その勢いは、さながら城攻めの様である。
「勝手にしろ! 俺は先に出るからな」
奇妙が体を拭き浴衣を着て風呂から出た。
その後ろの石壁には、灯篭の明かりに白いケツが二つ浮かび上がっていた。