14 思い出
見送る二人から離れると、
「一時はどうなるかと思ったが、黙っていてくれたお直殿に感謝しないとな」
氏郷が嬉しそうに奇妙に話した。
「いや、最初からバレてたんだよ……」
奇妙が、後ろを振りかえりながら言った。
「どうゆうこと? 叔母様は、私たちの事何も言わなかったじゃない」
「虎繁殿だ! 何か変だと思ったんだよな……鮎の話で思い出した」
「どうゆう事だよ? 奇妙」
「松殿と婚約した時に、挨拶に来たんだよ。その時みんなで鵜飼で鮎を取ったんだ。この太刀を持って来たのも、虎繁殿だ。知ってて当然だ」
「虎繁殿も人が悪いぜ、だったら最初から……」
「いや、気を使って何も知らない事にしてくれたのだろう。それに虎繁どのだって立場があるからな」
「そんな事あったかしら」
「五徳も一緒に鮎を食べたじゃないか」
―――奇妙が思い出しているのは五年前の風景であった。
この日の為に拵えた大きな船に鵜飼を大勢載せていた。
鵜が次から次へと鮎を捕まえて来るので、その度、魚籠に入れるような事はせず、甲板に吐かせて次を取らせた。
甲板には、活きの良い鮎がピチピチ跳ねている。
「さぁ! 虎繁殿、捕まえますぞ」
信長が虎繁に魚籠を手渡して言った。
「父上! おじさんも! 私と勝負です」
そう言って駆け出したのは奇妙である。
「さすが若君。器用に捕まえまするな」
そう言うと、虎繁も滑る鮎に悪戦苦闘しながらも魚籠に入れている。
大ぶりな一匹が虎繁の手から滑って信長の顔に当たった。
信長は、それが、落ちる前に掴むと、
「これは、生きが良い!」
と言って楽しそうに虎繁に手渡した。
「虎繁殿! 休んでいる暇は、有りませんぞ!」
「これは、楽しい物でございますな」
虎繁も、楽しそうに笑っている。
「それは、良かった」
と、信長は満足そうに笑った。
一刻ほど楽しんで最後の一匹を虎繁に手渡すと、虎繁はそれを魚籠に入れた。
「ふぅー一息つきますかな」
信長が虎繁を見て笑みをつくった。
「久しぶりに楽しい時が過ごせました。このような持て成し、信長殿は面白いですな」
虎繁は嬉しそうに信長に礼を言った。
信長の接待は、祝礼の食事で丁重に持て成す事はもちろん、虎繁と一緒に鵜飼を楽しもうというものであった。
――そこへ、奇妙が、
「父上ー! おじさーん! こんなに捕まえました」
魚籠一杯の鮎を持って走って来た。
―――が、濡れた甲板に滑った。
「わああぁぁ」
奇妙は、重い魚籠に体制を崩して川へ落ちて行く。
「若君!」
虎繁が慌てて奇妙を掴んだが間に合わず落ちて行く。
「虎繁殿!」
信長が虎繁を掴むが既に遅い。
ザブーン!!
大きな水しぶきを上げて三人は川に落ちたのだ。
「御屋形さま!」
船頭が慌てて声を上げた。
三人は水面に消えたが、信長と虎繁が、むくっと上半身を水面に出した。奇妙だけは顔だけ水面に出ている。
全身ずぶ濡れの三人は顔を見合わせると。
「あははははは!」
何とも楽しげに笑い合った。
――――――。
「あぁぁ!」
奇妙は魚籠を覗くと、二人に魚籠を逆さにして見せた。
「あははははは!」
三人は、空になった魚籠を見てまた大笑いした。
「私の鮎を差し上げましょう」
と言って、虎繁は奇妙を肩に担いだ。
――奇妙の思いでは、とても楽しい物であった。
「五徳ちゃんも覚えてる?」
奇妙の言葉を改めて、せんが五徳に聞いた。
「ん?・・・」
「五徳は、まだ小さかったから覚えて無いか。……でもお前、虎繁殿の肩に乗って、あっちに行け、こっちに行け、って命令してたぞ」
「・・・ああ! あの時のおじさん!」
思い出した五徳は、慌てて後ろを振り返った。屋敷の前で、二人は、まだ見送りに立っていた。距離が離れて二人が小さく見えた。
「おじさまー!。おばさまを、よろしくねー!」
五徳が大きな声で手を振った。
奇妙と氏郷とせんも続いて手を振った。
見送る虎繁とお直が、嬉しそうに手を振っているのが見えた。
歴史紹介
「甲陽軍鑑」には、
武田信玄の代理で虎繁が、奇妙と松の婚約の挨拶に岐阜を訪れた際に、信玄から信長には、縁者になった祝義の贈り物は沢山あるのですが、その中に奇妙には名刀、郷義弘(腰物)、大安吉(脇指)、会津黒(名馬)その他色々あります。
信長の接待の様子については、七五三の御振舞という祝礼の御馳走でのもてなし。
長良川に船を二艘並べて鵜飼を見学したとあります。
信長は取った鮎を一通りみて、虎繁にこれを甲府に届けるようにと言ったそうです。
次の月に、信長からのお返しは、際限もなく多いので記すに及ばないと、あります。
松姫には、八帖敷ほどの匂袋を送られたそうです。
私の感想・・・・これ部屋いっぱいあったんでしょうか。匂袋だけこんなに沢山って事は、たぶん無いですよね。私は他にもあったと思います。贈り物は際限もなく多いと書かれて内容が無いので、たぶんこの匂袋の数のインパクトが強かったんでしょうね。そして、皆に配ったからよく知られているとか?想像すると、ちょっと楽しいエピソードです。