Ⅱ-iii そして開幕
夜空に黄色い月がほんの少し欠けて浮かぶ。月の光で空は黒というよりは藍色に近い色合いだ。リーナ姫は色鮮やかな仮面の数々も見飽きて、窓の外の夜空に目を移し、溜息を吐いた。
「……何故、仮面なのかしら。」
独り言とも思える疑問に、律儀に傍つきの侍従は答える。
「先ほど異国同士交流が促進するようにと申しておりましたが。」
ぴしり、と扇が閉じられ、軽く侍従の頬を打つ。……軽く、とは言っても姫の苛立ちは十分伝わる痛みが侍従の頬に走った。
「私が王の言葉を聞き逃したとでも言いたいの?」
「いえ、けしてそのようなつもりでは……。」
姫の次なる怒りの言葉をやり過ごそうと侍従が頭を下げると、救世主が現れた。
「魔法が、かかっているのかもしれませんね。」
姫が振り向くと、そこにいたのは淡い金髪を長く垂らした男であった。……仮面の種類からして姫と同格らしい。あらかじめ用意されていた仮面は、侍従、ラカ貴族、そして他国貴賓とで仕様が違うようだった。どれも顔の上半分を覆うものであるのには変わりないが、侍従用の物は一番簡素な白、それ以外の物には何かしらのモチーフが刻まれていたり色がついていたり様々だったが、ラカ貴族の場合モチーフは左目の側、他国の貴賓の場合右目の側に刻まれているようだった。リーナ姫の右目には大輪の牡丹が咲き誇っている。そして今一人彼女に対峙する男の右目には海蛇がまとわりついていた。
「お初にお目にかかります。シーディア帝王第七代カナラデが息子ツビスと申します。」
さっと仮面を外し、優雅な一礼をする。すぐに仮面は装着されたが、ちらりと見えた顔立ちは整っている方で、どことなく陶器のような冷たい印象を与えた。ニージェンバルトの貴族にもてそうな顔立ちだけど私は好みじゃないわね、とリーナ姫は心の中で評する。
「せっかくの仮面舞踏会なのに、どうしてわざわざ名乗り上げて仮面まで外すのかしら?」
意地悪くリーナは尋ねる。するとにっこりとツビスは微笑み、しかし仮面から垣間見える目元はそれほど笑っているように見えない。
「仮面という隔たりは逆に心の垣根を取り除くこともございますが、ニージェンバルトの姫君に対しては外すべきかと存じ上げましたので。」
「あらどうして?」
「このような華麗なる姫君に顔を覚えてもらえぬまま別れてしまうなどあまりに勿体のうございます故。」
相変わらずツビスは微笑んでいるのだが、リーナはその微笑みがかえってその言葉を嘘くさくしていると思った。もちろん相手もそんなことは自覚の上だろう。お互いこのような場で育ってきた者同士、わかっていないはずがない。
「あら、お褒め頂き光栄ですわ。しかしながら仮面の下はとんだ醜女かもしれませんわよ?」
意地悪くリーナは笑う。ツビスも笑ったまま、言葉を返す。
「いえいえ、先ほどから拝見しておりましたが、立ち居振る舞いにお心の美しさが滲み出ておいでです。近くで拝見いたしますと、なおその美しさに間違いなかろうと思われます。」
リーナはにっこり微笑んだままだったが、心の中で鼻を鳴らした。そろそろこんな不毛な前座は終わらせよう。
「ところで先ほどこの仮面に魔法がかかっているのでは、とおっしゃってましたが、どのような魔法がかかっていると申されるのですか?」
「人々がより楽しくお喋りできるような魔法、ではありませんかね。普段は内気な私が、このように姫君に話しかけるなぞ魔法としか言えませんね。」
「おほほ、御冗談を。」
内気な人間があのような目をしているものか、と内心罵倒する。
「とても内気だなんて見えませんわ。」
「なれば、仮面の魔法でなく人類共通の病にかかっているのやもしれませぬ。」
先は読めたが、作法に則って聞き返してやる。
「人類共通の病とは?」
まだしばらくじらされるだろうとうんざりしながら答えを待つと、ツビスでない声が横から入ってきた。
「恋にございましょう。姫君のような可憐な花にはそのような虫が煩わしいくらいにまとわりつくでしょうから。」
銀色の仮面の左目は、ラカに着いてから何度となく目にした不思議な文様で縁どられ、むき出しの右頬には昼間見たばかりの十字傷がざっくり刻まれていた。仮面を外さずとも誰だかわかったが、シーナは仮面を外しやはり優雅な一礼を姫とツビスにしてみせた。
「昼間はとんだ邪魔が入り申し訳ない。ツビス殿におかれては相変わらずお元気なようで何より。お二方とも我が城において不自由はないでしょうか?」
引きつられるような笑みを浮かべて言うものだから、知らず知らず姫も微笑んでしまう。
「ええ、ございませんわ。」
「これは陛下、お久しゅうございます。私の到着時には多忙を理由に明日まで謁見を延ばされましたのに、姫君には顔をお見せしていたとは……。なかなか妬けますな。」
相変わらずの笑顔でツビスが皮肉ると、シーナは声をあげて笑った。
「忙しくとも華麗なる花はなんとしてでも見たいのが人の性というもの。嫉妬なぞ、冷静沈着な南の臥龍に似つかわしくありませんな。ご安心を。はなはだ残念ながら、本日は見ただけで邪魔されました故。それか私に会えなくて寂しかったなら、会えぬ時にこそ燃え上がるのが恋の炎でしょう。」
そう言って悪戯っぽくツビスにウィンクしてみせる。ひそひそこちらを窺っていたラカ貴族の娘たちが小さく悲鳴をあげて話に花を咲かせる。リーナも思わず笑ってしまう。ツビスはと言えば、こちらもやはり笑って、しかしながら先ほどと変わらぬ笑みであった。
「ならば前回お会いしてから早五年、陛下の御心の内には随分と激しい炎が燃え上がっていると考えてもよろしいですかな?」
途端声をあげてシーナは笑う。そして再び悪戯っぽくウィンクした。
「恋の炎は見えぬからこそ燃え上がるもの。ここでツビス殿の炎を搔き消すような無粋な真似はできませんな。」
「それは残念にございます。此度はこの胸の炎を沈下しようと参りましたのに、まだしばらく不寝の夜が続いてしまいますな。」
しれっと答えて、しかしじっとその瞳はシーナを見つめた。リーナは笑いながら、冷静にツビスを観察した。……思った以上にこの男、図太い。まさか本当に結婚するつもりでもあるまいに。
相変わらず快活に笑ってツビスの視線を真正面から受け止め口を開こうとしたシーナに、白い仮面の近侍が声をかけた。
「陛下、そろそろお支度を……。」
「おお、もうそんな時間か。」
近侍とのやり取りは二人にも聞こえていたのだが、くるりと二人に向き直り、ニージェンバルトの言葉で改めて別れを告げる。
「リーナ姫とお別れなのは甚だ残念ですが、所用ができました故。」
わざとなのだろう、ツビスの恋の炎云々には触れず、さっさと仮面をつけ直して近侍の後についてゆく。ツビスはしばらくその後ろ姿をじっと見つめていた。
「本命はあちらなのに私に恋患いしているなどと仰るなんて罪なお方。」
意地悪のつもりで、リーナがまだ人混みに紛れたシーナを目で追うツビスに囁くと、ツビスは小さく溜息を吐いて、すぐにあの笑みを浮かべた。
「いえいえ、もちろん本命は姫君にございますとも。」
「あら、その割には随分シーナ様を見つめる目が熱かったようですわ?」
リーナが意地悪く微笑むと、ツビスは嘲笑うかのように短く笑った。
「陛下が本命だとするならば、私は目の前のあなたに嫉妬せざるを得ませんね。ご存じでしたか?今の今まで多忙を理由にどこの国の使節も陛下と謁見してなかったのですよ。」
「え……?」
笑顔の仮面を落として、リーナは驚く。リーナも憤慨していたが、お忍びとは言え結局はシーナ本人が姿を現した。後から演出だったのかと考えもしたが、例外中の例外だったわけだ。
「よほど陛下にお気に召されたようですな。コツがあれば教えて頂きたいものです。」
今までで一番の微笑みを浮かべてツビスは言う。裏を返せば今までで一番の棘がそこにこめられているわけで。リーナは当然そのことに気付いたが、戸惑うばかりだった。……思い当たることは一つしかない。
「我が偉大なる王、ゲハルト三世の御威光が月をも凌いだというだけの話でしょう。失礼いたします。」
当然、と言わんばかりの笑顔を残し、その場を去る。後に残されたツビスはその後ろ姿を見つめ、満足げに口の端をあげるのだった。
一方その頃舞踏会に呼ばれなかったカイは、わざわざ二人寂しく館で顔を突き合わせてご飯を食べる必要もないだろう、というブレッドの言葉に乗せられて、王都に来て以来だった“花屋”に連れ込まれていた。
「いつぞやの兄さんじゃないか。北までついてってたんだってねえ?」
そうカイに言って酒を注ぐのは、行方不明のシーナを探すため立ち寄った、アズリルの師匠の家で出会ったジェンヌという女だった。ブレッドの説明によれば、一番大きな“花屋”を取り仕切る大妓女であり、ブレッドなんかでは破産に追い込まれること間違いなし!の超高級娼婦だそうだ。耳打ちされた想像もつかない額に、カイは腰を抜かしそうにさえなった。そんな大妓女が隣に座って酌をしてくれるだなんて、気持ちよいどころか居心地が悪くて仕方がない。
そんなカイの様子を見てジェンヌはくつくつと笑った。
「なんだい、このジェンヌ姐さんに晩酌してもらえるなんて二度とないことなんだから楽しめばいいものを。……それとも、それ以上をお望みかい?」
つ、と、カイの顎に人差し指が触れ、上向かされる。誘うような艶めかしい笑いに、しかしカイは緊張するばかりだった。
「あらまあ可愛らしい坊やだこと。」
そう言って他の妓女もがさざめくように笑う。ブレッドは快活に笑って、カイを救ってやる。
「姐さんそれくらいにしてやってくれ。そんなにいい男に飢えてんだったら俺が相手してやっから。」
途端妓女たちは弾けるように笑った。
「そうだねえ、陛下を上回るいい男になったら相手してやらんでもないけどね。」
カイは流し込みかけていた酒を吹き出しそうになる。……何か間違ってる気が。
「はっはっは、そりゃ無理だ。ま、俺は山茶花一筋だからな。」
そう言って隣の長い黒髪の女を抱きよせて前髪のかかった額に軽く口づけする。……どうもお気に入りの妓女らしい。山茶花はくすくす笑った。ジェンヌは軽い口調で窘めた。
「まあ妬けること。……でも今は坊や一筋なんだろう?いいねえ、相思相愛で。」
意地悪くジェンヌが笑うと、ブレッドは顔を顰めて聞き返した。
「相変わらずジェンヌ殿の耳は早い……。どこでその情報を?」
またもや酒を吹き出してしまいそうになる。しかしながらカイの心配は無用で、ジェンヌは呆れたように言葉を続けた。
「なんだい、本当に坊やの護衛はブレッド殿一人なのかい?そんなに賢者殿は護衛を嫌がってるのかい?」
その言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろすと同時に、はてな、と疑問が浮かぶ。明らかに自分の護衛の話だが、護衛が一人で何かおかしいだろうか。
「……敵いませんな、ジェンヌ殿には。いえ、別に大魔法使い殿も自分の護衛ならともかく弟子なら承諾してくれるでしょう。まあちょっと色々事情がありまして……。」
「ふうん。坊やは知ってるのかい、その事情とやらを?」
そう言って、再びつと顎に指が当てられる。途端ジェンヌの顔しか見えなくなり、やはりカイは緊張する。
「え、あの、護衛一人ってそんなまずいですか?」
途端、ジェンヌが吹き出し、指を離してカイを解放してやる。
「……中々に大物だねえ。いいかい、いくらブレッド殿が優秀でも、人間なんだから二十四時間起きっ放しってわけにもいかんだろう?それに一人じゃあ太刀打ちできないこともあるからねえ。休憩のこととか考えて、普通は最低三人だね。……そうさね、一人なんてよっぽど目立ちたくない場合だけだねえ。」
そう言って、ブレッドに流し目を送る。さすがにブレッドは、王都セイジェン一の妓女の流し目にも動じず、さらっとかわす。
「あんま顔知られてるわけでもないのに護衛がぞろぞろついてたら逆に目立ってしまいますので……。」
「ふうん。」
少しばかりジェンヌは探るようにしてブレッドを見つめたが、それ以上追及しないことにしたらしい。
「ま、確かにブレッド殿はお強いからね。坊やも心配しなくて大丈夫だろうさ。賢者殿の弟子なら魔法使い連中は手を出さんだろうし、魔法使いでないなら早々負けたりしないからね。ささ、お飲み。」
そう言って、少し減っただけのグラスに再び酒を注ぐ。カイは一抹の疑念が残らないでもなかったが、やはり護衛一人ということの意味なぞわからず、ジェンヌに勧められるがまま宴を楽しむのだった。
藍色の仮面の左目に金色の蝶が羽を休めているように、その仮面の持ち主もまた壁にひっつき侍従の差し出した飲み物を手に羽を休めていた。
仮面の深い藍色は鮮やかな黄緑色のドレスをほどよく引締め、金色の蝶は持主の金髪とドレスに施された金糸同様よいアクセントになっている。幼い頃に躾けられた礼儀作法を忘れるはずもなく、立ち居振る舞いからしてどこぞの令嬢なのだが、何故だか誰も声をかけようとしない。……まるで誰も彼女がそこにいるのに気付いていないかのようだった。
ゆっくりと会場を見渡し、左の端に次から次へと声をかけられ疲弊の色が見え隠れする執政官殿を捉え、今一人の目的人物がどこにも見当たらないことに苛立ちを覚える。
魔法を使えば一発で動向は測れるのだが、今の状態で王に対して魔法を使うわけにはいかなかった。……アズリルは仮面を外し、忌々しそうに見つめる。
レントの護衛でこの舞踏会に関する打ち合わせなどにも居合わせたが、そうでなくとも仮面を渡された瞬間から覚える違和感ですぐそれとわかった。……仮面は今日の為に作られた魔法具で、身につけた人間の大体の動向と感情を把握するものだった。特に強い敵意と殺意に反応し、安全確保のためとついでに情報戦略に用いられる。一々細かい動きを把握するほどの物ではないのだが、魔法の使用は察知されてしまう。自分にかけている人目を引かない魔法や、付き添いとして来たのだからレントにかける魔法なんかは特に気にもされないだろうが、下手に王を探る魔法なぞ使えばレントの立場が悪くなる。……まあそこまでいかずとも注視されるのは確実であり、身を潜めておかねばならないアズリルにとって不都合この上ない。
と、探していた王の姿が、ぱっと会場を見渡す二階のバルコニーに現れる。照明が彼女に集まり、自然視線も彼女に集まる。舞踏会最初の挨拶の時にはつけていた仮面を外し、元からつけていた胸に煌めく宝石や金の小さな耳飾りの他に、王冠と王衣と呼ばれるマント、そして王杖を持ち、正式な姿をしている。その格好一つ取っても何か正式な発表をするために現れたのは明らかで、好奇でざわついた会場も彼女が手を振るとしんと静まり返った。
「宴も盛り上がり、皆の親交が深まったようで何よりだ。遠方よりいらした客人もすっかり寛いでもらえたようで嬉しく思う。
わざわざ宴を中断させてしまうが、まず客人の皆様方に、先ほども個人的に申し上げたが、改めて今日まで我自ら挨拶しなかったことをお詫び致そう。到着次第このような宴をすぐにでも催したかったが、今日まで延びてしまい申し訳ない。」
王の言葉がそれぞれの侍従などによって次々と各国の貴賓に翻訳されると、集まる視線は余計に熱を帯びた。重ねて今このタイミングでそれを詫びるということは、その理由が明らかにされるということに違いない。
アズリルも驚いてシーナを見つめる。内政に関しては、直接聞かない限り無理に魔法で立ち聞きしないようにしていたとは言え、黒猫チィの姿で昼間もひっつき夜は夜で直接打ち明けられたりしていたし、レントの護衛になってからも自然政治の中枢に入り浸っているのだから大体把握しているつもりだったのだが、今宵の発表については一切思い当たる節がない。朝議や内々の会議でのみ話された内容であれば、アズリルとて知ることは適わないのだ。レントを見れば、当然わかっている様子で静かにシーナを見つめており、アズリルの胸にどす黒い感情がうずいた。
「さて、皆も知っての通り私には今伴侶がいない。」
途端、ざわめきが会場に走る。まさか、相手がもう決まったというのだろうか。正式に発表するまで、他国に申し入れされないために遠ざけていたというのだろうか。
シーナはたっぷりとそのざわめきを楽しみ、そろそろと静まり返ってきてやっとにっこりと言い渡した。
「ああ、残念ながら未だ相手は見つかっておらぬ。」
全然表情が残念に思っていない。……先行きを怪しく思った連中が首を傾げささやきを交わす。件の朝議に参加していた高官たちだけが、静かに王の言葉を待っていた。
「とはいえ特別な行事もないのに此度これほど遠方よりの客人がいらしているからには、名乗り上げを心待ちにしている方々もいるのだろうと期待している。」
悪戯っぽく微笑む。苛ついている者と、冷静に待つ者と、戸惑う者と、反応は様々だ。
「しかしながら、我が伴侶となる者には共に国を背負ってもらわねばならぬ。我が判断だけでは心もとない。
そこで、我より男らしいと認められた者を伴侶に迎えたいと思う。」
一気に、ざわめきが走る。その殆どが、戸惑いの声だった。互いに顔を見合わせ、シーナを見つめ、黙っている高官たちに問いかける。すぐにはざわめきは収まりそうにない。シーナは高々手を挙げ、声を張り上げた。
「静まれ。」
特別に低い声が、会場に響く。途端、ぴたりとざわめきは止まった。
「ふむ、皆の戸惑いもわかる。このような格好をしているとはいえ、我は女だからな。」
「え!」
視線が階上から階下のリーナ姫に集まる。思ったよりも響いた声とあまりの驚きを扇子で隠し、何事もなかったかのようにしていると視線はすぐにシーナに戻った。シーナも何事もなかったかのように言葉を続ける。
「とは言え、国を担う以上雄々しくあらねばならぬ。しかして我が伴侶となる男は、体も男なのだから我以上に男らしくなければならぬだろう。」
大真面目に言っているのだが、理屈はおかしい。王の醸し出す雰囲気に流される者も多数いたが、首を捻る者もいた。戸惑いがざわめきになる前にシーナは声を張り上げる。
「剣でも詩吟でも何でも、何か我より男らしいと我と我が国に認めさせるだけのものを持つ者を、我が伴侶と迎えよう。判定方法はその都度決め、即日公式の場で判定を下してもらう。」
王がそこで言葉を切ると、階下ですっと手が挙がり、察した周囲の人間が離れ、視線の集まりやすいようにしてやる。王はその手の主を見て微笑んだ。
「強く偉大なるラカ十二世よ、言葉をさしはさむ無礼をお許しください。」
仮面を取り膝まづき、一礼する。仮面の下から顕れた透通るほどの白い肌は北国特有のもので、仮面の右目に刻まれている竜と併せ、北国ケパルドの第三王子ドーランであることが知れた。
「よい。発言を許す。」
周囲が静まり返って、野蛮国ケパルドの言葉を待つ。立ち上がったドーランはまっすぐシーナを見つめた。
「我が国において、男らしさと言えば武勇の誉れに他なりませぬ。早速陛下に、剣による決闘を申し込みたいと思います。」
一気にざわめきが走る。あまりにも早すぎる名乗り上げに焦る者、動揺する者、おもしろがる者、様々な思惑が飛び交った。王が微笑み、頷くと、そのざわめきは一層大きくなった。
「では早速明日の正午、ケパルド式の一本試合、判定員は互いに一人ずつ出すのでどうだ?」
「よろしいと存じ上げます。剣はどう致しましょう?」
「そうだな、互いに簡単に怪我を終える身ではないからな。こちらで練習用の物を用意しよう。決闘前に交換して剣舞で不正がないことを確認すれば問題なかろう。」
「結構にございます。判定員もこの場で決めてしまいましょう。」
「おお、そうだな。では我が国からは、ゴンザレス!」
鋭く呼びかけると、二人の即決に戸惑いながらも、威風堂々とした風体のシーナの弟、ゴンザレス王子が出てきた。
「先日ケパルドを訪問した際、向こうの決闘もいくつか目にしたな。そなたのことだから細かいルールも覚えているだろうな?」
突然問われて戸惑いながらも、しっかりとした返事を返す。
「はい!念のため確認だけすれば大丈夫です。」
「では我が国からは王の二の槍ガリを、判定員に。」
ドーランの後ろから、すっと王子同様透きとおった肌の長身の男が出てきて、シーナに向かって一礼した。シーナは懐かしそうに目を細め、それから満足そうに頷いた。
「よし、これで決闘の準備は整った。細かい采配は判定員の二人に任せるとしよう。できるな?」
即断即決の極みである命令に、お互い国の違う二人は、しっかと頷いた。
と、異議を唱える手が挙がる。……驚いたことに、その手は優雅な細い女の手であった。
「どうされました、リーナ姫?」
訝しげに、シーナがニージェンバルトの言葉で尋ねると、リーナ姫は優雅にお辞儀をし、挨拶の文句を掲げて、話を切り出した。
「ラカ十二世よ、その御名とこしえに轟きますように。
偉大なる陛下よ、今日一日私が拝見いたしましただけでも、あなた様の言う通り、私が見てきたどのような男よりも雄々しく、男らしく感じられました。……そう、私が見てきたどんな男よりも。そのような陛下より雄々しい者がこの世にいるとは思えません。ならばいっそ、女である私めを嫁に召されてはいかがでしょう?」
そう言って、頭を下げてリーナは止まる。ニージェンバルトの言葉が翻訳されていくと、次々とざわめきが走り、中にはあからさまな嘲笑を顔に浮かべる者もあった。シーナも一瞬ぎょっとした顔をしていたが、しかし決して笑わず、真面目な顔で姫に言った。
「顔をおあげくだされ、姫君。
確かに今回求婚しに来た方々の中に、私より男らしいと示すことのできる者はただの一人もおらぬかもしれませぬ。私としても、あなたのように華麗な方を伴侶に迎えることは至上の喜びでしょう。
ですが私には、国の繁栄のため子を成さねばなりませぬ。心がどれほど雄々しくとも、体は女の身、こればかりはどうしようもありません。」
するとリーナ姫は、にっこりと笑った。
「ならば第二妃で構いませんわ。私はどんな男よりも雄々しく男らしい陛下を、女として支えてゆきましょう。」
リーナの瞳はまっすぐシーナを見つめる。相変わらず、ざわめきの中にあけすけな嘲笑が混じっている。……シーナはその瞳に、何かしらの燃え上がるものを感じた。恋心にせよ他のものにせよ、戯れに発した言葉でないことだけは確かだ。そして出した結論は、微笑みと次なる言葉だった。
「……自分の子を孕むは、女の幸せ。世の母親たちは皆そう言います。私は自分の我儘で姫君の女としての幸せを奪うことはできませぬ。私を支えてくださるのは神の前に結ばれずともできます。」
シーナとリーナはしばらくじっと見つめあい、やがてリーナは折れた。
「わかりましたわ。今日のところは諦めると致します。しかしながら陛下、いつでも必要としてくださいませば、私は馳せ参じましょう。」
そう言って、リーナはにっこり微笑んだ。シーナも微笑み、その言葉を受ける。
「心強い御言葉だ。
では皆の者、引き続き宴を楽しんでくれ。」
シーナがバルコニーから姿を消すと、会場の照明は途端元に戻り、ざわめきも戻ってきた。ざわめきの殆どは王の奇妙な伴侶の判定方法であり、仮面を通して伝わるラカ貴族の反応は殆どが好奇であり、一方他国の貴賓たちの反応は戸惑いが多かった。……シーナが就任してまだ間もないが、ラカ貴族たちはすっかりシーナのやり方に慣れてしまったらしい。
濃紺の仮面の主はと言えば、ただただ茫然と立ち尽くすばかり。……結婚、当然出てくるべき問題だったし、ちらほらと求婚者の話は耳にしていた。しかしながらまだまだ王位に着いて間もなく、もう少し落ち着いてから検討するものとばかり思っていた。
ようやく立ち直ると、アズリルはレントの居場所を確認してつかつかとそちらへ歩み寄った。
「一曲踊って頂けませんでしょうか?」
シーナの発表について問い詰めようと取り囲んでいた連中に、ちょっとだけ口を挟めるよう細工して、にっこり声をかける。声をかけられたレントは驚き、続いて逃げる口実に安堵したのか単純に嬉しかったのか、喜んで承諾した。
「今までどこにいたんだ?」
踊りながらレントが尋ねると、アズリルはむすっとしたまま答える。
「壁の花になってましたわ。……それよりもさっきの発表、どういうことですの?」
二人のステップは優雅なもので、話しながらでも全く乱れない。むしろ近くで見ていた人々は、思わずほうと溜息を洩らす。そんな彼らに二人の囁きは聞こえない。
「何、って言われてもなあ。いつものあいつの十八番さ。これ以上は……本人に聞いてくれ。」
瞬間、アズリルのステップが乱れる。レントがフォローし、すぐさま元の優雅なステップに戻るも、その表情はすっかり険しいものになってしまった。
「それができれば……。……そう、ですわね。シーナ様が必要だと考えてくださるなら、自らお話してくださるはず……。」
レントは心配そうにアズリルを見つめながら、足を運ぶ。
「別に、あいつが話さないのはお前を信用してないとかじゃなくてだな、話す暇がなかっただけだと思うぞ。」
アズリルの目が驚いたように見開かれる。レントはどこか不満げに呟く。
「今まで四六時中一緒にいるのが当たり前だったのが今は違うんだ。込み入った話をお前さんにするためにわざわざ時間を割けないんだろ。」
言われてみれば、確かに今までそう言った話は寝物語のごとく一日の終わりにしていたのだが、今は二人きりで話す時間なぞ皆無である。加えて王位についてからの激務ではわざわざアズリルに説明する時間を割けるわけがない。
そう考えれば、益々シーナに聞けるわけがない。彼女の目下の仕事はレント式オムライスをマスターすること、そのついでの護衛である。……そうだ、さっさかオムライスをマスターしてシーナの元に帰れば、以前のように傍近くで支えることができるのだ。
「……浅はかでしたわ。シーナ様のお疲れを癒すためにも、早いことオムライスのコツ教えてくださいな。」
「は!?何故そこでそうなる?」
レントの抗議はアズリルには聞こえていない。折よく曲も終り、アズリルは一礼し、囁き声で言い放った。
「シーナ様のためにも、色々な方と交流を深めてくださいな。」
それだけ言うと、アズリルはさっさかまた壁の花に戻り、追いかける間もなく他の仮面に囲まれてしまう。……憮然としながらも、渋々言われた通り貴族連中と交友を深めるしかなかった。仮面の左目では、金緑色の妖精が、嘲笑うかのように踊っていた。




