表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

Ⅲ-ⅵ 平和とは

 黒猫チィは、久々にレントの下を離れていた。……とはいえ、レントの護衛から完全に解放されたわけでなく、壁の向こうを見やりながら黒猫らしく呑気に顔を洗ってみる。レントと対峙するは公式な五戦目の相手、グルットコットの第二王子だった。執務室などはシーナの権限で立ち入っているチィも、朝議や他国との交渉などの場にはさすがに入れない。入れなくともチィ以外の護衛がしっかり付いている場なので問題はなく、やろうと思えば立ち聞き覗き見やり放題のアズリルなのだが、シーナに付いていた時そうしていたように本人と部屋に守りの結果張るに留める。一臣下があまり政治に首を突っ込むものではない。――母の教えであった。

 それにしても……暇である。不謹慎にも欠伸が出る。猫らしい、遠慮のない欠伸だった。

 黒猫は目を閉じる。……眠るためではない。眠っては万が一何かあった時反応が遅れてしまう。

 目を閉じ瞼に見えるは左右対称の建物、黒猫チィの身で何度か忍び込んだことのある魔術学校だった。耳を澄ませば声も聞こえる。

『……けっ、大魔導師様の唯一無二の弟子にしては、大したことねえよな、あいつ。』

覗こうと思った人物は窓の向こう、少し照準がずれた。……再び欠伸が出る。

『飛んだり飛ばしたり以外はからっきしっすもんね。しかも呪文と杖使ってそれだし。』

くすくす笑いが耳に五月蠅い。……男の陰湿は黒猫だろうと眉を顰めざるを得ないみっともなさだ。

『呪文ばっか大魔導師様とおんなじ逆さ式!身の程を知れってんだ。』

『ケデント!』

窓の向こうのカイ目がけて、本が一冊宙を舞う。アズリルは軽く首を振ってやった。

『……ちぇっ、またあの護衛とやらに気付かれた。』

本ははたき落とされたかのように下に落ちる。……いや、ベルベロは気付いてないだろう。窓の向こう側にカイ苛めの先鋒担うプロテスがいると気付いてないのだから。イメージの範囲外の現実をそのまま覗き見るのは、実のところ高度の魔法であった。かなり意識的に見張っていないと今のは気付かない。教室の外に締め出されたベルベロには難しい話だ。

『さすがプロテスさん、逆さ式でも見事っすね。』

『……ふん。防がれたんだから見事でも何でもないさ。』

見え見えのごますりを鼻であしらう所を見ると、馬鹿ではないらしい。再び大きな欠伸と共に、目を開けた。……猫好きの侍従が、顔をほころばせて見つめている。

 猫好きへのサービスなのか猫と同じで気ままなのか、そのまま全身伸びをして、再び目を閉じた。次に見えて来たのは、人で賑わう通りに面する、治安支部の一つだった。雑音を排し、目的の人物の声だけを拾う。

『……んで、その同居人がえっらい美少女なんだが、記憶喪失らしくてな。』

黒猫の眉間に皺が寄る。……だからあの男は嫌いなのだ。

『へぇ……でもそんな美少女が記憶の手掛かり探してうろついてたら、僕らにも噂で入ってくると思うんですけど。』

……余計なことを言わないでほしい。何をヒントに気付かれるか、わかったものではない。

『ああ、人見知りらしくてな。ひっそり探してるんじゃないか。』

黒猫の動きが止まった。……嫌悪してる表情を見られただろうか。アズリルの姿で、人見知りと思われる要素はそれしかない。絶対見られていない自信があったのだが、反射的にしてしまう表情だから、ふと出てしまったのかもしれない。 ……気をつけねば。

『それにしても隊長、いいんすか?近衛のくせに最近街をうろついてるから、クビになったんじゃないかって噂されてますよ。』

『はは、あながち嘘でもない……。まあこうやって情報収集するのは、忙しくて城から出られない陛下の役に立つ。立派な近衛の仕事さ。』

無意識に、チィの首が上下する。……そういうところは、レントも見習ってほしいものだ。しかし次の言葉で、アズリルはそう思ったことを後悔した。

『真っ昼間じゃなきゃ、堂々花屋行く理由になんだけどなあ。』

……ブレッドの頭に何かがぶつかったかのように、よろめく。驚いたブレッドが辺りを見渡し頭をさするも、原因はわからなかった。

『魔法使いに恨みでも買ったんじゃないっすか?』

からから笑いながら言われてなお、ブレッドは頭を捻る。

『だったら一発で仕留めるだろ。……おっかしいな。』

不思議がるブレッドをよそに、黒猫は欠伸をして、城下の景色を遠ざけた。


――今日も平和だ。


シーナが玉座に着いて、黒猫チィのなすべきことは減ったような気がする。以前はシーナに止められても、勝手に城内や城下を徘徊し覗き見ては情報収集し、シーナにとって必要な情報を報告した。報告する度にシーナは、助かる、と言いながらも悲しそうな顔をして、お前をそういう風に使いたくないんだが……と微笑んだ。その度にアズリルは、ぎゅうぅっ、っと胸がしめつけられながらも笑顔で、シーナ様のお役に立つのがわたくしの使命です、と返した。


――お前の母がわたくしに仕えたように、お前も我が息子シーナによく仕えよ――


シーナの母、シェーハザードの、アズリルに向けた最期の言葉だった。そのためにこそアズリルは母に侍従としての所作と仕事を、シグロに魔法を、ノーマンサーラに精霊との対話を学んだ。……全てはただ一人、シーナのためだった。

 「――チェッチェッ、かわいいなあ。」

手が空いたのか、先ほどの侍従が頭を撫ぜ、耳の裏をかき、顎の下をさすった。……感覚が鈍ってしまう。普段なら噛みついて触らせはしないのだが、今日は普通の黒猫と同じく、気持ち良さそうに目をつぶった。……実際、黒猫の体にとって気持ちよかった。


――ああ、平和だ。


爽やかな風が吹き抜け、近づきつつある夏を告げる。――喜ぶべきその気持ちよさに、一抹の居心地の悪さを感じながら、壁の向こうのレントを待つのであった。




 王城の両脇に並ぶ迎賓館は、王都を見渡せる高さの塔が一つ、各々趣向の異なったこじんまりとした館が一つ、そして館の外に――満月を模し一粒きらりと大きな宝石をはめたモニュメントが一つ、あった。

「――上から見下ろせば普通なのにな。」

塔の上に立ち、初夏の風を浴びながら下を見下ろす。……王都セイジェンの端は遠く、攻め入るには難儀を強いられることを示していた。

「真不思議にございますな。下に降りれば四方を海に囲まれ、時折海龍が泳ぐのさえ見える始末……あの石像でございましたか?」

そう言って、傍に控えていた大臣は館の外、迎賓館の領域の中央に当たる場所に位置する満月のモニュメントを指差した。ツビスはちらり、と一瞥する。

「魔法具、と言うそうな。……我が姫君は魔法は使えねど、その真髄をよく心得ている。」

「はて、魔法の真髄とは?」

ツビスは口の端をあげ、笑った。

「……意図したイメージを現実に引き起こすこと、これ即ち魔法と言うそうな。」

「真妖幻なる術にございます。」

「――全くだ。魔法使いの修行とやらを見たが、あれしきのことで身につく技とは到底思えぬ。ラカの民には化物の血が混ざっておるに違いない。……しかし魔法でなくとも、姫君は同じことをしておる。先の試合、どうだった?」

「さすが女の身で三人の兄を押しのけ玉座に着いただけのことはありますな。 ……第四戦は将たる者として臣下を心得見抜いているか、一兵卒を選びセザンコット選りすぐりの兵と戦わせ、見事勝利を手にしておられましたよ。」

……実のところ大分シーナに不利な勝負方法で、とうとう婿が決定するかと大臣は空席のツビスの座を見ながらやきもきしていたのだ。

 人材勝負と言いながら、セザンコット側は連れてきた選りすぐりの兵の中から選べるのに対し、ラカ側はホームだからと一年内に兵となった兵卒からしか選ぶことができなかった。幾らラカが大国と言えど、大国故にこそ、その兵の数は膨大、故に城仕えを始めたばかりの兵には玉もあればくず石もあるが見極めるのは困難である。しかも勝負方法を決めるのに時間をかけては直属の上役から情報を仕入れてしまうからと、勝負を申し込んだその場で選ばせた。……下手に根回しするよりも、短期決戦正々堂々たる勝負に持ち込んだ方が婿になれるとの腹だったのだろう。かつてラカの属国だったこともあるセザンコットでは、裏で手を回そうにも持ち札が少な過ぎた。

 結果は……ラカ側の圧勝だった。

 ツビスはくつくつと笑う。

「……だから心配するなと言ったであろう?仮にも姫君はラケディア戦争の折、普通の軍を率いて我が軍に勝利したのだぞ?姫にとって兵はその座を支える大切な柱、加えてあの性格、王になったからこそ隅々まで把握しておるに決まってる。」

「おっしゃる通りにございます。さすがはツビス様、ラカ十二世をして“南の臥龍”といわしめた慧眼にございます。……して、姫君の魔法とは如何なものにございましょう?」

ツビスは塔の外、遥かセイジェンの端を示した。

「見よ――。これが単純に景色を楽しませるための窓であろうか?――否、王都セイジェンの威光を見せつけるためのものであろう。これほど高い塔からも、都の端は遙か彼方――。しかし果たして本当にそうであろうか?」

「と言いますと?」

振り向き、今度は窓と反対側、最上階に上るための階段を示した。

「恐らく、下から見上げたよりもこの塔はもっと低いであろうな。螺旋を描く階段は人の方向を狂わせ惑わす。……彼の魔法具が、その景色の中に佇む塔をそのままの姿で照らしているとは限らないだろう?」

「なんと……我らは計算され尽した景色を見せられているわけですか。」

つくづくと、窓の外を見やる。……再び、爽やかな風が外から吹いてきた。風が王子の髪を揺らす。

「姫も同じよ――。例のロッタリーニを含めて既に五戦、男に負けず劣らぬ才覚を見せつけた。……しかし全く何も細工がなかったわけではあるまい?」

「ええ、そうでございましょう。しかしそれでは……負けた暁には全てを勝利した国にかっさらわれるのではないですか?」

 シーナの名声が高まれば高まるほど、それを負かした求婚者の得る名声は大きなものとなり、せっかく築いた名声も全て勝者に彩りを添える華と散ってしまうだろう。目の前の王子はそれを狙って未だに動かないのだろうか……。

 大臣の思惑が当たっているのかいないのか、ツビスはくつくつと笑った。

「なかなかよい線をいっておる。さてさて、姫君の魔法のからくりに気付いている国が一体幾つあるのか……。」

自分以外にはいないだろう、という確信を込め、遠く広がるセイジェンの都を眺め愉快気に笑うのであった。外から吹いてくる風は、まだ夏には早いと告げていた。




 王都セイジェンにおいて年がら年中人混みでごった返すのは商売区画であったが、休日となると平日とは違う顔ぶれが見られておもしろい。レントたちの住まう胡散臭い一角も、普段は他所からやってきた観光客が隣の滞在区画に帰る途中おもしろがって寄るくらいで、一番賑やかな辺りからは外れている。だからこそか、未だに彼の執政官の住まいに訪れる人間は郵便配達と最近ではカイの護衛三人衆くらいなものだった。

 シャラシャラと、呼び鈴が鳴る。――あの襲撃があってから後でも、滅多に訪れない客人の出迎えはカイの役割であった。ただしブレッドが一緒に出るようにはなっていたが。

「――こんにちは。」

そう言って尋ねて来たのは、魔術学校で同じ教諭に指導してもらっている炎の魔法使いことクローゼアだった。……今日訊ねてくるのはわかっていたので、笑顔で迎え早速中に案内する。

「ようこそいらっしゃいませ、可愛らしいお嬢さん……と言っても居候の身ですが。」

ブレッドがおどけてウィンクしながら言うと、クローゼアは娘らしくくすくす笑った。……見た目同じなアズリルの氷の笑顔を見なれていただけに、なんだかほっとする。

「ブレッドさんですね。カイから話はよく聞いてます。初めまして、クローゼアです。……そう言えば、今日はベルベロさんはいらっしゃらないのですか?」

一回り、辺りを見渡す。……レントは部屋に籠って何やら執政官の仕事のようなことをやっていた。アズリルも細々した雑用を行ってそれを補佐しているのでその場にいない。

「ベルベロさんは学校と家までの間の護衛なんだ。家の中はブレッドさんだけ。」

「ふうん、そうなんだ。」

特に気にする様子もなく、納得する。ブレッドがにやつき、冗談がてら言う。

「もしや今日の訪問はカイ君ではなくベルベロがお目当てかな?」

「ふふ、どっちも外れです。魔術学校ももうすぐ追い出されちゃうし、その後どうしようかと思って。一応魔法以外の道も考えとこうと。」

途端、ブレッドの目が光る。

「シーナ陛下が喜びそうなお言葉だ。どうです?官登用試験を受けてみては?」

「でも今までそういう勉強全然してこなかったので……。それに役人になってしまいますと父と揉めてしまいそうですし。」

苦笑、する。……魔法使いの家系は色々複雑らしい。魔導師になれずとも父の身分と家系で縁談は山ほどあるらしいが、魔導師の認定を受け、追い出される前に学校を出て自らの道を歩みだしてゆく友人たちを見ていると、どうもそういう気になれないのだとクローゼアはカイに話していた。

「本当は家から出られればいいんですけど中々……。贅沢に慣れてしまってるから、思いきって捨てることもできません。」

苦笑したままの言葉に、複雑な思いが滲み出る。ブレッドは頷き、もっともらしく言った。

「自覚しているのなら、最善の道を探すこともできましょう。魔法はからっきしですが、いつでも相談に乗りますよ?」

そしてウィンクする。……なんだか別の意味で不安だ。

「ブレッドさんに相談するなら俺も一緒に行くよ。」

笑顔でカイが牽制すると、ブレッドは受けて立つとでも言うかのように微笑んだ。……後でからかわれるのは承知の上だ。

「ありがとうございます。んー、でもやっぱ色々見てみないと何とも言えないですから。」

「じゃあとりあえず書庫案内するよ。」

クローゼアの手を取り、歩いてゆく。「おう、いってら――。」ブレッドは見送るだけで、追いかけたりはしなかった。

 書庫には山小屋から持ってきた物に加え、王都に着いてから格段に増えた書物がぎっしりと並んでいた。……やはり書物に関しては王都の方が集めやすい。

 内容は魔法に関するものは少数で、さすが執政官、法律や財務などの政治に関する物はかなり充実していたし、カイが自主的に集めた薬や医術に関する物も充実している部類だった。その他にも興味があればすぐに取り寄せるので、雑多な内容が揃っている。

「あ、ベルベロさんの旅行記!」

地理や各地の伝説、冒険記などの集められた一角を熱心に眺めていたクローゼアが叫び、取り出す。

「え!?ベルベロさん本出してたんだ……。」

カイも知らなかった。……出版された日付が四年前なので、山小屋時代のものだろう。書庫は主にカイが管理していたが、山小屋の分に関してはアズリルが魔法で収納してしまったので全てに目を通していたわけでもなかった。

「わぁ、すごい色んなとこ行ってるみたい……。カイ、これ借りてもいい?」

「もちろん。」

一応持主はレントだが、どの道執政官やっててこういった類の本は眺める暇さえないのだ。後で許可を取ればよかろう。

「ありがとう。あと……そうそうこれ、これも借りていいかな?」

クローゼアが引っ張りだしてきたのは、離れた位置の精霊に関する書棚にあった本だった。見ると、『四大精霊炎のヴァスカビルについて』と題された、シャシーの書物であった。

「いいけど……それ多分中は精霊文字で書かれてると思うよ。」

「精霊文字?」

言われて中を見ると、確かにラカで使われている文字とは似ても似つかない横書きの流れるような文字列が目に入った。

「シャシーって話す言葉は同じなのに文字は違うんだ。」

驚いてクローゼアが言うので、カイは説明した。

「精霊に関する正式な文書はみんなこの精霊文字で書くんだって。師匠は読めるし書けるみたいだけど、俺は全然……。」

肩を竦める。……と、足音がしたので振り向く。

「こんにちは、お邪魔してます。」

立っていたのはアズリルで、こうして見てみると見た目はクローゼアよりも年下である。しかし湛える雰囲気が落ち着いていた。手には飲み物を乗せた盆を持ち、弟子というよりはレントの身内に思える。

「初めまして、カイさんの妹弟子になりますチィと申します。あら懐かしい……。」

盆を手近な棚の空いている場所に置いて、少女姿のチィは二人の持っていた本に手を伸ばした。ページを繰り、懐かしそうに目を細める。

「チィさんって精霊文字読めるんですか?」

驚いてカイが尋ねると、「ええ」と頷き、本を閉じた。

「幼い頃、精霊と対話するのに精霊文字も教わりましたわ。」

「……え!?チィさん記憶戻ったんすか!?」

クローゼアの方を窺いながら、カイがとぼけて言う。アズリルははっとした。……懐かしさの余り、らしくもなくチィの設定を忘れていた。

「あら……どうしてわかったのでしょう?そんな気がしたんです。」

「チィさんって記憶喪失なんですか?」

カイのフォローで、クローゼアに変だと思われることはなかったようだ。

「ええ、記憶喪失で気づいたら南の山に……。そこをレント様に拾って頂いたのです。」

「え!!でも南の山にいたのなら記憶の手がかりもそこにありそうですけど、離れてしまってよかったのですか?」

「レント様の魔法で見て頂いたら、記憶をなくしたのは王都のようで……。レント様にはその先も見えているのかもしれないのですが、所詮はイメージだ、と言われて教えてくださいません。なので毎日手がかりを探して……」

王都をうろついてます、とすらすら話す。……半ばブレッドのおかげで決まった設定である。クローゼアとしたやり取りの全てを、既にブレッドとしていた。その時既にレントと打ち合わせしていたのか、咄嗟のアズリルの出まかせだったのか、その時も見事な演技力ですらすらと同じ答えを口に出していた。

「へえ……。私も何か手伝えることがあれば……というかどこかで見覚えがあるような気がするのですけど……。」

「え!?本当ですか?それって……わたくしのことですよね?」

こっくりと、クローゼアが頷いた。カイは目をきらきら輝かせる本人以上に冷や汗をかいた。……いや、彼女も演技でそうしているだけで、カイ以上にまずいとわかっているのだろう。十年前までシーナの傍に控えていたアズリルの姿を、城に出入りしていた人間ならば目撃していた可能性は十分にあるのだ。

「あーでも……どこだったか思い出せないです。あまり当てずっぽうで言って期待させても申し訳ないですし、思いだしたらお知らせします。」

「ええ、そうして頂けるととてもありがたいですわ。もしかしたら他人の空似かもしれませんし……。」

期待しないようにしてる、と言っているように見せかけ、その実クローゼアの記憶が間違いである、と暗示をかける。……魔法で人の記憶は操れないが、言葉を利用すれば軽い暗示をかけるのは誰でも可能だ。実際、クローゼアも自信がなさそうだった。

「はい……。」

「そう言えば、その本をお読みになりたいんですの?」

話題を変える。……カイは内心ほっとした。クローゼアのチィを見つめて思い出そうとする視線が、手にしていた本に移ったのだ。

「はい、昔から炎が好きで、魔法も、炎に関するイメージは誰にも負けない自信があります。」

「まあ、それでこの本をお読みになりたいのですね。でしたら……」

山小屋以来使っているのを目にしたことのなかった杖を取り出し「硝子か水晶はお持ちですか?」と尋ねる。……さすが魔法使いの家系、ローブの裏ポケットからすぐに上質の水晶が出てきた。アズリルは満足そうに頷き、杖を向ける。

「彼の本覗き見ん時我が言葉を映し出せ――。」

 「これで読めますわ。」

言われて本を開き、水晶ごしに覗くと、確かに文字が普段使っているラカ文字と同じであった。

「わぁぁ……。暗記するほどお読みになられてるんですね。」

「どうなのでしょう?本の内容は思い出せるのですが、どこでそれを読んでいたのか、そもそもどうして精霊について学んでいたのか思い出せませんわ。」

しれっと、答える。カイはカイで、さすが本物の大魔導師と心の中で感激していた。その場でさらっと魔道具作り出すなんて、並大抵の魔法使いにできることではない。

「よろしければあちらのテーブルに飲み物を置いておきますので、ごゆっくりどうぞ。」

「ありがとうございます。」

盆を手に、再び去る。……書庫から出て行く音がして、クローゼアは感心して言った。

「私より年下とは思えないなあ。幾つなの?」

「さあ……?記憶喪失だから何とも。」

「あ、そっか。でも記憶喪失だなんて信じられない。」

私なら不安であんな風には振舞えない、と漏らす。カイはひやりと汗を流しながら笑った。

「あはは……。多分師匠がいて心強いんだよ。」

アズリルに聞かれたら怒られるだろうな、と思いながらも他に適当な理由も見つからない。クローゼアは「レント様といえば」と先ほどのチィとの会話を思い出す。

 「レント様って先見もできるの?」

「さぁ……。真実を映しだしたりとかするのが得意みたいだけど。」

でも幻術系なら魔導師は皆できるんじゃない?と言うと、クローゼアは「うーん……」と首を捻った。

「でもイメージを見せるのと読み取るのって、違うと思うんだけどな。学校でも幻術系で一緒くたにされちゃってるけど、なんか違う気がする……。幻術系の魔法なら魔法使いほとんど皆扱えるけど、先見ができる人は本当に少ないし、いてもちょっとしか見えないらしいよ。」

「へぇ……。」

アズリルならばどこまで見えるのだろう?しかし案外と、彼女も先見はできないのかもしれない。先見ができるのならば、シーナに振り回されまんまと二度もレントと暮らすことにならなかっただろう。

 そうして書庫を巡り、薬草の調合やカイが鉢で育てている植物を見せたりして、残りの一日を過ごしたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ