朝日のようなひと
「もし、東海道はここで合っていますのでしょうか。」
夜もそろそろ明けるかという頃、一人の旅の格好をした女がそう声をかけてきた。
珍しく刺繍も何も施していない白い着物。白い肌に控えめな薄紅。
女は見るからに弱そうな印象を受けた。
えらく若い。一人で来たのだろうか?
ちら、と胸に視線を落とす。悪くはない。
「旅の道中女一人では危うかろう。途中まで送ってやる。」
男の口は弧を描き、そう呟いた。
最近は潜伏活動でずいぶんとご無沙汰だ。
こんな御時世に一人で旅をする世間知らずなお嬢様に無粋を働いたってばちは当たらないだろう。
この先はしばらく獣道だ。
外で、というのもまた一興。そうと決まれば。
「御覧なさい。あそこに綺麗な花、が・・・・」
どん、という衝撃と共に鋭い痛み。
血の匂いが辺りを巡る。
血の、におい・・・?
状況を確認しよう、とする前に男は這いつくばった。
「う、わああああああああああっつ!!」
痛い、いたい。体が焼けるように痛い。
ずる、ずる、と引きずられる感覚。
どこにそんな力があるのか、先の女が引きずっていた。
「死なないよ?まだ、いいっっつっつっつっつぱい、くるしまなくっちゃ。ね?」
女が振り返ってそうわらった。
死装束を着た鬼が、迎えに来た。
男は精一杯抵抗したが、脱出は叶わなかった。
気づくと小屋らしきところに放り込まれ、女に縄で吊し上げられた。
「・・・あの人が、苦しむより数百倍の苦痛を与えて生かし続かせてやる。・・・・ま、ず、は、腕、」
言い終わると女は綺麗な太刀筋でスパン、と腕を切り落とした。
「うわあああああああああああああああああああああっつっつつつつつつつつつ!!!」
男はたまらず叫びを上げる。
女の顔には血が飛び散っていた。
口横にとんだ血を、見惚れるほどの舌で舐めとる。
「・・・今夜はいい夢が見れる。」
ぽつり、そう女が呟いた。
女には恋仲になった男が居た。
生まれて初めての恋だった。
やや子(胎児)も出来た。
日々特訓だった自分にとっては男との日々は金剛石と等しく輝き、それでいて貴重で、美しく、幸せなものだった。
だが、訳も分からぬ人斬りを自称する輩によって、男は殺された。
そして、やや子は攘夷浪士を名乗る男からわが身を守る時に、流れていった。
美しかった筈の恋は、女を鬼に変えた。
「起きてください、まだ始まったばかりですよ。」
恨めしや ああ恨めしや
やっと実った幸は立ち消え
芽は流るるという
ああ恨めしや 恨めしや
天はわが身を見捨て
地獄の閻魔は要らぬという
ああ恨めしや 恨めしや
恨めしや 恨めしや
吊るされている肉塊はどうやら失神したらしい。何を失神してる。あの人は、こんな痛みじゃないの。
あの人は、あの人は、あのひとはっ・・・!
わんっつ!!!!
野良犬が急に入り込んで来た。
「っきゃっつ!!」
思わず女はしりもちをつく。犬は女の目の前で止まると、悲しそうに泣いた。
「・・・はは。」
女は自嘲に満ちた声でそうつぶやいた。
「・・・分かっている、さ。」
だが、泣きたいのは。
「泣きたいのは、こっちよ・・・・。」
なんで、いなくなったの。
なんで、どうして。
あの日、喧嘩しなければ。
あの日、出ていけ、などといわなければ。
よくある夫婦喧嘩の延長のつもりだった。
よりにもよって、機嫌直しの新しい簪を買ったせいで遅くなり、人斬りなどに狙われた。
結局、許せないのは自分自身なのだ。自分が一番許せない。
この男は主犯ではない。
ただ、下手人に会って、殺したいのは山々だが、それよりもやりたいことは、聞きたかった事は、あの人の最期だ。
「・・・馬鹿らしい。」
気絶した男の縄を切って落とす。
運が良ければ生き延びられるだろう。
ばかばかしくなって、小屋から出た。
すると、ちょうど朝日が昇っていた。
女は草履も放り出して、獣道を走った。
小枝が足を切り裂く。血の匂いと痛み。
そんなことも厭わず、ただ、走った。
待っていて、待っていてね。
貴方に会いにゆくから。
貴方を見つけるから。
朝日のようなひと。
いとおしいひと。