薄明の弓
ブロの村。
南ラクシア大陸に連なる山脈と南北ラクシアを分かつスエー内海に挟まれるように建っている、人口200人程の小さな農村。
この村の近くには美しい森がある。少し小さいが明るく、小川が流れ、小鳥が鳴き交わす、自然の恵みを体現したような場所だ。
この森には、伝説があった。
――二体。
それだけわかっていれば充分だ。
長弓を持ち、構える。矢を取り、つがえ、引く。
先方はこちらに気付かない。
そのまま矢を放った。
突然倒れた相方に、魔物
の片割れが驚く。
その時にはもう、二本目の矢がその頚に狙いを定めていた。
――(二体のゴブリンなら、こんなものかな)
仕留めた魔物――ゴブリンが消滅し、遺された小振りな短剣を拾うと、アメリアは村に向かった。
アメリアは、この森――ブロの村の側にある“薄明の弓”の番人をしている。
そろそろ「少女」から「女性」に変わろうかというその風貌には、この森の雰囲気に似た穏やかさと神秘性、そして美しさがある。 彼女は幼い頃、大きな街で両親と暮らしていたが、街が魔物の大規模な襲撃を受けた時に両親を亡くし、それからは祖母と二人で森の中の質素な家で暮らしている。
村には買い物や情報収集などで良く行く。今回はゴブリンの短剣の売却と、矢の補充に道具屋に向かう。 澄んだ朝の日差しが、昼間のそれに変わりはじめていた。
「ん、アメリアちゃんか。いらっしゃい」
道具屋に入ると、カウンターで暇そうにしていた女店主が応対する。
この村で唯一の道具屋では、食糧は勿論、箒に火打ち石、狩猟用の武器まで、扱う物は幅広く、不要品の買取りも行っている。
余り大きくないが、自給自足が基本の農村での店はそんなものだ。
「…これの買取りをお願いします。それと、矢を幾つか」
「はいはい。ん、ゴブリンの短剣ね。丁度刃物が減ってきてたの」
女店主は矢の代金と短剣を受け取り、短剣の分を返した。
アメリアがその後も店の中を見ていると、女店主が、「アメリアちゃん、どうも最近魔物が増えてない?」と訊いてきた。
確かに最近、森でも魔物に良く遭う気がしていた。その上、普段より心持ち強い。
うなずくアメリアの表情は自然と固くなっていた。
「バナ……」
森の家に帰るなり、アメリアは祖母を呼んだ。
「バナ、やっぱり魔物が増えてるんだ。
村の人たちも気付き始めてる。何か知らない?」
祖母に問いかける声は少し上ずり、恐れが入っている。
アメリアは、魔物の恐ろしさを身をもって知っている。
それを繰り返したくはないと考えるのは自然なことだろう。
しかし祖母は、
「アメリア、気持ちはわかるけど、まずは落ち着きなさい。魔物と聞くたびにそうしてはいないでしょう」
冷静に諭す。
「でも私、何か嫌な予感がする。
なんというか、魔物が普通じゃない感じ……」
だが、アメリアの不安げな表情は変わらない。
そんなアメリアに祖母は言葉を重ねる。
「この魔物の原因はついさっき知りました。
あなたは番人として聞かなくてはいけない。
冷静に受け止めなくてはいけないのです」
そういう祖母の言葉が少し焦っているように聞こえる。
この人だっておかしいと思っている。
そう気付き、アメリアは少し落ち着きを取り戻す。
「アメリア。戦士の弓は知っていますよね?」
勿論知っている。
この地に伝わる伝説で、森にある祠の中に、その戦士の弓が納めてある。
アメリアがしている森の番人も、元々はその祠を守るという役目の為のものだ。
「その役目を果たす時が来ました。
つまり……敵です」
「…そう……」
「只の敵ではありません。この近くに“魔王”が生まれたようです」
「………!?」
――魔物には、基本的に社会性と呼べるものは無い。
弱い魔物が複数で行動するのがせいぜいだ。
しかし、ごく稀に、自身の周りにいる魔物を従わせる能力を持つ魔物が生まれることがある。
魔物を大規模かつ強力な集団に作り上げるその存在を、人は“魔王”と呼ぶ。 魔王の中にも強弱はあり、中には手下の魔物とそう変わらない魔王も居る。
が、魔物を率いるというだけで人間にとっては恐ろしい存在であることは間違いない。
そんな魔王がこの近くに生まれたのなら、森や村が危険なのは明らかだ。
「…でも、私が戦って倒せるかわからないよ」
「大丈夫です。こんな時の為にあなたに弓を扱わせてきたのだから」
「……どういうこと?」
「戦士の弓を使うのです」
そう言って外に出る祖母を、アメリアは追いかけるしかなかった。
――しばらくして。
日の暮れかけた空の下、アメリアは祠の横でぐったりしていた。
「疲れた……」
祖母に見せて貰った戦士の弓は、古い武器とは思えないほどに美しく、しなやかで強そうだった。
弓には二つの魔法がかけられていて、使い手の魔力を消費して行使するものだった。
アメリアは、弓の扱いは申し分無かったのだが、魔力の容量が大きくなかった為に祖母から厳しい訓練を受けた。
地面にへたりこみ、うつむく。
ふと、前に気配を感じて顔を上げる。
スライムや化けキノコ、ホビットといった、中でも特に弱いとされる魔物たちが、アメリアを見ていた。
彼らは、魔物ではあるがこの森で生まれ、他の生物に危害も加えないので、森の住人と言えるだろう。
しかし、
「何でもないから、どこかに行って」
アメリアは、この仲間たちを余り良く思っていなかった。
強くても弱くても魔物は魔物だ。父を、母を、街を襲ったあいつらと、そう変わりはしない。
そんなスッキリとしない感情が、アメリアの中にはあった。
おまけに今は、魔物のことで大変なことになっている。
そんなこともあり、つい言葉がぞんざいになってしまった。
魔物たちはゆっくり静かに、どこか悲しげに戻っていった。
スライムなどは、普段は微笑むような、にやつくような、といった感じの口元が悲しげに曲がっていた……気がした。
……さすがに少し、悪かったかもしれない。
「……もう一回」
一人呟き、アメリアはまた訓練を始めた。
******
――狙うのは、あの村とあの森。
それだけわかっていれば魔物たちは充分だった。
うずうずした様子の魔物。おもむろに得物を磨きはじめる魔物。
7、8体余りの様々な魔物が、山の麓の一点に集まり、魔王の指示を待っていた。
魔王がいる場所はここより少し奥だが、指示は確実に通っている。
空では幾つもの星が、冷たい光を放っていた。
――来た。
魔王の指示で魔物の群れが歩み始める。
だが。
「グオァ…」「オォ!」「ガ…ッ!」 突然叫びだし、魔物たちが次々に倒れていく。
攻撃を受けている……?
辛うじて生き残った一体がそう気付いた時には、その頭に矢が放たれていた。
「……よし」
この数日間、アメリアは訓練の成果もあって、休みながらなら、弓の魔法を操れるようになっていた。
さらに、村の狩人の情報で、魔王が山の麓の森に居ることもわかった。
村の人たちは守りを固める人たちと、積極的に打って出ようとする人たちに別れ、魔物たちの対策を充分にしていた。
そして現在、アメリアは魔王に、確実に近づいていく。
気を抜いている雑魚に一矢浴びせ、混乱させて気付かれないように抜ける。
そんなことを繰り返すうち、妙な気配を前方に感じてきた。
恐らく、この気配の元が魔王だろう。
そう考えると、自然と力が入り、歩みも速くなる。
開けた場所に出た。前の存在を確認し、戦士の弓を取る。
「…………」
黙ってアメリアを見据えるその存在が、ここに生まれた魔王だった。
――先に動いたのはアメリアだ。
弓を引きながら短く詠唱、矢を放つ。
魔王は素早く跳んで避ける。だが、
「グッ!?」
魔王の少し出前で矢が幾つにも増え、別れて飛び、一本が魔王を捉える。
戦士の弓に掛けられた魔法の一つ、「マジックアロー」は何本もの魔法の矢を放つ、単純ながら強力な魔法だ。
アメリアは、不意を喰らった魔王に次々に矢を射かける。一本一本が確実に魔王を追い詰めていった。
だが。
「ーーーーーーーーーーー!!!!」
痺れを切らした魔王が怒りに吼える。
その圧力に、アメリアも思わず体が固まる。
次に魔王が使ったのは魔法。
何十という氷の礫が、扇形に飛び散る。
硬直が解けたアメリアは横の木に隠れてやり過ごす。
氷が止み、木から飛び出したアメリアが弓を構え、引いて放つ。
残った氷で矢を弾き、魔王が突進する。
(場所を……)
動こうとしたアメリアは、「っ!?」 氷が当たった地面が凍り、片足を固められていた。
(…そうだ、矢……)
矢じりで氷を割る。幸い、すぐに割れた。
だが、その時には魔王がアメリアに接近していた。
(間に合わなっ…!!)
体を捻るが、一撃を避けきれずに喰らい、吹き飛ぶ。
「ううぁ……っ!」
打った背中に激痛が走る。
直撃は逸れたが、威力は充分だった。
そこに魔王が追撃に来る。
アメリアはどうにか避け、距離を取る。
大急ぎでマジックアローを一本作り、振り向く魔王の顔面に放つ。
「グアアァ!!」
アローは魔王の目にうまく当たり、大きく怯ませる。
その間に痛みをこらえ、必死に弓を引き、魔法の詠唱を始める。 そこに魔王が無茶苦茶に氷を作り、アメリアに飛ばす。
「痛ッ……!!」
氷が頭の横にぶつかり、ゆっくりと血が流れてくる。
しかし、アメリアは弓を下げない。
攻撃を受けてでも、当てたい一撃を用意していたから。
完全に怯みから立ち直った魔王が、その鋭い爪に氷を纏わせる。
止めは直接刺そうとしたのか。
だがその牙が届くことはなかった。
アメリアが最後に放った一矢が魔王を射抜く。
すると、魔王に今まで刺さっていた矢が最後の矢に反応して、爆ぜた。
「ボムアロー」の魔法が掛かった矢が標的に命中すると、標的に刺さっている他の矢が反応して爆発する。 ハイリスクだが、止めには最適の魔法だった。
魔王が爆発しながら消えていった後には、凍った牙が遺されていた。
その牙を拾い、アメリアはある決心をした。
暗い空が青く染まり始め、太陽が顔を覗かせていた。
――牙を持ち帰り、村に戻ると、魔物の進攻も止んでいて、村人たちがアメリアの勝利と無事を祝ってくれた。
村人たちと別れると、薄明の森に向かった。
森の様子も気になるし、祖母に報告と、宣言をしなくてはいけない。
意外にも、森は殆ど目立った被害は無かった。
不思議に思いながらも、家に向かう。
到着すると、祖母と森の魔物たちが待っていた。
祖母の話では、森の魔物たちが懸命に戦ってくれたらしい。
見れば、魔物たちは皆ボロボロだが、その顔は何だか得意気に見えた。
「……ありがとう」
自然とそんな言葉が、アメリアから出てきた。
「それと、バナ…」
「わかってます。
ここは心配いらないから、行ってきなさい」
――今回のことで、魔王に触れたアメリアは、昔の自分のような人を出したくないと考え、他の魔王とも戦おうと決めた。
村の人たちにも挨拶は済ませてきたし、旅支度も整った。
寂しさもあったが、必ず戻ると考えたら軽くなった。
「それじゃあ」
――未来に何があるかなんて誰にもわからない。
辛いことや苦しいこと、悲しいことがあるかもしれない。
しかし、そこから思わぬ良いことが起こるかもしれない。
アメリアという女性の希望の陽は、今まさに、彼女の心を薄く明かしているのだろう。
「……行ってきます」