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彼らの日常

 夜の街は深海に沈みながらもその光沢を放ち続ける宝箱の中の金貨のように輝いていた。都市の中心部には子供が無造作に置いた積み木のように乱立するビル群があり人工の明かりを周りにまき散らしている。ビルの足下には蜘蛛の巣状に広がるアスファルトの道路がある。


 砂や埃によってタイヤ痕が刻まれた冷たい黒色の上では兵隊アリのようにせかせかと車が行き来している。皆、速度制限を厳守しているためそのスピードは変わらない。


 だが静かな湖畔に投げ入れられた石のように、ある種の波紋を生み出すものが道路を駆け抜けていった。


 黒いセダンだが車体にはランプが乗せられており、目に毒な赤い光をぐるぐると回転させながらけたたましいサイレンをビルの合間に響かせている。

 外側から窓ガラスの中身は見えないスモーク仕様。

 ちょっとした物知りならば町中を疾走している車が覆面パトカーだということを悟るだろう。

 そしてサイレンを鳴らしながら堂々と赤信号を突っ切っていく様子を見れば、何かしら事件が起こったのだと市民は理解する。

 ただしパトカーが走り去ってしまえば事件の詳細など気にも止めず、再び自分たちの日常へと戻っていくのだ。

 警察が追っている事件など自分とは関係のないことだ、そうやって心の内で勝手に決めつけながら……。


「なぁ、このサイレンうるさいから音消しちまったらダメかなぁ?」


 覆面パトカーの助手席に座る男、竜胆武二はそうぼやいた。

 窓ガラスがスモーク張りで外からは分からないのを良いことにお行儀悪くダッシュボードの上に足を乗せて雑誌を読んでいる彼の姿を見れば誰も警察官だとは思わないことだろう。

 同じ感想を抱いていたのか、運転席でハンドルを握る同僚の新島幸盛は軽い溜め息をつき、横目で武二のことを見た。


「決まりだ。少しは我慢しろ」

「へいへーい」


 不服そうに雑誌を閉じた武二は一度足を降ろし、ホルダーに入れていた缶コーヒに手を伸ばした。が、中身が無くなっていたことを思い出したのでそのまま潰してしまった。スチール缶の固い感触が変形していくのは手慰みになったが、それも僅かな間だけであり彼の憂鬱を晴らす材料にはならなかった。


 暇つぶしに何か話題を振ろうかと思った武二だが、備え付けの無線が鳴り出したことでタイミングを逃してしまう。

 スピーカーから吐き出される音声は男性のものだ。滑舌が良く、非常に聞き取り易い声だがどこか機械的で冷たいイメージがある。それがオペレーターの特徴なのだ。


『本部から二号車。犯人は市街地外れの工場区画に逃走した模様。一号車の初動担当が現場確保中。至急、応援に向かわれたし』


 幸盛はマイクを取ると了解の意を告げ、住所を転送するようにオペレーターに指示する。

 それから十秒もしない内にダッシュボード中央の小型ディスプレイに工場区画の細かな地図と住所が送られてくる。丁寧なことに、現在地を示す赤い交点と目的地までの道のりを示す白線のガイド付きだ。


「かなり入り組んだ場所だ。落としておけ」

「はいよ」


 トレンチコートから携帯端末を取り出した武二は、無線通信でディスプレイと同期させる。表示された地図と住所をダウンロードして保存する。

 タッチパネルで送信されたばかりの情報を確認しながら武二はシートにどっかりと座り込む。リクライニングさせて少し休もうかとも思ったが位置的にそろそろ現場に到着する頃だ。


 端末を再びコートのポケットにしまうと、窓の外を流れる風景を見ながら呟いた。


「初動……乙葉の奴は大丈夫か?」


 先程まではビル群の明かりが目立っていたが、しだいに自重し始めて宵闇の占める割合の方が多くなってきた。自分の疲労した顔がガラスに映り込んでいる。


「問題は無いだろう。仕事への熱意は人一倍あるからな」

「まぁ確かにそうかもしれねぇけどよ、あいつ何処か抜けてるところあるし。ほら、この前だってよオペレーターが指示した現場とは全く無関係な所で確保作業やってたし」


 幸盛も心配がないわけではないのだろう。僅かに溜め息が漏れるのが隣から聞こえてくる。

 同僚がヘマをしていないことを祈りつつ、幸盛は情報に指示された場所に車を止めた。


 現場にはすでに白黒で塗られたパトカーが何台か到着しており、赤いランプの群れを形成している。


「あっ! 武二さん、幸盛さんこっちです!」


 赤い光を遮るように手を振ってこちらに向かってくる人影が一つ。武二と幸盛の傍で止まると子供のような屈託のない笑顔と共に敬礼する。


「現場確保、完了しました!」


 黒髪をポニーテールに纏めている彼女は西之宮乙葉。武二と幸盛の同僚だ。


「おう、ご苦労さん。課長の命令は聞いている。あとは俺達に任せておけ」


 武二はポン、と乙葉の肩を叩くと規制線の張られている工場区画へと足を運んでいく。幸盛は先に犯人を追い始めたようだ。


「それじゃ、お仕事始めるとしますかね」


 首を二、三度曲げ軽いストレッチをしてから走り出す武二。

 稼働を停止している工場区画は、魚が開けた大きな口のようにも見える。



 カツーンカツーンと靴がコンクリートの床を踏みしめる音が響き渡る。工場自体の動きは止まっているので辺りは静寂に包まれているわけだが、逆にそれが物々しさを醸し出している。

 遮蔽物が多い中、どこで犯人と遭遇するか想像がつかないため、武二の足取りは慎重そのものだ。


 そんな時、懐にしまっていた端末から電子音が響いた。発信元は幸盛となっている。タッチパネルを操作して通話モードに切り替える。工場区画に入る際、支給品のヘッドセットを装着しておいたので耳に端末を沿える必要はない。


「あいよ、何かあったか?」

『逃走中の犯人の内二人を確保した。これで残るは一人だが……』


 スピーカーの向こうの幸盛が若干言い淀む。その理由については武二もある程度察しがついていた。

 逃走している犯行グループは合計五人で構成されていた。その内二人は逃走前に確保。更に二人を今しがた幸盛が確保している。


「確か五人の内、一人がイレギュラーだったんだよな?」

『……そうだ。やれるか?』

「ったり前だ。休暇返上で働かされてんだ。さっさと捕まえて戻ろうぜ」

『あぁ』


 通信は武二の方から切った。話している時間すら惜しいと思ったからだ。

 改めて歩き出したその時。

 突然、視界の右側から巨大な物体が武二目がけて滑ってきた。


「あぶねッ!」


 コンクリートの上に無防備で倒れるなど冗談ではない。無意識が咄嗟にそう判断したのか、次の瞬間には武二は前方にローリング。受け身を取って『攻撃』された方向に視線を向けた。

 建物の隙間に出来る闇と同化するように立ちすくんでいた人影は、ライダースーツを身に纏いヘルメットを被って素顔を隠していた。その右手に持っているのは水の入ったペットボトルだ。

 目線をそっと自分がさっきまで立っていた場所に向けると、滑ってきたものの正体が分かった。


 巨大な氷塊。


 人の身長ほどの大きさの氷が鎮座している。

 恐らくヘルメットの犯人はこの場所で待ち伏せし、氷の塊を真横から滑らせて激突させようとしたのだ。当然、まともにぶつかっていたら重傷どころでは済まされない。

 ごく当たり前のように生きている武二の姿を見てヘルメットの犯人は一歩後ずさった。顔は見えずとも怪訝そうにしているのは間違いない。


「成る程なぁ……氷を操る能力か。確かに使い方によっちゃあ強力かもしれんが」


 どっこいしょ、と床に手を当てて立ち上がった武二はキッと犯人の方を睨んだ。

 それとほぼ同時に犯人は持っていたペットボトルを武二目がけて投擲した。

 水の入っていたそれは空中で炸裂し、中の水を辺りにぶちまける。だが、水は地面に落ちる前に氷のつぶてとなって武二目がけて弾丸のように飛んでいく。


「相手が悪かったな」


 何かが氷のつぶてを横薙ぎに払った。凶弾は空中で一瞬の内に溶かされ、水に変わり、更に蒸発して消え去った。

 その光景を目の当たりにして驚いたのだろう。犯人は更に一歩、後ずさると首を横に振って今起こった事実を否定しようとした。

 そして犯人は見た。武二の体に纏わるそれを。


 炎。


 宵闇を昼のように照らす紅蓮の炎が武二を中心に吹き荒れていた。ぐねぐねと蠢くそれは蛇のようにも、はたまた龍のようにも見える。

 勝てない、と犯人は頭の内で理解した。勝てない以上は逃げなければならない。だから百八十度体を回転させて走り出す。


 相手に背を見せた時点で犯人の負けは確定したようなものだった。


 武二は逃げる犯人目がけてソフトボール大の火球を放つ。相手から一、二メートルの距離を空けて火の球は爆発する。

 衝撃に煽られ、まるで木の葉のように宙を飛んだ犯人の体はコンクリートの地面に叩き付けられる。

 固い地面は簡単に犯人の意識を奪ってしまった。


 犯人を仰向けにして首に手を当てる。息があることだけ確認した武二は手錠を取り出して両手を拘束した。これで犯人グループは全員逮捕。武二達の仕事は終わりだ。

 安堵感に包まれたからか、武二はすぐ傍の壁に寄りかかると深い溜め息をついた。



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