Story.7 フランツ
「あ……あの……えっと……」
どう答えようか迷い、おろおろしてしまう。正直に居場所を言って、連れて行くとどうなる。その場で肉体的戦いはしないだろうから、口論になるのか。知らない、と嘯けばどうなるだろうか。素直に退くなんてことはないだろうから、他の道行く人に訊ねるだけだろう。事情を知らない人間なら教えるに決まっている。それも良策とは言えない。
「どうした、知らないのか? ここはどうやら寮らしいから、ここの住人――いや、寮生というべきか――はそれぞれをそれなりに認識出来ていると思っていたのだが、違ったか。知らないのなら、他を当たるから気にしないでくれ」
そうしているうちにも軍人はユキノから離れようとしている。行かせる訳にはいかない。だが、ここに止まらせるのも息苦しい。どうするべきか。
「えっと……どうやら寮生でも教師でも誰かの親でもなさそうなんですが……誰なんですか? 寮内に踏み込むには一応入寮許可が必要だったと思うのですが、許可は貰いましたか?」
散々悩んだ挙句ユキノが取った行動は、時間稼ぎだった。何処ぞの優等生みたいなことを淡々と宣う。自分で言っていて、らしくないなあ、と思った。そう言えば、この男はともかくとして、エルヴィンはどうやって寮内に忍び込んだのだろう。後で訊いてみようか。
軍人は少し考える素振りを見せ、やがて何かに気付いたように僅かに目を見開いた。
「俺に誰何するか、面白いな。説明が必要なら答えよう。俺はフランス軍の軍人でリヨン軍支部の総帥をやっている。ああ、総帥というのは本来存在しなかった階級なのだが、新しく出来た奴だということくらいは、知っているかな」
軍人改め軍の総帥は、そう答える。寮の入り口で見張りをしているガードマンも、恐らくこの一言で退けられたのだろう。確かに、恐ろしい程の風格をひしひしと感じる。
魁偉たる身体に、鷹の眼のような双眸、黒いコートからも、貫禄を感じる。意識せずとも睥睨しているように見せられる圧倒的眼力には、今までにないくらいに威圧される。歩く兵器、歩く怪物と言われても否定できないくらいの威厳には、総帥という厳かそうな役職が相応しい。
「……軍の総帥……何でそんな人がこんなところに?」
理由は解っているが、わざと恍けて首を傾げて見せる。演技をするのは苦手ではないので、変に勘繰られることも無かろう。
「何で、何でって言われてもなあ……そうだ、企業秘密だ。あまり触れないでくれ、頼む」
ただ、その割に少し間抜けさを帯びた口調が、威厳を打ち消さんとしている。内面は割と緩い人なのかも知れない、とユキノは思った。
「そうですか」
「って、何か流された気がするぞ、気のせいか? まあいい、軌道修正だ。クレスという名の少年を捜しているのだが、本当に心当たりはないんだな?」
念を押すように再度同じことを訊かれる。時間を稼ぐためにわざと相手の目的を探るような行為をしただけに、更に断り辛くなってしまった。それに、この人は悪人という訳ではないと思う自分、連れて行っても大丈夫なのでは、と思う自分も、そこには確かにいたのだ。
一か八か、このユキノの選択に、これから先の、反対軍成立の成否を賭する。
「心当たり、あります……」
「そうか、では案内していただきたい。なに、危害等は一切加えんよ。一応総帥としての建前もあることだしな」
どうか、何もありませんように。無事に全てが終わりますように。ユキノは強く念じる。クレスやエルヴィンが、この総帥を上手くあしらってくれますように、と。
「解りました。案内します」
静謐な路地に、震えるような小さな高音が、か弱く響いた。
+++++
「遅いな、ユキノ」
クレスは時計を見て、ぽつりと呟く。時計の針は、十時三十分に迫らんとしていた。いや、時計が少しずれている可能性もあるので、その場合過ぎているかも知れない。
「全く、何やってるんだよ」
エルヴィンが痺れを切らして吐き捨てるように言った。ユキノは何をしているのだろう。何を、と言っても常識的に考えると寝坊とかそんなところだろう。ここは学生寮で、入口にはしっかりとガードマンがいる。誘拐犯が忍び込んだりは出来ないはずだ。そうなると、エルヴィンはどうやって忍び込んだのか、そこが問題となってくる。クレスは一応エルヴィンを半眼で睨んでおいた。
「あいつ、やる気あるのか?」
エルヴィンは、次は愚痴を漏らすように言う。でも、今度は黙ってはいられない。ユキノは、クレス以上くらいに、やる気を持っている。
「やる気なら、あるさ、エルヴィン。まあもう暫く待ってろ」
語気を強め、諭すように短く切りながら言う。エルヴィンは、「ふーん」と気のない返事をするだけだったが、別に疑っている訳ではなさそうだった。
――豪邸だな……。
――まあ、クレスは賢いので与えられる設備もそれはもう豪華で……。
ふと、部屋の外から声が聞こえた。かなり遠くの方の声なのではっきりと聞き取ることは出来なかったが、その内の一つは、それなりに聞いたユキノの快活な声に似ていた。そして、もう一つは聞き慣れない濁声。どうやらその二つの声は会話しているようだった。
「誰の声だ?」
「解らない」
エルヴィンも誰の声かは解らないらしく、顔を険しいものへと変える。クレスはより一層耳を澄まし、その声を聞いた。
雰囲気としては、談笑しているというよりは切迫した雰囲気が漂っている。仲がよさそうには見えないので、たまたま道で出会った人とかそんな感じだろうか。いや、それなら一緒にここへ来るのは可笑しいので、客人か。ポジティブに取るなら参戦者、ネガティブに取るなら襲撃者といったところか。
その時、ピンポーン、という少し鈍いが、軽やかなインターホンの音が耳に届く。クレスは考えても仕方がないと思い、接客すべく玄関へ向かおうとする。
「ちょっと見てくる」
靴を履く前に一言エルヴィンにそう言ってから、クレスは座って靴を履く。それが済むと内側からガチャッ、と鍵を開けて、ドアを開いた。
外にいるのは、見当通りのユキノと、もう一人はとんでもなく魁偉な男だった。濁声の正体は恐らくそれなのだろう。男はクレスに気付くと僅かに眉を上げ、試すような口で言った。
「お前がクレスか?」
その声、その顔、何処かで見たことがあるような気がした。大物感漂う服装と筋肉、そして立ち振る舞いで何となくは解っていたのだが、どうやら本当に有名人らしい。身体からして肉体系なので、軍人の上階級の人間だろう。
「そうですけど、何の用ですか?」
まずは普通に応対する。様子見するのだ。男は、その言葉を聞くと、瞬間迷いを顔に浮かばせ、こう言った。
「俺はフランス軍リヨン支部の総帥をやっているフランツ・バスティアという者だ」
男は丁寧にフルネームと役職を名乗る。クレスは、その名を聞いて戦慄せざるを得なかった。
リヨン支部の総帥。フランツ・バスティア。それは、当たり前だが徴兵令状を寄越してきた人の名前と同じだ。だが、一体何をしに来たのだろう。クレスの脳内で高速で推論が展開される。
まず、この男――フランツがここにいるということの理由は、何となく察しが付いた。それは、徴兵令を出しただろうと取り返しに来たか、或いは用済みだ、と言いに来たか。そうか、貼紙を見たのならこちらが行く前に宣戦布告をしに来たか、やめろと言いに来たか。纏めるなら、クレス達の行動を阻止しに来た、だ。
集合日時は切っているので貼紙を見てようが見てまいがここに来る可能性は大いにあると言える。手紙を送ってきたというところから、ここの住所がフランツに知られているということも解るしな。そして、阻止しに来たか勧誘しに来たか。
だが、何故ユキノと一緒にいるのかが気になる。ユキノのいる部屋よりここの方が明らかに寮入口から近いのだから、先にユキノに会っているというのは少し妙だ。もしかすると、この男は方向音痴だったりするのだろうか。その場合、あまり高い役職に就いているとは思いたくないのだが。
これ以上は推論しても無駄だろう。少し話を聞いて、可能性を絞るしかあるまい。いや、話せば解るだろうか。
「で、用は何ですか」
フランツは、ふっ、と鼻で笑う。
「どうやら面白いことをしているようじゃないか。戦争を止めるとは、また随分なことをしようとしてくれる。こちらとて、成り行きで戦っているようなものだから戦争は不本意なのだが、さりとて軍人が一般人に力量で劣るのも頼りなかろう」
エルヴィンの言葉にも似たことを言う。この口振りからしてどうやら貼紙を見た後のようだ。可能性は絞れる。この男、フランツのしたいことは戦争を止めると宣言したクレスを試すことではないのだろうか。
「とりあえず、ユキノを返してくれますか」
「ユキノとはこの子のことか。ん? 今の言い方だとまるで俺が強制的に束縛しているみたいじゃないか。ただ単に道を訊ねただけなのに」
フランツが慌てて否定するように手を左右に振る。剛健な身体に対してその仕草は如何にも滑稽で、何処となく間抜けな雰囲気がした。この総帥は一体何者なのだろうか。
「え……あの状況で断る選択肢なんてあったんですか」
「あったさ。知っていて案内しないというのなら理由を聞いたと思うが、別に強制するつもりは毛頭なかったさ」
ユキノにまでツッコまれている。きっと、ユキノと会話しているときも何処か間抜けな雰囲気を帯びていたのだろう。窓越しの至微な声からは読み取れなかったが。
「と、また流されたな。お前ら時間稼ぎ好きだな。そんなに俺を撃退したいか」
フランツは咳払いをし、場面を転換させる。改めて、という風に表情を強張らせ、フランツは静かに真剣なトーンで話を始める。
「お前らの意志は大したものだ。軍という国で一番の軍事力と戦闘力を持った組織の一部であっても、逆らおうというのだから。戦争をしていることがいいことではないのは解っているし、お前らの行いが悪いとも思わないが、こちらから見れば立場上敵だ」
クレスはごくっ、と生唾を呑み込む。
「マコンを共闘して鎮まらせるという訳ではなく、喧嘩両成敗だ、というのならそれは間違ってはいない。それぞれが己の正義に従って戦うだけだ。違うか?」
「その通りだ」
クレスは頷く。クレスのやっていることは決して間違ってはいないんだ、と胸を張る。
「……いい眼をしている。やる気がひしひしと伝わってくるよ。だが、立ちはだかるのなら容赦はしない。……ん、いや、少し違うか」
フランツは、前半恰好付けて言った割に、後半はまた間抜けな感じに戻った。初めての状況で混乱しているようなそんな感じだ。一対一の戦争が基本なので、三つ巴というのは対応に困るのかも知れない。
「それと、勝とうが負けようが、逆らうのならこの街で住むのは厳しくなるかも知れないぞ。やらかしたんだ、追放する可能性もある」
「どうせ大学はこことは別の所に行くつもりだからあまり変わらないよ」
「ちょい待った、それだと私が困る」
クレスの横にまで戻ってきていたユキノが、明らかに雰囲気に反したようなことを言う。そこは自信持って大丈夫だって言えよ、とクレスはユキノを半眼で睨んだ。
「そうか。じゃあ、どうしても引く気はないっていうんだな」
「最初から進む気しかないよ」
口に、僅かに嗜虐的な笑みを浮かべる。フランツはそれを見て、同じような笑みを浮かべた後、視線を後ろのエルヴィンの方へ移した。
「……エルヴィンか。世界大戦の時は派手に暴れていた奴だったが最近は名を聞かないから何処にいたのかと思えば、こんなところにいたんだな」
「フランツか。ふん、まあちょっと面白そうだと思ってな、だからクレスの許で参戦することにしたんだよ。傭兵の仕事外でこっちから来たから雇い代はなしで」
二人が、歴戦の勇士の風格を帯びさせながら、嗜虐的笑みを浮かべつつ睨み合う。クレスとユキノの二人とは何処か違う世界で生きてきた人間達であることは、その会話一つでも伝わってくる。そして、どうやらエルヴィンは傭兵の中でも相当強いらしい。
「エルヴィンがいたら、少し勝つのが難しくなるかもなあ。でも、そろそろ戦争も終盤に差し掛かっているし、早く来ないと終わってしまうぞ。お前らは不戦敗だ」
「大丈夫だ。お前らの愚かしい行為は必ずこの手で止めてやる。立派に反省させてやるよ」
「最後に一言。今から戦争をやめる気はないんだな?」
念を押すように、クレスは言った。
「もう引き返せるような局面じゃないしな、無理だ。強制的に終了させたいのなら、お前らが乱入するしかない」
フランツは、そう言って身を翻す。大きなコートがバサッと宙を舞うように、身体に付いて翻った。
「じゃあな。楽しみにしているよ」
フランツは寮の出口を目指して歩き始める。フランツが何をしたかったのかは、畢竟するによく解らなかったが、やはり試しているといったところだろうか。それはともかくとして、総帥に認識されたということはいよいよ後に引けなくなったということだ。今まで湧いたことのなかった実感が初めて湧き上がる。
「いよいよフランツに認識されたか。これはもう、後戻り出来ないぞ。途中で参戦するのをやめても不戦敗となって、でも反抗する意志があったので追放とかいう理不尽な仕打ちを受けるかも知れない。まあ、追放なんて正式に命令が下る訳じゃないから、支部だけでの小さな取り決めになって公にはならないだろうがな」
「そんなことがあるのか?」
「権力的には、一応出来ると思うぞ。追放したところで、周りから見れば引越しにしか見えないしな。でもまあ出来るってだけで、例を知らないがな」
その後、エルヴィンは「あれだ、流罪の軽い版みたいな感じだよ。フランツは色々適当な奴だから裁判なしでもやり兼ねん」と付け加えた。それは法律上いいのかどうか疑問に思ったが、支部ごとに分けられて、そのそれぞれが国みたいに大した一体感を持たず動いてもいいようになった今のこの国の法律なら大丈夫なのだろう。それにしても、今考えても思い切った法律改変をしたと思う。政府の狙い目はよく解らない。
「にしても、結局何をしに来たんだろうね、あの総帥の人は。何か、覚悟があるのかだけ確認しに来たみたいな、変な感じだった」
「そうだな……何がしたかったのかよく解らないが、まあ試していた風だったというのはそうだったな……」
そこは疑問だった。特に阻止しようとするでもなく、威圧するでもなく、勧誘するでも、クレスを連れ戻すでもなかった。三つ巴の戦いになることをあたかも楽しんでいるような、そんな感じだった。戦争が悪いことで、好きじゃないといっておきながらそんな態度を取るのは少し不思議だ。
「でも、今回はそんなことどうでもいいんだ。成り行きでも何でもいい、戦争を始めた両軍共を倒すだけだ」
「そうだね、確かにそうだよ。何か違和感あるけど、まあそんなの最初からあるしね。今は、違和感戦争を勝ち抜くだけ!」
「何だよその戦争……」
ユキノにエルヴィンがツッコみを入れる。クレスもツッコみたくなったが、よくよく考えると、案外言い得て妙な名前だったのかも知れない。
でも、ユキノの言ったことは尤もだった。今はただ、勝ち抜くだけなのだ。軍の内部事情とかは、今は気にする必要はない。
「じゃあ、特訓を始めようか」
クレスは、少し声を強めて宣言する。場の空気が一層締まりを帯び、皆の顔も真剣なものとなる。ついに生まれ始めた実感に後押しされるように、焦る気持ちはどんどん駆り立てられていく。
「うん」
生唾を呑み込んだような、緊迫したユキノの返事が、耳に届いた。