Story.5 闇に潜みし暴君
――ス。
――レス。
遠くで、誰かの声が聞こえる。聞き覚えがある程聞いた訳ではないが、それでも鮮明に思い出せる声。軽快で、快活な甲高い声。高等学校――この国の言い方で言うならリセに通っているにしてはあどけなさの強い、子供らしい声。そんな声が、深海に揺蕩うクレスの遥か頭上に見える水面から弱々しく聞こえてくる。
――――レス。
深海から見える海面の向こうで、陽炎のように揺らめく何かは、必死の形相でクレスに何かを叫んでいる。だが、何と言っているのかは聞き取れない。向こうの世界に居る君は誰? とクレスが話しかけても、向こうからは一方的な叫び声が返ってくるだけ。互いに互いの声が聞こえていないのだろうか。
――パシーィン。
突然、海面を突っ切って手が伸びてきて、クレスの頬を叩く。何だったんだろう、あの巨大な手は。変な夢でも見ているのだろうか……。
「クレスってばっっっっ!!」
急激に音量を上げた叫び声が、今度こそクレスの耳に完全に届き、その大声にクレスは無言で驚いた。気が付くと、目に映る景色は先程と何処か似ているようで少し違う景色。クレスは辺りをきょろきょろ見渡して、場所を確認する。広い室内に設えられた大きな勉強机に沢山の本棚と、そこに格納された本達。背のふかふかした感覚は恐らくマットレス。場所は闇夜に呑まれた自室のベッドの上だと思われる。眼鏡がなくてよく見えないので、ベッド脇に手を伸ばし、眼鏡を掛けた。その体勢で、もう一度最初の仰向けの体勢に戻ると――。
そこには、クレスに覆い被さるように、夢に出てきた声の主がいた。
「……何で、ここに……?」
驚きを隠し、平静を装って質問する。目の前の人物――ユキノは瞬間安堵の表情を浮かべ、それはすぐに険しい表情へと変わった。
「多分だけど、ストーカーがいるの。今も多分すぐそこに……」
「それで逃げてきた、と。解った、ちょっと見て来よう」
本当に脅えた顔をしていたので、ストーカーかどうかはともかくとして、近くに誰かがいるのは確かなのだろう。クレスはベッドから下り、外へ向かうべく自室を出ようとする。途中、室内の置時計を見た時に確認できた時刻は2時13分。空の色的にこれが午前であることは確かなので、人の存在に気付けたユキノも相当な時間まで目覚めていたということになる。
ユキノを室内に残したまま階段を下りると、ドアが開けっ放しになっていた。涼しい風がそこから突き抜けてくる。開けっ放しになっていることもそうだが、よくよく考えるとどうやって中に入ったのだろうかという尤もな疑問が浮かんできた。それを無視し、洗面台に向かったクレスは、水道から出る冷水を顔に一発ぶつけて寝惚け眼を強引に抉じ開けた。玄関から外に出る前にコートを引っ張ってきて、それをばさっと羽織る。しっかりとファスナーを最後まで閉めて、それでも少し身体に堪える寒風の吹く外へ身を出した。
前庭を抜け、門扉を開き外に出たところで、きょろきょろと360度全方向を見回す。何処かに隠れ潜んでいる可能性もあるので一点一点を注視しながら。だが、暗いので確かなことは言えないが、少なくともクレスの視界に人影は入らなかった。クレスは振り返って首を持ち上げ、窓から心配そうな顔で見詰めるユキノに声を掛ける。
「誰もいないみたいだぞ」
言うと、ユキノは複雑な表情を浮かべた。隠れ潜んでいる可能性を完全に否めない以上、まだ少々不安が残るのだろう。ユキノ自身も、上からクレスの部屋前庭付近を見渡す。そして、数十秒が経過してユキノがようやく複雑な表情を崩そうとしたとき、ユキノが急に血相を変えた。
「クレスっ! 後ろっ!!」
クレスの左耳付近を、飛行機が離陸するときのような、高速で通過する音を伴った何かが通過した。
え――、と訊き返そうとして、クレスの動きは固まった。きっと、口は開きっ放しで、目は尋常じゃない程に見開かれているのだろう。金属のように固まったまま、ゆっくりと首を動かして、飴玉のような飛行物体の飛んできた方を向く。暗いのでそのシルエットははっきりしないが、人型をした180センチ半ばくらいの長身。身体もがっちりしているようで、スポーツで言うならバスケットボールに誂え向きな体格だった。そして、そこから突き出された右手に握られるは――昨日散々見た銃だった。
「……お前は誰だ」
出来る限り儼乎たる声音で問い掛ける。だが、その声に怖れを為すどころか、逆にそれを面白がるように、そいつは物陰から姿を現した。
街灯に照らされたその外見は、想像通りの剛健な筋肉からなる身体だが、長身ということもあってか印象としては痩躯だった。顔もしっかりとした青年の顔で、鼻はただでさえ鼻の高い西洋人の中でも更に高い。細い眼は眼光炯々としており、他を圧倒するような絶対的存在感があった。そんな、有り体に言えば爽やかで恰好良い外見をもった男は、恐怖を煽るようにゆっくりと歩を進める。飄々としたその歩き姿にクレスは警戒心を剥き出しにするが、男は特に気にせず歩き、突然まるで瞬間移動でもしたかのように急接近した。
再度、顔面を掠める銃弾と、それに追従するようにして耳に届く発砲音、通過音。
勿論、音なんて速過ぎるので、理論上そうなのであって実際は銃弾が通過するのと同時に音も聞こえるのだが。気が付けば、男はクレスのすぐ背後にまで迫っており、顔のすぐ後ろには銃口が向けられていた。どうやってあの一瞬でクレスの背後に回り込んだのかは不思議で仕方がないが、それだけの超人的身体能力だったということだろうか。暫くクレスはそこから動くことすら出来なかったが、そこまでの思考をしたところでようやく身体に感覚が戻り、クレスは急いでその場から飛び退く。脳内には、とにかく頑丈な盾のイメージ。
「知りたいか?」
気障にその一言を言って、再三引鉄を引こうとする。そこでクレスは脳内の盾のイメージを具現化させ、それを右手に持って構えた。直後に放たれた、立て続けに三つの銃弾が放たれる三点バーストはその盾によって見事に防がれる。
「ほう、それが《インディペンデント》」
男は、あたかもクレスが《インディペンデント》を使えるという情報を知っていたかのような口振りで、そう言い、感心したような眼差しを向ける。その目に映るのは、興奮か、羨みか。何となく、そんな爛々とした風があった。
「何故僕を狙う」
へらへらと可笑しそうな顔をする男を威嚇するかのように、語気を強めそう訊く。男は、少し考えるような素振りを見せ、答える。
「その《デザイン》とやらと、戦おうとする《意志》を買ったんだよ」
答えになっていないだろう、とクレスは怪訝な顔をする。それに、男の言葉そのものも大変奇妙だ。《デザイン》というのはクレスが勝手に名付けた愛称のようなものなのだから、それをこの男が知っているというのは可笑しいし、戦おうとする《意志》の部分も類似した理由で奇妙だ。後者に関しては、街の一角に存在する貼紙で知ることが可能だが、この男の口振りだとどうも会話の上で知ったような聞こえがして違和感を覚える。
「何で、《デザイン》という名前を知っているんだ。というか、売ってもないものを勝手に買うな、それは非売品だ」
「面白いことを言うな。でも非売品だろうが何だろうが、雇われれば買わなきゃならないのが俺達なんでね」
「ということは、引く気はないんだな。それなら、こちらも遠慮なくいかせて貰うしかあるまい。血を見るのは、好きではないのだがな」
そう宣言し、クレスは辺り半径一メートルの地面に高圧力を創り、主婦が店で衣類などを買うときにビニール袋が千切れる程に押し込むように、無理矢理凹ませる。そこに出来た一時的な落とし穴に嵌らぬように同時とも言える程瞬時にその上に膜を張り、膜直下に存在する圧力も利用しながら、トランポリンの要領で飛び上がる。一度では跳ねられないので二度三度試しているところが絵にすると不恰好な気がするが、羽を操って自分の全体重を空に投げ出せるような身体や筋肉の構造になっていないので仕方がないのだ。脳内で、言い訳染みたことを言いつつ、人間には不可能な五メートルくらいの地点まで跳躍する。ユキノの驚愕する顔を流眄に捉えつつ、そのまま前に進んで先程と同じ距離を今度は縦の位置に作る。
その位置まで来ても男は特に回避する様子も発砲する様子もなく、むしろ感心したような目を向けていたので、そのままクレスは銃を創り、構え、発砲する。だが、戦闘慣れしているのか、トリガーを引く寸前で見事着弾位置から身を躱した男は、転がるように数メートル遠方へ達する。そして、幸か不幸か男が転がった先の位置が、丁度クレスの着地地点となり得る場所だったので、地面に着く四肢を突如地面から出現させた鉄枷で固定した。流石にそれには驚いたのか男は軽く目を瞠る。そして、先刻と同様の、トランポリンを模した地面を着地地点に創って、その場に安全に着地した。
そのまま、高圧力で地面に押し付けられ、鉄枷で四肢の自由を奪われた男に、膜の上から話し掛ける。
「お前は、誰だ」
重みのある声を心掛けるが、男はまたへらへらした顔を取り戻してしまう。その気になれば一秒後にも殺せるというのに、何故この男はここまで余裕な顔をしていられるのか。クレスには不思議でならなかった。
「見事なもんだな」
「質問に答えろ」
流石に覚えた苛立ちに、眉間から皺が生まれる。
「怖いなあ、少年。まあそう警戒するな。俺は、窓の上から覗いているあの子と同じく貼紙を見てきた参戦希望者だよ」
警戒するな、とは無茶な話だ。そうツッコもうかとも思ったが、それ以上に確かめるべきことがあるので今は自重する。
「そうか。では訊くが、何故襲ったのだ」
「それは咄嗟の反応を見ておきたかったからだよ。戦争ってのはいつ殺されるか判らない危険な場所だ。如何なる状況下に於いても自分の命を死守できる強い反応速度も必要なんだよ」
次は、あたかも戦争の常連客かのような口振りで話す。武器を携えているところから見ても、どうやらこの男は戦争経験者のようだ。恐らく、軍人か、傭兵か。その辺りの職に就く人間だろう。
「危険な手段だが、理由には一理あるだろうな。ところで、銃を携えているようだが、お前は軍人乃至傭兵か?」
「まあ一般人ですという言い訳は、流石に効かないだろうなあ。そうだな、御名答といっておこうか。俺は少年の予想通り、傭兵だ」
今度は割とあっさりとそう答えた。飄々としているので人種は特定できないが、今も何処かしらの戦争に参加しているのだろうか。というか、こんなところで道草を食っていていいのだろうか。
「まあいい。参戦者というのなら話くらいは聞いてやろうか。今回の襲撃に対する懲罰も、そこで考えよう」
「俺も聞きたい話があるんで、大賛成だ」
男が参戦する。クレスは地面に掛かった圧力を元に戻した後、即座に銃を奪い取った。鞄や服の中に何かしらの武器を隠し持っている可能性は否めないが、今はとりあえず目に見える武器だけを除去することにして、無駄に漁ることはしなかった。一度四肢の拘束を解き放った後、再度丁度両手に嵌るように手錠のような拘束具を創る。そして、犯罪者を警察官が連行するように、クレスは男を乱雑に掴んで、門扉を潜った。
「武器はそれで全部か」
「ああ、全部だよ。全く、用心深いなあ」
「本当なら身包み全部剥いで磔にしてやりたいところだが、まあユキノがいるからそれは勘弁してやる。ほら、入れ」
吐き捨てるように言って、クレスはその剛健たる男の腹を蹴る。男は数歩分吹っ飛ぶが、特に呻く様子なども見せず、尚を余裕ぶっていた。その戯けた顔に苛立ちと無力感を感じ、軽く鼻を鳴らすと、階段の方からどたどた、という階段を駆け下りて来る音が響いてきた。クレスはそちらに向き直る。
「大丈夫!? 撃たれてない!? ……いや、撃たれてはないか。でも掠ったりもしてないよね!?」
「ああ、大丈夫だ。怪我はないからまあ落ち着け」
本気で心配した表情をして、切羽詰まったような声を出すユキノをクレスは安心させようとする。眼を上下させてクレスの身体全体をゆっくりと観察したユキノは、数秒してようやく表情を崩した。
「よかった……。で、あいつはどうなったの? 何か入ってきた……というか入れた? みたいだったけど」
「大丈夫だ、今は大人しくしている。武器等所持物は全てそっちに置いてある」
クレスが視線を動かすと、つられてユキノも視線をそちらに向けた。突然出現した武器や食糧の山にユキノは驚声を上げる。
「うおぉ、なんか凄えな……」
そこに積まれているのは武器と食糧の山。もう少し詳らかに説明するなら、ハンドガンやライフルなど複数種類の銃と、沢山の手榴弾。パンなどの調理の要らなさそうな簡易的食糧と、粉末調味料などがある。カレー粉とか、何に使うのだろう。
「で、何で襲われてたの?」
その理由は、クレスは既に聞いていた。だが、口にしようとした寸前で、手っ取り早く済ませる更なる良策を思い付いたクレスは、ユキノにこう言った。
「それは、あいつに訊いてみればいい」
ユキノがソファに座り、次にクレスがその隣に腰掛ける。対面する位置に男を座らせて、男の意思を聞く。
「じゃあここに来た経緯、理由を聞こうか」
言うと、男は肩を竦め、素直に語り始めた。
「経緯も理由も言っただろう? 貼紙を見て、ここに来たんだよ。理由はあんた達の仲間になるためだよ。あー、もしかして、何でわざわざ傭兵なんかが? っていうのが訊きたいのか? それはあれだ、興味本意。面白そうなことやってるからさあ、つい来てみたくなって」
相変わらず――という程会話してはないが――の間の抜けた調子で男は語る。それにしても、興味本意とは。ユキノと違い、実感があるであろう人種だけに更に滑稽に映る。
「まあいい、解った。ということはお前は、傭兵とか関係なく来た、ということだな?」
「まあそうだな。今は雇われているという訳ではないな。個人的に動いているだけだ」
男は、続けて素直に質問に答える。確かに、今は大きな戦争を一切として行っていない当国フランスにいるのだから、雇われてはいないのだろう。それは容易に推測できる。
「あの……じゃあ両軍のどっちかに雇われてるんじゃないんだよ、ね?」
「そうだな。立場的には、実質あんたと同じ位置だと思う」
ユキノが横から確認するような質問を入れるが、それにも素直に答える。少しずつ、敵という認識が薄らいできた。
「解った。それじゃあお前を仲間として認めよう。丁度、傭兵みたいな戦闘経験豊富そうな味方が欲しかったところだ」
「思いの外あっさりしてるんだな。まあいいや、無駄な尋問喰らうよりよっぽどマシだよ。捶拷とかされ兼ねない勢いだったからなあ」
「大丈夫だ。生憎鞭なんて持っていない」
クレスが言うと、男は軽く噴き出した。
「何が可笑しい」
「いや、あんたって結構優しいんだなあって。少し言い過ぎと思うかも知れんが、今までの奴等と比較すると慈愛に満ちたと言えるくらいだ。剛毅木訥仁に近し、とは言い得て妙だ」
男は軽く笑う。褒められているので悪い気はしないが、同時に負の感情も発生し、どうしても複雑な顔になる。ユキノも、何が面白いのかその光景を愉快そうに見ている。
「仲良いね、二人は」
「ユキノ、それは判断が早過ぎるというものだぞ」
諭すようにユキノに言う。それでもユキノは微笑を浮かべ続けていた。
「で、今度は俺からの質問なんだが、あんた達こそ何者なんだ? とても軍人には見えないからそうではないんだろうが……というか、ここら一体学生寮ってなってたぞ?」
そして、急に真剣な表情を取り戻した男が、会話を切り替える。
「ここが学生寮なら答えは一つだろう。僕達は、ただの学生だよ」
クレスは事も無げにそう言う。学生寮だという時点で薄々勘付いてはいただろうが、それでも流石の男も少し面食らったような顔をして、次ににやり、と口角を吊り上げた。
「やっぱりそうだったか。まさかとは思ったが本当にそうだったとは……面白くなってきたな」
「幾ら戦闘経験があるとは言え、あまり腑抜けた調子で参戦してくれるなよ。確かに、お前みたいなのからしてみれば面白いのかも知れないが」
クレスは少し心配になって、注意するようにそう言った。男は一応返事はしたが、本当に承知しているのかどうか。だが、実際に戦闘経験を積んでいる者なのだから、いざというときは役に立ってくれるだろう。くだらないミスはしないはずだ。
そして、暫くはそんな可笑しそうな表情をしていたが、ふいに真剣な――というか、何かを想うような表情をした。
「普通なら絶対にしないような、戦争の仲裁をするなんてことを敢行しようとする強靭な意志。《魔法》がその自信を後押ししているのかも知れないが、それにしても相当なものだ。そして、先刻みたいに俺に襲撃されても――まあ若干おどおどした様子はあったが――冷静に対処し、捕縛する技倆。そして、何より凄いのは、冷静に対処出来たという――対処する為の不撓不屈の精神を持っていたということだ。あんたなら、国同士の大きな戦争ならともかく、パリにある陸軍総司令部にすら知らされていない――というか知られてはならない小規模な内戦なら勝ち抜けるはずだ。それだけの力があんたにはある」
突然の、教師が生徒を励ますようなその言葉にクレスは少し心を打たれる。この傭兵は、クレスの、普通なら狂気染みているとすら思うであろう意志を肯定した。そして、この戦争に勝てる、と断言したのだ。勿論その言葉を鵜呑みするつもりはない。だが、実際の傭兵からの言葉だと、御墨付を貰ったようで自信が付くし、何より自分に力があると言って貰えたことが嬉しかったのだ。
「それに――まあ傭兵の口から言うのも何だが、同じ国の中の県同士とかでしょうもない内戦をされるのは気に食わないんでね。何というか、世界大戦を戦った後なのに、千年くらい文明を後退させたような、そんな昔みたいな戦争をしてさ。そんなんだと威厳もクソもねえから、まあいっちょ解らせてやんのさ」
男は、右手を差し出した。手の形からして、恐らく握手だろう。汚い手袋を嵌めている手を握るのは少し躊躇われたが、拒否すると今後の関係に響くかも知れないので、しっかりとその右手を握る。
「そういや、お前の名前、何なんだ?」
そして、随分と訊き忘れていたことを今更の様に訊いた。
「名乗るときは自分から、だぜ?」
「……ふん、僕はクレス・オーソリアだ」
「エルヴィン・リライエンス。よろしくな」
「ああ、よろしく」
もう一度、強く右手を握り締める。二人目の仲間、男改めエルヴィン・リライエンス誕生である。
「エルヴィン……でいいのかな? 私はユキノ・バイオレット。よろしくね」
「ああ、よろしくな」
エルヴィンは、クレスの手を離すと、ユキノとも握手をした。
その後、エルヴィンの経験則より弾き出されたであろう、推定での適切な戦闘員数や、敵軍の幹部達の話などを聞いた。もう夜遅かったので手短に済ませて貰ったが、その短期間の間でも、クレス達の中で疑問のままになっていたことが一遍に片付き、戦略や対策などの意味合いではかなり進展した。兵力的にもエルヴィン一人の存在だけでかなり向上しただろうし、本当に大きく前進した一夜だった。
傭兵という職業はクレス自身さほど好きではなかったのだが、傭兵の体験談のようなものも少し聞け、そのどれもが興味深いものだった。雇われれば下に就くので、特に所属する軍隊や国が存在しない傭兵をやっているエルヴィンの経歴も変わったもので、エルヴィンの話ではここ数年はフランスに住んでいるが、元はドイツ生まれドイツ育ちで、ドイツ軍の傭兵だったという。今回はドイツなど一切関係ないので、だからどうという訳ではないのだが、各地を転々としているのも傭兵らしいなと思ったのだ。
そして、時計の針が四時を回ったところで、エルヴィンとユキノと別れた。その後クレスは、四時ということもあって、いっそ寝ずに起きておこうかとも考えたが、潔く自室に戻りベッドに身を投げ出した。冷え込む時期なので、掛布団を深く被って、クレスは再び深い眠りに就いたのだった。