第五章
(――さて、どうしよう)
鈴木が帰った後、優実はリビングに戻り、時計を見ながらこれからを考える。
時計は七時二十四分を示していた。一般的な家庭ならば夕食時であり、優実も普段ならばとうに食事を取り、入浴している頃合いである。
しかし、夕方に色々あった事により、普段ならば終えている夕飯の準備は全く手付かず。今から用意しようと思えば出来るが、夕方の色々で今から夕飯の準備をする気力は無い。風呂の準備と復習に当てるだけでいっぱいいっぱいである。
(……とりあえず、お風呂入ろう。後は入りながらでいいや……)
幸いな事に空腹は感じていなかった。元より燃費は良い。だが、何か入れないと体に毒なため、風呂を沸かす途中、キッチンによって買い置きしてある携帯食料を一箱開け、それを食べながら風呂を沸かすべく、湯沸かし器を起動させる。スイッチを押せば放っておいて平気なタイプなので後は待っているだけだ。
優実は携帯食料を食べつつ、リビングに戻り、携帯を手に取り、
(……電話も控えた方が良いかな?)
英子の番号を呼び出して、そんな事を考える。
鈴木との会話のために一旦頭の隅に置いておいたが、やはり気になってしまう。控えた方がいいのは理性的に分かっているが、感情は素直であり、携帯を取りにリビングに戻ったのも、英子の番号を呼び出したのも無意識の内にやっていた。
じっと見つめ、ため息をつき、
(明日聞けばいいか……)
そう結論付け、鈴木春夏秋冬の番号を呼び出し、また思考する。
それ以外――マギが言うところの【混沌】について出来る限り、早い段階で可能な限り把握しておきたいところではあるが、何分さっきの今だ。あちらは移動中かもしれないし、作業中かもしれない。知りたくはあったが、それはどちらかというと対策のためではなく、知識欲を満たしたいからという要因が強く、故に相手方の都合の邪魔をしてまで聞くのは、どうにも気が引けてしまうのだ。
「暇そうにしているな、我が愛玩動物よ」
「暇そうじゃなくて暇だよ、主様。――って、役割こなさないとまずい?」
「そういうわけで声をかけたわけではない」
「なら、あたしが暇そうにしていたから?」
「ああ。奇遇にも我も暇をもてあましていたところだからな」
「……ひょっとしなくても主様ってツンデレ?」
「我はヤンデレよりだと思うが、貴様にはそう見えるか?」
「え? 分かるの? そういうの?」
創作の対象が、創作用語を知っているとは何とも不思議な感覚であり、分かる事実がただただ驚きだった。ちなみに幻滅はしていない。その辺はもう慣れている。人間の順応性は素晴らしいな、と優実は内心で感心している。
「幻滅させたか?」
「もう慣れたよ。それより何でヤンデレ?」
「いくら貴様が望んだ事とは言え、気に入った奴を愛玩動物として扱い、愛でているのだぞ? これを病的と言わずに何と言うのだ?」
「なるほど。そう言われるとそうかも」
「だろう? ま、ヤンデレ同士仲良くやっていこうではないか」
「え? あたしってヤンデレなの?」
「貴様の在り方は病的とも言えるからな。そんな奴が誰かに好意を向ければ、それは即ちヤンデレとなるだろう? その好意が軽かろうと重かろうと」
「そう言われるとそんな気がしてくるけど……、ヤンデレっていうのは言い方悪くなるけど、もっと病的に特定の誰かに対して好意を持っている人の事を言うんじゃないかな? それこそ犯罪行為とか平気で出来ちゃうくらいに」
優実が思い描く「ヤンデレ」のイメージはそんな感じである。
「何を言う。抱いているだろうが」
「え? 誰に?」
「神様だ」
「え? あ、あー……」
言われて、妙に納得した。
確かにそう言われるとそうなのかもしれない。病的に神を愛しているからこそ、様々な努力もすれば、青春も捧げるし、死神の愛玩動物ともなった――。
「……うわ、振り返ってみるとあたしってかなり病的だったよ……」
これまでの自分を振り返り、優実は自分で自分に引いていた。歪んでいるという自覚はあったが、その上病的とは。救いようがないかもしれない。
「来世に期待しろ。現世の貴様は最早修正不可能だ」
「そこまで言う?」
「言うとも。一応聞くが、改善する気あるのか?」
「あー、そういう事」
三度納得。
直す気は更々無い。むしろ逆だ。修正不可能と言われても仕方ない。
「そう言えば、自転車が何気にそのままだが、あれはそのままでいいのか?」
「あー、そういや、そのままだったね」
言われて、今更ながらに思い出した。
状況が状況だったので乗り捨てて来てしまったが、自転車そのものはもちろんの事、籠の中には教材と財布が入ったままの鞄に、いざという時のための工具一式など無くなっては困るものがある。自転車は無くても通学に不便は無いのでそこまでではないが、教材と財布と工具一式が無いのは困る。
「ありがとう、主様。おかげで良い暇潰しが出来たよ」
思い立ったが吉日。優実は立ち上がり、玄関に向かった。
「待て」
歩き出してすぐ、タナトスの制止が耳をついた。
優実は半身を向け、
「何?」
「まさかとは思うが、その格好で外出する気か?」
「そうだけど、何か問題?」
優実は自分の姿を見下ろしながら言った。部屋着であるジャージだ。都会や都会に近い場所ならば気にするところだろうが、この町は都会や都会近くの地域と比べると田舎といっても過言ではなく、遊べる場所も近くには無いため、夜に近づけば近づくほど人気は少なくなり、故に人目を気にする必要性は皆無だ。少なくとも、優実はこれまで生きてきて夜間に外出する際に服装を気にした事が無い。
「大問題だ。貴様、それでも愛玩動物か?」
タナトスはご立腹だった。
「ええと……要するに着替えて来いって事?」
「如何にも。その服装は、機能性は十分だが、美的観点からして無い」
「とどのつまり、主様はジャージが嫌い、と」
「場合を考えろと言っている。大体にしてそれは運動をする時のための服装だろう。部屋着として使うのは許容出来るが、外出着としては有り得ん」
「こだわるねー。何にせよ、着替えないと駄目って事だね?」
「そうとも。というわけで、面倒だろうが着替えて来い」
それを最後にタナトスは優実の影の中に戻った。
ほとほと面倒だが、愛玩動物としての自覚が芽生えている優実は主人の意向に逆らう気は無く、むしろ主人を喜ばせたいという気持ちが強いので、出かける前に自室に行き、服装を替え、携帯や財布など必需品を持って外出しようとした。
その時だった。
ポケットに入れた携帯電話が振動したのだ。靴を履いていた優実は、一旦手を止め、ポケットから携帯を取り出した。画面を見て、首を傾げる。画面には番号が通知されているものの、知らない番号からだった。
《とりあえず出るべきではないか?》
タナトスに指摘され、優実も同意見だったので電話に出る。
「もしもし?」
『そちらは信道優実さんの携帯でしょうか?』
受話器から聞こえてきたのは、妙齢の男の声だった。
優実は靴を履きつつ、対応する。
「そうですが、そちらはどちら様でしょうか?」
『自分は○×交番の田中と申します。実はつい先ほど貴女の自転車と所有物がこちらの方に届けられ、身元を確認出来る物を探したところ、それを発見し、そこにかかれていた電話番号に連絡を差し上げた次第です』
「あ、そうですか。ご丁寧にありがとうございます。ちょうど良かったです。ちょっと色々ありまして、これから拾い行こうと思っていたので。あの、今から取りに行っても平気でしょうか? 駄目ならば日を改めますが?」
『時間帯が時間帯ですが、今から来られるのですか?』
「ええ。ちょうど暇を持て余していたものなので」
『では、こちらから迎えを出しますのでご自宅で待機していてください。時間帯も時間帯ですし、何より最近は物騒なので』
「え? あ、いえ、大丈夫ですよ? すぐ近くなので」
『遠慮なさらないでください。市民の安全を守るのが自分達の仕事なので』
では、という言葉を最後に、電話は一方的に切れた。
「切れちゃった……」
優実は電源ボタンを押し、通話を終了して携帯をポケットに仕舞う。
《人間の警察は随分と親切なのだな》
「……そう思いたいところだけどねー」
はあ、と優実は重たいため息をついた。
ある意味、思い立ったが吉日という事だろう。
しかし、二度ある事は三度あるとよく言われている。
そして、あの強引さ加減。
これまで警察の世話になるような事は、幼少期に迷子になって意識不明に陥った時の一回程度だが、たかが忘れ物の受け渡しくらいで迎えに来てくれるなど親切心が過ぎて疑念の心が芽生えてしまう。
「超越者の警察が絡んでいる――と思っていいよね?」
《そう思っておいた方が、どちらに転んでも対処可能なのは確かだな》
「自転車を返すとか言って、そのまま連行されちゃったりするかな?」
《されてしまうだろうな。こちらに来るのもそれをするためだろう》
「やっぱり? ……自転車とかちゃんと返してもらえるかな?」
《貴様の身の振り方次第だろうな》
「そっか。ま、大人しくしているのが安定安全行動って事か。――そういや、鈴木さん、慌てて帰ったけど、ひょっとしてこうなる事分かっていたから?」
《予測はしていたかもしれんな。実際のところは分からんが》
「だね。ま、何でも疑ってかかるのは良くないか……」
優実はため息をつき、話を打ち切った。
財布や教材、工具一式が相手の手中にある以上、優実としては相手の到着を待つ以外に選べる道は無い。教材や工具一式はまだしも財布は日常生活において必需品だ。ましてや保険証や各種店舗のポイントカード、クーポン券などが入ったままだ。現金に関しては諦めているが、それらに関しては諦め切れない。
《そう言えば、風呂はいいのか? これから起こる事を考慮すると、そのまま付けっ放しで行く事になるぞ? 消して行った方が良いのでは無いか?》
「あ、そうだね」
指摘を受け、優実は靴を脱ぎ、湯沸かし器の機器があるところに向かった。
電源を押し、スイッチを切る。今まで溜めたお湯が勿体無いが致し方ない。
少し考え、優実はリビングに足を向けた。暖かくなってきたとはいえ、夜は冷え、玄関の場所は結構寒い。寒さには強いが、同じ待つなら暖かい場所で待った方が体には優しいだろう。
「主様って結構マメだよね? お風呂は覚えていたけど、自転車の事とか主様に言われるまですっかり忘れていたよ」
《我の一存で捨ててしまったからな。覚えているのは当然だろう? まあもっとも、それを差し引いても貴様がズボラな感じはしなくもない》
「それ、よく言われる。基本雑なのに、妙なところで細かいって」
《よく見られているではないか。人気者か?》
「有名ではあるかな。一方的に顔と名前を覚えられているからね。町中で顔も名前も知らない人に声をかけられる事なんか日常茶飯事だよ」
《それを世間一般では人気者と言うのではないのか?》
「さあね。あたしはただ、困っている人を放っておけなかっただけだから」
人気者になりたくてなったわけではない。
ただただ困った人を放っておけなくて、助け続けていたら、自然的に今の立ち位置に落ち着いていた。ただそれだけである。自分の夢と同様、深い理由も強い動機もそこにはない。つくづく歪んでいるな、と改めてしみじみ思う。
《……見上げた善性だな。大き過ぎて悪性にすら見える》
タナトスは呆れと楽しさが入り混じった風情で言った。
「過ぎたるは及ばざるが如し?」
《過剰な分、貴様の善性は始末が悪そうだ》
「その分け方なら、あたしは悪性って感じじゃない? 人のためになる事をしてはいるし、節度を弁えてはいるけど、皆々自分勝手だし」
《節度を弁えているのか? 貴様は片っ端から助けていそうな感じだが?》
「もちろん片っ端だよ。弁えているのは助け方」
《と言うと?》
「ええと、自力で状況を打開しようとしている人は助けない、助かろうと思っていない人は助けない、かな。思いは無限大でもそれを実行する体は一つだけだから、片っ端だと手が回らないし。これでも考えてるんだよ、色々と」
《なら、我に遭遇した時の貴様のような奴は助けない、という事か》
「あたしみたいな奴ならね」
《なら、結局片っ端ではないか》
「ま、そうなんだけどね」
優実は肩を竦め、苦笑した。
優実の持論だが、困っている人というのは往々にして状況を打開したいとは思っているが、自力ではどうにもならないから仕方なくその状況に甘んじているだけである。そして、少なくとも日常生活においてはそういう人しかいない。少なくとも優実はこれまでそういう人にしか巡り会った事しかない。
《くくく。救世主と呼んで欲しい、と言っただけの事はあるな》
タナトスは愉快そうに笑った。
優実は自分でもよくそんな事を言ったものだ、と少し恥ずかしくなった。
「あ、あれは――」
だから、反論しようとしたが、状況が変わった。
インターホンが鳴ったのである。
優実は立ち上がり、玄関に向かう。
「はいはい。今開けまーす」
外灯を点け、優実は扉を開ける。
扉の向こうに立っていた人物を見て、優実は目をパチクリした。
そこには白い軍服のような服を着たがっしりとした体格の男と、デザインは女性用だが同じ組織に所属している事が一目で分かる服を着たスレンダーな少女がいた。明らかに怪しいが、その服はいずれも騎士を連想させるデザインである。
「君が信道優実君かな?」
男が親しげな口調で確認してきた。
優実はどう答えるか考え、こう答えることにした。
「そうです。――貴方達は白騎士団の人ですか?」
その瞬間、男の後ろに控えていた少女が目の色を変え、こちらを警戒し始めたのを優実は見逃さなかった。しかし、男の方は無反応。こちらの行動を予測していたのか、こんな安い探りに乗るほど甘くはないのか。
「ははは。知っているなら話は早い。如何にも。私達は白騎士団に属する者だ。私は団長を勤めている天知総司。で、後ろで殺気立っているのが――」
「――団長。味方でも無い奴に名乗らないでください。無用心です」
少女は言葉を遮り、剣呑な態度でそう言った。
それを受け、男――天知総司は少女に半身を向ける。
「君は用心し過ぎだ。臆病が過ぎて相手に失礼だ。謝りなさい」
「謝りません。私は間違った事を言っていませんから」
取り付く島も無い、というのはまさにこの少女の言動だろう。
天知はため息をつき、優実に体ごと視線を戻した。
「私の同志が無礼を働いて済まない。彼女に代わって謝罪しよう」
そして謝罪してきた。
優実は手を振り、否定する。
「平気です。そちらにとっては当然の判断でしょうから」
「狂人が常識を説かないでくれるかしら? 吐き気がするわ」
尚も喧嘩腰の少女。
初対面にそう言われると、流石に腹立たしい気持ちが芽生えたものの、安い長髪になって手を上げれば、相手に逮捕する理由を与えてしまい、前科持ちになってしまう。それは避けたいので、優実はグッと堪え、冷静に対応する。
「あ、分かります?」
優実がそう言うと、少女は鼻で笑った。
「自覚が――」
「――口を閉じるんだ」
天知は少女の言葉を遮り、有無を言わせない風情で言った。
「団長――」
「二度は言わない」
「…………」
尚も言われ、少女はようやく黙った。
それを待ち、天知は頭を下げる。
「同志の度重なる無礼、本当に済まない」
「――いえ。こちらこそ怒らせるような事をしてしまいましたから」
「そう言ってもらえると心が休まるよ」
天知はそう言った後、咳払いをして真顔になる。
「――さて、信道君。私達が白騎士団と分かっているならば、私達がここに来た理由も大凡分かっているとは思うので、単刀直入にお願いしよう。私達と一緒に来てくれるかな? その上で今後について話し合う場を設けたい」
「分かりました。そちらの意向に従います。でも、条件が一つだけあります」
最後の一文を付け加えた瞬間、少女が目の色を変えた。
「はっ。何貴女? 条件を出せる立場だと――」
「だから、黙れと――」
「――思っていますよ」
少女と天知の言葉を遮り、優実は少女の言葉を先読みして言った。
「こっちは訳が分からないところに任意とは言え、同行を求められているんです。またあたしにはそちらの意向に従う理由はあっても義理は無いため、任意同行である以上は拒む事も可能なはずです。そして貴女のあたしがしてきた事を差し引いても無礼極まりないと判断出来る態度も流しているんです。これだけ譲歩しているのですから、条件の一つくらい笑って聞き入れるくらいの余裕は見せてもらえると確信しています。少なくとも、団長さんは話が分かる人のようですから」
「聞く耳は持っているが、無理難題を聞けるほど懐は深くないよ」
天知はそう言い、少女の方を見る。
対し、見られた少女の顔が一瞬にして恐怖に染まった。
怖い顔をしているのだろうな、と優実は漠然と思う。
「――二度目は無い。そう言ったつもりだったが、理解出来なかったか?」
「も、申し訳ありません。つい――」
「つい? ――なるほど。それはつまり、君はついカッとなって団長の命令を無視出来るという事になるが、そう受け取っても構わない、という事だな?」
「い、いえ! 決してそういうわけでは――」
「なら、どういうわけだ? 言ってみたまえ。弁解があるならば聞こう」
「そ、それは……」
「言いよどむな。あるならば早く言いたまえ。客人の前でまだ恥を晒すかね?」
厳格な態度を崩さない天知。
優実は、少女の事が流石に気の毒に思えてきた。何故なら、少女の脅え方はそれほどまでに見るに耐えなかった。蛇に睨まれた蛙の方がまだ活気があるだろう。
そんな感じなので、優実は助け舟を出す事にした。
「――そんな事より話を進めませんか? どうにも今のその人はまともな精神状況ではないみたいですから、こちらがまともに取り合っても馬鹿を見るだけだと思われます。こちらとしても都合があるのであまり時間は割けないので」
天知は尚も少女の方を見ていたが、
「――そうするとしよう。今は君への対応が最優先事項だからね」
そう言いながら優実に視線を向けてくる。
「それで? 君の条件とは何かな? こちらが聞ける物であれば助かるのだが」
「あたしの所有物の返却です。そちらで預かっているのでしょう?」
天知は一瞬きょとんとしたが、すぐさま微笑み、
「お安い御用だ。元より事が終わったら返却するつもりだったからね」
「そうですか。では、そちらに連行されます」
「助かるよ。――君、信道君に手錠を」
「あ、は、はい」
指示を受けた少女は、弾かれたように動き、何処からか手錠を取り出した。
「あー、やっぱりするんですね?」
「済まない。皆を危険に晒すわけにはいかないのでね」
「いえいえ。当然の判断です」
「手を出して」
少女に指示を受け、優実は手を出した。その手に少女は手錠をはめていく。
手錠をはめ終えると、少女は団長を見る。
「団長、終わりました」
「分かった」
返事をした団長は、優実を見て、外に出るように促す。
「では、行こうか」
かくて、優実は車に乗り、何処かに連れて行かれた。
この世には、人が知らない事など山ほどあるだろう。
その一つを優実は垣間見ていた。
車、飛行機、また車――それらを利用して連れてこられたのは、現代の科学力を遥かに超えているだろう科学技術で東京にある学校の遥か地下に作られた秘密基地だった。天知曰く、この場所が白騎士団の拠点との事だ。
基地に到着するや、優実は応接室に通された。
その場所にて、優実は聞かれた事全てに対して嘘偽り無く回答した。自分が狂人である事も含め、神様を会いたいという事、そのために努力し、危険な行為をしているという事、死神に気に入られた事、これからしようとしている事、さらには事を構えるつもりは無いが邪魔をするなら事を構える事。
それらを話し終えた後、応接室には沈黙が訪れていた。
《随分と赤裸々に語ったものだな》
その最中、タナトスが話しかけてきた。
優実はテレパシーで応じる。
《啖呵も織り交ぜたのに赤裸々って表現はどうなの?》
《だからこそ、と言っておこう。しかし、まさか洗いざらいとはな。我としては貴様に関する事だけは隠しておくとばかり思っていたが》
《あたしって人間がどれだけ歪んでいるかを知ってもらうには、こうするのが一番手っ取り早いからね。主様が気になったほどだから効果覿面みたいだし》
《当然だな。しかし、どう出るのやら》
《どう出られても、あたしはあたしの生きたいように生きるよ》
《ふっ。愛で甲斐がある事を言ってくれるではないか》
《こういうあたしが主様は好きみたいだからね》
《その調子だ。――それにしても、東京の地下にこんな場所があったとはな》
《驚きだよね。ああ、許されるなら探検したい……》
《この状況でも通常運行とは……。まあ、見て回りたいというのには同意だが》
《まさかの共感! だよね! 見て回りたいよね!》
《……断っておくが、我は敵対者の内部だから、という意味だぞ?》
《えええっ!? 秘密基地だからって理由じゃないの!?》
《当たり前だろうが。――と、そうだ。先に言っておくが、勧誘されたとしても断るのだぞ? 我は団体行動というやつが不得手なのでな》
《元よりそのつもりだから安心して。それに勧誘なんてしないよ》
《する気満々なように見えるが、貴様はそう思っていないのか?》
《逆に質問。どうしてそう思ったの?》
《死神の力が特定の誰かに渡り、しかもどう使えるかはその者に一任されているのだ。警察としてそれを利用しようと企むのは自然だろう?》
《なるほど。でも、あたしはそう思っていたとしても利用出来ないと思って考えたよ。だって、あたしを利用するって事は主様が引きつける面倒事も一手に受け止めるわけでしょ? そうなると他の組織と事を構える事になるじゃん? その危険性を予測出来ない人ではないと思うから、勧誘はしてこないと思うの。大体、勧誘する気があるなら、今までだってチャンスは何度でもあったはずだし》
《する気はあるだろうさ。全部蹴ったが、何度か誘われた事があるからな》
《え? そうなの? でも、マギさんには覚えが無いって言っていたじゃん》
《馬鹿正直にペラペラと話すはずないだろうが。初対面の奴にペラペラと何でも感でも話すのは、世界広くとも貴様くらいのものだろうよ》
《嘘ついたの? いけないんだー》
《それは向こうにも言える事だ。もっともらしく語ってはいたが、あの話が真実であるという証拠は無い。話半分で聞くのが安定行動だ》
《ま、そうだけどね。あたしも半信半疑で聞いていたし》
《貴様も人の事が言えないな》
《主様の愛玩動物だからね。ペットは飼い主に似るって言うじゃん?》
《それはもっと長い年月を共有してからの話だと思うが?》
《じゃ、似てきたって事で一つ》
《調子の良い奴め……。愛くるしいぞ、愛玩動物》
《えへへ》
《気持ち良くなったところで、そろそろ対応してやれ。視線が痛い》
優実は意識を外に向けた。天知と目が合う。確かにその目は、こちらの様子を覗っているようだった。そんな天知に優実は微笑みかける。
「――気は済んだかな?」
「ええ、まあ。待ってくれてありがとうございます」
「平気だ」
天知はそう言い、咳払いして真顔になる。
「――さて、信道君。君の話から私は君の事をより一層危険だと思ったよ」
「なら、どうします? 事を構えるならば、こちらは一向に構いませんが」
「驚かないのだね?」
「主様から死神の力は危険だと聞いておりますので。あたし自身、その力の反則さを目の当たりにしている以上、そう見られるのは仕方ないと思っていました」
「なるほど。死神は如何に君の事を気に入っているのだな」
「それはあたしもです」
「相思相愛だな。末永くお幸せに」
「祝福してくれる、という事は事を構える気は無い――そう受け取っても?」
「ああ。もっと言えば、同志として迎えたいくらいだ。そうすればこちらは君を監視する事が出来、かつ君の危険な力を手中に置く事が出来るからね」
「…………」
優実は面食らった。
ただし、それは勧誘してきた事にではない。
本人を目の前に意地汚い事を平然と言ってのけた事だ。
《言った通りだろう? 我の力はそれだけ利用価値があるのだ》
《仲間を危険に晒し、世界の均衡を乱すかもしれなくても?》
《こんな命を落とす危険性がある事を生業としているのだ。立場に関係なく、危険と隣り合わせなのは変わらない。世界の均衡に関してもその力を発揮するのは事件解決のみだろうから安全だと判断し、自分の管理下に置いておけば、万一裏切るような事でもあれば直に処理出来る。そんな風に考えたのだろうさ》
《人の事を言えないけど、楽観的だねー》
《くくく。本当に人の事が言えんな》
《言われると思ったよ》
優実はタナトスとの会話を打ち切り、天知の真意を推し量る。
「――随分と楽観的ですね。主様の存在性はご存知なのでしょう?」
「その事に関してならば、私達は信道君よりも知り得ているよ。その上で言っているから安心してくれ。――というわけで、どうだろうか?」
「謹んでお断りします」
「何故かな? 悪い話ではないと思うが?」
「そうですね。進む道も同じ方向みたいですし、理念的にも少なくとも貴方とあたしは共感し合えるとは思います」
「ならば何故? 死神に断れと言われたからかな?」
「言われましたが、言われなかったとしても、逆に勧誘を受けたら受け入れろと言われていたとしても、あたしはその提案には乗りませんでしたよ」
「君自身が嫌というわけか。それを聞かせてもらえるだろうか?」
「簡単な理由ですよ」
優実は言葉を切り、覚悟を決める。
これから宣言する事は、ある意味宣戦布告だ。
誰にも従わず、誰の味方もせず、自分のやりたい事をやるだけ――。
優実が言おうとしているのは、そういう事だ。
それを口にする事が何を意味するかくらい、分からないわけではない。
言ったが最後、今後、少なくともタナトスの愛玩動物としている間は永遠的に危険視され、監視され続ける事になる。良くてそれ。悪ければ、この場は戦場と化すだろう。自分がそれだけ危険という事は十二分に理解している。天知が仲間思いで無難に出てくれるとありがたいが、仲間思いだからこそ強硬的な手段に転じないとは限らない。そうなった場合に切り抜けられるかには不安が残る。
しかし、譲れない。
不安要素を考えられても、軍門に下るのだけは無い。
我が身可愛さに意思を曲げる気は毛頭無かった。
(そうだよね、信道優実。ここまで貫いたなら、最後まで貫きたいよね)
自問自答を終え、優実は答えを告げる。
「――そうした方が神様はあたしを見てくれるかもしれないからですよ」
次の瞬間、沈黙がその場に訪れた。
だが、優実は慌てない。
こうなる事は分かっている。
自分がとんでもない事を言ったのは理解している。
だから、動じず、相手の反応を待った。
でも、黙っている理由はそれだけではない。
《――くくく》
笑ったのは、タナトスだ。と言っても、その声は優実にしか聞こえないので、表面的には静かなままだ。でも、言った側からタナトスは笑うまいと必死に笑いを堪えていたようだが、とうとう堪えきれなくなったのか、笑い出したのだ。
そういう態度を取る者がいるのだ。シリアスを気取ろうにも気取れない。
《――主様。この状況で笑わないでよ……》
優実は意気消沈しながら非難した。出鼻を挫かれた気がしてならない。
《だって、貴様……くくく、よりにもよって……くくく、回答がそれとは……これを笑うな、という方が……くくく、無理な、話だぞ……》
笑いながら喋るため、上手く言葉が伝わってこない。
あまりにも笑われるので、流石の優実も腹が立ち、不満と吐露する。
《――主様の馬鹿。腹がよじれて死んじゃえ》
《こ、こら……怖い事を……言ってくれるなよ……。くくく……》
《もう。そこまで笑わなくても――》
「――詳細」
その時、天知が話しかけてきた。
「はい?」
優実は、咄嗟の事で失礼な態度を取ってしまい、慌てて取り繕う。
「あ、すみません。で――」
「詳細と言った。その理由で勧誘を蹴るのか、詳しく聞かせて欲しい」
「詳しく、ですか……」
優実はしみじみそう言い、容易されたコーヒーで喉を潤してから続ける。
「――天知さん、唐突な質問ですが、好きな人はいますか?」
「本当に唐突だね……。しかし、答えよう。いるとも。こんな仕事をしているから滅多に会えないが、これでも妻子持ちだったりする」
「奥さんと子供さんに会いたいですよね?」
「余程の事が無い限り、妻子に会いたくない夫はいないだろう。私もその例から外れない。会える事ならば、今すぐにでも会いに行きたいくらいだ」
「それと一緒ですよ」
「一緒……。――それはつまり、君は神様に恋をしていると?」
「どうにもそのようです。自覚したのはつい先刻の事ですが」
――神様に対して病的に好意を抱いているではないか。
タナトスにそう言われた時、優実はその事実が妙にしっくり納まった気がしていた。恋などした事が無いから、それが恋愛感情なのか、単なる憧れから来る思いなのか正しく識別出来ないものの、不思議と納得出来、そう考えればこれまで恋愛感情を抱かなかった事も、歪んでいると自覚出来るほどに神様に会いたいと思い続けられた事にも説明がつき、辻褄が合う。
「ともあれ、誰だって好きな人に会いたいと思うのは好きならば当然の思考だと思います。しかし、あたしの場合、その相手は神様という何処にいるかも分からない人です。もちろん探し続けますが、何処にいるか分からない以上、向こうから会いに来てもらうと考えても不思議ではないはずです。少なくともあたしはそう考え、それを実行出来る力を手に入れてしまいました。これが必然であれ、偶然であれ、ここまで出揃ったら実行しようとして当然でしょう?」
「人によるだろうが、君はしてしまうのだろうね。そこまで病的ならば」
天知はコーヒーを一口飲み、それから言葉を続けた。
「――なるほど。だから勧誘を断るか。若さとは末恐ろしいものだな」
苦笑混じりに言う天知。そこにあるのは感心と呆れだった。
天知はコーヒーを置き、優実を真っ直ぐ見据えてさらに言葉を続ける。
「――しかし、そうなってくると、君をこのまま帰すわけには行かなくなるな」
その瞬間、天知が殺気立ち、空気が一瞬にして張り詰めた。
そして、殺気を纏ったのは天知だけではない。
部屋の外からもそれは感じられた。一対一の対話、という話だったが、気になる者はおり、聞き耳を立てている者はいるだろうとは思っていたが、案の定いたらしい。今の今まで気配を殺していたのは、流石はプロと言ったところだろう。
《何時以来かな。これだけの殺意を受け止めるのは》
その最中、タナトスが余裕綽々に言った。
《皆、行動的だね。ま、あたしも立場があっちだったら同じ反応しているけど》
そんなタナトスに、優実は素気無く返す。
こうなる事は分かっていた。
自分がこれからしようとしているのは、一方的かつ平等にして無慈悲に死を振り撒く事だ。その行為そのものは、タナトスのそれと何一つ変わらない。しかし、優実のそれは標的を定めている。一方的な断罪に一方的な救済、そんな身勝手を堂々と「これからします」と宣言して、「そうか。じゃあ頑張れ」と返してくれる者はここにはいないだろう。立場的にはもちろん、感情的にも。
「悪く思わないでくれ――と言うのは無粋で野暮なのだろうな」
殺気立ったまま、声だけは静かに言う天知。
「なら、あたしは言ってくれてありがとう、と無粋で野暮に返します」
臨戦態勢を整えつつ、優実は平然と言葉を返す。
まだ始まってもいないというのに、終わるわけにはいかない。
やれるかではなく、やるのだ。
そうしなければ、神様に会えなくなってしまうのだから。
「強気だな。無事にここを抜け出せると思っているのかね?」
「強気はお互い様です。殺し合いならこちらに分がありますよ?」
「殺人も厭わないとはな……。君は本当に先ほどまで一般人だったのか?」
「分類的にはそうでしたよ。ま、見る人によってはどうか分かりませんけど」
「価値観は十人十色だが、自虐しなくても良いのではないか?」
「それだけの覚悟がある、と受け取ってください」
「なるほど」
それを最後に天知は沈黙した。
優実も大人しくする。
膠着状態が続く事、数分。
「――やれやれ。投降してくれないとはな。とんでもない子だ」
天知はため息混じりに言った。それに伴い殺意が霧散した。
「貴方ならそう出てくれると思いました」
優実も天知への警戒を解いた。
天知の人格なら、こうなると優実は予測していた。
何故なら、白騎士団はタナトスの行動を黙認していたからだ。
深くは教えてもらっていないものの、タナトスの行動は警察が取り締まるはずの事である。しかし、タナトスの口振りからして警察に取り締まられた事は一度として無いように見える。恐らくその存在性から黙認されていたのだろう。もしくは藪をつついて蛇に噛まれないようにするためか。理由はどうあれ、これまで黙認してきたのだから、これからも黙認出来るはずだ。その事は勧誘しようとした事からも推測する事が出来る。
「大した――」
「――待ってください!」
突然、団長の言葉を鋭い声が遮った。
優実はそちらを向き、「あっ」と声を上げ、天知は呆れてため息をつく。
ドアを荒々しく開いて入ってきたのは、優実に悪態をついたあの少女だ。
少女はズカズカと部屋の中を歩き、天知に直訴する。
「正気ですか、団長!? 彼女が危険なのは誰の目にも明らかです! 死神の行動は存在理由だからと黙認出来ますが、彼女の行動は如何に正しい事ではありますが、その行動原理は私利私欲に満ちています! そんな彼女を黙認するのは、私達の存在理由に背く事になり、市民に対する裏切り行為です!」
「そう怒るな。大体、背いてもいないし、市民を裏切ってもいないぞ?」
「白々しいです! 殺意を消したという事は、つまりそういう事でしょう!?」
「気持ちは分かるから落ち着け。そんな事では化けの皮が剥がれてしまうぞ?」
「は、剥がれませんから平気です!」
一転、少女は顔を真っ赤にして怒りの矛先を変えた。
その豹変に、優実は疑問を抱いた。先ほどまでは見本的な団員のような感じがしたのだが、今の彼女は外見相応の人間味が滲み出ている。
《やはりあの猛りは虚勢だったか。微笑ましい限りだ》
そんな折、タナトスが感慨深げにしみじみと言った。
優実もそれで合点する。あのつれない態度は恐怖している事を気取られないための気丈な振る舞いなのだとすれば、そう受け取れなくもない。あの時、彼女は死神を目の前にしていたのだ。仕事とは言え、死は怖いものだろう。
「――何見ているのよ」
不意に声をかけられ、優実は外に意識を向けた。
向けると、少女の剣呑な眼差しをすぐに感じた。
(なるほど。確かに微笑ましいかも)
しかし、それが虚勢だと分かってしまうと、不思議とそう思ってしまった。
不謹慎だな、と優実は思って自省しつつ、
「――いえ、殺したいくらいに可愛い人だな、と思いまして」
芽生えた悪戯心に従い、ちょっとだけからかってみた。
「か、可愛いって! というか、殺したいって何よ! どんな判断基準よ!」
すると少女は、ますます顔を赤くして怒鳴ってきた。
しかし、褒められた事には満更でもない様子である。
こういう反応を取られると、悪戯心が刺激されるが、グッと我慢する。
「狂人の戯言なので真に受けないでください」
「だ、誰が真に受けたって言うのよ!? 年下なのに生意気言わないで!」
「そう怒らないでください。そんなに可愛いとますます殺したくなります」
「はっ! 狂人な上に変態だなんて、救いようが無いわね!」
「安心してください。あたし自身、来世に期待していますので」
「現世でどうにかしなさいよ!」
「無理ですね。主様から墨付きをもらえるほど歪んでいますから」
「酷いわね! というか、話しかけないでよ! 変質的なのが移るわ!」
「ツンツンですね。やっぱり殺していいですか?」
「文脈がおかしいわよ!?」
「狂人だからって事で一つお願いします」
「何でもそれで片付けようとするな!」
「済みません。便利なもので」
「この……! ――ああもう! 可愛い顔して憎たらしいわね!」
その瞬間、空気が固まった。
優実はもちろん、天知ですら呆然として、少女を見つめている。
一方、少女は自分の失言に気付いていないらしく、二人の顔を交互に見つつ、
「な、何? 私、何かおかしい事言ったの……?」
一転、不安そうに二人に聞いた。
優実は天知を見た。天知も優実を見た。
顔を見合わせた二人は、しばし見つめ合い、
――そっとしておこう。
という結論をアイコンタクトだけで下し、
「――と、そうだ。約束を果たさなければならないな」
天知は強引に話を変え、足元から何かを取り出し、机の上に出した。
「あっ、あたしのバッグ」
机の上に出されたのは、無くすと思っていた通学鞄だ。
「約束だからね。で――手数をかけるが、中身を確認してくれ。君の所有物だから私達では何が紛失しているのかどうか分からなくてね」
「分かりました。ちなみにこれは外してもらえないのでしょうか?」
優実はつけられたままの手錠を見せる。
「済まないが無理だ。どうにかそのままで頼む」
「了解――」
「――無視しないでよ!」
その時、少女が割り込んできて、優実を指差しながら団長を見る。
「団長! 繰り返しますが、彼女は危険です! それなのに何普通に帰そうとしているのですか! ここは力ずくでも牢獄にぶち込むべきです!」
「――娘、喚くのはいい加減にして、少しは自分で団長の真意を考えろ」
それに答えたのは、タナトスだった。
それを見て、少女はぎょっとし、すぐに距離を取った。
一方、天知はそのままであり、そればかりか優実に手を貸している。
ちなみに優実は鞄の中身をチェック中だ。
「いきなり出てきて偉そうに! アンタに団長の何が分かるのよ!」
「理解の程度に差はあるだろうが、貴様以外は誰もが分かっていると思うぞ。さして知らぬ我でも分かるほど些細な理由だからな」
「そ、そんなはずないじゃない! そんなはずあるはずがないわ!」
「憧れるのは結構だが、そんなに盲目的では周りに迷惑と面倒をかけるだけでは飽き足らず、戦士としても不足しているぞ。市民に対する裏切りと啖呵を切るなら、どんな時でも市民を安心させるほどに余裕で笑っていられるくらいにしろ」
「あ、アンタに言われる筋合いないわよ!」
「我とて言いたくはない。我は我の愛玩動物を愛でるのに忙しいからな。しかし、貴様があまりにも無様であり、貴様の上司は意地悪なようなのでな。こうして出てきてしまったわけだ。光栄に思えよ、娘。我に直々に説教されたのだからな」
「誰が思うか! 勝手に出てきて偉そうに高説して何様のつもりよ!」
「死神様のつもりだが?」
「――っ」
「――天知さんは仲間のためにあたし達をこのまま帰す事にしたんだよ」
会話の途切れを見計らい、優実は割り込んだ。殺されるかもしれない恐怖と戦っているだけでも相当だろうに、団長にははぐらかされ、年下に弄ばれ、死神には説教される。それによって被る心労を考えると、申し訳なくなってきたのだ。
「私達のため……?」
「うん。――盗られたのは現金だけみたいです」
話し始める前に、優実は天知にそう報告した。
その間、タナトスは優実の影に戻った。
「見つけ出す事が可能だが、どうするかね?」
「遠慮しておきます。自業自得なので」
短くやり取りを済ませ、優実は少女を見る。
「――本当ならば力ずくで捕まえるべきところでしょう。でも、ここでそれをしようものならば、あたしは当然抵抗しますし、主様も団体行動は嫌いなようなので協力してくれるでしょう。そうなった場合、ここはどうなります?」
「そんなの戦場になるに決まっているじゃない」
「ええ。そして――それが現実となった場合、あたしは無事でいられるかどうか分かりませんが、そちらの事も無事で済ませるつもりはありません。あたしの主様は個人だろうが、複数だろうが平気でしょうし、あたしにもその心得はあります。そうした場合、どちらも被害を負う事になるわけですが、そんな時に何がしかの事件が起きた場合、一体全体どうやって対処するのでしょうか」
「あっ――」
少女は気付いたようだ。
それを受け、天知は一瞬微笑を浮かべた後、すぐさま真顔になって立ち上がり、
「私はこれから信道君を家まで送ってくる。皆、少しの間、留守を任せる」
皆にそう言い、優実に目配せしてから、優実の鞄を持って歩き出した。
優実もその後に続く。
皆の視線は感じたが、呼び止められる事も怒りをぶつけられる事も無かった。
その後、家に到着した優実は、遅めの風呂に入り、簡単に復習と予習を済ませた後、明日の事を考慮して早めに就寝した。




