第四章
「――どうぞ。遠慮しないで入ってください」
優実は来客用のスリッパを出し、中に入るように鈴木に促した。
英子を送り届けた後、二人は何処かの店に入る事にしたが、夜に近づいていた頃合いで制服のまま出歩いているのはまずくないかな、という鈴木の指摘を受け、それなら、と自分の家まで連れてきたのである。それはそれで警戒心が無い気はするけど、と指摘を受けたが、同好の士だから信じたいですし、腕には自信があるので平気です、と言って納得してもらった次第である。
「なら、お言葉に甘えて。――お邪魔します」
鈴木は靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて上がる。その後、すぐさま振り返って靴を丁寧に正した。その動作から礼節は弁えている事が窺い知れる。
優実はそれを見てからリビングに向かい、電気をつけて戻り、
「着替えてくるので、リビングで待っていてもらえますか?」
「そうさせてもらうよ。と、急がなくてもいいからね?」
「お気遣い、ありがとうございます」
優実は一礼し、自分の部屋がある二階に駆け足で上がり、自室に入る。
優実の部屋は、様々な物が雑多している。和室十二畳ほどの部屋の中にはテレビやパソコン、箪笥、机と目立つ家具があるのだが、それ以上に様々な本やノートが目立つ。百科事典や辞書、図鑑もあれば、ハードカバーの小説もあるし、漫画(少年向けのものもあれば、少女向けのものもある)やライトノベル(こちらも漫画と同様)といった年齢相応のものもあれば、使い込まれて付箋が何箇所も挟まっているノートといったものが本棚に収まっていたりするのもあれば、入り切らずに机や床に重ねられて置かれていたりするのもある。しかし、足の踏み場はあり、汚らしさは感じられないので、単に物が多いだけなのだろう。
着替えを進めていた時だった。
「年齢と性別に適していない内装をしているのだな」
タナトスの声が耳から聞こえた。
ぎょっとし、優実は声がした方を振り返り、また驚く。
そこには、自分がいた。ただし、細部は違う。髪は黒く短く、服装は黒の法衣、そして性別――男性になった自分がいたのだ。一卵性双生児の兄か弟がいたなら、こんな風なのかな、なんてどうでもいいことを優実は思う。
現状を把握し、優実は着替えを止めたまま、当然の質問をする。
「……主様、何しているの?」
「決まっている。愛玩動物の生着替えを直に拝もうと思い、現れたのだ」
素直だった。これ以上無いくらいに。
「あ、そう……」
優実は怒ろうと思っていたが、肯定した様があまりにも清々しかったのでその気が一瞬にして失せてしまい、着替えを続行した。
「反応が薄いな。常識的には悲鳴を上げるところではないか?」
「常識的にはそうだろうけど、生憎と非常識な状況だし。――ところで、主様って声は男性のそれだけど、性別ってあるの?」
「性別か。…………恐らく男だな」
「何その妙な間」
「自分の性別など気にした事もなく、気にするような行為もした事が無いからな。排泄行為はする必要が無く、性行為もやはりする必要性が無かったのでな」
「流石超越者。なら、恐らくっていうのはどういう風に判断したの?」
「隠れ蓑とした人間から判断した。最初、隠れ蓑とするならば女性の方が良いと漠然と思い、女性を標的とした事の方が多かった気がするのでな」
「それで男ってわけ? でも、それだと女って線もあるよ?」
「そうか?」
「うん。だって隠れ蓑にするって事は行動のし易さを優先したって事だと思うから、それなら女性って事になるでしょ。動かすなら人種は違うとしても異性より同性を選ぶはずだからね。女性を標的としていたのも同上」
「なるほど。だがまあ、きっと男だろう」
「だろうね。だから、女の子の着替えを見たいと思うんだろうし」
「その通りだ。で――我は男のようだが、見られて平気なのか?」
「うーん……」
少し考えてから優実は答える。
「――別に平気かな。見られて恥ずかしい体型じゃないつもりだし、人間だってペットと一緒にお風呂入ったり、ペットの前で着替えたりするからね。この状況はきっとそれと同じだろうから」
「相変わらず割り切りが凄まじいな。今日の今日でそこまで愛玩動物として扱われる事に順応する奴は早々いないだろうに。貴様の友人も言っていたが、やはり貴様には奴隷気質がありそうだな。前世は誰かしらの従者だな、間違いなく」
「そこはせめて救世主にして欲しいな。ジャンヌ・ダルクとか」
「ジャンヌ・ダルクって……散々利用されて、最終的には魔女として火刑に処されて死ぬ事を望むか。とんだ自殺志願者がいたものだ」
「まさかの真剣返事……。例えば、の話だよ。どうせ呼ばれるなら綺麗な呼ばれ方したいじゃん。奴隷より愛玩動物、従者より救世主ってさ」
「貴様は基本大雑把なくせに、妙なこだわりがあるな?」
「大雑把だからこそ、って言っておくよ」
そんなこんなで着替えが完了する。
「主様、終わったから影の中に戻ってよ」
「そうするとしよう。――――と、そうだ。当初の目的を忘れていた」
影の中に戻るかと思えば、体全部が沈んだところでそれは止まった。
「着替えを見るのが目的じゃなかったの?」
「覗きはついでだ。一応伝えておこうと思う事がある」
「お気遣いどうも。――それで?」
「あの鈴木とかいう研究者は我らと同じだ。もっとも、関係性は違うが」
「……同好の士じゃなくて、同胞だったとはね。――となると、主様が言っていた警察ないし義賊? それともそれ以外?」
「そこまでは分からんが、警戒はしておけ。気取られぬように」
「元よりしているよ。視線を感じた時からずっと、ね」
「何と。一つが奴のものだと気付いていたのか?」
それを受け、優実はため息をつく。
「……主様、気付いていたなら言ってくれてもよくない?」
「敵意が無かったので放置した」
「そんな事だと思ったよ……」
本当に何となくだがそんな気はしていたのだ。単なる直感。深い理由も明確な理由も無いが、鈴木を一目見た瞬間、視線の一つはこの人だと思ったのだ。
それを聞き、タナトスは笑った。
「くくく。流石だな。とにかくそういうわけだから、用心しろよ」
「了解。――それじゃ、探り合いに赴くとしますか」
優実は気合いを入れ、リビングに戻った。
「済みません。お待たせしました」
優実がリビングに入ると、鈴木は携帯から顔を上げた。
優実は座らず、そのままの足取りでキッチンに向かう。
「今、お茶を用意しますね。緑茶、紅茶、コーヒー、どれがいいですか?」
「その三つなら……緑茶かな」
「分かりました。もう少しお待ちください」
「分かった」
鈴木は返事をし、また携帯を弄り始めた。
《主様、あの人、何していると思う?》
優実は二人分の緑茶を用意しながら、タナトスに話を振った。
《暇潰しのネットサーフィンではないか? もしくはブログのチェックとか》
《…………》
優実はげんなりした。聞いといてあれだが、やはり超越者からネットサーフィンやらブログのチェックといった近代的かつ日常的な用語が出てくると、これまで抱いていた幻想的な印象が音を立てて崩れていく感じがしてしまう。
《健気で愛くるしいが、聞いておいてがっかりするではない》
《いやまあ、そうなんだけど……やっぱり、何だかなーって》
《夢を見過ぎだな。凹む姿もまた愛くるしいぞ》
《もう……。――それはそうと、あの人が警察ないし義賊、もしくはそれ以外だったとしたら、もう仲間に連絡されていると思う?》
《どうだろうな。実を言うと、我も敵対者に関してはそこまで詳しく無くてな》
《え? そうなの?》
湯呑みに緑茶を注いでいた優実は、驚きの事実に危うく注ぎ損ねそうになった。寸でのところで手元を修正し、二人分の緑茶を用意し終える。それからお茶請けがあるかと戸棚を覗く。中にはソフト煎餅があった。
《んじゃ、主様、また後で》
《警戒は怠るなよ》
《分かっているって》
タナトスとのやり取りをする傍ら、ソフト煎餅を取り出し、お盆に載せた湯呑み二つと一緒にリビングに運び入れる。それに気付き、鈴木は顔を上げた。
「お待たせしました」
「ご丁寧にどうも」
「いえいえー」
鈴木の前に一つ、自分が座る向かい側にもう一つを置き、優実は腰を下ろす。
「では、いただきます」
鈴木はそう言って、緑茶を一口啜り、満足そうに息を吐いた。
それを受け、優実も一口啜り、ホッと息を吐く。
「あの、鈴木さんはどうしてあたしに会いに来たんでしょうか?」
それから優実は切り出した。
鈴木は湯呑みを置いてから口を開く。
「話をしたかったから、かな」
「話、ですか?」
「うん。一口に趣味と言っても共感を得易いものとそうでないものがある。僕のそれと君のそれは後者だ。でも、共感してくれる人がいないのかと言えば、そうでもない。で、僕は君という共感を得られるかもしれない人を見つけた。そんなわけで、厚かましく、身勝手ではあるけれど、一度色々言葉を交わしてみたくなり、ようやっと暇が出来たから会いに来た、という次第だよ」
「なるほど。要はオフ会ですね」
「ズバリそれだ。というわけで、色々話を聞かせてくれないかな? それとも僕から話そうか? 好きな方を選んでくれていいよ」
「そうですね……」
優実は少し考え、早く済みそうな自分から話す事にした。
「――では、あたしから話そうと思います。そんなに長くなる話ではないので」
「そうなのかい?」
「ええ。何せ、きっかけそのものが些細なものですから」
優実は湯呑みに視線を落とし、自分の夢の始まりを語り始める。
「――鈴木さんは、神様がいるのかどうかを考えた事がありますか?」
「あるよ。現在進行形で考えているよ。君もそうだろう?」
「はい。あたしのきっかけはそれなんです。それを持ち続けているだけです」
「つまり、存在の有無を知りたいだけ――そういう事かい?」
「そうです。それだけが知りたくて色々努力していますし、これからも続けていこうと思っています。あたしが神様探しをしているのは、本当にそれだけです」
「なら、確認した後は?」
「漠然とでもよろしいですか?」
「それはつまり、明確には考えていないと?」
「はい。何分今目標としている事が事なので。ちなみに神様を探し出した後は、次の夢を探す事から始めようと思っています」
「なるほど。では、どういうアプローチをしているのか聞いてもいいかい?」
「色々やりました。怪奇現象の噂が立っている場所で行ける範囲の場所に行ってみました。それから自分も鍛え、学び、様々な技術を我流ではありますが、習得してもみました。自慢するわけではありませんが、結構多彩です。簡単な神秘なら直にでもお見せで来ます」
「……それは本当なのかい?」
鈴木は驚いたように言った。
《愛玩動物よ、それは本当なのか?》
タナトスも同じような反応だった。
優実は会話のリズムを壊さぬよう、鈴木の方に対応する。
「本当です。――では、火を起こして見せましょう」
優実は前置きした後、人差し指を立て、そこに意識を集中させ、火を出すイメージを脳内に思い描き、そのイメージを言葉として外に出す。
「ファイア」
次の瞬間、優実の人差し指には火が灯った。火力は百円ライターの最高火力程度。仕組みはあるが、タネも仕掛けもある手品ではない。正真正銘、魔法ないし超能力と呼べる類の代物である。
「……驚いたね。まさか本当に出来るとは」
《……驚いたぞ、愛玩動物。我らの助力無くして神秘を実現させるとはな》
鈴木とタナトスが呆然と感想を吐露してきた。
「そんなに驚く事ですか? 割と簡単に出来ちゃいましたよ?」
子供の頃の事だ。子供心にファンタジー系の漫画を読み、そこで魔法の使い方が記述されていたので、辞書を片手に内容を理解し、駄目元でやってみたら出来てしまったのである。その時の驚きと感動は今でも鮮明に思い出せる。
「……失礼と無礼を承知で聞くけど、手品ではないのだよね?」
鈴木が恐る恐るといった風情で聞いてきた。
「手品ではありませんよ。ま、こういう機会でも無い限り使いませんけどね」
優実は手首を回し、火を消しながら愚痴をこぼした。
「使わない……? どうしてだい? 使う機会はいくらでもあるよね?」
「機会はあります。でも、使う必要性が無いんですよ」
「と言うと?」
「ある本に書いてあった事をそのまま引用しますが――例えば、火をつける時はライターを使えばいいですし、遠くにいる人と話したければ電話を使えばいいですし、遠くに行きたい時は自転車や車、交通機会を使えばいいですよね。使う機会はあっても、使う必要性が無いというのは、そういう意味です」
「なるほど。そういう理屈なんだね。――ところで、どういう経緯でそういう事が出来るようになったんだい? 是非とも聞かせて欲しい」
「聞かせる前に一つ約束してください」
「いいだろう? 何かな?」
「悪用しない事を約束してください。あたしが迷惑を被るので」
「もっともな話だね」
鈴木はしみじみ頷き、右手を上げ、宣誓する。
「――誓おう。やり方を教わったとしても、絶対に悪用しない事を」
「誓ってくれてありがとうございます」
優実は一礼し、緑茶で喉を湿らせてから話し始める。
「――では、お話しようと思いますが、先に断っておきます。あたし自身、感覚的にコツが掴め、やってみたら出来てしまった――という何とも偶発的な結果なので、誰にでも出来る事では無いかもしれない――という事をご了承ください」
「分かっているよ。古くから魔法や超能力は先天的な物とされている。だからこそ、使える物は憧れ、畏れられ、使えない物は使えるようになりたいとあらゆる事を試し、科学という形でそれを実現させた、という話らしいからね」
「その理論だと、あたしは先天的に使える人間だった、という事になりますね」
「だね。でも、割とそういう人は多いかもしれないよ? 実は、人間にはそういう器官が存在していて、使い方が分からないだけかもしれないからね。ちなみに僕は火事場の馬鹿力がそれだと考えているよ。あれは極限状態に陥った事により、普段は体に無理をさせないようにかかっている制限が解除されているって話だけれど、制限されている要素が幻想的な物でないという証拠は無いからね」
「悪魔の証明を証明しようとしているわけですか」
「ゆくゆくは、ね。――そういうわけで、話を戻してもらえると助かるよ」
「あ、そうですね。済みません。話をそらしてしまって」
優実は一度咳払いし、改めて説明を始める。
「これも本からの受け売りなのですが……曰く、大気中には不可視の力――認知度が高い魔力と仮称します。そういう物が存在し、人にはそれを呼吸と同じように一定量取り込み、一定量そのまま、或いは転用して排出する事が出来るそうです。また、外から取り込まずとも人には精神力という名の魔力があり、そちらを使って魔法として外に出す事も出来るそうです。ただし、どちらの場合に置いてもかなりの頭脳労働を強いられるため、不慣れな内は連続的な使用はあまり出来ないそうです。これは、あたしがあまり使わない理由の一つでもあります」
「ふむ……」
鈴木は納得したように頷き、緑茶を一口啜る。
「――信道さん、この事を僕以外の誰かに話した事はあるかな?」
そして、神妙な面持ちで聞いてきた。
優実はすぐに首を横に振る。
「話すわけないじゃないですか。笑われるのがオチですよ。それに万一、悪心を持った人に聞かれでもしたら、大変な事になるのは明白ですから」
そこまで考えを進められないほど、優実は楽観的でも浅慮でもない。
優実が使えているその神秘は、誰もが「魔法」という単語から連想する奇跡の技術だ。使う必要性は、文明が発展している二十一世紀現在ではほとんど無いが、利用価値が無いというわけではない。
むしろ、利用機関は多種多岐に渡るだろう。
何故なら、魔力とは永久機関だからだ。
しかも、産業廃棄物を出さないクリーンなエネルギー源である。
どういう成り立ちをしているのかは分からずとも、そこに存在しており、利用する方法があったならば、利用しようと考えない人間はきっといないだろう。
そして、それが悪心を持ち、悪用する事しか考えていない者に知れたとなれば、その先に起こり得るだろう問題は明白だ。最悪、起こり得る可能性だって十二分に有り得るし、使える者が少数だったならばそういう者達による横行、或いはそういう者達を迫害する動きも当然起こり得てしまう。
故に、優実は沈黙を守っているのだ。
「……至ったのが君のような人格者だった事を心より全てに感謝するよ」
鈴木はホッと胸を撫で下ろした。
当然だろう。優実も逆の立場ならそうしている。
安堵した後、鈴木は緑茶を一口啜り、不意に笑った。
疑問に思い、優実は尋ねる。
「? 何か可笑しなところがありましたか?」
「ああ、いや、もう少し踏み込んで見れば良かったな、と思ってね」
「踏み込む? 何に対して?」
「君のような発想は僕もかつてした事があるよ。ま、僕に限らず、特に男なら誰だって一度くらいはそういう経験があるだろうけどね」
「魔法の有無を確認した事を、ですか」
「そ。で――僕は踏み込まなかった。いや、踏み込み方を誤った、というべきだね。僕も実践してみた事はあるけれど、君のように真剣に向き合ってはいなくて、ごっこ遊びと呼べる程度だった。これが男である僕と女性である君との差かな」
「男か女かって関係あります?」
「あるよ。僕もまだまだ若いけれど、男って生き物は馬鹿でロマンチストなのがほとんどなのに対し、女性は現実主義者だ。人形遊びやままごとは小学校に入る頃にはやめていて、アイドルやファッション、化粧といった現実的な事柄に興味を持つようになる。感じた事や話題に上がった事は無いかい? 男って何であんなに阿呆なのとか、馬鹿が出来るのかって」
「一般的にはあるでしょうけど、あたしは経験ありませんね。むしろ、あたしの周りではあたしがそういう風に言われてしまっています。まあ、女子よりも男子といる方が多いし、楽しいっていうのもあるかもしれませんけど」
「男子にフランクな女子……絶滅危惧種だね。君のような女子と同じ学校の生徒でいられる男子生徒が羨ましいよ。君と学生生活を送ってみたかったものだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいですが、こっちは結構面倒ですよ? 女子として見られない事もあれば、バレンタインにはチョコを期待されますし……」
「期待されて、あげているのかい?」
「まあ、友チョコを作るついでなので。あ、これ、内緒ですよ?」
「ついでとは言え、律儀な事だね。でも、敢えて言おう。それは自業自得だ」
「ご安心を。自覚していますので」
「なら、結構。――さて、次は僕の番か」
鈴木は緑茶を一口啜り、一息入れた。
優実は内心ワクワクしながら話が始まるのを待つ。
「君と同じように僕も夢の始まりから話そう。それと最初に言っておくね。僕のきっかけは大した事が無い。君といい勝負だよ」
その前置きに優実は思わず笑ってしまった。
「はは。あたし達似た者同士ですね。お互い、大した理由も無いのにとんでもない世界に足を突っ込んで、そのままその道を歩いているわけですから」
鈴木も笑った。
「はは。――うん。全く以ってその通り。で――僕のきっかけだけれど、僕は知的好奇心が旺盛でね。ある時ふと考えたんだ。誰も分からないような事を知れる人間になりたい、とね。故に、僕は超常現象を研究しようと思い、今尚様々な超常現象を究明している。――以上だよ。これが僕のきっかけだ」
「あたしと似ていますが、目的地が違うんですね」
「だね。君は明確で僕は曖昧だ」
「でも、姿勢は同じですね。鈴木さんも知りたいだけなのですよね?」
「そう。ちなみにこれまでも幾つか知れた事はあったけれど、どれも公表する気は無いよ。利用する気満々の奴に汚されたくはないし、ロマンを壊すほど無粋でもなく、君のように似たような人のためにも隠しておく必要があるからね」
「知れた事があるんですか?」
優実は努めて平静を装って聞いた。
対し、鈴木は微笑を浮かべる。
「知りたいかい?」
「出来れば。その知れた事の中に神様に会えるヒントがあるかもしれないので」
「中々の着眼点だね」
でも、と鈴木は故意に一度区切り、こう続ける。
「聞く必要は無いよ。――何故なら、君はもう知り得ている事であり――」
そして、と鈴木は勿体振るようにまた区切り、
「――【彼女】も神の所在を知らないそうだからね」
右斜め上を見ながら、そう続け、湯呑みを持ち、緑茶を一口啜った。
次の瞬間、異常が発生する。
鈴木の隣にはつい先ほどまでは確かに誰もいなかった。
しかし、鈴木がそう言った瞬間、そこにはファンタジー系の学者のような服装を着た白髪金目の妙齢の女性が忽然と現れたのだ。下縁のみの眼鏡が知的さにより拍車をかけている。年頃は二十代後半に見えるが、実年齢は分からない。
鈴木は咳払いして言葉を重ねる。
「紹介するよ。僕を気に入り、契約を交わしてくれた超越者――賢者・マギだ」
それを受け、女性――賢者・マギはにっこりを微笑みを向けてくる。
「はぁい。紹介された通り、賢者のマギよ。マギでいいわ。今後ともよろしくお願いね。――死神に気に入られたお嬢さんと人間を気に入った死神様」
見た目に反し、軽いノリで彼女はそう言った。
《……主様、どうする?》
見た目と肩書きとは裏腹過ぎる軽いノリに目眩を覚えつつ、優実はタナトスに相談した。優実としてはここまで知られているから隠しても意味が無く、また名乗ってもらった以上、名乗り返すのが礼儀だと思っているので、名乗ろうと思っているが、今はタナトスの愛玩動物故、主人に相談するのが筋だと思った。
《マギ――キリスト教のラテン語訳聖書に登場する占星術の学者達の総称と同一だが、その名を持っており、少な過ぎる情報から我らの関係性を看破した以上、まさしく賢者なのだろうな。……正直、彼奴が賢者という肩書きを持っていて、事実そういう人物であるという事をあまり信じたくは無いがな》
《……うん。その気持ち、凄くよく分かる》
優実も全くの同意見だった。
見た目はなるほど確かに賢者なのだろう。
でも、それを認めたくはない。
甚だしく偏見ではあるが、賢者というからにはもっとお堅く、物静かなイメージであり、そうであって欲しかった、と正直思ってしまった。
「ふふふ。自分の思い描いていた幻想が崩れて苦しむ少女――実にそそるわ!」
一方、マギは何やらご満悦の様子だった。
それを見て、鈴木は盛大なため息をつく。
「マギ……初対面の人をそういう風に見るのはやめようよ。見てよ、信道さんの顔を。サンタクロースがお父さんだと知ってしまった子供のようじゃないか」
「人はそうやって強くなっていくものよ」
「いやいや、いきなり真面目になっても誰も聞く耳持たないと思うよ?」
「それでいいのよ。入ってきた情報をどう取捨選択するかは当人次第だもの。――それはそれとして、何時まで呆けているつもりなのかしら? こちらは名乗り出て、現れもしたのだから、そちらも姿を見せてくれると嬉しいのだけれど?」
真面目な態度のまま、マギは目を鋭くして言った。
有無を言わさぬ目に優実は我に返り、タナトスに言う。
《――だってさ。出てあげれば?》
《果てしなく嫌なのだが、どうすればいい?》
タナトスは本当に嫌そうだった。
その気持ちが伝播して優実も話を打ち切りたくなってくる。
「早くしなさいよー。さもないと――ここを警察に通報しちゃうわよ?」
そうこうしていると、マギが相変わらずのノリでとんでもない事を言ってきた。
《――こいつ、面倒だから殺してもいいよな?》
何かが切れたのか、タナトスまで物騒な事を言い始めてしまった。
優実は深々とため息をつき、タナトスにお願いをする。
《主様、出てきてくれない? 事を荒立てたくないし、鈴木さんとも今後交友を深めていきたいからさ。嫌なのは分かるけど、どうかお願いします》
《――仕方あるまい。ここは我慢するとするか……》
はあ、と重々しいため息をつき、タナトスも実体化した。ちなみに優実が始めて出会った時の如何にも死神という姿ではなく、先ほど優実の自室にて姿を現した時の姿だった。人前だから気を使ったのかもしれない。
一方、現れたタナトスを見て、鈴木は「おお」と感嘆の声を上げ、
「死神美少年、可愛過ぎるわあああああああああっ!」
マギは歓喜の声をあげ、タナトスに飛んで抱きついた。
咄嗟の事だったからか、タナトスは反応出来ずに抱きつか、撫で回される。
「何だ貴様は! 鬱陶しい! 離れろ!」
本気で嫌そうにタナトスは言うが、マギは離れようとせず、
「体は少年、でも声は渋くて素敵! 何というギャップ! 萌え死にそう!」
より一層暴走してタナトスを撫で回す。
「……悪いね、僕の相棒があんな感じで。知的好奇心の塊みたいな人でね」
保護者のよう鈴木が謝ってくる。
「変わった性癖の方なんですね……」
優実は撫で回されるタナトスを横目に、緑茶を一口啜る。
それで優実は自分の分を飲み終え、立ち上がりつつ、鈴木に聞く。
「鈴木さん、おかわり要ります?」
「いただきます」
鈴木は湯呑みを差し出しながら言った。
優実はそれを受け取り、キッチンに向かう。
「こ、こら! 我を放置するな! 何とかしろ、愛玩動物!」
そこにタナトスの助けを呼ぶ声がかかる。
それにより、鈴木はぎょっとし、マギは動きを止めた。その隙にタナトスはマギから距離を取り、乱れた髪と衣服と整える。
優実は大丈夫そうなのでキッチンに足を向ける。
「愛玩――」
「――動物って……ちょっと! どういう事なのよ、死神様! 詳細詳しく!」
止まったかと思えば、今度は別の理由でマギは再びタナトスに迫った。
二度も同じ手は食わないのか、タナトスは鎌を抜き、マギに向ける。
「――寄るな、賢者。それ以上近寄ったら、その命、貰い受けるぞ?」
「そう怖い顔しないでよ。ちょっと過剰なスキンシップじゃない」
「……あれで「ちょっと」とは恐れ入る。とにかく近づくな。鬱陶しい」
「教えてくれるなら近づかないわ」
「よく回る頭と口だな……」
タナトスは大鎌を消し、説明を始める。
「――詳細と言っても深く語る事は特に無いぞ? 信道優実は夢と未来を諦めないために、我を楽しませ、さらには奴隷宣言までした、と言うだけの話だ」
「その関係性は、そういう展開になったからなのね。――ちょっと残念ね。てっきり、死神様に主従プレイの趣味があるのかとばっかり思っていたから」
マギは面白おかしそうに笑いながら感想を言った。
「あるのかもしれんな。実際問題、優実は実に愛くるしいからな」
「あら。私の相棒だって愛くるしさでは負けないわよ?」
「……マギ、張り合ってどうするのさ。それは無意味だよ?」
「鈴木さんに同意。そこから続くだろう談義はきっと平行線です」
優実はリビングに戻りつつ、鈴木に共感してみせた。
「淡白ね。――ひょっとしてご主人様と仲良くされるのが嫌なのかしら?」
マギが悪戯っぽい笑みを湛えながら言ってくる。
「お好きなように捉えてください」
優実はざっくり答え、鈴木に新しく緑茶を注いだ湯呑みを渡した。鈴木は「どうも」と礼を述べ、少し覚ましてから一口啜る。それを見届けつつ、優実は先ほどまで座っていた鈴木の向かい側に腰を下ろす。
ちなみにマギの推測は半々だ。仲良くしてくれる事は良い事だと思っているものの、培ってきた切り替えの早さから、もう愛玩動物としての精神が芽生えているのか、タナトスとマギが仲良くしているのを見て、嫉妬もしている。
「――ふふふ。分かったわ。勝手に想像させてもらう事にするわ」
尚も悪戯っぽい笑みを湛えて言うマギ。
超越者としての余裕か、ちょっと負けた気がして、優実は複雑な気持ちになる。
「――賢者よ、あまり我の愛玩動物をからかってくれるな」
その時、タナトスが優実の心中を察するような絶妙なタイミングでそう言った。
その手には、先ほど消したはずの大鎌が握られ、その刃先はマギの首に触れるかどうかという紙一重の位置で寸止めされている。
しかし、マギは動じず、優実とタナトスを交互に見比べ、
「相性良さそうね。末永くお幸せに」
などと唐突に祝言を口にした。
それを聞き、タナトスはため息をつき、
「――調子を狂わせるのも上手いな」
ぼやきながら、大鎌を消し、優実の隣に腰を下ろした。
「褒めてくれてありがとう」
微笑を湛えつつ、マギは鈴木の隣に腰を下ろした。
それで会話は途切れ、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返る。
《主様、情報収集してもいい?》
そんな中、優実はタナトスに確認した。
目の前には色々と詳しそうな賢者がいる。神様の事は分からずとも他の事――これから対応しなければならない警察や義賊、それ以外の存在について何かしら知っているはずである。聞かない手は無い。
《奇遇だな。我も聞こうと思っていたところだ》
タナトスはそう言い、マギに視線を向ける。
「賢者よ、貴様に聞きたい事がある。そして、出来れば答えて欲しい」
「何かしら? 聞いてから判断するわ」
「先ほど「通報する」と言っていたが、それはつまり、貴様らは警察ないし義賊と繋がっている、或いは通報の仕方を知っている、という事でいいのだろう?」
「だったら何? まさか自首するの?」
「誰がするか。というか、我の存在性を知っているなら察せるだろう?」
「それは一匹狼だから知っている情報を寄越せ、という事でいいのよね?」
「如何にも。恥ずかしい話だが、知ろうとも思わなかったせいで、我が愛玩動物に我ら側の警察や義賊、それ以外の存在の事を説明する事が出来なくてな。というわけで、我の代わりに我が愛玩動物に色々教えてやってはくれぬか?」
「なるほどね。――いいわ。そういう事ならお姉さんに任せなさい!」
マギは意気揚々と立ち上がるや、指を弾いた。
途端、鈴木の後ろに何処からともなくホワイトボードが現れる。
「うわー、便利」
「素晴らしい配慮だな」
「褒めてくれてありがとう。――それじゃ、色々教授するから、耳の穴をしっかりと掃除してしかとその頭脳に刻み込むように!」
言うや、マギはマジックを取り、ホワイトボードに色々書き込んでいく。
まずは【白騎士団】、次に【黒騎士団】、そして【それ以外】と書き、マジックから教鞭に持ち替え、白騎士団のところを示す。
「まずは【白騎士団】からね。これは要するに私達専門の警察よ。主目的は超越者が引き起こす事件の解決。警察との違いは同じく縦社会ではあるけれど、それは形だけって感じで仲間意識の方がずっと強いから上下関係は無い事ね」
「先生、質問」
優実は挙手して言った。
マギは優実を見て、先を促す。
「何かしら?」
「白騎士団って名称の由来ってあるんですか?」
「あるわよ。始まりが中世の騎士団の一部署だったからよ。で――目には目を、という感じなのだけれど、私達の世界では名称というのはとても強い力を持っていて、「白」という色には聖なる力が宿っていて、そういう理由から騎士団の上に「白」という属性を付加したのよ。相手が相手だけに、ね」
「なるほど。それが今も使われているわけですか」
「そういう事よ。――ところで、死神様は本当に知らないの? 死神様の性質上、確実に最低でも一回は喧嘩を売られた事があると思うのだけれど?」
「ふむ……」
タナトスは少し考え、首を左右に振る。
「――した事はあるかもしれんが、記憶に無いな。数が多過ぎるというのもあるが、どいつもこいつも弱過ぎて記憶に残っていない。せめて我が愛玩動物と同等に衝撃的であれば覚えてもいられたのだが」
タナトスがぼんやりとそう言うと、マギは笑い出した。
「ふふふ。優実ちゃん程度とは、死神様はきつい要求するわねー。でも、仕方ないわね。優実ちゃん程度の騎士は白であれ、黒であれ、それ以外であれ、貴方を相手にしないもの。強者は換えが利かないから」
「なら、何で死神は喧嘩を売られ続けたんだい?」
鈴木が挙手して尋ねた。
「組織的であるならば、近づくなとか、喧嘩を売るなというように注意出来るはずだよね。でも、死神は喧嘩を売られ続けた。当然、理由があるんだよね?」
「あるわ」
マギはそう言い、人差し指を立て、
「――ズバリ、レベル上げよ」
真顔で、真剣に、はっきりとそう言った。
一同は閉口した。無理も無い。人である優実や鈴木からすれば、何か壮大な理由があるものだとばかり思っていたし、星の数にも匹敵しそうなほどに喧嘩を買ってきたタナトスからすれば、長年の疑問が氷解するのだから。しかし、それを知る賢者から出てきたのは、超個人的事情である。言葉を失うのは必然だろう。
マギは二回手を叩き、静まり返った空気を壊した。
「――はいはい。呆然としようが、落胆しようが、これが真相よ。白にしろ、黒にしろ、そしてそれ以外にしろ、実践ではないと経験出来ない事があるわ。それを経験させてくれる良き先生なのよ。何せ、殺すつもりでやってくれるから否応無く身につくし、挑む方は全開を出した上で限界を超えないと生き延びる事は出来ないから、実力は必然的に向上する。まああれね、その存在性から当然と言えば当然なのだけれど、取り締まれないからその分、一方的に喧嘩を売る事で相殺しているって構図よ。というわけで、知ってもその姿勢は守ってね?」
「先生、質問」
優実が挙手して言った。
「何かしら?」
「それって、姿勢も何も主様がこれまでそうしていた事をし続けるだけでいいって事ですよね? 聞いた感じ、変わらず喧嘩は売られるみたいですし」
「答えるまでも無いし、聞くまでも無いって感じだけれど、何かあるの?」
「あ、いえ、これから先、あたしが負けるまではあたしが死神様の役割を代行する事になっているので気になったので」
「なるほど。――ええ。その姿勢でいいわ。存分に代行しちゃって」
マギはそう言い、教鞭で【黒騎士団】を指し示す。
「次は【黒騎士団】。義賊行為をしている奴らの総称よ。白との違いは、徒党を組んでいる奴らもいれば、一匹狼に行動している奴もいて、厳密に言うと騎士団とは呼べないのだけれど、その在り方は真逆だから区別しているのよ」
マギは教鞭をずらし、【それ以外】を指し示す。
「で――最後は【それ以外】。白にも黒にも属さない奴らは全員ここよ。死神様と優実ちゃんもここだし、私と春夏秋冬もここだし、優実ちゃんの友達を襲っていた通り悪魔もここ。善もあれば、悪もあり、何より数が多い。その事から私は【混沌】と呼んではいるけれど、中々浸透してくれなくてねー」
マギは教鞭を畳みつつ、愚痴で締めた。
「――あっ、【混沌】に関して知りたいとは思うけれど、私が把握しているだけでも千はくだらないから、悪いけど端折らせてもらうわ」
マギはそう付け加え、指を弾いた。その簡単な動作で忽然と現れたホワイトボードは、忽然と姿を消した。
「――それじゃ、僕達はこの辺でお暇するよ」
それを受け、鈴木は立ち上がり、玄関の方に向けて歩き出した。
優実もその後を追う。有意義な時間だったが、嗜好の共有は出来たし、情報収集も出来た。今までどんな事を調べているのか気になりはしたものの、向こうには向こうの都合がある。向こうが帰るならば引き止めるのは野暮だ。
「――と、そうだ」
玄関に到着したところで、鈴木は何かに気付き、携帯を取り出し、
「信道さん、君の携帯の番号とアドレスを教えてくれないかい?」
と、思い出したように言った。
「あ、はい。じゃ、赤外線で」
優実はすぐに了承し、赤外線でデータのやり取りをした。
「データ、確かに受け取ったよ。じゃ、またいずれ」
「はい。またいつか」
そのやり取りを最後に、鈴木は信道宅を後にした。
知り合った時と同様、あっさりとした別れだった。