第一章
(――さて、世界情勢は、と……)
日課としている早朝訓練を終え、シャワーを浴びてさっぱりした信道優実は、近場に置いてあるテレビのリモコンを手に取り、テレビの電源をつけた。ついたテレビは、7チャンネルを映している。深夜アニメを見てから消したからだ。7チャンネルを少し見た後、1チャンネルに合わせた。
【――次は通り魔事件のニュースです】
(通り魔……)
その部分だけを内心で繰り返し、優実はニュースの視聴に集中する。
【本日未明、栃木県下野市にあるスーパーマーケットの駐車場にて通り魔に襲われたと思しき被害者が発見されました】
通り魔事件のニュースはそれで終わり、交通事故のニュースへと移る。
そのニュースを見つつ、優実は先の通り魔事件の事を考える。
(この報道の仕方じゃ、気付く人は気付くと思うけど……)
その実、ここ近年になって似たような事件が不定期に報道されている。が、しっかりと一連の事件として報道されていたのは、最初の五、六件であり、それ以降は先の報道のようにぼかされて報道されようになっているのだ。終ぞ犯人が見つけられずに迷宮入りの判断が下されたのか、市民の不安を煽らないために報道は最低限にして極秘裏に捜査が進められているのか。どちらにせよ、関連付けされなくなってからそれほど時間は経過していないため、勘の良い人ならば気付いてしまいかねず、愉快的な者なら拡散しかねない。
(ネットの様子は、と……)
その事を不安に思いつつ、優実はスマートフォンでインターネットに接続し、検索項目に【最近 連続 通り魔 事件】と入力し、検索をかける。一秒ほどして検索結果がズラリと表示された。
(ふむ……)
優実は一ページ目を上から下まで確認した後、電子掲示板と思しきタイトルをクリックし、そのページへと飛ぶ。そのページをざっと眺めていると、
【お前ら、今朝のニュース見たか?】
気になる書き込みを見つけ、そこからじっくりと読み始める。
【見た。あの事件ってあの事件の続報だよな?】
【やっぱりそうなの?】
【そうだろJK。ところでお前ら、拡散するなよ?】
【そんな事するのはマジキチだけだから安心しろ】
【しねぇよ。不安煽って楽しむほど下衆じゃねぇし】
【しかし、結構気付いてる奴いるのな。記憶力いいな、お前ら】
【ここまで分かり易いと疑いを持つが、まあ気付くだろ。分かり易いし】
【だよな。警察大丈夫か?】
【無能ってわけじゃねぇから平気じゃね? 打つ手無しって感じではあるが】
【無能と思ってる奴はいそうだよな。少し考えれば分かるだろうに】
【ここでも一時的に叩いてる奴いたな。今は形を潜めたが】
【俺はむしろ公開捜査に踏み切らなかった事を褒めたい】
【俺は公開捜査しろよって思ってたが、今はしなくて良かったと思ってる】
【するに出来なかったんじゃね? 人間業じゃないって言われてるくらいだし】
【だよな。昔報道された事件の現場、一つ一つが離れ過ぎてるし】
【北は北海道、南は沖縄だっけ?】
【確かそうだったはず。後、東京と大阪でも起こっていたはずだが】
【範囲広すぎて、状況一緒でも最初は同一犯と思われなかったくらいだからな】
【でもこれ、実際どうなんだろうな。マジで人間じゃないとか?】
【その方がありがたいわ。人間業とは思えないし】
【だな。人間業だったらそっちの方が怖いわ】
【オカルトに詳しい奴いない?】
【前にあった気がしなくもないが、時期的にもう倉庫行っちまったはず】
【マジか。残念】
【でも、不謹慎承知で言うが、ちょっとwktkしないか?】
【禿同。ま、出会ったら速攻で逃げるが】
【美少女だったら襲われてもいい】
【むしろ襲われたい】
(……全く。真面目なのか、のん気なのか……)
話題がそれてきたため、優実は閲覧をやめ、朝食の準備に取り掛かる。両親が仕事で基本的に家を留守にしているので、自分で用意する必要があるのだ。
パン派である優実は、トーストにハムエッグ(たまにソーセージ付き目玉焼き)、サラダ、インスタントのコーンスープを手馴れた手付きで手早く準備を済ませ、順々にリビングに運び、「いただきます」をして食べ始める。味はいつ通り、可も無く不可も無く。自分なりによく味わって食べ終え、残り少ない冷めたコーンスープをスプーンでかき混ぜてから一気に飲み干す。
「ふぅ……」
満足そうに息をつき、「ごちそうさま」をして汚れた食器を重ねてキッチンに持っていき、手早く洗い、食後のコーヒーを淹れる。ちなみにインスタントだ。
用意を終えてリビングに戻り、付けっぱなしのテレビから流れてくるニュースを見つつ、ゆっくりじっくり味わう。
「ほっ……」
コーヒーを飲み終え、少しほっこりとした気分になる。その余韻を味わいつつ、汚れたカップをキッチンに運び、手早く洗って水切り台に置く。
水に濡れた手をタオルで拭き、捲くっていた袖を戻し、一息つく。
「――さて、行くとしますか」
優実は、朝の一連の行動を済ませ、学校に向かうことにした。
優実が住む町は、都会未満田舎以上の特筆するべきところは無い極々平凡な町である。しかし、それでも住めば都。優実はこの町が好きである。
(地元で通り魔事件が発生したっていうのに、世は事も無し、か……)
晴天の下、優実は音楽プレイヤーから流れてくる音楽のリズムに乗りつつ、学校に自転車を走らせる。春の麗らかな空気は、朝特有の寒気があっても心地良い。
快調順調に登校していたその時だった。
(ん? あれは……)
前方に自転車を手押ししている二人の少女を見つけた。身に着けているセーラー服は地元の中学校の制服だ。少し前まで着ていた事に懐かしさを覚えつつ、前方を歩く二人を見て、手押しにしている事に不可解さを覚える。手押しにしているという事は、自転車が故障したのだろう。そういう事でも無い限り、自転車を手押しする必要性は無いはずだ。ゆっくりと行くなら、ゆっくりとペダルを漕げばいいだけの話である。しかし、回るタイヤの様子からして二人の自転車はパンクしているようには見えない。
(となれば、原因はチェーンかな?)
そんな憶測をしつつ、一度停車して音楽プレイヤーを停止し、再び発進させ、
「そこの中学生、ちょっといい?」
前を歩く二人に話しかける。
話しかけられた二人は、声に気付いて振り返り、「あっ」と声を上げる。
「灰色の髪に下野高校の制服……」
「……ひょっとして、お助け屋さん、ですか……?」
優実は、困った人を見ると放っておけない性質であり、色々な人を助けている内に何時の間にかそういう風に呼ばれるようになっていた。
優実としては、知らない人に知られているというのが少し不気味で気分が悪いのだが、おかげで名乗る必要が無いので良しとしている。
「ご明察。で――どうにも困っているみたいだけど、差し支えなければどうして困っているのか教えてくれないかな? 何か力になれるかもしれないし」
優実は肯定し、すぐさま本題に移る。雑談に花を咲かせる仲ではない。
二人は一度顔を見合わせた後、利発そうな方の女子が口を開いた。
「実は、久美の自転車のチェーンが外れちゃったんですよ」
「やっぱりチェーンだったか」
「やっぱりというと?」
大人しそうな方、久美と呼ばれた女子が首を傾げて聞いてきた。
優実は久美に視線を向けつつ、
「登校途中に自転車を手押ししている女子中学生二人組みを発見。初めはゆっくり学校に向かっているのかと思ったけど、それならゆっくりと漕げばいいだけの話。この時点で自転車に不具合に起きた事は分かったけど、タイヤを見てみたらどっちのタイヤもパンクしてはいなかった。というわけで、手押ししている理由はチェーンが外れたのかなって憶測していたんだよ」
持論を披露する。
すると、二人は拍手し、賞賛の声を上げる。
「おお。何か探偵っぽい」
「凄いですね。視力の良さも含めて。いくつあるんです?」
「両目とも2,0。それより二人ともついてきて」
答えて提案し、優実は改装中のスーパーの駐車場に向かった。まだ早い時間帯とは言え、街道を塞いで修理に取り掛かるわけにはいかない。
二人は一瞬きょとんとするも、すぐさま意図を察し、優実について行く。
優実が足を止めたのは、街道から二、三メートル離れた場所だ。優実は自転車から降り、スタンドを下げて停車させ、籠の中に入れっぱなしにしている工具入れを取り出し、ついてきた二人に歩み寄る。
「じゃ、直すけど問題無いよね?」
「た、助かります」
了承をもらい、停車されている久美の自転車に近づき、修理に取り掛かる。まず軍手を装備し、カバーを見る。カバーを止めている螺子はプラスだったので、工具入れの中からプラスドライバーを取り、一つ一つ外していく。
「手馴れてますねー。伊達にお助け屋なんて言われてないですね」
「お節介なだけだよ。後、困っている人を放っておけないだけ」
優実が朗らかにそう言うと、利発そうな女子は上機嫌に口笛を吹いた。
「ひゅー。――なるほど。道理で男子に好かれ、女子は憧れるわけだ」
そして何かに合点したような事を付け足す。
そんな友人を見て、久美は慌てた様子で叱った。
「れ、麗華さん、先輩の作業の邪魔をしては駄目ですよ……」
「と、これは失礼。うるさくして済みませんです」
「平気。むしろ何か喋っていてくれた方がやり易いし」
答えつつ、優実はチェーンのはめ込み作業に取り掛かった。単に外れていただけのようであるため、ギアにチェーンをはめ込むだけで修理は終わる。後部のギアにはめ込み、それが終わると前部のギアの下部に少しだけはめ込み、ペダルをゆっくり回しながらはめ込んでいく。
「そうなのですか?」
「あたしはね。他の人はどうか知らないけど。ま、そういうわけだから終わるまで適当に駄弁っていてくれても問題は無いよ」
「じゃあ先輩、質問いいですか?」
「いいよ。何?」
「何でドライバーとか持ち歩いてんですか? こういう事がよくあるとか?」
「そ。そういう時に無いと不便だから携帯するようにしているんだ」
答えつつ、優実はカバーの取り付け作業に取り掛かった。外していたカバーをしっかりとはめ込み、固定するための螺子を絶妙な力加減で締めていく。螺子穴はあまりきつく締めると螺子穴が大きくなって使い物にならなくなり、だからと言って弱く締めては固定する意味が無い。
優実はカバーの取り付けを終えると、立ち上がりつつ、久美に言う。
「ちょっと試運転してみてくれる? 直っているか確認したいから」
「あ、はい」
指示を受け、久美はスタンドを上げて乗り込み、試運転を始めた。近場の開いているスペースを少し走り、久美は戻ってくる。
「どうでしょうか?」
「うん、大丈夫みたいだね。良かった、良かった」
優実は満足そうに頷く。
久美は自転車から降り、自転車を停車させると、優実に頭を下げてくる。
「自転車、直してくれてありがとうございました」
「あたしからもお礼を。久美の自転車を直してくれてありがとうございます」
続いて、麗華と呼ばれた女子も軽く頭を下げ、礼を述べた。
「どういたしまして」
簡潔に言葉を返し、優実は軍手を外しつつ、自分の自転車に向かう。
「じゃあ先輩、あたし達はこれで」
「本当にありがとうございました」
背後から二人がそう言ってきた。
優実は振り返らず、手を振りながら答える。
「ほいほい。道中、気をつけてね」
優実がそう言い、一拍置いてから自転車の走り出す音が背後でした。
優実は遠ざかる自転車を見つつ、登校を再開した。
優実が通う市立高等学校は、優実が住む町相応に極々平凡な共学の公立校だ。
しかし、こちらに特筆するべきところはある。それは、校則が世間一般からして緩いという事だ。携帯電話の持ち込みを始め、頭髪の染髪、制服の着崩し及び改造、果ては学業にまるで必要無い雑誌や携帯ゲーム機の持ち込みまで黙認されている。その分、態度だけは年齢相応のものを求められこそするが、この緩さが功を奏しているのか、校則の緩さに対して出席率、授業態度、成績といった一般的な水準より上になっている。
「おはよう」
「うわ、話には聞いていたけど、ホントに早いのね……」
優実が挨拶しながら教室に入ると、普段は返って来ない返事が上がった。
「――え?」
優実が驚いて声の主を見ると、そこには一見凛々しいが、何処か粗雑な雰囲気を漂わせている女子生徒がいた。着崩している制服が尚、何処か粗雑な雰囲気に拍車をかけている。それによって整った顔立ちの魅力が少し陰っている。
その級友を前に、優実は深刻な顔で呟く。
「……どうしよう。あたし、傘持ってきて無いのに……」
「平気よ。予報では当分雨の心配は無いって話だから」
対し、級友は携帯ゲーム機に目を向けたまま言った。そして、そのまま続ける。
「でも、言われても仕方ないとは思っていたけれど、いざそういう反応されると割と傷つくものねー。これからは生活態度改めようかしら……」
「いや、冗談だってば。真に受けないでよ」
「こっちは割と本気よ。それはそれとして――おはよう、優実」
一転、級友は悪戯っぽく微笑みつつ、挨拶してきた。
「ん。おはよう、英子」
優実は自分の席に向かいつつ、級友――斉藤英子に挨拶を返した。
優実は自分の席に鞄を置き、英子の方を向いて話題を変える。
「それにしても、万年遅刻魔の英子がこんな時間に学校に来ているとはね。本当に天候が崩れそうで怖くなるよ。一体全体どういう風の吹き回し?」
「単に早く起こされて、早く登校させられただけよ。深い意味は無いわ」
英子は尚も携帯ゲーム機から目を離さずに答えた。
「何でまた? 英子の家ってそんなに厳しかったっけ?」
優実の記憶では、英子の家は割と自由主義だった。成績はもちろん、生活態度に関してもとやかく言われず、小学生時代にはそれが羨ましいと当時の級友達から言われていたくらいだ。それで疑問に思うなというのが無理な話だ。
「何でも、学校の方がまだ安心出来るから、らしいわ」
「安心?」
「通り魔よ、通り魔。今朝も報道されてそれで不安になったらしいわ。で、叩き起されて、朝っぱらから登校したってわけよ」
「ああ、なるほど。それでか」
優実はようやく合点する。
安心度では家よりも学校の方が高いだろう。かなり早く登校しても教師は誰かしらいるだろうし、仮に侵入されたとしても敷地が広い分、狙われるまでに時間もかかり、その間に逃げられる可能性も高い。
「でも――ふぁ……」
英子は何かを言いかけるも、途中で欠伸してしまい、最後まで紡げなかった。英子は朝に非常に弱く、遅刻魔と呼ばれているのもそれが関係している。そこに今回は登校を強制されたのだ。眠くて仕方ないのだろう。
英子は欠伸を噛み殺し、目尻に溜まった涙を拭いてから続ける。
「……心配してくれんのは嬉しいし、危機感が足りないの承知で言うけれど、何処にいるかも分からない犯人に脅えても仕方ない気はするのよねー」
英子は一息つき、携帯ゲーム機を机の上に置いた。一段落ついたのだろう。
お疲れ、と優実は一段落ち着いた事を労い、会話を戻す。
「仕方ないよ。親にとって子供って何時までも心配の種だろうし。ま、脅えても仕方ないっていうのには同意だけどね。万一って事はもちろんあるけど、万一は万に一度しか起きないほど起こり難いって事なわけだし。もっとも、起こってからだと何もかも遅いって考えもあるけどさ」
「そんな事言ったら引き篭もるのが安定行動になっちゃうわよ?」
「だね。でも、そういうわけに行かないし」
「言ってみただけよ。――でも、何で急にあんな事言い出したのやら」
英子は再び携帯ゲーム機を持ち直しつつ、不思議そうにぼやいた。
「あんな事?」
「不安に思ったって事よ」
英子はそこでまた欠伸をした。噛み殺し、涙を拭いてから続ける。
「――不謹慎なの承知で言うけれど、通り魔事件ってこれまでに結構な数が報道されていると思うのよ。でも、今まで今日みたいな事は無かったのよ。それは優実が一番良く知っている事だと思うけどさ」
問われた優実は、ざっと記憶の中を探ったものの、これまでの付き合いの中で英子が今日のように登校してきた日は一度としてなかった。だからこそ、今日教室で英子の姿を認めた時には、自分の目を疑い、あまつさえ本人を前にして天変地異の前触れなのか、という半分本音がうっかり出てしまった。
思い出すのをやめ、優実は会話に戻る。
「――だね。だから驚いたわけだし」
「でしょ? というわけで、何か心当たり無い?」
英子は携帯ゲーム機を待機モードにしつつ、真面目な感じで聞いてきた。
優実は首を傾げる。
「何かって何?」
「私が叩き起されるだけの何かよ。具体的には優実も知っての通り、あの自由主義な母さんが私を叩き起すなんて行動に出た不安。優実、ニュースとかゴシップとかに詳しいでしょ? だから何か知っているかなって」
「なるほど。でもさ、知ってどうするの?」
「安眠を妨げられないために対策を練るのよ。そのためには母さんを安心させてあげないといけない。というわけで、知っている事があるなら教えなさい」
素気無く、少し高圧的に言う英子。眠っていない事も要因の一つだが、それ以上に母親が不安がっている現状を見過ごせないのだろう。自由主義な斉藤家の親子が仲睦まじい事を優実は知っている。
「素直じゃないね」
優実はニヤニヤとした笑みを浮かべながら言った。
「分かっていて茶化すな。恥ずかしくなるから」
英子は照れ隠しに少し怒りながら言った。
「ごめん、ごめん。で――心当たり、ね……」
英子のために、優実は顎に手を添え、沈黙思考を始める。
「優実、それ、長くなりそう?」
「分からないけど、暇ならゲームしていていいよ」
「そう? じゃ、お言葉に甘えて」
了承をもらい、英子は携帯ゲーム機の待機モードを解除した。と同時に、リズミカルなボタンを押す音が静かな教室に妙に大きく響き渡り始める。
優実は改めて考え始めた。
今日報道された通り魔事件の報道、というのであれば、恐らく優実が見たそれと同じ内容だろう。そうだと仮定するならば、英子の母親はかつて連続的に起こった通り魔事件の事を覚えているか、今朝の報道を見て思い出したのだろう。そうでなければ、英子が叩き起された事に説明がつかない。比較的治安が良い日本において、そのレベルで心配するという事は滅多に無く、英子が言ったように割かし起きている通り魔事件だったならば、英子の母親も朝が弱い我が子を叩き起して学校に行かせるという行動に出ないはずである。
(――さて、どうするべきか……)
不安の種は分かった。
しかし、分かった事によって話せない事情が発生する。
それは、噂してしまう事だ。
いわゆる、噂をすれば影、というやつだ。
過剰な心配ではあるものの、それが今回の事にあてはまらないという保証は何処にも無く、もしも教えた事によって英子が通り魔と遭遇したという事になってしまったら、心当たりを教えた事を優実は悔やんでも悔やみ切れない。
確かに万一であり、故に起こらない確率の方がずっと高い。
それでも、起こってからでは何もかも遅いのは事実。
事実、現段階でも危険領域だ。見方によっては、現段階でも「噂している」という事になってしまう可能性だってある。直接的に触れてこそいないから安全だとは思うものの、偶然がどう受け取るかなど人間である優実には分からない。
だけれども。
(……歪んでいるなー、あたし。こんな時でも会いたいと思っているし……)
優実は自分の異常さを再認識し、内心のみでため息をつく。
噂をしないという事は、自分が出会える可能性を潰すという事になる。
神様探しなどという事を趣味としている都合上、優実としてはかの通り魔のような不可解な事象を見逃したくはない。他を巻き込むつもりは毛頭無いが、ただでさえ出会える可能性を無視出来るほど、優実は出来た人間ではない。
「――優実、まさかとは思うけれど、馬鹿な事考えてないでしょうね?」
不意に英子が口を開いた。
優実は内心ドギマギしつつ、平静を装って言う。
「馬鹿な事って?」
「昔みたいなやんちゃな事よ。幽霊屋敷と呼ばれていた使われなくなった洋館に忍び込んだり、出るって噂の廃工場に忍び込んだり。まさか――」
「考えてないよ」
優実は淡々とした風情で、英子の言葉を遮った。
それ以上言わせるわけにはいかない。何せ、相手は人智を超えた存在かもしれないのだ。少なくとも、偶然は人智の及ばない概念だ。やはり過剰な対応ではあるが、そんな手合いには過剰でもまだ足りないかもしれないから。
優実はそのままの調子で言葉を重ねる。
「考えてないよ。そんな事考えるはずないじゃん」
優実はかつて、幽霊屋敷と呼ばれていた使われなくなった洋館に忍び込んだのはいいものの、調べるのに夢中になり、階段で足を踏み外し、意識不明の重体に陥ってしまったのである。再び目を覚ました時には病院で、両親に酷く叱られ、迷惑をかけ、そしてそれ以上にとてつもなく心配させた事がある。
その日以来、優実は今後迷惑をかけないように細心の注意を払っている。
そんな優実を、英子は一瞥して言う。
「そうかしら? その強引さは肯定のように思えるけれど?」
「そんな事無いよ」
優実がそう言うと、英子はまた一瞥し、それから言う。
「――夢見がちなのは結構だけど、節度と分を弁えなさいよ。私達が生きているのは、物語のような作者の考え一つでどうとでもなるフィクションの世界ではなく、理不尽と無情がそこら辺に転がっている現実の世界なんだから」
そして、優実が言葉を作るよりも先に言葉を作る。
「で――何か心当たりはあったのかしら? 無ければ無いでいいのよ?」
先ほどまでの真面目さは何処へやら、そう言った英子の口調は柔らかい。
優実もその調子に気持ちを切り替えてから言う。
「有る事は有るけど、馬鹿げている事だから言わないでおくね」
「馬鹿げているって、どの程度?」
「小学生の時に「将来したい事」って題材で書いたあたしの作文くらい」
「……じゃあ、言わなくていいわ。聞くだけで疲れるから」
英子はおざなりな反応を返した。
ちなみに、優実が当時書いたその作文の題名は「神様に会いたい」である。
「ともかく、弁えなさいよね、色々とさ」
呆れた風情で英子はもう一度忠告してきた。
「大事な事なので二回言いました?」
「何回でも言えるわ。ま、何回言ったところで意味無さそうだけど。――さて、ぼちぼち酣だろうから、気分変えて一狩り行かない?」
一転、英子はすっきりした感じで携帯ゲーム機を掲げながら言った。
言及してこない気遣いに感謝しつつ、優実も気持ちを切り替え、提案に乗り、自分の鞄の中から自分の携帯ゲーム機を取り出し、起動する。
「そういや英子、前に作りたい、って言っていたあの防具は結局作れたの?」
「今リレーしていたところよ。物欲センサーに引っかかったのか、未だに素材が集まらなくてね……。そういう優実は? 優実も何かあったわよね?」
「あたし? あたしは完成――」
「このリアル激運持ちがあああっ!」
英子は唐突に怒りを爆発させ、優実の頭をかなり強く叩いた。
「いったー! 八つ当たりしないでよ!」
「うっさい、黙れ! 私が……私がどれだけリレーしたと思っている!?」
「知らないし、怒るな! あたしのせいじゃないでしょうが!」
「くそ! くそくそくそう! 神も仏もこの世にはいないのかー!?」
叫びながら、英子はとうとう泣き出してしまった。
英子の不運さ加減に内心で合掌しつつ、怖い物見たさで尋ねる。
「――ちなみに今まで何体くらい討伐したの?」
「……じゅう」
「え、十? ……それくらいで泣いたの?」
優実は困惑する。予想よりとても少ない。
しかし、そんな優実を英子は一瞥し、物憂いな表情でこう言った。
「――彼是七十体くらいよ」
「…………」
優実は思わず閉口した。気まず過ぎて上手く言葉に出来ない。
なので、とりあえず謝る事にした。
「英子、何かごめん」
「……別にいいわ。というわけで、手伝ってください」
そんなこんなで、二人は流行りの狩猟アクションゲームで授業の始まりを待つ事にしたのだった。