白百合
私の名はエミリア。
モーガン公爵家、アマベルの侍女である。
アマベルは絶世の麗しさと、貴族唯一の聖女候補として名を馳せる存在。
しかしその裏で、公爵の権力を使い他の貴族候補を全員蹴落とした。
結果、残ったのは平民出身の サラサ と、神殿孤児院育ちで聖女候補筆頭と呼ばれる アリス のみ。
アマベルの気性は激しく、癇癪を起こせば周囲は恐怖で震えた。
だからこそ皆、距離を取り、帰る家もない私だけが仕える役目を負った。
「エミリア、お疲れ。今日も頑張ってて偉いね」
アマベルの侍女として神殿に通う内に神官見習いと仲良くなった。軽い調子で話しかけてくる金髪の見習い神官、ヨハンである。
一見軽薄そうな瞳なのに、ふとした瞬間だけ誰よりも優しい光を宿す。
「……褒められるようなことはしていません」
「してるよ。毎日ちゃんと前を向いてる。そんな人、俺は好きだな」
心臓が跳ねた。
けれど、彼の優しさに甘える資格が自分にあるとは思えなかった。
「そろそろ白百合の会だよね?エミリアも神殿に泊まるの?」
「そのように指示されています」
「そっか!エミリアと七日間も過ごせるの楽しみにしてるね」
そう言うとヨハンは、笑顔で片手を上げ走り去っていった。
ヨハンが走っていった方向を見つめ胸に手を当てる。
準備期間を経て聖女候補の最終試練――白百合の会 が始まった。
候補者たちは神殿内に七日間泊込み、祈りと精神統一で白百合を咲かせ、神が遣わした“試金石”へ捧げる。
だが試金石が誰かは誰にも分からない。
「エミリア。七日以内に試金石を見つけなさい!」
「あんな孤児に聖女の立場を奪われてなるものですか…!」
アマベル様の瞳には憎悪の炎が宿っていた。
おそらく失敗すれば命はないだろう、それでもー
私は震えながらも、ただ従うしかなかった。
神殿内の蔵書を読み漁ったり、関係者に聞き込みをするも五日経った現在、何の手がかりもつかめていない。
アマベル様の苛立ちも日毎に酷くなっていく。
「あんな孤児なんかに…!」
「私はこの国筆頭公爵家の一人娘なのに!」
焦燥に駆られたアマベルはついに限界を迎えた。
「アリスを殺しなさい。そうすればお前の無能に目を瞑ってあげる。」
刀剣のように鋭い声に息が止まる。
「で、できません……そんなこと」
「じゃあ――ヨハンを殺すわ」
「……ッ!」
全身から血の気が引いた。
アマベルは悪魔のように微笑む。
「選びなさい。アリスの命か、ヨハンの命か」
その夜、私は震える手でアリスの居室の扉を開いていた。
「エミリアさん?」
振り返ったアリスは、清廉な瞳で微笑んだ。
「夜分にどうされましたか?」
その優しさが、胸に刺さる。
「……アリス様、逃げてください。私……命じられて……」
震える声で全てを話すと、アリス様は静かに頷いた。
「落ち着いて。ゆっくり事情を教えてください。」
私に目線を合わせ、静かに優しく諭してくれる。
そんなアリスに私はアマベルから受けた命令を語った。
「…あなたは人を殺せる人ではないでしょう?」
「でも……殺さなければ、ヨハンが……」
涙がこぼれ落ちる。
「その方が、大切なのですね?」
「……はい」
言葉にした瞬間、ようやく自分の気持ちに気づいた。
(私は……ヨハン様が好きなんだ)
アリスはそっと私の両手を包んだ。
「エミリアさん、あなたは優しい。だからこそ、悪になってはいけません。
どうすれば皆さんが幸せになるか考えましょう?」
その祈りのような言葉に救われような気がした。
帰る家もない私なんかに優しくしてくれる人は限られている。
しかも殺そうと入ってきた私を。
こんな優しく偉大な方をここで失う訳にはいかない。自然とそう思った。
だからと言ってヨハンを死なせるのは絶対ダメだ。
ならば…。
私はアマベル様の元へ戻る覚悟を決めた。
護衛に警護されながら悠然と庭園を散歩しているアマベル様の元に戻る。
「エミリア。どうでしたか?」
自分の悲願が達成されたと思っているのか、アマベル様は笑みを深めた。
祈るように両手を握る。手は冷たいのに汗ばんでいた。
「アマベル様……私はアリス様を殺すことはできません」
私が告げると、アマベル様の瞳が大きく見開かれた。
次の瞬間飽きたようにそっぽを向き護衛に手で合図を送っている。
「……そう。じゃあ――さようなら」
刹那、胸を鋭い痛みが貫いた。
視界が白く霞む。
(あぁ……ヨハン様……)
想う人の名を胸に抱きながら、私は地に倒れた。
どのぐらい経っただろう。
痛みで涙が止まらなかったのに、今はその痛みすら感じない。
目を静かに閉じ、ヨハンの笑顔を思い浮かべる。
(最後に会いに行けばよかった)
「エミリア!!」
ヨハンが私を呼んでくれた気がした。
「エミリア!エミリア…!!」
「嫌だ!目を開けてくれ!エミリア…」
「どうして……どうして守れなかったんだ……!」
彼は私の冷たくなった手を握り、私を呼び続けた。
隣ではアリス様が静かに涙を流す。
「ヨハン様……白百合の会を終わらせましょう。
エミリアさんのためにも」
ヨハンは涙を拭い、深く頷いた。
翌日。
三人の白百合が神官によって確認された。
アリスの百合は最も美しく、光を宿し始めている。
一方、アマベルの百合は――蕾のまま。
「全部……全部エミリアのせいよ」
アマベルは唇を噛み、嫉妬に震えた。
その中でアリスが挙手する。
「試金石様に、私の白百合をお渡しします」
会場にいる全員が息を呑む。
それは白百合の会終了ーー
聖女が決まることを意味する。
アリスが扉が開き、呼ばれた人物が入室した。
――ヨハンだった。
「よ、ヨハン!? 神官が試金石だなんて……!」
アマベルが動揺し声を荒げる。
そんなアマベルを一瞥し威厳ある声でヨハンが告げる。
「私は“神官ではない”。神の使い――試金石だ」
場が騒然となる中、自身が育てた白百合を差し出すアリスを前に、アマベルが叫んだ。
「やめなさい!! 私の聖女の座を奪わないで!!」
しかしヨハンが一蹴する。
「神聖なる儀式に邪な心を持つ者が混ざった。
その結果、私の……愛しい人が死んだ」
会場が静まり返る。
「神はこの地を見限りかけた。
だが聖女アリスの祈りが、神を引き止めたのだ」
ヨハンはアマベルの顔を見ながら何が起こったのか説明した。
神官たちはその説明でアマベルが神殿を血で汚したのではないかとアマベルを睨む。
アマベル様は顔を青ざめさせ俯き、自分の思い通りにならない現実に歯を食いしばった。
邪魔する者も居なくなりヨハンが白百合を受け取った。
瞬間――
白い光が辺りを包み、花弁が浮かび上がる。
光は人の形を成し――
私、エミリアがそこに立っていた。
「エミリア……!」
ヨハンが涙を浮かべて微笑み、私を抱きしめる。
ヨハンの温もりに私も涙を浮かべ抱きしめ返した。
「試金石である私は、白百合の会が行われている期間中は死者の魂に問いかけることが許されている。
未練を捨て神へ帰るか、復讐を選び、魂が消えるまで私と共に神に仕えるか」
私は静かにアマベルを見据えた。
対してアマベルは、復讐と言われ激昂した。
「うるさい!うるさい!うるさい!!!」
「私の侍女をどうしようと私の勝手でしょう!?第一、孤児なんかが聖女になるなんておかしいじゃない!公爵令嬢である私が聖女になった方が、皆喜ぶに決まってるわ!」
アマベルの言葉に神官たちは絶句し、アリスは悲しそうにアマベルを見つめている。
「なによその目は…?孤児のくせに…!!」
アリスに掴み掛かろうとしているアマベルを神官が総出で止める。
髪を振り乱し尚もアリスの方へ向かうアマベルは正気ではなかった。
ヨハンがアマベルへ手をかざす。途端に糸の切れた人形のようにアマベルは床へ崩れ落ちた。
「え…?これはどうなっているのよ!?」
アマベルは、意識はハッキリしているのに自分の体が動かせないことに理解できない様子で混乱している。
「アマベル、清廉な試練中に血をもって白百合を汚したこと、神は許さない。
よって存在を取られ誰からも認識されない一生を送ることとなる。それがお前の罪であり罰だ」
ヨハンはアマベルを見下ろし冷たく言い放つ。
「え?存在…?どうゆうこと?
よくわからないけれど嫌よ!それに体を元に戻して!」
アマベルは不安そうに叫ぶ方しかできない。
そんなアマベルの体をアリスは楽な体勢にしてあげている。
「存在を取られるとは、誰にも見えず聞こえず干渉できない。幽霊のような存在となることだ。
体は次第に元に戻るが、存在は元に戻らない。
寿命を迎えるまで孤独に過ごすが良い」
ヨハンの説明にアマベルが絶句する。
「但し、被害者であるエミリアがお前を許せば違う罰が与えられる」
ヨハンの説明が終わる前にアマベルは私を縋るように見つめた。
「エ、エミリア。私達の仲でしょ?
当然許すわよね?いえ、違うわ。主人の私相手に侍女のエミリアが許すなんてそもそも間違ってるわよね?」
謝罪にもなっていないアマベル言葉を聞き咄嗟に言葉が出てこなかった。
勇気付けるようにヨハンが手を握ってくれる。
ヨハンを見ると笑顔で頷いてくれた。
私もヨハンに笑顔で返し、意を決しアマベルへ向き直った。
「もう、あなたの侍女ではありません」
笑顔で言った私にアマベルは言い返そうと口を開いたとき。
ヨハンが手を掲げ、光がアマベルを包む。
「え!?ちょっと!やめて…!やめなさいよ!!」
「アマベル。あなたは己の罪と向き合いなさい」
次の瞬間、彼女の姿は霧のように薄れ――
誰からも見えない存在 となった。
こうして白百合の会は幕を閉じ、
聖女アリスが誕生に国中が湧いた。
そしてもう一つの噂も広まる。
――公爵令嬢アマベルは、神の怒りに触れ地獄に堕ちた、と。
誰にも見えぬ影となったアマベルは、後悔に満ちた心で彷徨ったという。
一方その頃、神殿の屋上では――
「エミリア。これから、一緒に神に仕えてくれる?」
「はい。ヨハン様となら……どこへでも。
愛しています」
ヨハンの胸にそっと顔を埋める。
私の頭をヨハンは優しく撫でてくれる。
「僕も、エミリアを愛してるよ」
そっと口付けをかわすと空に大きな虹が架かった。
それは新たな聖女アリスの門出を祝し、
そして――
ヨハンとエミリア、二人の未来を祝福するかのようだった。




