8.遺憾なく能力を発揮する 1
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「何だこりゃ?卵を焼いて折りたたんだだけじゃねえか?」
「時間がかかった割に出来たもんはこんなんかい」
「こんな、焦げ目もついていない様な卵を食べても大丈夫なのかい?食中毒になったりしないのかい?」
誰もそれに口を付けようとはしなかった。おまけに残念ながらあまりいい評価は聞こえてこない。
この世界の多くの卵料理はただ単にフライパンに落としてしっかり焼く目玉焼きか、かき混ぜてくちゃくちゃになって、焦げ目の沢山ついた炒り卵だ。彼女の作ったような焦げ目のない折り畳んだ卵料理など誰も出会った事が無い。
まして焼く前の卵に何かを入れるなどもっての外。
きっとコックのジグは、アイリーンがいかにきれいな円形でこんがりとした目玉焼きが出来るのかを試したわけである。
ところが出されたものは予想外の代物。
「うむむ。これがこいつの卵料理か」
ジグは顔を顰めながら思わずうなり声をあげた。
皆が見た事のない食べ物に警戒するのは当たり前。だが、アイリーンにとってこれは十分想定内。ここは申し訳ないけれどナンシーにテスティング係になって頂く事にした。
(ごめんねナンシーさん。だしに使わせてもらうね)
「さあ、ナンシーさん一口どうぞ」
ナンシーも一瞬躊躇したが、自らがお手伝いを申し出た手前ここで引くわけにもいかない。何とか作り笑いをしてゆっくり口を開いた。
(わあ、食べてくれるんだ。ナンシーさんって見た目も可愛いうえにとても優しいのね)
アイリーンはナンシーの心遣いに思わず相好を崩す。
キッチンスタッフの一同がナンシーの口元に視線が集中した。パクッと卵を頬張ったナンシーは、それのほんのり温かく、とても柔らかい触感に心地よさを感じた後、中からじわっと染み出す出汁の味とほんのりした甘さに衝撃を受けた。
「な、何これ、すごくおいしい。卵を焼いただけとはとても思えないわ」
ナンシーは自身の頬に手を当て、表情を崩した。それを見た他のキッチンスタッフは自分たちの前に配られただし巻き卵を小さめにフォークで切り分け、恐る恐る各々の口に放り込んだ。
「うわっ」
「う、美味いな」
「卵ってこんなに美味しいものなのね」
打って変わって称賛の声が上がる。
(でしょう、お母さんの卵焼きレシピはとっても美味しく作れるのよね)
アイリーンはこっそりと握り拳を作った。
皆があっという間に完食し終えた時、コックのジグが慌ててやって来た。
「こんな卵料理の作り方は今まで教わったことは無かった。何処で習ったんだ?その料理教えてもらえないか……いや、すまない。料理人にとってレシピは命と同じくらい大切なものだ。それを聞くのは野暮だったな。だが――本当に旨かった。……うまい料理を食わせてくれてありがとう。俺も根本から俺の料理を見直すことにしよう」
溢れ出る気持ちが抑えきれず、ジグは息もつかせず話しまくる。
アイリーンはレシピを隠そうなどとはこれっぽっちも思ってはいない。むしろ母に教えて貰った自分も大好きだったこの料理が、多くの人に食べられる方が嬉しい。
「全然いいですよ。レシピくらい教えても。まだ出汁も残っていますし、もっと作ることも出来ます。沢山食べてくださいね」
アイリーンは近くにあったキッチンペーパーにサラサラっとレシピを書くと、それをジグに手渡した。
素早く書かれたものなのに美しい筆跡、細かく丁寧に記載された手順に分量。何よりもジグを驚かせたのは、単なるスカラリーメイドが簡単にそれをやってのけた事だった。
「お、お前さん……何者だ?」
ジグの作る笑みは唇が引き攣り、視線はあちこち彷徨った。
「え?単なる新人のスカラリーメイドですよ?」
◇ ◇ ◇
食事を終え、キッチンの片づけを終えたアイリーンだったが、彼女の仕事はそれだけに終わらない。
ここスタンリー家のメイドの中で最底辺のスカラリーメイドはキッチン以外の雑務も割り当てられる。とりわけトイレ掃除も彼女たちの仕事だ。
「最悪なんだよこの仕事」
ナンシーは不満げに唇を尖らせた。
この屋敷にある五つのトイレは、座席に陶器製の便壺がはめ込まれてあるものだ。それを取り外し、代わりの便壺に入れ替えて、別の場所で洗うのだ。
「臭いし、なかなか汚れが落ちないんだよね」
ナンシーはそれをたわしでゴシゴシ擦りながら、額に無数の汗が噴き出している。
確かに細かな黄ばみや斑点が陶器の僅かな隙間に入り込み、なかなか落ちてくれないのだ。匂いも酷く、鼻と口を手拭いで覆っていてもその臭気で涙が出て来るほどだ。
「ほんと、これは大変だわ。『心得書』には「たわしで丁寧に擦ること」と書いてあったけど……これじゃ擦る前に私の心が擦り切れそうですね」
アイリーンも息を切らしながら必死にたわしを動かす。
(家ではこんなに苦労していなかったけど……)
アイリーンは過去の記憶をひねり出す。
「そうだ、思い出しました」
アイリーンの汗まみれの表情が明るくなった。
「ん?なになに?」
「明日からこの仕事が少しだけ楽になる方法」
「え?そんな方法あるの?」
「あるんです。ナンシーさん一緒に協力してもらえますか?」
ナンシーは不思議そうに目を丸くしてウンウン頷いた。
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