4.思うようにはいきませんね
あの事件があってから、アイリーンは以前よりもリノとよく話をするようになった。
これまで気付かなかったが、リノを気にする様になってから殆どの時間、彼女がアイリーンの視界に入っている事が分かった。
(監視されているというより見守られている?)
単なる使用人とは思えない程の手際の良さと卒のない仕事っぷり、ましてやアイリーンの視界に入りながらそれをこなすとはどう考えてもタダ者では無いのだ。
そんなリノに目を着けられたにボブは、彼女に出会う度に目を泳がせながらコソコソ逃げ纏っていた。だが、いつしか姿が見なくなったと思えば、知らない間に仕事を辞めていた。
「リノが辞めさせたの?」
アイリーンは素朴な疑問をリノにぶつけてみたが、彼女は「そんなわけないじゃん」と軽く笑い飛ばした。
アイリーンにとっても引っかかる所ではあったが、彼女にとってはボブが辞めてくれて好都合、それ以上その話が発展することはなかった。
リノが目を光らせてくれているからかどうかは判らないが、あの一件以来アイリーンの身に何かよからぬ事が降りかかる事は一度もなかった。
それでも使用人としての過酷な業務には変わりはなく、ハグラー達の贅沢な生活っぷりも益々派手になっていく。
それと共にアイリーンの食は細り、睡眠時間も減って行った。
「そんなに頑張って大丈夫?」
少し顔色の悪くなったアイリーンを心配してリノが尋ねてくる。
「うん、大丈夫。私には目標があるから頑張れる」
「無理しないで休みなさい」とリノは言うが、辛くなればなるほど、超難関校ランバーグ専門学校へ入学するという夢を励みに気持ちを奮い立たせた。
──絶対にあの学校に行くんだ!
オブライエン家の後継者であることを隠している為、リノにも話せないこの思い。
そして、今は亡き両親に合格を報告したいという強い思いが、この現状を乗り切る原動力となっていた。
……
ランバーグ専門学校は貴族やお金持ちの商人の子供が通う学校で、各種様々な学部があり専門的な学問を学ぶことが出来る最高の学びの場である。
そこを卒業するだけでも箔が付き、専門家になる為の登竜門だ。現に数多の専門家はこの学校を卒業している。
「私は香りを操れる人になりたいの」
アイリーンはその学校の事を両親から聞かされ、研究者になる夢を膨らませていた。
そこへ行く為に幼いころから家庭教師を付けて貰い、入学に必要な知識を学んでいたわけだが、叔父の推薦する修行、いわゆる使用人の仕事が始まると先生達も解雇されてしまった。
入試の勉強が出来なくなる事への不安はあったが、その時点で入学する為の最低限の知識は既に得ていたので「後は自己学習で補えば何とかなる」そう思ったアイリーンは叔父の言う事を素直に受け入れた。
持ち前の頑張りで修行と勉強を両立させていたわけだが、ある日突然受験禁止を言い渡されたのだ。
「どうして?あの学校に入るのが私達の夢だったのに」
アイリーンはハグラーに詰め寄ったが、彼は彼女の肩を突き飛ばした。
「今、事業は苦しい状態だ。金は出せん!」
金の腕輪に金のネックレスを身に着け、葉巻を銜えるハグラーの怒号が響く。
確かに素晴らしい学校だけに学費はバカ高い。卒業するまでに家一軒分相当の学費が必要となる。だが『ライアン商事』の事業収入ならそれくらいのお金ははした金に入る部類のはずだ。
仮にハグラーのいう事が本当だとしても、彼の息子のギャヴィンには都から招いたという家庭教師が付いていて、解雇されてはいない。
(お金が無いのにあんなに贅沢をして、それにギャヴィンだけ家庭教師って)
アイリーンはハグラーへの不信感は募っていく。
──次期社長はギャヴィンだ。あいつがランバーグ専門学校に入れば次期社長になるのは確実、それは避けねば。
ハグラーは端から彼女を進学させる気なんてこれっぽっちも無かったのだ。
アイリーンと息子の二人分の学費を惜しんだことも事実だが、『ライアン商事』の本当の相続者である彼女に箔を付けたくなかったからである。
(もう限界だ……)
ランバーグ専門学校に行く為に色々と我慢していたアイリーンだったが、遂に鬱憤が爆発した。
「学校に行かせて貰えないなら、叔父さんたちは出て行って!会社は私が何とかする」
アイリーンはハグラーを睨みつけた。
──両親を亡くし、困っているお前を助けてやったと言うのに恩知らずめ
ハグラー唇を噛みながらアイリーンを睨み返すが、それを言葉に出すことはなかった。
幾らハグラーがアイリーンから経営権を貸りているとはいえ、この屋敷も彼女の持ち物であり、強引な手段を取ったとしても法的には勝てない。まともに争えばむしろ追い出されるのはハグラー達の方だ。
ハグラーはグッと唇を噛んで作り笑いを浮かべた。
「すまない、アイリーン。お前の気持ちを試させてもらったのだよ」
「試したって?」
睨みつけて来るアイリーンにハグラーは引き攣る笑いを続けながら、ふぅと葉巻をふかした。
「アイリーンの気持ちが強い事は見せて貰った。受験は許可しよう」
「許可ですって……?叔父さんに許可をされる筋合いはないわ!」
溢れ出す感情をとどめることも出来ず、アイリーンは言葉を荒げた。
「そんな事で怒るのなら精神も鍛える必要がる。お前は次期経営者になるんだからな、条件として修行は継続してもらう」
(後継者になる為の修行?)
アイリーンの止まった表情をハグラーは見逃さなかった。
「そうだ、一流の経営者になる為のな」
「一流の……経営者」
鵜呑みにはできないが、学校に行けるという僅かな期待を持って、彼女は頷くしかなかった。
それから二日後の事である。
ハグラーはアイリーンをウエストジーニアスの街の資産家であるスタンリー家にメイドとして丁稚奉公に行かせる段取りを取ったのだ。
「これから他所のお屋敷に奉公に行けですって?」
「ああ、あと半年で入試だ。それまでに外の世界も知っておく必要があるだろう」
ハグラーはアイリーンを見下ろしながら言葉を吐き捨てた。
「わかった。半年だけの仕事なのね」
あと半年の辛抱……アイリーンは自身にそう言い聞かせ、渋々その提案を受け入れた。
──スタンリー家……半年の我慢なのよ
読んで頂きありがとうございます。
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