番外 バーサとフィリップ
本編に入らなかったエピソードを番外編として追加しました。
東の都市ウエストジーニアスへ向かう途中、ランダバウト村のモリス家三女のバーサと資産家のデビット・スミス氏の執事であるフィリップがゴトゴトと揺れる馬車の中、向かい合わせで座っていた。
バーサの手荷物は小さなカバンがたった一つ。中には着慣れた遊び着と下着が数枚のみ。たったそれだけの荷物で彼女はスミス氏の屋敷へ名目上メイドとして働きに行くのだ。
「バーサさんは家の事で何が得意なのかな?」
フィリップのセピア色をした眼鏡の淵を指で持ち上げると、それは小さくパキッと音を立てた。その音で上目遣いのバーサはビクッと肩を揺らす。
皺の無い濃紺のスーツを着こなし、黒っぽいシルクハットを被ったイケメンなど村では見たことがない。
──怖い……何も出来ないって分かれば、またいじめられるかな
村での恐怖の出来事が頭の中をよぎる。
それでも、幼い頃から母スーザンに嘘をつかない様にとの教えが脳裏に浮かぶ。黙っているわけにもいかない。バーサの声が震える。
「あ、あの……私は殆ど家事が出来ません。来年になれば母が教えてくれるって……」
「じゃあ、家の農業のお手伝いかい?」
「……いえ、それも……毎日、虫や草と遊んでいただけで、私は何もできません」
言ってしまった。でも、高額で買われた事は知っている。後の事は天命に任せるしかない。
フィリップは被っているシルクハットをゆっくりと取り、バーサに微笑みかけた。
「怖がらなくても大丈夫。知らない事やできない事が沢山あるという事は、これから知っている事やできる事が沢山増えるという事なのですよ。楽しみですね」
──役立たずって言われるかと思った。
バーサの頬が赤く染まり、瞳が大きく開かれる。
「……出来なくても……いいのですか?」
「ああ、そもそも家事手伝いをやって貰おうと思って君を雇ったわけではないからね」
平然と笑み浮かべながら話すフィリップに対して、バーサの背筋に冷たいものが走った。
「か、家事手伝い以外って……どういう事ですか?」
「それはね……クククッ、楽しみでしょ?」
……
バーサが十三歳の頃、生まれ故郷であるランダバウト村が数十年に一度の蝗害に見舞われた。持ち前の知識で自農園のみを救った彼女は村人たちから魔女扱いにされ、モリス家は誹謗中傷の的となった。
娘を守る為、夜逃げ同然に村から出ようとしたモリス家に救いの手を差し伸べたのが、デビット・スミス氏の執事であるフィリップだった。
彼は支度金としてモリス家に五十万ピネルを出し、スミス名義で村に百万ピネルを復興費として寄付する事で、彼女の家を助けたのだ。
……
「あぁ、遂に私の身体は自分の身体ではなくなるのね。もっと、草花や虫さんと遊びたかった……」
「フフフ、何ですか?自分の身体ではなくなるとはどういう意味なのでしょうそれは」
──しまった。思わず声が漏れ出た……
フィリップの微苦笑がバーサの耳に入り、思わず彼女は両手で顔を塞ぐと耳の先まで赤みに染めた。
「大丈夫ですよバーサさん。あなたにお願いしたいことはお勉強をして学校に入って貰う事と、この先、一緒に生活をする女の子とお友達になって頂く事なのです」
予期せぬ方向からの内容だったので、バーサは小首を傾げると顔の赤みは一瞬で元通りになった。
「お勉強に……お友達?」
「ええ、申し訳ないのですが、蝗害の後、あなたの事を村の方から教えて頂いたのです」
(調べたとは仰らないのですね)
「あなたは自分の農園だけを蝗害から守り、気味悪いくらい虫や草花に詳しく、人とは思えない程、記憶力が良いらしいですね」
「……」
「それに、人に媚びを売るのが上手く、子供たちがあなたに懐きすぎて困ると。子供が人攫いに会えば、あなたが絡んでいるはずだ、とも」
「……」
「それに、辛い仕事も嫌がらず、魔術を使って虫や獣を操っていると」
「ちょ、ちょっと待って下さい。確かに虫に関しては好きなものとかは知っていますが、獣はほとんど関りがございません」
「エビダンゴムシの糞で灰色オオカミを追い払ったエピソードは伝説らしいですね」
「あ、あーもぉ!」
バーサの顔は血の気が引き、両腕を大きく横へはばたかせた。だが、口角を少し持ち上げたフィリップはまだ話を止めない。
「それに、誰から教えられたんだか、大人でも知らない字をたくさん知っていると。きっとモリス家の生まれじゃないんだろう」
「な、何を言っているのですか。母から私は隣の家のジェシカおばさんに取り上げて貰ったって聞いていますし。おばさんも『元気な産声だったよ』って言っていたのに……なんでこんな事に」
バーサは長い赤毛を搔き上げた後、ガシガシと頭を掻くと、そのまま頭を抱え込み項垂れてしまった。
「ハハハ……」
「わ、笑い事じゃありませんよ。な、なんですか。その私の評価」
フィリップは手拭いで目尻を拭うと、口とにそれを当てゴクッと息を呑み込んだ。
「コホン、失礼。こんなに笑ったのは久しぶりです」
「笑い事じゃないって言っているでしょ。なんでそんなに評判の悪い娘を雇うのですか?それも大変な高額で」
それがフィリップの狙いかどうかは分からないが、バーサはすっかり借りてきた猫ではなくなっていた。
「ねえ、バーサさん。この様に考えませんか?」
「え?」
「あなたは虫や草花の知識が豊富で、大人でも知らない物事や字まで知っている。類い稀なる記憶力の持ち主で、子供にも慕われる人格者。労力を惜しまず、研究熱心で努力をする人物だと、私は考えていますが」
「な……」
「自農園だけとはいえ、蝗害を防いだのはあなたの知識と経験の賜物ですよ。誇ってください。そんなバーサさんにお願いする事なのです」
バーサの中で何かが壊れる音がした。
嗚咽が止まらない。塞き止められていたものが一気に外されたように、バーサの目から滝のように涙が零れ落ち、留まる事を知らなかった。
「あなたのお友達となるお嬢様も、大変苦労をされている方なのです。きっと良いお友達になれますよ。さあ、まだ到着までたっぷり時間があります。そのお嬢様の事をお話しますね」
馬車の窓のカーテンの隙間から細くて優しい日の光に照らされ、コトコトと静かに揺れる車内でバーサはアイリーンの生い立ちをゆっくりと聞き込んだ。
読んで下さりありがとうございます。
また、番外を追加した際にはよろしくお願いいたします。




