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全てを奪われたけど、へこたれません。香りで夢を掴みます!  作者: 季山水晶
Ⅰ.試練の幕開け

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3.リノ

 身長百五十センチメートルそこそこのアイリーンに比べボブは百八十センチ近くあり、ブクブク太った体型は彼女の通路を思いっきり防いでいる。ワイシャツに浮かぶ染み出る汗は見るに堪えない。


 ぎらつく瞳を見ると、まともに話をしようとしているとは到底思えない。


 倉庫はおおよそ十畳の広さで、裸電球がたった一つ鈍い光を放っていた。たった一つある小さな小窓からは殆ど光が入ってこない。


 アイリーンは呼吸を整えながら辺りを見渡す。


 棚には箒や桶など、いくつかの掃除用具は置いてあるが、武器になりそうなものはなく、出入口はボブの後ろにある扉一つだけで、それ以外逃げ道はない。


(下手に対抗しても返り討ちにあう。ここはサラッと逃げるしかない)


 アイリーンはボブに目を合わせない様に一歩踏み出した。


「私、ハグラー様に呼ばれているので」


 アイリーンはボブの脇をすり抜けて出口に向かおうとするが、その身体の大きさに阻まれた上に彼女の細い腕をがっしりと掴まれた。


「おい、話があるって言っただろう」


 アイリーンは掴まれた腕を力いっぱい振り払うが大柄男性はビクともしなかった。直ぐに力任せに身体を引き寄せられた。


 生暖かいボブの汗がアイリーンにへばりつく。


(うっ……気持ち悪い……)


 アイリーンは顔を顰めた。


「ちょっと、やめてよ!」


「おとなしくしなよ。直ぐにすむからよ」


 舐める様な目つきでボブはアイリーンに顔を近づけてきた。生ぬるい息が彼女の背筋を震わせる。


 顔を背け力いっぱい身体を動かすが、その力ない気抵抗がかえってボブを喜ばせた。


 ゴクリとボブが生唾を飲む音がアイリーンの心臓を締め付ける。


(こんな奴の辱めに合うくらいなら舌を噛み切って死んでやる)


 アイリーンの中ですべてが静寂に変わった。目を瞑り舌をかみ切ろうとした瞬間だった。


 倉庫のドアが『ドンドンドン!』と突き破られんばかりの勢いで鳴り響いた。


「なんでここの鍵が閉まっているのよ!建付けが悪いわね、扉を壊すしかないわね」


 扉の前でリノ怒号が聞こえる。


 ボブはその音で大きく体を震わせてドアの方へ向き直った。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。と、扉に箒がつっかえているんだ。直ぐにどけるから少し待っていてくれ」


 ボブはすぐさまアイリーンを開放して扉の鍵を開けた。カチャリと開かれた扉の前にはリノが険しい顔をして立っている。


「ねえボブ?あんたの持ち場はここじゃないでしょ?こんな所で何をしているのよ」


「あ、あぁ……ちょっとな。ア、アイリーンが困っていたから手を貸していたんだよ」


 ボブは大量に噴き出した汗を袖口で拭いながらしどろもどろにそう答えた。


 リノがアイリーンに目をやると、彼女は自身の身を抱えながらしゃがみ込んでいた。


 彼女は涙目を浮かべガタガタと震えている。


「どういう事?アイリーンが怯えているじゃないの!」


「いや、これは……」


 ボブは何かを言いかけて、じりじり後ずさりをはじめる。


「この、クソ野郎!」


 リノの目尻が急に釣り上がり、嚙み締めた歯がギシッと音を立てると疾風の如くボブに詰め寄り、背後を取ると自身の髪留めを抜き取った。


 とてもか弱い女性の動きとは思えない。


「うっ」


 髪留めを突きつけられたボブの首筋に僅かな痛みと共に、ひとすじの血液が垂れ落ちる。


 ──な、なんだこの女……


 ボブはゴクリと生唾を飲むと、背筋に冷たいものが走りだす。


 そして耳元から冷ややかなリノの声が突き刺さる。


「アイリーンはなんでも一人でこなせる子だと思うんだけど?一体、アイリーンが何で困っていたのかしら?」


 ボブの握りしめた拳が小刻みに震え出す。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。も、もう解決したんだ。な、なあアイリーン」


 額に汗を貯めたボブはアイリーンに問いかけるが、彼女の身体は小刻みに震え俯いたままだ。


 沈黙の中、アイリーンの乱れた呼吸音だけが狭い部屋の中を響かせる。


 そして彼女の息遣いが早くなったかと思うと、突如としてその場に崩れ落ちた。


「だ、大丈夫!」


 リノはボブを突き飛ばし、アイリーンを優しく抱きかかえた。そしてその場に跪くボブに再び厳しい目つきで睨みつけ、吐き捨てる様に倉庫内に響かせた。


「……あんた、次この娘に変な事をしようとしたら容赦はしないからね」


 とても十歳代半ば女性が言っているとは思えない程の威圧感。凍り付くような鋭い目つきがボブに突き刺さる。


 ボブはカタカタと唇を震わせ、逃げる様に倉庫から出て行った。


「アイリーン……もう大丈夫よ。怖かったね」


 全身の力が脱力したアイリーンの瞳から溢れんばかりの涙が零れ落ちた。


 リノがアイリーンを抱きしめると、アイリーンは彼女の胸の中で泣いた。


「温かい……」身体の中にある涙が、恐ろしかった感情を溶かしていく。


 両親が居なくなって以来、初めて感じた人の温かさにアイリーンは心を癒された。


読んで頂きありがとうございます

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