34.いよいよの日
バーサの仕事である一階のフロアの掃除は、一日がかりだったが、アイリーンと二人で行うようになってほんの二時間程で終わるようになった。
掃除の方法をアイリーンに教えて貰ったというのもあるが、彼女の成長も著しかった。
「バーサも装飾品を壊さなくなったわね」
はたきをゆっくり振りながらアイリーンは意地わるそうに微笑む。
「アイリーンたら酷い。あれから一度も壊してないのにぃ」
バーサはぷくっと頬を膨らます。そんな時、ふとアイリーンが真顔でバーサを見つめた。
「そう言えばハグラー叔父さんが来た時、もし私が手文字が分からなかったらどうするつもりだったの?」
「まあ、アイリーンなら分かると思っていたし、もし分からなかったら……目が痛い、かな?」
「まあ、酷い。一か八かの賭けじゃないの」
今度はアイリーンが頬を膨らます番になった。
バーサは勉強時間にアイリーンが手文字の本を読んでいたのを知っていた。そしてバーサも密かに彼女を驚かそうと手文字を勉強していたのだ。
あの怖い夜の話もこのように、ようやく気楽に話すことが出来るようになったのだ。
彼女たちは毎日楽しく掃除をした後、午前の残り時間はマナー講座の時間にあてた。
「ダメだよ。膝を曲げすぎ、それはカーテシーとは言わないわ。どう見ても屈伸よ」
「難しいよ。アイリーン、足首の屈曲角度と膝の屈伸角度を教えて貰える?」
「分度器を持ちながらカーテシーをするつもりなの?私が見本を見せるからあなたが測りなさいよ」
……
「食事の時には背筋を伸ばして……ダメダメ、テーブルに肘をついちゃあ」
お皿を抱える様に、猫背になりながらパスタをズルズル言わすバーサをアイリーンは窘める。
「だってぇ、このパスタ凄く美味しいんだもの」
「ねえ、バーサ。受験まで後二カ月しかないのよ。学校に入るまでに最低のマナーを身に着けないとスミスさんに恥をかかせることになるわよ」
「あーん。勉強だけの方がずっと楽だよ」
ウエーンと泣きまねをするバーサ。
──多くの人にとっては、勉強の方がずっと大変なんだろうけどね
アイリーンはやれやれとため息をついた。
……
アイリーンとバーサは昼も一緒に料理をする。バーサも毎日やっているだけあって、食材を選ぶ目も培われ、包丁の使い方も上達していた。
「これなら学校に入ってもパンと野菜とソーセージだけの生活にならないわね」
赤と黄色のパプリカが色鮮やかに、ほんのりと焼き焦げが付いたチキンから湯気がたちのぼるパエリアを食べながらアイリーンはそれをそっと口に頬張る。
「またそれだよ。記憶力が良いのは判ったから、忘れてもいい事もあるんだよアイリーン」
バーサも、スプーンをふうふう吹きながら口に入れ、ニンマリ笑う。
「うふふ。バーサが色々作れるようになって良かったって事よ」
この様にマックが持ってきてくれる食材で二人は様々メニューを作り食事を楽しんだ。
アイリーンは未だにマックに会えてはいないが、その事すら気にならなくなっていた。
「さあ、ご飯も終わったし、勉強と研究の時間ね」
……
午後はランバーグ専門学校の入試で出ると言われている本や、問題を中心の勉強の時間に加え、読書時間も設けた。
「受験に関係ない事でも知る必要があるものね」
それはバーサが自分から言いだした事だ。アイリーンは胸が熱くなる。
初めてヘアオイルを作った時に火傷をした教訓がバーサの中に生きているのが嬉しかった。
研究の時間では庭に花を採取したり、新たな原料を使ったオイル作りをしたりなどで、最終的には異なる色、香りのヘアオイルが七種類と、香り付き食器用洗剤が四種類を完成させた。
「みて、並べてみるとビーカーが虹みたい」
「ほんと、キラキラ輝いて綺麗ね。これならみんな使いたいと思うわよね」
「うんうん、それにこのミカンの香りの洗剤。もっともっと洗い物をしたくなると思うわ。洗い物の嫌いなスカラリーメイドにお勧めよね」
スカラリーメイドにこれを買うだけのお金があるのかな?とアイリーンは思っていると
「雇用主がご主人様みたいな人なら買ってくれるかもしれないね」
バーサのその一言でアイリーンは自分が大切にされている事を再認識し、目頭が熱くなった。
(必ず学校に受かって恩返しをしなくちゃ……)
◇ ◇ ◇
二月のある日、フリップに連れられてアイリーンとバーサは受験の為に王都ニィシリアにあるランバーグ専門学校に向かった。
「フィリップさんについてきて頂いてとっても安心だわ」
「私はおふたりの保護者の様なものですから」
優しい視線が二人を安心させてくれる。馬車に乗り込んだ二人はスミスより新調された落ち着きのある黒っぽいドレスを纏い、とても使用人には見えなかった。
「こんなに良くして下さっているのに、スミスさんにお礼も言えないなんて……」
アイリーンはドレスのスカートを手で触りながら眉を下げる。
常々お礼を言いたいと思っているが、一度も会う機会を与えて貰えない。まるで昔読んだ『足長おじさん』の様な話だ。
「じゃあ、アイリーンもしかしたら最後には旦那様からプロポーズを受けたりして」
「それを言うならバーサも一緒じゃない」
「じゃあ、私がプロポーズを頂こうかしら」
盛り上がる女子トークをばっさり切り捨てたのはフィリップ。
「残念ながらスミス様はその様なお方ではありませんので……」
スミスを良く知っているフィリップにそう言われてしまえば、これでこの話題はお終い。
「合格出来たら、お礼の機会を作ってくださいねフィリップさん」
アイリーンとバーサは口をそろえた。
……
馬車に揺られる事二時間、近くも無く遠くもない距離にある学校はレンガ造りの壁に囲まれたまるで城。門には門番も立っており、学生たちが厳重に守られている事が想像に難しくない。
「アイリーン、私には学校というより……監獄に見えるんだけど」
「そ、そうね。でも私達の戦いは今から始まるのよ」
目力強くガシッとバーサの手を取ったアイリーン。いよいよ受験を迎える。
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