34.ずんずん前に進みます
眩しい光で目覚めたアイリーン。昨夜の嵐が嘘のように明るい日差しが窓から差し込んでくる。
隣にはまだバーサが寝息を立てていた。
「そう言えば、バーサの部屋で寝たんだった」
抱きかかえられながら、バーサが一緒に寝てくれたことを思い出すと、アイリーンの頬が緩んだ。
バーサの寝息を聞き、眩しい光に包まれていると、怖かった気持ちが僅かに軽くなるが、あの部屋の扉を開ける勇気はまだ出なかった。
(部屋、ずぶぬれだろうな……着替え取りに行かなくちゃいけないのに)
そんな時、「コンコン」と扉をノックする音が部屋に響く。
「ね!寝坊したわたしっ」
その音で布団を跳ね飛ばし突然ガバッと起き上がるバーサ。
その姿を見たアイリーンからクスクスと笑いが漏れる。
「もう、バーサ。涎たれているわよ」
「え!」と、バーサは慌てて袖口で涎を拭う。
「もう、またそんな所で拭いて……でも、まだ大丈夫な時間だよ」とアイリーンが声を掛けるとバーサは辺りをキョロキョロ見渡した。
「だれよ、こんな朝早くにぃ」とポリポリ髪を掻きながら扉に向かったバーサ。
開けた先には身なりを整えたフィリップ。彼はバーサを見た瞬間「くっ」と笑いを堪えた。
ハッと目を見開いたバーサは自身の姿に目をやった。
しわくちゃのパジャマにボサボサの髪。「ひゃあ」と声を上げて、髪を逆立て、顔を真っ赤に染めながら両腕でパジャマを隠した。
フィリップは「早くに起こして悪かったね」と申し訳なさそうに苦笑した。
……
すっかり着替え終わった二人にフィリップは心配そうに語り掛けた。
「こんな朝早くにすみません。昨夜は眠る事が出来ましたか?」
昨日、ハグラーと相対する時と違い丁寧な言葉遣いに戻っていた。いつもの彼の言葉遣いを聞く事でアイリーンの心に少しの安堵感が芽生えて来る。
それでも、まだ引き攣る笑顔で彼女は頭を下げた。
「はい。私の為にご迷惑をおかけいたしました」
フィリップは何も言わず笑顔で頷いた後、扉の外に手を差し出した。
「アイリーンさんもバーサさんも、美味しいサンドイッチを仕入れてきました。一緒に食べませんか?それと……」
と、差し出したのはアイリーンとバーサ用のメイド服ではなく、可愛い花柄のワンピース。
「今日はお二人ともお休みを取ってください。どうぞゆっくりと疲れを取ってください」
優しい言葉遣いを聞きホッとしながらバーサの方を見るとまだ両手をモジモジさせながら、真っ赤な顔を覗かせていた。
……
「昨夜は何故フィリップさんがいらしたのですか?」
普段現れないフィリップがあんな夜中に何故この屋敷に居たのか、偶然にしては出来すぎている。
サンドイッチを食べ終え、上品にコーヒーを飲むフィリップにアイリーンは直球を投げつけた。
「実はですね、ハグラーがアイリーンさんを尋ねて、フランクさんの元へきたのですよ」
フランクとはスタンリー家の執事だ。フィリップとフランクはアイリーンを介しての単なる顔見知りだったが、そのフランクがわざわざフィリップにその事を伝えに来たという。
「なんでも、あのハグラーが薄汚い格好で相当な切迫感もあったらしく、フランクさんが慌てて私の元へと来てくれたわけなのです。アイリーンさんの身を案じた様なのですが……あなたはフランクさんに何か恩でも売っていたのですか?」
アイリーンは顎に人差し指をくっつけて「はて?」と首を傾げる。
「おかしいな?彼は随分あなたの事を心配していましたが……」
「え?誰の事です?私じゃないでしょ」とアイリーンは眉を顰める。
実はフランクが香りの元であるフレグランスの一件で、陰ながらアイリーンに感謝をしていた事など、彼女は知る由もない。
「まあ、いいです。その話を聞いて、もしやと思いお屋敷を見回っていたのです」
フィリップは自身の眼鏡をパキッとかけ直した。
その話を聞いてアイリーンもバーサも顔を見合わせて成程と頷いた。
「それで……あの……ハグラー叔父さんは一体」
「はい。安心してください。衛兵に連れていかれました。彼は今回の家宅侵入や傷害、それに『ライアン商事』破綻による借金、逃亡です」
「で、あのおっさんはどうなるんですか?」
「これ、バーサ、口が悪いわよ、いくら相手が犯罪者でもその言い方はダメよ」
バーサは上目遣いに舌をペロッと出した。
「きっと、数十年は社会には出られないでしょうね」
「叔母さん達はどうなったのかしら?」
「ハグラーの妻と息子は全財産を差し押さえられ、離婚して実家に引っ込んだらしいですね」
──全財産という事は私の家もという事ね。
「もう、全て無くなったのね……」
アイリーンの中に楽しかった実家での思い出が駆け巡ると、胸がキュッと締め付けられた。
彼女からゆっくりと零れ落ちる涙をバーサはそっと拭った。
アイリーンはバーサの手にそっと自分の手を添えた。
「あたたかい……ありがとう。まだ気持ちの整理はつかないけど、頑張る」
「そうだよ。これからは前に進むだけだよ」
拳を作るバーサに合わせ、アイリーンも弱弱しくも拳を握りしめた。
微笑みあう二人を優しい眼差しで見つめていたフィリップだったが、会話が途切れた時に懐から一通の封筒を取り出した。
「それと、おふたりにお話があります」
フィリップは封筒の中から一枚の紙を取り出すと、彼女たちに見える様にそれを広げた。
「え?契約書?」
「そうです。あなた方の『香り付き食器用洗剤』と『厚布』、それに『ヘアオイル』のレシピをスミス様は買い取られました」
バーサは契約書を見て「ひっ!」と声を上げる。
「ご、五十万ピネルって書いてあるよ」
「凄いね、護衛を一人一年間雇える金額よ」
二人はめを泳がせながら見つめ合った。
「アイリーンさん。学校が一歩近づきましたね」
フィリップの優しい声かけにアイリーンは腕を振り上げ「はいっ」と元気良く返事をした。
「やっと、アイリーンらしくなってきた」
「バーサ!私、もう後ろは見ない。ずんずん前に進むの」
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