32.未来を見つめる
アイリーンは手を握りしめた。「クシャクシャ」と新聞が激しい音を立てると、彼女はその場に崩れ落ちた。
「あ、アイリーン!」
バーサは半ば放心状態のアイリーンを抱きしめた。アイリーンは唇を小刻みに震わせ、視線も定まらず、ただただその瞳からは涙が溢れ出していた。
──どう声を掛けて良いのか分からない……
バーサはそのままアイリーンを黙って抱き続けた。部屋には時計の時間を刻む音だけがゆっくりと響く。
それくらい時間がたっただろう、アイリーンの指がピクリと動いた。
「ありがとうバーサ。少し落ち着いた……」
アイリーンはバーサの肩を手にあて、ゆっくりと自身から引き離した。もう涙は乾いていた。
あの状態では何を言われても耳に入ってはこなかっただろう。アイリーンは黙って抱きしめてくれたバーサに感謝した。
「うん」
バーサはそれ以上、何を言っていいのか分からなかった。だが、これだけは言える。
「アイリーンも私も、まだ終わっていない。BAカンパニーも動き出したばかりなの」
アイリーンはバーサをじっと見つめて、口を引き攣らせながら笑いを作った。辛いのは事実だが、『BAカンパニーも動き出したばかり』というバーサのセリフに勇気づけられた。
「そうね。私達の挑戦は始まったばかりね。ありがとう、いっぱい物を作って、いっぱい勉強もして、一緒に、そう、バーサと一緒に学校に入るの」
「そうだよ。一緒に入るんだよ。それで……私達が『ライアン商事』買い戻すの」
ニコッとほほ笑むバーサのセリフにアイリーンの黒い瞳がいっぱいに広がった。彼女は袖で自分の目を擦ると、バーサの手を取り頷いた。
「うん」
「でも、袖で涙を拭くのはお行儀が悪いわよ、アイリーン」
「ば、バーサがそれを言う?」
ふたりは思わず顔を見合わせ、くすりと笑った。涙と笑いが混ざり合い、部屋の空気が少しだけ温かくなった。
◇ ◇ ◇
「でも、なんで『ライアン商事』は経営破綻を起こしたんだろう?私も聞いたことある程の大きな会社だよ?」
バーサは新聞を見開きながら首を傾げる。
「私の両親が死んだあと叔父さんが経営に携わっていたんだけど、随分お金の使い方も荒くなって……」
「それにしてもだよ。個人がお金をたくさん使っただけで経営破綻って起こすものなのかしら?」
バーサにそう言われ、アイリーンは顎に手を置き上目遣いに俯いた。
(確かに、それだけで経営が傾くっておかしい)
「でも、今も経営者も行方不明って書いてあるし、事実は分からないね」
──ハグラー叔父さんにバーバラ叔母さん、それにギャヴィンもどうしているんだろう。
あれほど冷たくされ、挙句の果てに売られてしまったアイリーンだったが、すべてが悪い思い出だけではない。ほんの僅かではあるが気には掛けてしまう。
そう言えば、もともとスタンリー家には百万ピネルで売られた。その頃から金銭的に苦しかったかもしれない等と思ってしまうのだ。
「考えても仕方ないわよね、ほんのちょっぴりだけど叔父さん達の無事をお祈りしましょ」
こう思えるのも近くにバーサが居てくれるからだ。彼女が居なければ自分の精神がどうなっていたか分からない。バーサに心から感謝するアイリーンだった。
その夜の事……
横殴りの雨が部屋の窓ガラスを激しく叩きつける、時折唸りを上げる稲光と落雷にアイリーンは両手で耳を塞ぎ布団を頭まで被って包まっていた。
(怖い……)
ひときわ大きく窓ガラスがガタガタと揺れると、「バーン!」という音と共に窓が激しく開いた。
バシバシと叩きつけてくる雨が部屋の中まで入って来る。吹き荒れる風の強さは布団の中にいるアイリーンでさえ感じられた。
(ま、窓閉めなくちゃ)
布団をはねのけると、顔に激しい横殴りの雨が容赦なく叩きつけてくる。顔を顰めながら少し目を開くと、目の前に人影が現れた。
暗がりでよく分からないが、体格的には男性だ。
「見つけたぞ、アイリーン」
聞き覚えのある声……
「は、ハグラー叔父さん?」
ずぶぬれの男は窓を勢いよく閉めると、アイリーンに近寄った。
アイリーンは慌てて光を点した。目の前に立っているのはやはりハグラーだった。頬はこけ、無精髭の生えた顔にビショビショに濡れたボロボロの衣類を身に纏い、鬼の形相でアイリーンを睨みつけている。
「叔父さん……」
恐ろしくてそれ以上言葉にならなかった。逃げた方がいいとアイリーンの心がそう叫んでいる。
ハグラーはサッと手を伸ばしアイリーンの腕を掴んだ。その手は氷のように冷たく、背筋に震えが走る。
「お前が、お前の印を持って行ったから、何処も助けてくれなかった。すべてお前の責任だ!」
意味が分からない。印って何?アイリーンの頭の中がグルグル回り出す。
「し、知らない、何も持ってない」
アイリーンが此処に来るときに持ってきたものは簡単な着替えと、スミス氏が預かっているはずの市民証と母の形見のロケットペンダントだけ。印なんて見た事もない。
だが、ハグラーは歯をむき出しにして全く効く耳を持とうとはしない。
「この責任を取らせてやる」
目尻を吊り上げたハグラーは力任せにアイリーンの腕を引っ張った。
「だ、誰か助けて」
アイリーンは掠れる声を振り絞った。
「黙れ」
アイリーンの頬に強烈な痛みが走る。体中の力が抜けていく。
全てが諦めに変わろうとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。
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