30.名前はBAカンパニー
「ねえバーサ。食器用洗剤の方を少し大きめの瓶に、ヘアオイルの方は小さめの瓶に入れたいんだけど、あるかしら?」
アイリーンがバーサに尋ねると、バーサは薬品棚の下段にしゃがみ込み扉を開きゴソゴソと物色。
すると彼女は三百ミリリットルほどが入るガラス容器と、五十ミリリットルほど入る縦長の小瓶を一つずつ取り出した。
「これでいいかしら?」
「うん、いい大きさね、じゃあバーサ、それに移し替えといてくれる?」
突然アイリーンはバーサにそれを託すと、速足で自身の部屋へ戻って行った。
「どっか行っちゃった。……うん、先ずはヘアオイルから」
バーサは少しだけアイリーンを目で追ったが、直ぐに小瓶を手に取った。
透明度の高い綺麗なガラス小瓶に液体を慎重に移していくと、ほんのりとバラの香りが漂う。
小瓶をクルクル回すと渦巻く黄金色の水面がキラキラ輝く。それはあの黒っぽいサザミの種から出来たとは思えない程美しい。
「まあ、とっても綺麗。まるで貴族様が使う香水のようだわ」
調子に乗って小瓶を回していると思わず溢しそうになり、高鳴る心臓を押さえてバーサはそっと小瓶を置いた。
次に洗剤をガラス瓶に流し込んだ。少し白濁した液体に泡がたちのぼる。そしてパチパチと小さな音を立てて泡が割れると、こちらもバラの香りが広がっていく。
彼女のブルーの瞳が徐々に潤い、胸の奥がジンと熱くなる。
「私がちょっと口にした事をアイリーンは形にしてくれた」
そのままぼんやりと割れゆく泡を見つめていると、少し息を切らしたアイリーンが何かを握りしめ戻ってきた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
バーサはアイリーンを見ながら首を傾げる。
「これを見て!洗剤とヘアオイルと圧布。この三点セットで売るよ」
アイリーンが握りしめていたものは、麻を何重にも重ね合わせた厚めの布だった。
「あ、これたわしの代わりね。大きさもたわしより少し大きめで持ち易いわ」
バーサが『食器洗浄用たわしより麻の布が良い』と言っていたのを、アイリーンは直ぐに実践に取り入れたのだ。
アイリーンの心遣いにバーサの胸が更に熱くなる。そして、彼女の持ってきた圧布を手に取るとそこには『BAカンパニー』と刺繍されていた。
「この『BAカンパニー』って何?」
「うふふ、これはね、バーサ、アイリーンの頭文字を取った私達のブランド名よ」
◇ ◇ ◇
「ねえバーサ。フィリップさんと連絡を取りたい時ってどうしているの?」
「え?どうして?」
アイリーンの問いかけにバーサは首を傾げる。
「だって、私達の商品を売らなきゃ」
バーサは大きく見開いたブルーの瞳をパチクリさせた。
「売るって言ったって、まだ試作品しかないのに?」
アイリーンは人差し指を立てて横に振る。
「スミスさんって発明品を売っているんだよね?」
「そ、そうらしいけど、試作品を雇用主に売りつけるの?でも、これくらいでは学費には全く足りないと思うよ?」
心配そうに見つめるバーサにアイリーンはニヤッと笑いながら、懐からメモ用紙を取り出した。そこには先程作った品物のレシピが細かく丁寧に書かれてあった。
「いつの間に記録していたの?」
「だって記録しておかないと他の人には作れないでしょ?私達が売るのは商品そのものではなくてレシピよ」
アイリーンもバーサも自他ともに認める記憶力の持ち主。きっと二人の頭の中にはレシピが刻み込まれているはずなので、その用紙は他人のための物だと分かるのだが……
「レシピを売るなんて考えもしなかった」
「だって、私達には大量に作る時間なんてないもの」
アイリーンにとっての最優先課題は学校に合格する事。時間はその為に使いたい。
「それにね、そうした方が私達よりも沢山作れるでしょ?」
──そうか、アイリーンはお金儲けよりも、沢山の人に使って貰いたいんだわ。
香り付きの洗剤やヘアオイルを嬉しそうに使っている誰かを想像すると、バーサの中に抑えきれない高揚感が満ちていく。
「うん。わたしも沢山の人に使って貰いたい」
「じゃあ、決まりね」
アイリーンはバーサの手を取り、ギュッと握りしめた。
「それにしてもレシピを売るって……」
レシピという交渉の肝を手放すのはかなり勇気のいる事である。その事は商売の素人であるバーサにも理解できる。
──折角の製作品を奪われるかもしれないなんて、アイリーンはこれっぽっちも思っていないのかしら?
バーサの疑問を払拭するかのように、アイリーンはキラキラ輝くヘアオイルの小瓶を持ち上げ「いい出来だわ」と呟いた後、ゆっくりとバーサに目を向けた。
「相手がスミスさんだからこそ、それを託すの。私達にこの環境を与えてくれた人の恩に報いる為にもね」
「うん。そうだね」
バーサもゆっくりと首を傾ける。
「きっとね、スミスさんはこう言うはずよ『これだけの物を作れる奴らだ。気分よく作らせた方がもっといいものを生み出すかもしれん』ってね」
アイリーンが顔を顰めながら男っぽく真似る姿を見てバーサはプッと噴き出した。
「アイリーンったら、旦那様を見た事もないくせに。それにいくら何でも自画自賛すぎるよ」
「うふふ。確かにそうだね。でも、それくらい自信を持って頑張るのよ」
アイリーンは鼻息荒く、グッと握り拳を作った。
だが、元気一杯のアイリーンを見たバーサは、彼女を案じる様に少し顔を曇らせた。
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