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全てを奪われたけど、へこたれません。香りで夢を掴みます!   作者: 季山水晶
Ⅰ.試練の幕開け

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29.試作品

 アイリーンが出来たばかりの香り付き食器用洗剤を小瓶に移し替えている時、「あちちっ!」と言うバーサの叫びが聞こえた。


「どうしたの!」


 バーサの方へ目をやると、顔を真っ赤にしながら彼女が指にふぅふぅと息を吹きかけていた。


「火傷したの?大丈夫?」


「ごめんごめん、大袈裟だったね。大丈夫だよ」


 アイリーンが慌ててバーサが息を吹きかけていた方の手を取ると、傍にある湯気の立ち上る麻布が目に入った。


「ねえ、これを素手で触ったの?」


 アイリーンの硬直した表情にバーサは顔を落とし、上目遣いでえへへと苦笑を浮かべ、自身の鼻頭をポリポリ掻いた。


 幸い、バーサの指は赤くも水膨れにもなっていなかった。


 ──やっぱり方法は知っていても基本的な事を理解していない。


「よかった。火傷したかと思ったよ」


 アイリーンはホッと胸を撫で下ろしたが、直ぐに真顔になりバーサの肩に手を置いた。


「笑い事ではないの。場合によれば大事になる所よ。バーサはいろいろの事を知っているけど、基本的な事が分かっていない」


「あの……」


 バーサが眉を落として何かを言おうとするが、すぐさまアイリーンはそれを遮る。


「わかってる。受験に出ないから知らないんでしょ?でもね、生きていくうえで知ってなくちゃいけない事も沢山あるの。次から何かをする時には、必ず私に声を掛けて。できないならお手伝いは要らないわ」


 そしてアイリーンはすかさず傍に置いてあったフラスコを手に取り、水を入れて火にかけた。


 その様子を黙って見つめるバーサに見向きもせずに、アイリーンはグツグツと湧き立つフラスコに冷え切った布を巻き付けた。


『バリン!』


「うわあ!」


 バーサは身をかがめた。


 すさまじい音を立ててフラスコは粉々に砕け散り、床にばら撒かれた湯は熱気を伴う湯気を立ち上げた。


「知らない事をするという事はこういう事よ」


 物静かだが、アイリーンの言葉は重い。同じような事がいつ起こってもおかしくないという事をバーサは目の当たりにして、口をワナワナと震わせた。


「……ごめんなさい」


 バーサは目を潤わせ、項垂れた。床にポトリと涙が零れ落ちる。


 アイリーンはそっと近づき、バーサに両手でギュッと彼女を抱きしめた。


「安易な行動は命を落とすかもしれない。自分以上にあなたの事を大切に思っている人が居るという事を知っておいて欲しいの」


 バーサは端をすすりながらコクンと頷いた。


「わ、私……」


「もういいの。分かってくれればね。さあ、どんどん進めていくよ。熱した鍋やビーカーを触る時は、濡れていないぶ厚い手袋をはめる事」


「はい!」


「熱いものにはいきなり冷たいものを当てない事」


「はい!」


「よろしい。バーサは手袋をしてサザミの種を絞ってちょうだい」


 バーサは袖で涙を拭い、敬礼をした後すぐさまゆで上がったサザミの種を手に取った。今度はちゃんと手袋をして。


 ……


 うんしょ、うんしょと傍目に聞こえていた声が止まると、バーサはビーカーに入ったサザミ油を持ってどや顔でアイリーンに差し出した。


 ビーカーに入っているサザミ油は一切の不純物も見られず、透き通った黄金色が光りを反射してキラキラ輝いている。


「とても綺麗ね。本に載ってあることに関しては完璧だわ」


「なによぉ、本に載っている事に関してって!……まあ、本当だけど」


 口を尖らすバーサを見て、アイリーンはクスっと笑う。


「ふふっ。冗談よ、凄いよバーサ。これであなたの髪は大化けするよ」


 受け取ったビーカーを光にかざしながらアイリーンは目をキラキラさせる。


「私の髪が何だって?」


「いいからいいから、ここから先は私に任せてちょうだい」


 アイリーンはグッと親指を出した拳をバーサに突き出した。


  ◇ ◇ ◇


 ビーカーに入ったサザミ油を更に小さな試験管に小分けにしたアイリーンは、その中へスポイトに吸い込んだバラ水を一滴一滴垂らしていく。


 三滴ほど垂らした後、ゆっくりとガラス棒でかき混ぜ、棒につく水滴を手に取り匂いと粘性を確かめた。


 うーんと首を傾げ、再び三滴ほど垂らし同じことを繰り返すと、突然その指をピタッと止めた。


 ガラス棒に鼻を近づけ、口角を持ち上げたアイリーンはその様子を黙って見つめているバーサに声を掛けた。


「バーサ、鏡台の前に座って。早く早く!」


「え?なになに?」と戸惑いながら鏡台の前に押しやられるバーサが椅子に座らされると、アイリーンは手にたっぷり塗ったバラ水入りのサザミ油を彼女の髪の毛に塗りたくった。


「じっとしてね」


 バーサの赤髪を手櫛を使ってゆっくりと油を馴染ませた後、アイリーンはブラシを持ち出した。


「ほら、前に梳いた時より全然絡まないでしょ。それにね」


 そう言いながら束ねた髪をバーサの目の前に持っていく。艶のある真っすぐな赤い髪からほんのりとバラの香りが漂う。


「え?これが本当にくしゃくしゃだった私の髪の毛なの?」


 鏡に映るバーサの目が見開かれている。


「そうよ。これが本当のあなたの髪の美しさよ」


 バーサの瞼がトロンと落ちる。


「うふふ。一人目のお客さんゲットだね。まだ試作品だけど」


 バーサの横に映る鏡の前のアイリーンも微笑んでいた。

いつも読んで下さりありがとうございます。

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