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全てを奪われたけど、へこたれません。香りで夢を掴みます!  作者: 季山水晶
Ⅰ.試練の幕開け

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プロローグ

アイリーンを宜しくお願いします

 着の身着のまま、リュックサック一つで追い出されたアイリーンは、そのままデビット・スミスの屋敷へ向かった。


 アイリーンには他に行ける場所が残されてはいなかった。


 あのままスタンリー家に居るよりかはましかもしれないが、逃げ出すわけにもいかない。自分を唯一証明できる市民証と母の形見のロケットペンダントは既に次の雇用主のデビット・スミスの手に渡っているのだ。


 この世界では市民証が無いと、まともな生活は出来ない。


 アイリーンは手こそ出されなかったものの、変態スタンリーから目を付けられた。


 Xデーが決まった日に、思わず転機?が訪れたのだ。


  ◇ ◇ ◇


 アイリーンを遣っていたスタンリーは、これから雇用主になるスミスの執事フィリップから「メイドとして私に来て欲しい」と二百万ピネルを手渡され、満面の笑みを浮かべて即決した。


(私に二百万……それってどうなの?)


 二百万ピネルは少し裕福な家庭の年間収入の約二倍、メイドの契約金としては破格だ。ただし、契約金とは名ばかりでアイリーンには一銭も入ってはこない。


「百万で手に入れたモノが二百万か、グフフフ」


 品の無い笑い声をだし、スタンリーは手に持つハンカチで口元を拭った。


(また、このパタンか……)


 もう、落ち込む気にもなれない。だが、ふとアイリーンの脳裏に疑問が噴き出す。


(この屋敷には美人でスタイルの良いメイドは沢山居るのに、なぜ私を指名?)


 アイリーンは契約現場を見つめながら首を傾げる。


 何のためにスミスがその破格な金額を彼女に出すのか、皆目検討がつかない。ただし、物扱いという事だけは判っている。この世界の一般常識がそうなのだ。


 制度的に金銭トレードの様なもので、法的には引っかからないが、実質は人身売買だ。それは行った先でどんなことをされてもおかしくないという事。


 これから先の事を想像するだけで、背筋に寒気を感じる。


(いやいやでもね、ものは考えよう)


 スタンリーも変態だったし、仮に先の雇用主が変態であっても何ら変わらない。それならまだ確実に変態と決まっていない分、転機と思いたい。


 ポジティブ思考に切り替えて負の感情を打ち消そうとした時、ふと別の疑問も頭の中に浮かぶ。


(そもそもデビット・スミスさんって誰よ?)


 ……


 元々家柄の良かったアイリーンは数多くの富豪たちを知っている。いち小娘にポンと二百万ピネルを出せるほどだから、彼女がその名を知っていてもおかしくはないはずだが……


(記憶の片隅にもないわ)


 記憶力には相当な自信を持っている彼女だが、全く思い出すことが出来ないのだ。


(ほんと、一体誰なんだろう?)


 相手が判らないのは不安だが、このまま逃げても市民証がない以上、この街以外でも国民としてみなされず、この先普通の生活をおくれる保障ない。


 路頭に迷うか、運をつかむか……


 頭を抱えるアイリーンだが、選択肢は一つしかない。


(行くしかない……か)


 アイリーンはキュッと唇を引き締める。


 何よりも彼女には夢がある。今は亡き両親と約束した超難関校であるランバーグ専門学校に入学する事。


(夢を夢で終わらせない。それに母の形見のロケットペンダントも取り戻さなきゃ)


 ロケットペンダント、母が生前に「大切に持っていてね」とアイリーンに託したものだ。


 人質の如く奪い取られたロケットペンダント、それが今はスミス氏の執事であるフィリップに手渡された事を彼女は知っている。


(私は絶対、このままでは終わらない)


◇ ◇ ◇


(さすがお金持ち、まるでお城だわ、それにしても……)


「お化け屋敷みたい」


 アイリーンは目の前の屋敷を見てそう呟いた。西洋風で汚れと枯れた蔦が巻きついた白い石壁。そこは何十個も部屋がありそうな古い建物で、吸血鬼か何かが住んでいてもきっとだれも疑わない。


 外観もひと昔のデザインで、相当古くに建てられたものなのだろう。


(ほんと、蝙蝠とかカラスとかが似合いそうだわ)


 敷地を見渡すと、屋敷の不気味さを更に演出するように、今にも掴みかかってきそうな柳の木が、風が吹くたびにザワザワと不気味な音を立てている。


「もっと雰囲気が明るくなるようなもみの木とか、イチョウの木とか植えたらいいのに」


 ついに心の声が口から漏れ出る。


「そういえば、私に家はケヤキの木や大きな樹形が季節によって美しい色彩を演出していたなぁ」


 あまりの違いにアイリーンは思わず目を覆ってしまいたくなるほどだ。


 フィリップに聞いたところによると、新しい雇用主は発明家で比較的若い男性であるとの事。


 だが、若い男性が住んでいる屋敷にはとても見えない。


「このお屋敷に似合うのはヨレヨレの白衣を着て「ヒッヒッヒッ」とか笑いそうなお爺さんだわ」


(そもそも、こんな所で何を作っているの?もしかして、人体実験とかしているのではないでしょうね?)


 一歩を踏み出せないでいるアイリーンの真上で「ギャー」とカラスが甲高い鳴き声を上げた。


「ヒッ」


 歯をむき出しにして肩をビクッと震わせたアイリーン。気を取り直し扉に目を向ける。


(まったく、何かと気味が悪いわね)


 そこには大きくて両開きになっている扉には、目つきの悪い牛の顔の彫刻が張り付いており、その牛の鼻輪がドアベルになっていた。


「なんで牛なの?」


 世の中には綺麗な真鍮のベルだとか、例え同じ動物でもフクロウとか、洒落たものがある事はアイリーンも良く知っている。それだけで住んでいる人の爽やかさが伝わる様なものも色々あるはずなのにと、アイリーンは残念な目でそれを見つめる。


(一体どんな趣味の人なのよ)


 鼓動がどんどん早くなっていく。


 ゴクリと唾を飲み込んだアイリーンは牛の鼻輪に手をかけた。


『コンコン』


 風が木の葉を揺らす音の中にドアベルの金属音が溶け込んだ。


『ギギギギ……』


 ガタガタとドアベルが揺れると、鈍い音を立てて扉が開いていく。


 その建付けの悪い音はアイリーンの背筋に冷たいものを走らせる。


 アイリーンは淑女の様なカーテシーで顔を伏せていたが、一向に声がかからない。


 そっと首を持ち上げるが、目の前には誰も居ないのだ。


(だ、誰が開けたの?)


 カーテシーを解除した彼女は勇気を振り絞り、一歩足を踏み出してそっと中を覗いてみたが、やはり誰も居ないのだ。


(どうなってるのよ)


 呆然とその場に立ち尽くすアイリーンは、しんと静まった大きな屋敷を見ていると急に昔を思い出し、胸の奥が熱くなってくる。


(昔は扉が開くと「お帰りなさいませ」と、誰かしらが言ってくれたのにね……)


 不気味さはあるが、意外にも屋敷の中は明々(あかあか)と明かりがともっている。


 その灯りを見ていると不思議と暗かった気分が安心に変わっていく。


(灯りひとつでこうも気持ちが変わるのね)


 虎穴に入らずんば虎子を得ず!ケセラセラよ


 アイリーンは気を取り直して「お邪魔しま~す」と言って誰も居ない玄関をくぐった。

読んで頂きありがとうございます。

宜しければ完結までお付き合いください

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