『男装の君』と『自発的ティム現象』
マイケル王子は一日安静にしていなければならず、退屈しているところに宮廷魔術師であり幼馴染であるバンピールが顔を出した。
「辺境の騎士爵の娘と剣術の試合をして膝を傷めたんだって?」
「耳が早いな」
「殿下の親衛隊が怒っていたぜ。あのサリー・トロットという山猫娘は殿下に対して無礼の限りを尽くしているのに、殿下は許していると」
「許している訳ではないが、どういう訳かいざという時にーー」
「言い負かされてしまう。または許してしまいたくなるってことだろう?」
「どうして分かるんだ?」
「それで後でイライラして自分に腹を立ててしまうってことだろう? それと似た症例を知っているよ」
「なんだ、それは? 何が原因なんだ」
「殿下はアンナ・ナウリー子爵令嬢に助けられたことになっているが、それを信じていないんだってね」
「うまくいえないが、心の底で違うって声が聞こえるんだ。それにアンナ嬢が湿布をしてくれたことになっているが、湿布に使った布は女性用の下着で粗末な木綿を手縫いしたものだった。
彼女は専属の店でそういうものは買いそろえているので、考えられない。事実復元したシャツを目にしても何も反応を示さなかった」
「それは確かに。まだあるか? アンナ嬢ではないという証拠は?」
「それと、私のその時の状態がかなり危なかったらしく、護身のペンダントを使っていた。それを目にしても何の反応も示さない。それに母上に尋ねたところ、このペンダントは大叔母のシャルロッテ様の者だと言うんだ。
だがアンナ・ナウリー嬢の祖母には母方にも父方にも平民身分のシャルロッテという女性はいなかった」
「それじゃあ、いったい殿下を救ったのは誰なんだ?」
「ナウリー子爵領の領民にも、そこに隣接する男爵領、準男爵領、騎士爵領にも、もちろん辺境伯配下の下級貴族の領内もすべて調べた。シャルロッテという平民身分の老婦人は過去にも現在にも存在していないんだ。偽名を使っている可能性も考えて年齢や人相なども含めて調査したが全く手掛かりがなかったのさ」
「でもってサリー・トロットの父親の騎士爵の領内も調べたのか?」
「彼女の父親は騎士爵だがナウリー子爵家の騎士として仕えているし、住まいも子爵領の中にあるそうだ。つまり王宮への届けは領地を持たない騎士爵ということだ。だからトロット騎士爵からの国税は子爵側から納められている」
「ほう……特殊な例だな。ところでいったい誰に助けられたというんだ? 幽霊か?」
「大叔母のシャルロッテは風変わりな人だったという。その孫娘の『男装の君』が従者とみられる年配の男と共に私を救出してアンナ嬢に引き渡したことまでははっきりしている。私を引き渡した後に逃げるように立ち去った所を見ると、アンナ嬢の知らない人間だろう。事実その後子爵家でその二人を捜したが見つからなかったというんだ。それで子爵領に限らず近辺の領内を出入りした者の名簿を調べさせたが、該当する二人は見つからなかった。そこで何らかの理由で無断で領内に入った者たちだと思うのだ。謎の旅人だな」
「それか、始めから大森林の中を狩りをして冒険していたのかもしれないぞ」
「ところで、もういい加減さっき君が言いかけた、似た症例と言うのを教えてくれないか」
「それだよ。だいぶ前に読んだ症例なんだが、『自発的ティム現象』というやつなんだよ。命を助けてくれた相手に対して魔獣が自発的にティムされて従魔になるのと同じように、人間が命の恩人に自発的にティムされたと同じ状態になるんだ」
「そんな自発的にティムされたいとか思った覚えはないんだけれど、それが何だって言うんだ?」
「意識の上では何も思わなくても、意識下の本能ではそうなってしまうらしい」
「だがサリー・トロットは違うぞ。あいつに助けられたわけじゃない。ましてあんな山猫娘がシャルロッテ大叔母様の孫娘の訳がない」
「いやいや、つまりこういうことだよ。殿下の命の恩人である『男装の君』の正体はわからず、いつまでも宙ぶらりんのままだ。それで何となく手近な者と意識下で重ね合わせてしまったってことだ。その相手がたまたまサリー・トロットっていうことだ。まずあいつは王立学園に制服がなく私服で良いということを盾にとって、男装に切り替えられるドレスを着ているそうじゃないか。普段から男っぽい部分があると言うのは、王都の貴族令嬢たちにはないタイプだ。つまりイメージを重ね合わせるにもサリーしかいなかったんだよ。その結果、殿下は頭では違うと分かっていても意識下ではサリーと『男装の君』とを重ね合わせて、彼女に逆らえない状態になっているんだ」
「なんてことだっ! 治療法はないのか?」
「本物を見つけることしかないね。でも本物は見つからないと思う。大森林の中を自由に歩き回る二人連れなんて、どうやって見つけるのか想像もつかないよ。その二人が殿下をアンナ嬢に引き渡して慌てて逃げて行ったのは、無断で子爵領に入ってしまったからで、領民だと嘘をついたのもそれが原因だからだ。
もしかすると大森林から、よその国の方に出たかもしれないぞ」
「そうか……サリー・トロットは僕の中で『男装の君』の代用品にしていたのか……よりによって、あんな生意気な娘を……」
「言っておくけど、だとしたら彼女に近づかない方が良いぜ。君は彼女にティムされている従魔と同じ状態なんだからな」




