キャステン公爵
目覚めると私は泣いていたことを知る。
「…クリスティアナ…すまないっ」
クリスティアナの死が辛すぎるあまり、あの日の会話を記憶から消してしまっていた。
「ニルヴァーナをお願い」と言われていたのに、私は彼女との約束を忘れクリスティアナの死はニルヴァーナの所為だと決めつけ酷い態度を取っていた。
「ニルヴァーナに会わなければ…」
ヨシュアルト侯爵に手紙を送る。
「ニルヴァーナにと会って話がしたい。今までの事を謝罪しやり直したい」
何通も手紙を送るも、返事は
「公爵と孫は一切関係がありませんのでお断りさせていただきます。あの子の事はお忘れください。公爵には今は離れている素敵な家族がいるとお聞きしました。寂しく耐えられない辛さを偽りの娘を身代わりにするのではなく、再び妻と息子と娘を呼び寄せ、幸せな『本物』の家族四人で過ごしてはいかがですか?」
同じ内容が返ってくる。
「私の本物の家族は、クリスティアナとニルヴァーナです」
愚かな私が漸く辿り着いた現実を誠意をもって伝えるべく、十通目に届きそうになった手紙を執事に差し出す。
「旦那様…もう、止めましょう」
「何を言っている? こうでもしないと私の気持ちがニルヴァーナに届かない」
手紙さえ読んでくれたら私達は家族に戻れる。
これからは今までの分取り戻すくらい一緒にいられる時間を取ろう。
ニルヴァーナの知らないクリスティアナの話をしてやらなきゃいけない。
時間はいくらあっても足りなくなる。
「旦那様…ヨシュアルト侯爵令嬢の事をどれくらいご存じですか?」
ヨシュアルト侯爵令嬢…
執事の言葉に頭を殴られたような衝撃だった。
「ヨシュアルト侯爵令嬢ではない……私の…娘の事はこれから知っていく為に…」
「お止めください。ヨシュアルト侯爵令嬢は望んでいませんよ」
「それは、直接聞かなければ分からないだろう」
「…何年も蔑ろにされ、赤の他人と目の前で幸せ家族を見せつけられてきたんですよ? ヨシュアルト侯爵令嬢から見れば旦那様は既に『お父様』ではないでしょう」
「…なっ…そんなこと…あるわけない。私はニルヴァーナの父だ」
「…ヨシュアルト侯爵令嬢からなんて呼ばれていたか思い出せませんか?」
いい加減、ニルヴァーナをヨシュアルト侯爵令嬢と呼ぶな。
あの子は、ニルヴァーナ・キャステン公爵令嬢。
私とクリスティアナの娘だ。
「勿論…あの子は……私を……」
私はニルヴァーナになんて呼ばれていた?
『お父様』と呼ばれていなかったのか?
「…ヨシュアルト侯爵令嬢は、旦那様を『公爵様』と呼んでいらっしゃいました」
「公…爵…様」
執事に言われた瞬間、確かに『公爵様』と呼ばれていたのを思い出す。
何故あの子は私を『公爵様』と他人行儀で呼でいた?
私はあの子の父なのに…
「旦那様はヨシュアルト侯爵令嬢から頂いた手紙はどうされました?」
「手紙? そんな物は受け取っていない」
受け取っていれば覚えている。
記憶にないのは受け取っていないからだ。
「…ヨシュアルト侯爵令嬢は、旦那様のお誕生日には必ず贈り物をしていました。似顔絵に手紙、手作りのタッセルに刺繍入りのハンカチ…覚えていらっしゃいませんか?」
「…そ…そんな…も…のは…」
知らない。
誕生日の贈り物なんて私は…身に覚えがない。
「…私がヨシュアルト侯爵令嬢から渡され、旦那様の机の上に…旦那様はどれも直ぐに暖炉に放り込んでおりました」
「…そんなっ…何故止めなかった」
私自らの意思で暖炉に放っておきながら執事を責めるのは理不尽だと分かっている。
だが、認めたくなかった。
どうして私が投げ入れる前に止めてくれなかった?
止めてくれていれば…
「私は執事です」
「…そんな…」
私はニルヴァーナからの贈り物を暖炉に?
「旦那様はヨシュアルト侯爵令嬢が公爵家でどのように過ごしていたかを、まず知るべきです」
どのように過ごしていたのか?
どのようには…普通に…共に…ニルヴァーナと食事をした事は…思い出せない。
私はニルヴァーナとどう過ごしていた?
思い出せることが何一つなく執事の表情を見ると彼もまた見知らぬ他人のように見えた。
「思い出せないようであれば、ローレル様とヨシュアルト侯爵令嬢の二人が使用されていた部屋を確認されてはいかがです?」
「部屋?」
「はい。まずはローレル様からの部屋をお勧め致します」
部屋にはきっと手懸かりがあるのだろうと推測するも、執事がローレルの部屋を先に見せる意図に恐ろしさを感じていた。
あの三人が屋敷を出て行ってからなんの指示もしていないので、部屋はその時のままだろう。
先にローレルの部屋に向かい、扉を開けると物が多く統一感もない下品という言葉が似合いそうな部屋だった。
出ていった際に持ち運べる小物は持っていったようだが、それでもこれだけの物が残っているのは見境なく買っていたのだろう。
あの三人に興味が無かったので、ここまで散財していたのかと呆れてしまう。
開け放たれたままのクローゼットにも何着もドレスが残っている。
「はぁ…これらは処分だな」
必要のないドレスをこんなにも蓄えていたとは、驚きを通り越して呆れてしまう。
「…畏まりました」
「もう、充分見た。次はニルヴァーナの部屋に行く」
「はい」
ローレルの部屋を出て一歩目で立ち止まる。
ニルヴァーナの部屋は……何処だ?
これ以上執事に私がニルヴァーナを知らないと知られるのが怖く、動けないでいた。
「旦那様?」
「…ぁっいや…」
「…ヨシュアルト侯爵令嬢が使用されていた部屋はこちらです」
執事は主人より屋敷の事を知っているとは言うが、私はニルヴァーナの部屋すらも案内されなければ分からないのかと思い知る。
執事の後ろを歩きながら、ニルヴァーナについて知らないことを知っていく度に打ちのめされていく。
執事が立ち止まりここがあの子の部屋なのかと緊張する。
私の部屋からだとローレルの方が近い位置にあり、何故こんなにも遠いのか。
私が指示したのかさえ覚えていない。
ローレルの部屋を開ける時は何も感じなかったが、相手がニルヴァーナだと扉を開ける行為すら緊張。
「こちらがお嬢様のお部屋です」
執事が扉を開け、深呼吸をしてからゆっくり中を確認。
ローレルの部屋とは違い、一歩踏み入れた瞬間から空気が冷えていた。
大きな窓があるにも関わらず、目の前には大木があり日陰となっていて薄暗い。
そして、一番の違いは物が無さすぎる。
「…あの子は、殆どの物を持っていったのか?」
あの子の出奔は計画的。
部屋の物を少しずつ換金していたのか?
「いえ、殆ど置いていかれました」
「置いていかれたって…何も…無いじゃないか?」
部屋には運び出せないようなベッドや机チェストにソファくらいしか残っていない。
こんな状態の部屋で、何を持っていったというんだ?
「はい。ヨシュアルト侯爵令嬢は着替えの数点とクリスティアナ様の遺品である宝石を持っていかれました。他の物は手を付けておりません」
「手を付けてないって…」
ローレルの部屋とは違って一切の小物はなく、家具しかない状態だ。
「旦那様はヨシュアルト侯爵令嬢に何か贈り物をしたことはありますか?」
「…いや…ないが…」
贈り物はないが、それにしても酷すぎる。
貴族令嬢の部屋とは思えない殺風景な部屋だ。
「私達使用人にヨシュアルト侯爵令嬢へ渡すよう何か指示された記憶はございますか?」
「…商人やデザイナーは来ていただろう?」
直接私が贈った物はないが、必要なものは商人やデザイナーから直接取引をしていたんじゃないのか?
ミランダには公爵という立場に恥じる事が無いよう予算については何も制限はしなかった。
あの金額はミランダと子供二人そしてニルヴァーナの四人分の請求書だと思い込んでいた。
「はい。ミランダ公爵夫人とローレル様、ベネディクト様は商人がいらっしゃると毎回沢山の品物を買い占め部屋にも置ききれない程でしたが、その場にヨシュアルト侯爵令嬢が同席したことはございません」
同席したことが…ない?
未だにミランダを公爵夫人と口にする執事を窘めたいが、それよりもニルヴァーナは今まで何も願わなかったのか?
「なら…あの子は今まで何も?」
「ご覧のとおりです」
ご覧の通りって…
この部屋には主の痕跡が一切ない。
最低限の家具があるのみで、ぬいぐるみ一つない。
あの子は、何年もこの部屋で…
「唯一ヨシュアルト侯爵令嬢の物がございますが…確認いたしますか?」
「…あぁ」
淡々と告げる執事の言葉に主として情けない程恐怖を感じながら黙って付いていく。
執事はどこに向かうのか告げずに歩くも、私から尋ねることはなく到着した先は宝物庫だった。
「こちらです」
唯一と言って紹介したのは、見たこともない奇抜なデザインのドレスと公爵家の宝物庫に相応しくないガラスのネックレスだった。
繊細に作られているものであればガラスをドレスの一部に使用することはあるが、このネックレスは分かりやすく偽物。
「なんだこれは?」
これが、あの子が唯一持っていた物なのか?
「こちらは、卒業パーティー用にとミランダ公爵夫人とローレル様がヨシュアルト侯爵令嬢に贈った物です」
公爵令嬢にこんな物を贈っただと?
屋敷に置いて贅沢させてやったのに、ニルヴァーナにこんな物を贈っていたなんて怒りが込み上げる。
「こんなものっ」
「…ヨシュアルト侯爵令嬢は賢明な方です。それらの物を身に付ければどのように周囲から評価されるのか予測し、卒業パーティーは制服で参加されておりました」
「制…服で…」
一生に一度の卒業パーティーを……
クリスティアナの卒業パーティーの時、私は何度もデザイナーとやり取りしている姿を目撃していた。
宝石なども私と対になるようにする程念入りだった。
それをニルヴァーナは制服で参加していたとは…
「旦那様。これがお嬢様の現実です」
こんなに酷い環境で過ごさせていたことをまるで知らなかった。
私が言葉に出来ずにいると執事は続ける。
「贈り物は処分され、食事も誰かと共にすることはなく常にお一人でした。旦那様が新たな家族を優先する姿を遠くから眺める事しか許されず、屋敷内では居ない者扱い。いつの間にかお嬢様付きの使用人はローレル様の使用人となり、学園で酷い疑いをかけられても旦那様は無関心。卒業パーティーにとラルフリード王子から贈られたドレスもローレル様に奪われ、残されたのはあの斬新なドレスとガラスのネックレス。こんな扱いを何年もされていたのに、今更一緒に暮らそうというのは難しいかと…お伝えしておりませんでしたが、ヨシュアルト侯爵も『これ以上孫を苦しめるのは止めてくれ』と手紙を拒絶されております」
執事の言葉は胸を抉り頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。
「私の手紙すら苦痛……」
当然反論なんて出来るはずもなく受け入れるしかなかった。
「はい。孫を苦しめないでくれ…と」
私の手紙はニルヴァーナを苦しめていたのか?
時間は掛かっても一緒に暮らせると思っていた。
いつか私の気持ちが伝わると…
執事に窘められ、自身のこれまでのニルヴァーナへの態度を目の当たりにしてからは手紙を送るのを止めた。
執務室に籠り仕事に明け暮れ、せめてもの償いとしてニルヴァーナ宛に遺産を残すことに。
受け取る受け取らないはニルヴァーナに任せる。
私には、このくらいしか出来なかった。
あの日から時間を巻き戻せたらと何度も考えてしまう。
叶わないと分かりながら願わずにはいられない。
「今度は間違ったりはしない…私にニルヴァーナを愛させてくれ…」
晩年は柄にもなく、星を見上げては願うようになっていた。
『愛なんかいらない、幸せになれなくてもいい。お母様、悪いけど私の為に悪者になって』の書籍化が決まりました。
三月一日に発売予定です。
一人でも多くの方に手に取っていただけたら嬉しく思います。
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