キャステン公爵 視点
〈キャステン公爵視点〉
「抗議文?」
娘の卒業パーティーで、後妻が連れていた娘が問題を起こしたと知らせが届く。
彼らが何か企み行動しているのは執事から報告があったが、さほど興味はないまま窓から誰もいない庭を眺めた。
あの日。
『子供を諦めてくれ』
彼女に説得出来ていたら、こんな殺風景で辛い日々ではなかったはず…
「あの日、私が選択を間違えなければ…」
愛する人を失わずにすんだ。
子供は養子を取ればよかったんだ。
喩え孤児でも彼女と家族で居られたら、私はどんな子供でも愛せた。
「彼女が生きてさえいたら…」
クリスティアナの命を奪ったアレが憎い。
憎くて憎くて堪らない。
アレさえ居なければ…
あんなものを産みさえしなければ……
「クリスティアナは今も……」
クリスティアナが亡くなってから毎日のようにアレを恨んだ。
誰かの命を奪った事に気にも掛けないのか、アレはお気楽に毎日を過ごしている。
アレを見掛ける度に怒りが込み上げる。
「何故、お前なんかが生きているんだ?」
クリスティアナが亡くなり、震える程拳を強く握りしめるのが癖になってしまっていた。
「旦那様っ、ニルヴァーナ様の姿が見えません」
長年公爵家に勤めている執事が慌てた様子で報告するも、私には全く興味のない事だ。
「…そんな者の報告はするなっ」
居ないなら居ないで問題ない。
「…旦那様ぁ…」
執事のこれ見よがしに溜め息を吐く姿を何度みたことか。
彼は優秀だが、飽きずにアレの話をするのが玉に瑕だ。
「他家から抗議文が届いている。そちらの後始末がある」
アレの報告より、後妻の娘が起こした事件の後始末を優先すると執事も静かに部屋を去っていく。
後妻の娘の犯行を記した書類を確認すると、全てお粗末な物だった。
「ここまで愚かだったとは…」
後妻とは離縁し、屋敷から追い出した。
後妻と婚姻したのは、条件が揃えば誰でも良かった。
『アレと同じくらいの娘がいる事』
『前妻の物には触れない事』
『面倒事を起こさない事』
『私に必要以上求めない事』
それらが婚姻条件だった。
クリスティアナの父に孫の報告として嘘の手紙を送るには内容が乏しく真実味が無いので、後妻の娘について書いていた。
庭の散歩も手紙の内容の為。
そのぐらいの年齢の子が話す内容を書いておけば疑われることは無い。
名前は書かず、娘は~と書けば嘘にはならない。
その年代の娘なんてどれも一緒。
気付かれることはないだろう。
愛するクリスティアナの父には誠実でありたかった。
面倒だが後妻の娘が起こした事件の処理をし、慰謝料の金額も纏まり手配。
全てが片付くと漸く静になり、宝物庫へ向かう。
あの部屋にだけ、クリスティアナの絵画と遺品が数点残されている。
心優しいクリスティアナは死ぬ間際『私の宝石は全てニルヴァーナに贈って』と言い残した。
大切な忘れ形見をアレに託すことは出来ず、私が宝物庫に丁重に保管している。
「…どういう事だ?」
数日訪れなかっただけでクリスティアナの遺品だけが無くなっていた。
後妻には
『決して触れるな、もしお前の娘が盗んだとなれば首を刎ねる』
婚姻条件に出していた。
追い出された時に持ち出すとは思えない。
他の宝石なら構わない、クリスティアナの宝石だけは許されない。
急いで執事を呼び付け、現状を確認させ宝石の有りかを探させる。
「必ず見つけて犯人も処分してやる」
それから数日で宝石の有りかを見つけ出し、訪れた。
見るからにしがない質屋。
こんな店は『クリスティアナの宝石が置いてある』という情報がなければ足を踏み入れる事はなかっただろう。
中は案の定というか予想通り埃っぽい。
窃盗犯ならここで適正価格に買い取られるとは思わないだろう。
やはり、あの親子が持ち逃げしたのか…
「おいっ、ここで一番良いものを見せろ」
ローブを被っているとは言え護衛を数人控えさせていたので、店主も何の宝石の事を提示しているのか察し震えながら奥から素手で運んできた。
緊張してからなのか、普段からなのか宝石を取り扱う者が素手で触るとは…
私の探していた物ではないと願いながらも、店主の手の中にあるのはクリスティアナが生前まで愛用していたネックレスだ。
確認しなくても分かる、あれはクリスティアナの物だ。
「…おいっ素手で触るな」
「あっはいっ」
周囲を見渡し手袋を探す様子からして、この店に宝石を売りにくるのは愚か者だけと判断できる。
店主が机に置いたのを回収した。
「…これは、いつどんな奴が売りに来た?」
「はっ、えっと…」
怯えながらダラダラ応える店主に我慢の限界だったが、いつものように拳を強く握り耐えた。
「早くしろっ」
「はいっ、二週間程前に汚いローブを羽織った若い……女。そう女でした」
店主の見た目は六十代と言ったところだ。
その男から見て若い女はどのくらいの年齢を指す?
「若いとはどのくらいだ?」
「十代か二十代ってところでしょうか?」
十代二十代であれば、ローレルか…
「髪はブロンドだったか?」
ブロンドであればローレルに間違いないだろう。
発見次第で処分する。
「…いえ、晴れ渡った空の色だったような…」
「晴れわたった空の色だった…ような…」
空の色はクリスティアナの特徴…
まさか、アレが持ち出し売り捌いていたと言うのか?
「そいつは他に何を売った?」
ここまで育ててやっただけでも感謝するべきを、勝手にクリスティアナの遺品まで売る恩知らずとは…
あまりの怒りに声を荒らげ店主に追求した。
「ひぇっ…それだけです…」
頭を覆い震える姿に嘘は吐いていないと見えた。
「…これをいくらで買い取った?」
「…えっと…それは…」
「正直に答えろっ」
「はひっ、金貨十五枚です」
「金貨十五枚だとっ」
あの宝石は王都に屋敷が買える程の品物。
それをたったの金貨十五枚とは…
買う方も買う方だが、その金額で売る方にも愚かとしかいえない。
「ひぃ、すみません、すみません、すみません」
店主は必死に謝罪の言葉を繰り返す。
何に対しての謝罪か分かっていない所に更なる苛立ちを覚えるも、こんなところで時間を費やすつもりはない。
「いくら欲しい?」
「ほぇっ」
「これを買い取る…いくら欲しいんだ?」
「…はっえっと…金貨…さ…三十?」
どこまでもふざけた金額だが言い値の通り支払い、無愉快な店からいち早く退散する。
屋敷に到着。
「今すぐアレをここに連れて来いっ」
執事アレのを今すぐ連れて来いと命ずる。
「…旦那様。ニルヴァーナお嬢様でしたら卒業式翌日には屋敷を出奔しております」
「なんだと?」
「報告いたしましたが『お嬢様に関しての報告はいらない』と…」
執事は私がアレについて知りたくもないことを報告にくる。
出奔した際も報告に来たのだろうが、私は全く覚えていない。
「…今すぐアレを探しだせ。クリスティアナの宝石を持ち逃げし売り捌いている。すぐにでも回収しろっ」
「…お言葉ですが旦那様、奥様の遺言書にも宝石はニルヴァーナ様に譲渡するとあります。譲渡されたニルヴァーナ様がどのように扱おうと、旦那様が口出しできることではありません。それはクリスティアナ様の遺言を反故にするということになります」
悔しくも執事の言葉通り…
アレはどうでも良いが、クリスティアナを裏切るわけにはいかない。
「なら、アレの足取りを追えっ。他にも売っているようなら全て買い戻せ。いくら使っても構わない」
「畏まりました」
執事が出ていき一人になるも、怒りが押さえられない。
「アレは何を考えているんだ」
実の母親の遺品を売る娘が理解できない。
アレはそこまで人の感情が理解できないのか?
クリスティアナが命を懸けたというのに…
「あんな者の為に…」
窓から外を眺める。
昔はクリスティアナとよく散歩した。
仕事のし過ぎだと窘められ、お茶や散歩で気分転換だと共に過ごした。
あの笑顔が大好きで、今でも目に焼き付いている。
「旦那様っ。王宮より封筒が届いております」
「王宮から?」
既に後妻の娘が仕出かした件は慰謝料含め全て解決済みだ。それを王宮が何故?
封筒を開けると、数枚の書類を手にする。
「ん…養子縁組完了? 婚姻無効成立? なんだこれは?」
私の知らない所で何かが起きている。
同封されている手紙を読むと、相手はヨシュアルト侯爵によるもの。
『長年孫の様子を記した手紙が全て虚偽ではないかと疑念があり、勝手ながら公爵家の内情を調査させて頂きました。その結果、公爵のニルヴァーナへの対応は虐待に当たると判明。そのような者に大切な孫を預けるわけにいかないと判断し、ニルヴァーナとグレンバーグ・ヨシュアルトの養子縁組を願い出させてもらいました。そして、死に際の娘との約束さえ反故にしたカルヴァン・キャステン公爵を亡くなったとはいえ、娘の配偶者であった過去さえ認めることは出来ず抹消させてもらった。娘の遺産は一時とは言え公爵の戸籍を汚してしまった事への償いとして差し上げます。娘の墓も公爵にご迷惑をお掛けしていると思いますので、私の方で用意した場所に移させていただきました。短い間ではありましたが娘と孫を居候させて頂いた事、感謝致します。今後は一切の連絡は致しませんので、公爵がどのような方と婚姻しようが我々の事など気にすることはありません。この書類が届いた瞬間からキャステン公爵と我々ヨシュアルト家は一切の関係が無くなりますのでご安心ください。こちらの書類は既に申請し王家の確認許可も頂いております。ですので、全ての手続きは完了しております。これ以上公爵の手を煩わせることはありませんので、今後の人生我々と交わることは無いでしょう。キャステン公爵には、さらなるご活躍お祈りいたしております』
「…なんだ…これは…婚姻…無効…私とクリスティアナが…嘘だ…」
信じられない内容の手紙に手続き完了通知。
何が起きているのか理解が追い付かなかった。
貴族の作法であれば前触れを出し事前約束を交わしてから相手の屋敷を訪ねるのだが、そんなことさえ頭にない程混乱し馬車ではなく馬でヨシュアルト侯爵家へ向かった。
「ヨシュアルト侯爵に会わせてくれ。私はキャステンだ。カルヴァン・キャステン。クリスティアナの夫だ」
門の前で身分を明かし要件を述べる。
「事前に約束の無い方はお断りしております」
騎士により阻まれる。
何度願い出るも取り合ってはもらえず、渋々退散するしかなかった。
侯爵に会うことは叶わなかったので、クリスティアナの墓を確認しに向かう。
「嘘だ……」
クリスティアナの墓に到着すると最近掘り起こされていた形跡を確認。
考えるより先に無我夢中で素手で土を掻き分けた。
素手では限界が有ることや服が汚れるなどよりも、クリスティアナを探した。
「そんな…そんな…」
何故こんなことになってしまったんだ。
私はこの世の誰よりもクリスティアナを愛している。
今でも変わらず誰よりも…
なのに何故こんなことに…
元凶はアレだ。
アレさえいなければ…
「クリスティアナ…クリスティアナ…」
クリスティアナが息を引き取ったあの日、涙は枯れ果てたと思っていた。
なのに、今止め方も分からない程涙が溢れている。