終わりの日
新しいことを経験する度に強くなれる気がした。
翌朝、新たな馬車に乗り途中停車し食事をし泊まれそうな宿を探し泊まる。
繰り返していくうちに慣れるがまだ、乗客に話しかける勇気はない。
「もうすぐ、国境だな」
乗客同士の会話を盗み聞く。
数週間が過ぎ、ようやくウェルトンリンブライド王国との国境に到着。
国境を通過するのに身分を証明するものが必要かと不安に感じたが、通行税を払うと問題なく許可が降りた。
「…ウェルトンリンブライド王国に来たんだ…」
国境を越えただけで町があるわけでもないが、それでも私には貴重な一歩。
そして再び馬車に乗り、一番近い町を目指す。
あの国から解放されたんだと思うと心が軽くなる。
ふと国境に近い町は盗賊や犯罪が多く治安が悪いというのを思い出す。
ウェルトンリンブライドに来たはいいが、この後どこを目指せば良いのか分からない。
「質屋とかは無いのね……」
持ち出した宝石は換金していない物がまだ沢山残っている。
換金できればお金に困る事はないんだが、肝心の質屋のような店は見つけられないでいた。
王都に近い場所であれば簡単に見つけることが出来たが、王都から離れた場所になると質屋とは無縁な人が多い。
再び乗り合い馬車で別の町を目指し、次の街こそはと意気込む。
「新たな町ね」
到着した町は、そこまで栄えてはいないものの人々の雰囲気が柔らかく感じられた。
オーガスクレメン王国で最後に立ち寄った国も、直接会話したのは食事処の店主と宿の店員。
二人ともぶっきら棒ながらに優しさと暖かみを感じられた。
あの町も良かったが、どこか過去と重ねてしまう。
ウェルトンリンブライド王国に到着した今は気持ちが違う。
あの国から離れた達成感から好意的に見ている節はある。
自らの意思で訪れた町。
あの時捨てられた場所とは景色も違えば匂いも違うと感じる。
今思えば、あそこはオーガスクレメン王国の中でもかなり酷い状況にある貧民街だったと思う。
あの男はそうだと知って私をそんな場所に置き去りにするよう指示した。
「いらないなら、いらないと初めから言えばいいものを……」
育ててほしいなんて思っていない。
あんな男の元で生活するくらいなら、別の場所を望んでいた。
母もきっとそうだったに違いない。
あの男の傍にいたから死んでしまったのだろう。
平均寿命よりかなり若くして死んだ母。
生きる事に疲れていたのだろう……
「あの家にいたら死にたくなるわ……」
母の気持ちが分かる。
だけど、今は違う。
私は自由。
そんな場所と比べるのはおかしいが、涙が溢れてしまう。
私は漸くあの家から…
あの家族から…
あの悍ましい過去から解放されたんだと安堵。
『あのこ、泣いてるの?』
『大丈夫かしら?』
突然涙を流す私に気が付いた通りすがりの人に不審がられたので、涙を拭う。
「宿……働く場所を探さないと」
今後の為に住み込みで働ける場所を探す。
新参者が仕事にありつけるのは簡単なものではなく、数日は宿に泊まることを覚悟。
宿屋の店主に安くて美味しい店を聞き、食事を済ませてから再び仕事を探す。
様々な店を観察しながら私でも可能な仕事はないか探し歩く。
「うう゛っ」
くぐもった声に振り向くと女性が蹲っていた。
「だっ…大丈夫ですか?」
女性に近付き尋ねた。
「だ…大丈…夫っ」
大丈夫と言いながら女性は自身を落ち着かせるように深呼吸し、お腹を押さえていた。
よく見ると、女性は妊娠中。
「本当に大丈夫ですか? 誰かお医者さんとか呼びましょうか?」
「…平気よ。二人目…だから慣れてるわ…ふぅ…ふぅ…」
女性は慌てる様子もなく深呼吸を繰り返す。
私は何も出来ず一緒に屈んでいるが次第に女性は落ち着いてきた。
「ふふっありがとう、もう平気よ」
心配している私に笑顔を見せ女性は問題ないことを示す。
ゆっくり立ち上がる女性にどう接するべきか分からないが、女性の腰に手を回して支えた。
「お…送ります」
「ありがとう」
女性の名前はミリーと言い、宿屋を経営しているらしくお店に到着するまで色々と話してくれた。
話していると痛みを忘れるのか、次第に女性の体調も安定していく。
「旦那の名前は、ニック。幼馴染みで三年前に結婚した」
「幼馴染で結婚て、素敵ですね」
「そうかい?腐れ縁よ」
「私に幼馴染がいないので憧れます」
「ふふ。そんないいもんじゃないけどね。お互いの事知り過ぎちゃってるから、隣にいるのが当たり前みたいな感覚よ?」
「幸せなんですね」
私の周囲にはいない夫婦像。
物語などで、平民の結婚観に憧れる男性の気持ちが分かるような気がした。
「二年前に、ミスリンという女の子を出産したのよ」
「ミスリンちゃん」
「お腹の子も元気に生まれてくれさえすすれば、母親として充分よ」
「…元気に…優秀だったりしなくても?」
「ふっ。優秀な子になってくれたら嬉しいけど、優秀じゃなくてもいいのよ」
ミリーは優しくお腹を撫でながら愛おしそうに語り掛けている。
「…そう…いうものですか?」
「どんな子でも子は子だからね。元気な姿を見せてくれるだけで充分よ。きっと貴方のご両親だってそうじゃないかしら?…ここがうちの宿だよ…ただいまぁ」
会話をしていると女性の経営する宿屋に到着。
扉を開けて店内にいる人に声を掛けると、体格の大きい従業員が出迎える。
「おぉ、お帰り…ん? そちらは…」
男性の視線から、『そちら』が私を指しているのが分かる。
「あっ、この子はさっき気分が悪くなったのを助けてくれてね」
私が応えるより先に奥さんが返事を。
「気分が悪くなったのか? 大丈夫なのか?」
男性はミリーに駆け寄り体を心配する。
「もう、平気だよ」
「…そうか。嬢ちゃんありがとなっ」
「あっはい」
目の前の男性が、先程会話の中で出てきた幼馴染の旦那さんのニック。
奥さんの体調を心配するところを見ると、旦那さんが奥さんを愛しているのが伝わる。
『愛している』と口では言いながら影で愛人を作り、本妻の娘と変わらない年頃の子供を愛人に生ませている男とは大違い。
まさに理想的な『幸せな家族』がそこにはあった。
その光景は、私に最も縁のないものだと見せつけられる。
その後男性と自己紹介を済ませ、やはり旦那さんで正しかった。
「んー」
体格の良い旦那さんで気が付かなかったが、脚に隠れるように女の子の姿が。
屈み目線を女の子のに合わせる。
「あなたがミスリンちゃん?」
「…ぅん」
女の子は父親のズボンを握りしめながら応えてくれる。
「こんにちわ、私の名前は…ニ…ナ…よ」
名前を名乗るとは思っておらず、考えていなかった。
生まれてから誰にも愛称など付けられたことなどないので、『ニナ』なんて呼ばれたことなんてない。
貴族のニルヴァーナの名前は名乗りたくなく、咄嗟に『ニ』と出てしまい『ニナ』とした。
過去を想起するような名前は避けたかったのに。
名乗ってしまったものは仕方がない。
「ニ…ナ?」
首を傾げながら私の名前を女の子は純粋に口にする。
「…そう、ニナ」
私のぎこちない笑顔とは対照的に女の子の笑顔には癒される。
そんな娘を見守る両親の姿に私の胸は締め付けられた。
私がずっと欲しがったもの。
こんな小さい子さえ当たり前のように手にしている姿に嫉妬し羨ましいなんて思ってしまうなんて。
「それじゃ、私はこれで」
「ありがとねっ」
私は辛くなり宿を出た。
宿泊していた宿に向かうでも仕事を探すでもなく歩き続けた。
「こらっ」
男の子がお母さんに怒られている姿が目に入る。
彼の足元付近にはトマトのような食べ物が潰れていた。
きっと不注意で落としてしまったのだろう。
そして、母親らしき人はお店まで男の子を連れて行くと店主に頭を下げていた。
「子供の失態に頭を下げれる親なんているのね……」
店主は怒りながらも頭を下げる母親に免じて許したように見える。
真面目にさえ生きていれば幸せになれると思っていた。
努力すれば認められる。
だけど私の人生では違っていた。
「真面目に生きても報われないのは……私自身のせいなのね……」
急に雨が降りだす。
傘を持たぬ人々は急いで雨宿り出来そうな場所に駆け込む。
彼らの波に逆らうように、私は雨の中を歩いている。
雨と冷たい風で体が冷えていくのが分かるがどうでも良かった。
「私も誰かに愛されたかった…」
愛されたくて必死に努力して、真面目に生きた。
どんなに辛い事が合っても、誰にも頼らずに。
それなのに、誰からも必要とされず、誰にも愛されず、一人で死んだ。
虚しいことにやり直しをした今、過去よりも数日長く生きている。
母親を『娼婦』と罵り、学園でも自分勝手に振る舞い迷惑を掛けたと認識している。
そんな私がどうして過去よりも長く生きるの?
どうして…どうして…
長く雨に打たれ、もう自身の体が冷えていることも分からない。
先ほどまで沢山の人が行き交っていた道も今では人の姿が消え、私は一人独占して歩き続ける。
「…あっ」
バシャン
泥濘に足を取られ気が付いたら地面に倒れていた。
このまま、あの時のように死んだとしても構わない。
そんな風に考え、立ち上がる気力もなく目を閉じた。




